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夏の大会編
幸長と優梨華の過去
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試合前の、守備練習が始まり、小気味よい打球音と、選手たちの声が大きく響く球場。
その、三塁側スタンド中段の、通路付近で優梨華は、幸長の写真を左手で握り、グラウンド内の練習には目もくれず、じぃっと見つめていた。
「早く、お兄ちゃんのプレーが見たいなぁ……」
幼い頃時の優梨華は幸長の事が大嫌いだった。元々内気で、友達のいなかった優梨華にとって、明るく陽気で友達の多い幸長は妬ましく見えたのかもしれない。
そんな、小学校二年生の四月のある日。
小学校に入学した当初から、内気で無口だったため、友達ができるどころか、よくイジメのターゲットにされていた。
一年生の時は、そこまで酷くはなかった。だが、二年生になるともっと酷くなり、イタズラ程度のものが、もはやその域を越えてしまっていた。とても人に言えるレベルのそれではなかった。
それを救ったのが幸長だ。幸長はいじめっ子達を討伐し、時には大人をうまく利用していじめを完全に無くした。
それだけではない。優梨華は命も救われている。それは小学二年生の六月。その日は、朝から雨が降り続いていた。
イジメがなくなったとは言え、友達のいない優梨華は一人で家に帰ろうとしていた。
周りを見回しても、仲の良い友達と話しながら靴箱にいる女の子や傘も差さずにはしゃぎ回っている男の子など、一人ポツンといるような子などどこにもいない。
どうすれば、いいんだろう。
優梨華も頑張って、クラスメイトに話しかけようとはした。だが、イジメによって植え付けられた人への恐怖心が邪魔して、誰とも打ち解けられずにいた。
「ねえ、幸長くんよ!」
「え、本当?!」
周りが更に騒々しくなる。どうやら幸長が靴箱に来たようだ。幸長の周りには、何処であろうと人が集まる。そして一つの集団になり、辺りが一気に賑やかになる。
優梨華には、それが妬ましかった。兄妹とはいえどこうも違うのか、と思うと、自分の境遇や運を、呪いたくなった。
「キャー! ゆきひさくーん!!」
「これはどうも。みんな今日も綺麗だね」
幸長は笑顔で返すと、周りの女の子達は更に、騒がしくなった。
「なーにが『みんな今日も綺麗だね』だ」
「事実じゃないか。みんないい子だよ」
「ったく。一人だけもてやがってよ!」
「褒めてくれてありがとう」
男子の方からもドッと笑い声が上がる。幸長の周りの人間は、みな楽しそうにしていた。その近くに埋もれるようにいた優梨華を除いては。
「やあ、マイシスター」
幸長が、優梨華を見つけたようだ。
「今日は雨で野球の練習がないんだ。だから、一緒に帰らないか?」
優梨華は嬉しかった。今まで、ずっと一人で登下校をしていた優梨華にとって、たとえ兄妹であろうと誰かと一緒に帰り道を行くことが出来る。それだけで、十分嬉しかった。
だが、
「いいよ。別に……」
そんな心とは裏腹に、言葉に出たのはそれとは正反対の言葉だった。
「え? どうしてだい?」
「私が嫌だからよ…。私は、お兄様のこと嫌いだし…。それ以外になにかあるの?」
言葉が心と感情とどんどん離れていく。その表情は冷めきっていた。
「たとえ、君が嫌でも、僕は君が心配なんだ。何か起きたらどうしようってね。だから、一緒にーー」
「うるさい‼︎ ほっといてよっ!」
「優梨華……」
突然激昂した優梨華に、幸長は言葉を失った。
「私がいいって言ってるじゃないの! それにお兄様には友達が一杯いるんでしょっ⁈ だったら、私みたいなひとりぼっちの子とじゃなくて、友達と帰ればいいじゃない!」
優梨華はサッと後ろを振り向いて、昇降口に行き始めた。
「待ってく……」
「もうついて来ないで! ほっといて!」
雨の中、乱暴に傘を差して、優梨華は走って帰った。次第に強くなる雨の中、優梨華は、傘を差して、昇降口での出来事を振り返りながら、少しペースを落として歩いていた。
「なんで、あんなこと言っちゃったんだろう……」
優梨華にあるのは後悔だけだった。本当は嬉しかったのに表情にも言葉にもそれを表せない。
それどころか、気持ちとは正反対の言動を取ってしまった。素直になれない自分が憎かった。
「結局私が悪いのよね。お兄様を恨む前に、私に出来てないことをちゃんみていれば……。恥ずかしがらずに、一歩をふみ出していれば!」
歩みを止める。優梨華の視界が歪む。その目からは、涙が雨の雫と共に落ちていた。
「ごめんね、お兄ちゃん。あんなひどいこと言って。ごめんね」
優梨華の目の前に、幸長は居ない。だがそこにいるかのように優梨華は、何度も謝り続けていた。
その時だった。自分が立ち止まっていたのが横断歩道だと気づき、周りを見回すと軽自動車が優梨華の方へ向かって来ていた。
まだ、避けることも出来る距離。だが、優梨華はパニックに陥り、身体が硬直して動かないでいた。
(わ、私。死んじゃう。お兄ちゃんに謝る前に死んじゃう!)
