上 下
3 / 64
第1話 狸

神山家へ

しおりを挟む
「それにしても、狸に何したんだ?」

 道中、蒼矢がつぶやいた。

「え?」

 二階堂は思わず聞き返した。

「狸が人間に取り憑くのは、人間に非がある場合が多いんだ。おそらく今回も、優太……だっけ? そいつが、狸に何か悪さしたんじゃねえかと思うぜ」

「じゃあ、その狸の怒りを鎮めればいいわけだな?」

「そう単純にいけばいいけどな……」

 かすみに告げた時の勢いはどこへやら、蒼矢は弱気な言葉を口にする。

「どうしたんだよ、蒼矢らしくない」

「除霊は専門外だぜ、俺。それに、昔から狸とは相性悪いからな……」

 苦戦するかもしれない、と言外に告げる。

 運転中の二階堂が、ちらりと横目で蒼矢を見やる。その横顔には不安の色が見えた。

「蒼矢でもあるんだ、苦手なもの」

「そりゃあ、あるだろ」

「五百年も生きてるのに?」

「生きてる年月なんざ、関係ねえだろ? ……まさかお前、俺が負けるとか思ってるんじゃねえだろうな?」

「そう思ってるのは、蒼矢だろ?」

「……っ!」

 痛いところを突かれて、蒼矢は口ごもる。

 図星か、と二階堂は苦笑する。

「妖狐様は、狸の霊が怖いのですか?」

 わざと挑発するような口調で問えば、

「はっ! あんな下級な者どもに、この俺がやられるかよ」

 甘く見るなとばかりに、強気な口調で応戦する。

 その答えは、二階堂の希望通りのものだったらしい。納得したような笑みをたたえて、

「敵陣に着いたみたいだ」

 前方を見れば、白地の壁に焦げ茶色の屋根が特徴的な二階建てのアパートが目に入る。

 前を走る車が、そのアパートの駐車場に入った。かすみが運転する車である。二階堂もそれに従って駐車場に入り、かすみの車の隣に停める。

 車から降り、かすみの案内で目的の部屋まで向かう。

「こちらです」

 アパートの一〇二号室。ここが、神山家である。

 かすみに促されて玄関に入ると、靴箱の上に小さな花瓶がちょこんと置かれていた。しかし、きれいに咲いていたはずの白い花は、微かにしぼんでしまっている。

 玄関を抜けると、ダイニングキッチンがあり、その先に扉が二つあった。

 そのうちの一つから、二階堂は嫌な気配を感じ取る。出来ることなら近寄りたくない、そんなことまで思ってしまう程である。

(……間違いない、あの扉の先にいる)

 二階堂はそう確信する。

 かすみが左側の扉――二階堂が気配を感じた扉をノックする。

「優太、ただいま」

 返事はない。

「入るよ?」

 声をかけて、扉を開ける。

 部屋の中は、昼間だというのにカーテンが閉めてあるせいで薄暗い。空間を遮るものがなくなったせいか、先程から感じている気配が、より濃く肌にまとわりついてくる。

 息苦しくなるくらい、鼓動が早鐘を打つ。早くここから離れろと、危険だと本能が告げる。しかし、逃げるわけにはいかない。二階堂はしっとりと汗ばんだ手を強く握りしめ、小さく深呼吸をする。ほんの少しだが、気持ちが落ち着いたところで部屋に入った。

 入り口正面には、勉強机や本棚が置かれている。奥を見るとベッドが置かれていて、少年が横になっている。そして、少年の枕元に『それ』がいた。狸である。

 おぼろげな狸の瞳は禍々しく光り、殺意が浮かんでいる。狸は、優太を本気で殺そうとしているらしい。

 しかし、かすみには見えていないらしく、優太に歩み寄ろうとしている。

 二階堂は、咄嗟とっさにかすみの手首を掴み、制止した。

「……二階堂さん?」

 かすみが怪訝な表情を浮かべる。なぜ止められたのか、理解できていないようだ。

「神山さん。ここから先は、僕達に任せてください」

 二階堂は狸を見据えたまま、かすみに告げる。

 否と言わせぬ声音に、かすみはうなずくしかない。

「優太を……お願いします」

 そう言って、かすみは部屋を出て行った。

「お願いされちゃあ、手加減するわけにもいかねえよな」

 蒼矢が軽口を叩く。狐耳と尻尾を出現させ、妖気で作りあげた鎌を手にしている。戦闘体勢は万全である。

「手加減なんて、最初からする気ないくせに」

「まあな」

 二人が構えながらそんな会話をしていると、優太がゆらりと起き上がりベッドの上に立つ。

 虚ろな目に光はなく、低く唸り声を上げている。完全に操られているようだ。

「よう、狸。そいつに何されたか知らねえけどよ、そいつに死なれちゃ困るんだわ」

 だから解放しろと、蒼矢が告げる。

 しかし、殺気立った相手がそう簡単に聞き入れるはずもない。優太は右手を前に突き出し、蒼矢に向けて何かを放った。

 妖狐である自分にも見えないらしいそれを切り裂こうと、蒼矢は鎌で空を切る。しかし、刃ではなく柄の部分に当たったのか、見えない球体は角度を変えて窓ガラスを打ち破る。

 蒼矢は舌打ちをして、鎌を振り上げ優太に襲いかかる。振り下ろす瞬間、優太はその細い体からは想像がつかない程の素早さで、蒼矢の攻撃範囲外に避難した。

「な、に……!?」

「そんなっ!?」

 これには、蒼矢だけでなく二階堂も驚きを隠せなかった。

 優太の体は痩せ細り、本来ならば立っているのがやっとの状態のはずなのだ。いくら操られているとはいえ、人の運動能力には限度がある。しかし、先程の優太の動きは、その限度を超えているように見えた。

