マウンド

丘多主記

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夏の大会編

二人の三年生

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「いやー、俺たちが三回戦を狙うなんてなー」

「ほんと、すっごく変わったな」

 チームでただ二人のベンチ外であり、三人しかいない三年生の、益川ますかわ加曽谷かそやは、外野のフェンス代わりに使うネットを片付けながら、今のこのチームのことを話していた。

 益川のポジションは投手。小学生の頃から身長が高かったのと、左利きだったため、意識せずとも、自然と投手にさせられていた。

 だが彼は小中学生時代を通して、全くと言っていいほど実績がなかった。

 益川自体身長は高く、それに見合うように手足も長い。投手としてはこれ以上にないほど恵まれているのだが、彼は極度のあがり症だった。

 そのせいで、本来は打たれるはずもない相手に打ち込まれ、実績が残せなかったのだ。

 しかし、高校に入ると益川は別人のように変わった。そもそもこの高校は、慢性的に投手が枯渇していたため、益川は入るなりすぐにチームのエースを任され、色々な試合に投げた。

 そのおかげで試合に慣れ、二年生になるまでにはあがり症は改善された。

 さらに、試合経験を重ねたことにより、投球技術を身につけ、試合を作れる本物の投手に近づきつつあった。

 だが、益川は本物の投手にはなれなかった。

 夏の大会の初戦。この日はいつも以上に調子が良く、弱小高とはいえ六回までパーフェクトに抑え、さらに、彰久と幸長の活躍で7-0と勝利をほぼ確実なものにしていた。

 そして、迎えた七回の表。先頭打者をあっと言う間に追い込み、投じた三球目。突然肩の感覚が消え、感覚が戻るとともに左肩全体に痛みが走り出す。

 益川がこれまでに一度も経験したことのない痛みだった。この時益川の肩は既に使い物にならない程に壊れていた。

 多くの試合に投げることで得るものも多かったが、それ以上にその酷使が肩の寿命を大きく削っていた。

 痛みに襲われ、制球が定まらない。それどころか、スピードもキレもでない。

 本来ならばこの時点で変わるべきだった。まだどうにかなっていたのかもしれない。だが、益川は変わらなかった。投手としての本能と自分以外の投手がいないというチーム事情で。

 結局、その後は大量失点し、八回7-15でコールド負けを喫した。そして、益川はもう二度と、マウンドで投げることは出来なくなった。

 もう一人。

 ベンチ外の三年生にして副キャプテンの加曽谷。本職はショートだが、投手以外の全ポジションもこなせるといった、ユーティリティプレイヤーでもあった。

 生来身長が低く、その低身長でいつも苦労させられてきた。体が小さい分当然パワーは低い。運動神経も良い方でないため、加曽谷の扱いは大抵、試合に出ないベンチウォーマーというものだった。

 身長もセンスもない加曽谷だったが、野球を愛する心。そして、どんな時でも必死に食らいつく姿勢と、明るさというものだけは、チームの誰にも負けることはなかった。

 高校に入っても、大半がベンチウォーマーか、スタンドで応援というものだった。

 だが、加曽谷の野球に対する姿勢は多くの部員から尊敬されている。だから、薗部は加曽谷を副キャプテンに任命したのだった。

 試合には出ることはないが、明林には欠かせない大きな存在である。

「俺、多分お前がいなかったら野球やめてたかもな」

 ネットを運びながら、益川がしみじみと言った。

「いきなりどうしたんだよ益川?」

「いやさ、一年の時から、あの夏までずっとこのチームのエースだったじゃん俺。でも、中々勝てないで苦しくて、最初はもっと頑張らないとって思ってたんだけど、次第に俺がいない方がいいんじゃないかって思うようになったんだよ」

「で、なんで俺のおかげなの?」

「レギュラーじゃなくても、試合に出られなくても、必死に頑張ってるお前見ると、俺は試合に出れとるのになに悩んでんだ、って開きなおれたんだ」

「レギュラーじゃなくてもの下りなければ、素直にありがとうって言えたのにな」

 そういうと、益川が思わず、ネットを落っことしてしまいそうになる程笑い始めた。

「そんなに笑うなよ。事実だけど」

「すまんすまん。あっ、ネットはここだっけ?」

「確かな。よし下ろすぞ」

 野球部倉庫にネットを直し、二人は倉庫の外に出た。

「なあ、加曽谷」

 倉庫の外にでるなり益川は、ベンチ入りメンバーがそれぞれ自主練をしているグラウンドを見つめながら、加曽谷に声を掛けた。

「おう、どうしたよ益川」

「正直言って、お前は今のチームで、試合に出たかったか?」

 あまりにも唐突な質問に一瞬、答えに迷った。それも普段の益川なら間違いなく言わないようなものだ。

「そりゃあ、出るならそれに越したことはねえけどよ。けど俺は、出れなくても、チームのためになるのならどっちだっていい」

「お前らしいな」

 益川はハァー、と軽く息を吐いた。

「正直言って、俺は今のこのチームのエースでいたかったよ。だから、凄い悔しいよ。俺は……」

「益川……」

 益川は視線を、グラウンドから夕焼け色に染まった空に変えていた。

「怪我してなけりゃ、伸哉とエースの座を競い合ってたんだろうな。最も、あいつに勝てる可能性は五パーセントくらいしかねえだろうけどな。それでも、あいつと練習試合でもいいから、投げ合って見たかったな…。そう思うと、俺ってなんかついてねえよな」

「………」

「って、なーにふさぎこんでんだろうな俺は。すまねえな。なんかこんな話聞かせちまって。それじゃ先にグラウンドに戻ってるぞ」

 益川はそう言って、グラウンドの方へと走って行った。

「お前はついてるよ。少なくとも俺よりは」

 ぼそり、と加曽谷はつぶやいた。

「俺より恵まれた体してるし、左利きだし。それに、そうやって投げ合ってみたいって思うことが出来るなんてよ」

 昔からベンチウォーマーだった加曽谷に、ライバルというものは存在しない。というよりは、そういう概念が存在しなかった。

 野球をやり始めた頃は覚えていないだけでいたのかもしれない。だが試合に出る仲間を尻目に、いつまでも加曽谷は試合に出られなかった。

 その状況が何年と続いていくうちに加曽谷は、競争で勝って試合にでる、という思いがいつしか仲間のために出来ることをする、というものに変わっていた。

 そんなことを思っているようでは、プレイヤーとしては失格だ。益川も怪我した当初はそうだった。怪我が治らないことからの諦めか、選手としては失格な精神だった。

 だが今は違う。伸哉が入部したことに刺激を受けたのだろう。伸哉と投げあってみたい、という思いで心が満ち溢れているのが、話を聞いていてもわかるくらいだった。

 だからこそ悔しい、という言葉やついていないという言葉が出てきたのだ。

 そういう点で見れば、益川はプレイヤー気質だ。けど、加曽谷にはそういう気持ちがない。そして、今まで湧き上がらなかった。

 つまり、加曽谷自身の選手としての適性は最初からなかったのだ。

「嫌なことに気づいちまったな。自分が選手としての適性がないなんて。最初から、プレーには向かなかったのか……。でも、これで踏ん切りはついたのかな。これで」

 少し出てきた涙を拭うと、加曽谷はグラウンドの方へと歩いていった。
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