運転手は雨のせいか、優梨華に気づいていない。車はスピードを緩めない。そして、優梨華は動けずにいた。
(死にたく、ない。誰か、助けーー)
「優梨華ーーーーっ‼︎」
優梨華の耳に、幸長の声が響く。
優梨華は死を覚悟して、目をギュッと閉じる。次の瞬間、優梨華の身体が吹き飛ぶ。ただし、それは誰かに蹴り飛ばされた感覚だった。
「あれ? 車にぶつかってな……⁈」
優梨華が顔を横断歩道に向けた瞬間、自動車に、男の子がぶつかる。男の子はそのまま十メートル先へ飛ばされた。
優梨華は、男の子の元に駆け寄る。
「だ、だいじょうぶでーー」
優梨華は言葉を失った。自分を庇って撥ねられたのは幸長だった。
「な、なんで……、なんで……」
優梨華は幸長の左手を握った。優梨華の目から、再び涙が流れ出す。
「り、か……」
幸長は、言葉を発すると、力なく、少しだけ開いていた目を閉じた。
「お兄ちゃあああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーん‼︎」
優梨華は、生まれて始めて、泣き叫んだ。
事故から二日後。竹郡市民総合病院の一室。優梨華は事故後始めて幸長と顔を合わせた。
一時は心臓が止まりかけた幸長だったが、なんとか持ちこたえ一命を取り留めてはいた。しかし一ヶ月間入院、下手すれば歩けなくなるかもしれないという、かなりの怪我を負った。
グルグルと、顔以外の身体中に包帯などが巻かれ、その姿はとても痛々しいものだった。
「お兄ちゃん大丈夫……、なわけないよね…」
優梨華は俯いて下を向いた。幸長の姿は優梨華にとっては、あまりにも衝撃的だった。
「あぁ……。優梨華、か……」
唯一自由の効く顔は笑顔を見せていた。だが、その笑顔には何時ものような爽やかさや、清々しさは感じられない。むしろ、苦しさや痛みがその顔からはひしひしと伝わってきた。
「とりあえず、座って……」
その声も何時も以上に弱々しいものだった。
「あ、えっと……その」
この惨状に優梨華は言おうとした言葉が上手く出ない。
「どうしたんだい……、優梨華」
心配そうに幸長は優梨華を見つめる。優梨華は言い出そうとするが中々切り出せない。そうして何も言えないまま三分間が過ぎた。幸長はまだ優梨華を見つめている。
そうよね。言わなくちゃ。これを言うために私は来たんだもん。ふぅーっ、と深く息を吐いて、優梨華は話し出した。
「お兄ちゃん。あの時は、ごめん。本当はうれしかったのに。お兄ちゃんが心配してくれてたのに嫌いとか、ほっといて、って言って」
「いいよいいよ」
幸長は、表情を変えることなく言った。
「だってあの時いっしょに帰っていたら、事故にだってあわなかったし、こんなけがしなかったし……。お兄ちゃんが歩けなくなったら、どうしよう……」
梨那の目から涙がこぼれ落ち、嗚咽が聞こえてきた。すると幸長は苦しさに顔を歪ませながらも必死に右手を動かし、優梨華の手に触った。
「大丈夫。この位はなんともない。それに、頑張れば、また元に戻る。少し位ハンデをもらったって、僕はそれをくつがえせる。だから、安心して。優梨華……」
「でも、でも……」
泣きやまない優梨華を幸長は右手でゆっくり摩り始めた。
「それに、僕は今、とても嬉しいんだ。幸せなんだ。こうやって、優梨華が無事でいてくれたこと。今、会話出来ること。これが、何よりも嬉しいんだ。優梨華僕は君の事が、……大好きだ」
その瞬間優梨華は泣き止み、頬を朱に染めた。ようするに、幸長に惚れたのだ。もちろんこの愛してる、という言葉は家族愛の言葉として言ったつもりだった。
ただこの時の優梨華には、恋人へ、愛を伝える言葉として受け取っていたのだった。
その、三塁側スタンド中段の、通路付近で優梨華は、幸長の写真を左手で握り、グラウンド内の練習には目もくれず、じぃっと見つめていた。
「早く、お兄ちゃんのプレーが見たいなぁ……」
幼い頃時の優梨華は幸長の事が大嫌いだった。元々内気で、友達のいなかった優梨華にとって、明るく陽気で友達の多い幸長は妬ましく見えたのかもしれない。
そんな、小学校二年生の四月のある日。
小学校に入学した当初から、内気で無口だったため、友達ができるどころか、よくイジメのターゲットにされていた。
