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第1話 狸

VS 狸

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 蒼矢の妖気を追ってたどり着いたのは、アパートからそう遠くないところにある小さな公園だった。ブランコとジャングルジムとベンチがあり、入り口付近には小さな花壇が作られている。

 その公園のほぼ中央で、優太と蒼矢が対峙していた。

「遅えよ、誠一」

 二階堂が追いついたことに気づいた蒼矢が、後ろを見ずに告げる。

「お前らが速すぎるんだよ」

 二階堂は抗議して、状況を把握しようと視線を巡らす。

 小競合いが何度かあったことは、明白だった。公園内の地面が、所々えぐれているのである。

「苦戦してるみたいだな」

「うっせえ! 本番はここからだっつの」

 そう言って、蒼矢は鎌を構え直す。

 蒼矢の妖気が次第に濃くなっていき、彼の周囲に青白い炎が複数現れた。

「殺すなよ」

 二階堂が釘をさすが、蒼矢はフンと鼻を鳴らすだけだ。

 横目でちらりと見やれば、そんなことはわかっていると言いたげな表情をしている。

 やれやれとわずかに肩をすくめて、二階堂は走り出した。

 一瞬、優太の意識が二階堂にそれた。

「どこ見てんだよ」

 と、蒼矢が青白い炎を放つ。

 それは、優太の足元に着弾し、砂ぼこりを上げる。

「捕まえた。……蒼矢!」

 砂ぼこりに怯んでいる優太を、後ろに回り込んだ二階堂が捕らえ、声高に蒼矢の名を呼ぶ。

「おうよ!」

 砂ぼこりの間から鎌を振り上げた蒼矢が現れ、勢いよくそれを振り下ろす。鎌の刃は確実に優太を捕らえていた。

 断末魔にも似た悲鳴を上げて、優太はその場に崩れ落ちる。刹那、何かが優太の体から放り出された。

「……おっと」

 優太が地面に倒れる寸前、二階堂はその華奢な体を抱きかかえた。汗ばんだ首筋に手をあてる。正常に流れている脈を感じ、二階堂はほっと胸を撫で下ろした。

「誠一! ガキは!?」

 どこに行っていたのか、蒼矢が声を荒げて戻って来た。

「ああ、無事だ。気絶してるだけだよ」

「そっか」

 心なしか、蒼矢の声にも安堵の色がうかがえる。

「ありがとう」

「あ? 何がだよ?」

 唐突に礼を言う二階堂に、蒼矢は訝しげな表情で問いかける。

「いや、殺すなって言ったこと、守ってくれただろ?」

「そりゃ当然だろ。今回の依頼は、あくまで救出なんだから。神経使ったんだぜ? ガキを傷つけずにこいつを切り離すの」

 蒼矢は自分の右手を掲げるように上げた。そこにいたのは、おぼろげな狸の幽霊だった。敵意を露にしているそれは、蒼矢から逃れようと必死にもがいている。

「大人しくしてろっての!」

 蒼矢が指に力を込めると、小さな悲鳴を上げて大人しくなった。

「加減しろよ? そいつには、聞きたいことがあるんだから」

 二階堂が告げると、

(聞きたいこと……ね)