「野郎……!」

 蒼矢が低く吠えて、優太に再び襲いかかろうとする。が、それは叶わなかった。体勢を立て直している間に、優太が割れた窓から外に逃走したのである。

「逃がすかよ!」

 蒼矢が、優太の後を追うように窓枠に足をかける。

「蒼矢!」

 二階堂が呼び止めるも、蒼矢は聞かずに外に飛び出していく。

 二階堂は舌打ちをして、きびすを返し部屋を出る。

 リビングには、かすみが心配そうにソファーに座っていた。二階堂が部屋から出たのに気づいたのか、立ち上がり、

「二階堂さん、ガラスが割れた音がしたんですが……」

「ちょっとした事故がありまして……。ですが、優太君は必ず助けます。だから、待っててください」

 二階堂はそう言い置いて、神山家を出た。

 アパートの裏手に回るが、優太と蒼矢の姿はない。当然といえば当然なのだが。

 二階堂はため息をつく。いつものことではあるが、戦闘モードの蒼矢は獲物のことしか見えなくなってしまうのだ。

 仕方がないと思考を切り替え、蒼矢の妖気だけを感じ取るように神経を集中させながら、二階堂はアパートを後にした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?

みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。 なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。 身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。 一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。 ……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ? ※他サイトでも掲載しています。 ※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。

契約違反です、閻魔様!

おのまとぺ
キャラ文芸
祖母の死を受けて、旧家の掃除をしていた小春は仏壇の後ろに小さな扉を見つける。なんとそれは冥界へ繋がる入り口で、扉を潜った小春は冥界の王である「閻魔様」から嫁入りに来たと勘違いされてしまい…… ◇人間の娘が閻魔様と契約結婚させられる話 ◇タグは増えたりします

陽香は三人の兄と幸せに暮らしています

志月さら
キャラ文芸
血の繋がらない兄妹×おもらし×ちょっとご飯ものなホームドラマ 藤本陽香(ふじもと はるか)は高校生になったばかりの女の子。 三人の兄と一緒に暮らしている。 一番上の兄、泉(いずみ)は温厚な性格で料理上手。いつも優しい。 二番目の兄、昴(すばる)は寡黙で生真面目だけど実は一番妹に甘い。 三番目の兄、明(あきら)とは同い年で一番の仲良し。 三人兄弟と、とあるコンプレックスを抱えた妹の、少しだけ歪だけれど心温まる家族のお話。 ※この作品はカクヨムにも掲載しています。

愚者の園【第二部連載開始しました】

木原あざみ
キャラ文芸
「化け物しかいないビルだけどな。管理してくれるなら一室タダで貸してやる」 それは刑事を辞めたばかりの行平には、魅惑的過ぎる申し出だった。 化け物なんて言葉のあやで、変わり者の先住者が居る程度だろう。 楽観視して請け負った行平だったが、そこは文字通りの「化け物」の巣窟だった! おまけに開業した探偵事務所に転がり込んでくるのも、いわくつきの案件ばかり。 人間の手に負えない不可思議なんて大嫌いだったはずなのに。いつしか行平の過去も巻き込んで、「呪殺屋」や「詐欺師」たちと事件を追いかけることになり……。

あやかし農場のほのぼの生活〜ブラックな職場を辞めて、もふもふなあやかし達との生活を始めます。なので戻って来いとか言わないでください〜

星野真弓
キャラ文芸
 中程度の企業に勤めて二年が経った三浦夏月。最初は優しい上司や趣味の合う同僚などがいたものの、他の部署へ転属してからは、仕事を押し付けて来るクソ上司や、当たり前のようにサボる同僚などに悩まされるようになった。  そんなブラック職場に嫌気が差し始め、ネットゲームで知り合った友人の狐塚梅に相談したところ、彼女の経営する農場で働かないかと誘いを受けた。  すぐに会社を辞めた夏月は、梅の住む屋敷の空き部屋に引っ越し――もふもふなあやかしたちと出会う事になる。  癒されながら農業に勤しみ、プログラミングの技術を駆使して一部の業務を自動化しつつ、あやかし達とののんびりとした生活を送る。  一方、今まで部署のほとんどの仕事をこなしていた夏月がいなくなった事で回らなくなり始め、段々と会社全体にも影響が出るようになるーー

画中の蛾

江戸川ばた散歩
キャラ文芸
昭和29年、東京で暮らす2人の一見青年。 そこにもちこまれた一幅の掛け軸。 中に描かれたのは蛾。 だがそれは実は…… 昔書いた話で、ワタシの唯一の「あやかし」です。はい。 全5話。予約済みです。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第二章シャーカ王国編

九龍懐古

カロン
キャラ文芸
香港に巣食う東洋の魔窟、九龍城砦。 犯罪が蔓延る無法地帯でちょっとダークな日常をのんびり暮らす何でも屋の少年と、周りを取りまく住人たち。 今日の依頼は猫探し…のはずだった。 散乱するドラッグと転がる死体を見つけるまでは。 香港ほのぼの日常系グルメ犯罪バトルアクションです、お暇なときにごゆるりとどうぞ_(:3」∠)_ みんなで九龍城砦で暮らそう…!! ※キネノベ7二次通りましたとてつもなく狼狽えています ※HJ3一次も通りました圧倒的感謝 ※ドリコムメディア一次もあざます ※字下げ・3点リーダーなどのルール全然守ってません!ごめんなさいいい! 表紙画像を十藍氏からいただいたものにかえたら、名前に‘様’がついていて少し恥ずかしいよテヘペロ

処理中です...