一年生の時は、そこまで酷くはなかった。だが、二年生になるともっと酷くなり、イタズラ程度のものが、もはやその域を越えてしまっていた。とても人に言えるレベルのそれではなかった。
それを救ったのが幸長だ。幸長はいじめっ子達を討伐し、時には大人をうまく利用していじめを完全に無くした。
それだけではない。優梨華は命も救われている。それは小学二年生の六月。その日は、朝から雨が降り続いていた。
イジメがなくなったとは言え、友達のいない優梨華は一人で家に帰ろうとしていた。
周りを見回しても、仲の良い友達と話しながら靴箱にいる女の子や傘も差さずにはしゃぎ回っている男の子など、一人ポツンといるような子などどこにもいない。
どうすれば、いいんだろう。
優梨華も頑張って、クラスメイトに話しかけようとはした。だが、イジメによって植え付けられた人への恐怖心が邪魔して、誰とも打ち解けられずにいた。
「ねえ、幸長くんよ!」
「え、本当?!」
周りが更に騒々しくなる。どうやら幸長が靴箱に来たようだ。幸長の周りには、何処であろうと人が集まる。そして一つの集団になり、辺りが一気に賑やかになる。
優梨華には、それが妬ましかった。兄妹とはいえどこうも違うのか、と思うと、自分の境遇や運を、呪いたくなった。
「キャー! ゆきひさくーん!!」
「これはどうも。みんな今日も綺麗だね」
幸長は笑顔で返すと、周りの女の子達は更に、騒がしくなった。
「なーにが『みんな今日も綺麗だね』だ」
「事実じゃないか。みんないい子だよ」
「ったく。一人だけもてやがってよ!」
「褒めてくれてありがとう」
男子の方からもドッと笑い声が上がる。幸長の周りの人間は、みな楽しそうにしていた。その近くに埋もれるようにいた優梨華を除いては。
「やあ、マイシスター」
幸長が、優梨華を見つけたようだ。
「今日は雨で野球の練習がないんだ。だから、一緒に帰らないか?」
優梨華は嬉しかった。今まで、ずっと一人で登下校をしていた優梨華にとって、たとえ兄妹であろうと誰かと一緒に帰り道を行くことが出来る。それだけで、十分嬉しかった。
だが、
「いいよ。別に……」
そんな心とは裏腹に、言葉に出たのはそれとは正反対の言葉だった。
「え? どうしてだい?」
「私が嫌だからよ…。私は、お兄様のこと嫌いだし…。それ以外になにかあるの?」
言葉が心と感情とどんどん離れていく。その表情は冷めきっていた。
「たとえ、君が嫌でも、僕は君が心配なんだ。何か起きたらどうしようってね。だから、一緒にーー」
「うるさい‼︎ ほっといてよっ!」
「優梨華……」
突然激昂した優梨華に、幸長は言葉を失った。
「私がいいって言ってるじゃないの! それにお兄様には友達が一杯いるんでしょっ⁈ だったら、私みたいなひとりぼっちの子とじゃなくて、友達と帰ればいいじゃない!」
優梨華はサッと後ろを振り向いて、昇降口に行き始めた。
「待ってく……」
「もうついて来ないで! ほっといて!」
雨の中、乱暴に傘を差して、優梨華は走って帰った。次第に強くなる雨の中、優梨華は、傘を差して、昇降口での出来事を振り返りながら、少しペースを落として歩いていた。
「なんで、あんなこと言っちゃったんだろう……」
優梨華にあるのは後悔だけだった。本当は嬉しかったのに表情にも言葉にもそれを表せない。
それどころか、気持ちとは正反対の言動を取ってしまった。素直になれない自分が憎かった。
「結局私が悪いのよね。お兄様を恨む前に、私に出来てないことをちゃんみていれば……。恥ずかしがらずに、一歩をふみ出していれば!」
歩みを止める。優梨華の視界が歪む。その目からは、涙が雨の雫と共に落ちていた。
「ごめんね、お兄ちゃん。あんなひどいこと言って。ごめんね」
優梨華の目の前に、幸長は居ない。だがそこにいるかのように優梨華は、何度も謝り続けていた。
その時だった。自分が立ち止まっていたのが横断歩道だと気づき、周りを見回すと軽自動車が優梨華の方へ向かって来ていた。
まだ、避けることも出来る距離。だが、優梨華はパニックに陥り、身体が硬直して動かないでいた。
(わ、私。死んじゃう。お兄ちゃんに謝る前に死んじゃう!)