 蒼矢は視線だけを唸り声を上げている狸に向け、わずかに思案する。

 聞き出したいことがあっても、このままでは無理だろう。幽霊とは言え、動物である。人の言葉を話すことはできないのだ。

 小さくため息をついて、蒼矢は狸に自分の妖気をほんのわずか分け与えた。

 すると、いまだ唸り続けている狸が、

「……っ!? てめぇ、何しやがる」

 体をひねって蒼矢の手から抜け出し、蒼矢に食ってかかる。

 しかし、それには答えず、

「てめえに聞きてえことがある。なぜ、あいつに取り憑いていた?」

 極力、感情を抑えて問いかける。

「フン! お前らなんかに教えてやるもんか」

「答えろ」

 蒼矢は静かに、だが、否と言わせぬ声音で告げる。深い海の底を思わせる濃い藍色の瞳には、剣呑な色が浮かんでおり、答えなければ滅すると告げていた。

「……っ!」

 狸は声にならない悲鳴を上げる。

「答えてくれ。優太君に取り憑いていた理由を」

 どうしても知りたいと二階堂が告げると、狸は観念したのか、しぶしぶではあるが、口を開いた。

「……オレが死ぬちょっと前、そいつがいきなり攻撃してきやがったんだ――」

 ――それは、三週間前のこと。

 狸は、お気に入りの切り株の上で昼寝をしていた。

 小学校の裏側にある林の中である。この林は狸の縄張りだった。狸の天敵になるような動物がいないため、長いことここに居を構えているのである。

 しかし、安らぎの時間は唐突に終わりを告げた。脇腹に衝撃と痛みを覚えて目を覚ます。辺りを見回すと、切り株の根元に木の棒があった。見覚えのないそれに、狸は自分が襲われたことを知る。しかし、他の動物の姿はない。警戒して辺りに気を配っていると、木の棒がすごい勢いで飛んで来た。当たる直前、後ろに飛びすさって回避する。棒が飛んで来た方を見ると、一人の人間の子どもが走り去るのが見えた。

 次の日もその次の日も、その子どもは狸に木の棒を投げつける。それも、この狸の習性を知っているかのように、毎日同じような時間に狙撃してくるのだ。

 回を重ねるごとに、日を増すごとに、狙撃の精度は上がっていく。

 しかし、狸は相変わらず、お気に入りの場所で惰眠を貪る。毎日狙撃されているのだから、別の場所に移動すればいいと思うのだが、この狸にとってここは離れがたい特別な場所なのだろう。

 そして、人間の子どもにとっても、狸を狙撃することは、もはや習慣となっていた。

 その日も、子どもは狸を狙撃する。一矢目は狙いがはずれ、切り株の根元に当たる。しかし、熟睡しているのか、狸が起きる気配はない。

 それをいいことに、子どもは足元にあった木の枝を二矢目に選んで放つ。今度は狙い通り、狸に当たった。が、狸は今まで聞いたこともない絶叫を上げる。驚いた子どもは、狸に駆け寄る。見ると、木の棒が狸の後頭部に突き刺さっていた。先が尖っていないものを選んで矢の代わりにしていたのだが、先程拾った枝の端がたまたま鋭利だったのだろう。深々と突き刺さり、絶命しているのは明白だった。怖くなった子どもは、その場から一目散に逃げ出した――。

 狸の話を聞いた二階堂は肩をすくめ、蒼矢はやれやれといった表情で首を振る。

「これは、取り憑かれても仕方ねえな」

「だろ? だったら……」

「させねえよ」

 狸の言葉を蒼矢が遮る。

 低く唸る狸に、

「この子の母親から依頼されてるんだ、助けてくれって。だから、君にこの子を殺させるわけにはいかないんだ。悪いな」

 二階堂が静かに告げる。

 それでもまだ怒りが収まらないのか、狸は唸り続けている。

 それを見た蒼矢は小さくため息をついて、

「どうしたら、怒り収まるわけ?」

「そりゃもちろん、そいつを殺したらだよ」

「そりゃ当然か。……でもよ、それってお前の本当の望みなわけ?」

「どういうことだよ?」

「確かに、お前は優太に殺された。だから、自分と同じ目にあわせてやりたいって気持ちはわかる。けど、優太を殺して、お前の気持ちは本当に晴れるのか? 報われるのか?」

「それは……」

「本当にしてほしいことは、違うんじゃねえの?」

 蒼矢の問いに、狸は口ごもる。答えを拒んだのではなく、持ち合わせてはいなかったのだ。

「行こうぜ、誠一」

 呆然としている狸を気にも止めず、蒼矢は二階堂に声をかけた。

 二階堂はうなずいて、優太を抱えて立ち上がる。

「……ま、待てよ!」

 歩き出した二人に、狸は慌てて声をかけた。

「あ? 何だよ?」

「オレも連れてけ」

 狸の思わぬ発言に、二人は顔を見合わせる。

「……大人しくしていれば、いいよ」

 わずかの逡巡、二階堂は条件つきながらも承諾した。

「おい、誠一!」

「大丈夫。こいつから、もう殺意は感じないから」

 危害を加えることはないだろうと、二階堂は告げる。

 蒼矢は、勝手にしろとばかりに鼻を鳴らし、歩き出した。

 二階堂は苦笑して、狸とともに蒼矢を追う。

 二人と一匹は神山家へと向かった。
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