運転手は雨のせいか、優梨華に気づいていない。車はスピードを緩めない。そして、優梨華は動けずにいた。
(死にたく、ない。誰か、助けーー)
「優梨華ーーーーっ‼︎」
優梨華の耳に、幸長の声が響く。
優梨華は死を覚悟して、目をギュッと閉じる。次の瞬間、優梨華の身体が吹き飛ぶ。ただし、それは誰かに蹴り飛ばされた感覚だった。
「あれ? 車にぶつかってな……⁈」
優梨華が顔を横断歩道に向けた瞬間、自動車に、男の子がぶつかる。男の子はそのまま十メートル先へ飛ばされた。
優梨華は、男の子の元に駆け寄る。
「だ、だいじょうぶでーー」
優梨華は言葉を失った。自分を庇って撥ねられたのは幸長だった。
「な、なんで……、なんで……」
優梨華は幸長の左手を握った。優梨華の目から、再び涙が流れ出す。
「り、か……」
幸長は、言葉を発すると、力なく、少しだけ開いていた目を閉じた。
「お兄ちゃあああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーん‼︎」
優梨華は、生まれて始めて、泣き叫んだ。
事故から二日後。竹郡市民総合病院の一室。優梨華は事故後始めて幸長と顔を合わせた。
一時は心臓が止まりかけた幸長だったが、なんとか持ちこたえ一命を取り留めてはいた。しかし一ヶ月間入院、下手すれば歩けなくなるかもしれないという、かなりの怪我を負った。
グルグルと、顔以外の身体中に包帯などが巻かれ、その姿はとても痛々しいものだった。
「お兄ちゃん大丈夫……、なわけないよね…」
優梨華は俯いて下を向いた。幸長の姿は優梨華にとっては、あまりにも衝撃的だった。
「あぁ……。優梨華、か……」
唯一自由の効く顔は笑顔を見せていた。だが、その笑顔には何時ものような爽やかさや、清々しさは感じられない。むしろ、苦しさや痛みがその顔からはひしひしと伝わってきた。
「とりあえず、座って……」
その声も何時も以上に弱々しいものだった。
「あ、えっと……その」
この惨状に優梨華は言おうとした言葉が上手く出ない。
「どうしたんだい……、優梨華」
心配そうに幸長は優梨華を見つめる。優梨華は言い出そうとするが中々切り出せない。そうして何も言えないまま三分間が過ぎた。幸長はまだ優梨華を見つめている。
そうよね。言わなくちゃ。これを言うために私は来たんだもん。ふぅーっ、と深く息を吐いて、優梨華は話し出した。
「お兄ちゃん。あの時は、ごめん。本当はうれしかったのに。お兄ちゃんが心配してくれてたのに嫌いとか、ほっといて、って言って」
「いいよいいよ」
幸長は、表情を変えることなく言った。
「だってあの時いっしょに帰っていたら、事故にだってあわなかったし、こんなけがしなかったし……。お兄ちゃんが歩けなくなったら、どうしよう……」
梨那の目から涙がこぼれ落ち、嗚咽が聞こえてきた。すると幸長は苦しさに顔を歪ませながらも必死に右手を動かし、優梨華の手に触った。
「大丈夫。この位はなんともない。それに、頑張れば、また元に戻る。少し位ハンデをもらったって、僕はそれをくつがえせる。だから、安心して。優梨華……」
「でも、でも……」
泣きやまない優梨華を幸長は右手でゆっくり摩り始めた。
「それに、僕は今、とても嬉しいんだ。幸せなんだ。こうやって、優梨華が無事でいてくれたこと。今、会話出来ること。これが、何よりも嬉しいんだ。優梨華僕は君の事が、……大好きだ」
その瞬間優梨華は泣き止み、頬を朱に染めた。ようするに、幸長に惚れたのだ。もちろんこの愛してる、という言葉は家族愛の言葉として言ったつもりだった。
ただこの時の優梨華には、恋人へ、愛を伝える言葉として受け取っていたのだった。
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