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第3夜 思い出を、語る
しおりを挟む「さて、まずは……」
コトリ、とソーサーの横に、カップを置いて僕を見た彼の瞳は、よく晴れた日の空のような色をしている。
「名前を、聞くばかりでは失礼だったね。まずは、私の自己紹介をしようか」
僕に向いたまま、彼は言葉を続ける。
「私の名は、ユウ。何年くらい生きていたかな……」
「確実に100年は生きているね」
「100年……ですか」
ユウ爺さんの言葉に、リチャード地区長が紅茶を淹れながら相槌を入れ、僕は100年、という長さに驚いて小さく言葉を零す。
「200年かも知れないし、300年かも知れないが……もう覚えていないよ」
「そう……なんですか?」
問いかけた僕に、ユウ爺さんは優しく笑う。
「100年を過ぎた頃から、覚えること自体を、止めてしまったからね」
「バクくん達自体が、元々、長命だからねぇ」
リチャード地区長の言葉に「ああ」とユウ爺さんが頷く。
「凪くんは、我々バクについて、どれくらい知っているかな?」
「えっと……僕たち夢渡しと同じように、『彼ら』と世界を守っている……んですよね?」
「守る……そうだね。我々にとっても、君たちにとっても、私達にとっては此処が世界だからね。『彼ら』にとっては、実在しないものかもしれないけれど」
「そう……聞いてます」
そう答えた僕に、ユウ爺さんはにっこりと笑って頷く。
「あと……この世界を作ったのも、貴方がただと……教わりました」
先輩が、僕に教えてくれたことは、
まるでお伽話のようで
初めて聞いた日は、家までの帰り道すべてが、違って見えたような、そんな気がするくらい、胸が踊った。
「おや……君は……その話が好きなのかな?」
クン、と鼻を動かしながら言うユウ爺さんに、「分かる、んですか?」と驚きながらも問いかける。
「我々はね、生まれた時からあまり視力というものが良くはないらしくてね。その代わり、なのだろうね。嗅覚や、聴覚、それに加えて、波動の変化に敏感なのだよ」
「波動……?」
こてん、と首を傾げた僕を見て、「そこはボクが説明しようか」とリチャード地区長が紅茶を片手にウィンクをする。
「彼らバクくん達が言う波動、というのは、生き物達が持つオーラ、に近いものだね」
「オーラ……ですか」
「そう。ボク達でもそれが見える者がいるらしいのだけどね。残念ながらボクは見たいのに見れなくてね。それはまぁ今はいいとして。それで、そのオーラは1人1人、違うものを纏っていて、彼らはそれを、捉えている。オーラに現れた喜怒哀楽を読み取るのは、彼らの中でも少ないみたいだけど」
ね?とリチャード地区長に問いかけられたユウ爺さんは、「ああ」とのんびりと頷く。
「ユウ爺は、長く生きているから、色んなモノが視えたりするのかも知れないね」
「……だから、僕の名前も、わかったんですか?」
コト、とカップを置いた僕に、ユウ爺さんはふふ、と小さく笑い声をこぼす。
「少し違うけれど、少し正解だね。オーラで名前がわかったのではなくて、凪くんの、オーラを、知っていたから、なんだよ」
「えっと……それは……どういう……」
ユウ爺さんの言葉が、まるで、謎解きをしている時のように、僕の頭の中に、はてなのマークとなって蓄積されていく。
「凪くん、君は、琥珀のもとに、付いていただろう?」
琥珀。
それは、
「どうして、先輩の名前を……」
ーー 凪
ーーー なんですか?先輩。
ーー 君は聞いたことがある?
夢渡しが恋をした人間と、
夢渡しに恋をした人間は、
結ばれない、という話を。
琥珀先輩は、僕にとっての、初めての先輩で、
琥珀先輩にとっても、僕が初めての後輩で
夢渡しとしての仕事も、
この世界の仕組みも、
琥珀先輩から、たくさん教わった。
「琥珀とは、古くからの付き合いでね」
懐かしむように、先輩の名前を呼ぶユウ爺さんは、何処か哀しそうな表情をしている。
「私に、凪くんの話を何度もしに来ていたんだよ。やっと自分にも、後輩が出来た、と。可愛くて仕方がないんだ、とね」
「先輩……」
先輩とのやり取りを思い出しているのだろうか。
ユウ爺さんの空色の瞳が、少し潤んでいるように、見える。
「何度も、何度も、凪くんの話を聞いていて、ふと、ある時に、琥珀がね。『凪の色は、染まっていないの』と、そう言ったんだ」
「染まって……ない?」
「そう。これは、あくまでも、もしかしたら、という話になるけれど、琥珀は、私達と同じように、オーラが視えていたのかも、知れない」
「おや、そうなのかい?」
少しの間、僕とユウ爺さんの話を黙って聞いていたリチャード地区長が驚いた表情を浮かべながら、首を傾げている僕とユウ爺さんに問いかける。
「あぁ……すまないね、リチャード。ただ、確証もないままに、伝えるのは、あまり、好きではなくてね」
「それは知っているから、別に構わないけど、そうか……初耳だな」
ふむ、と何度か頷いたリチャード地区長は「中断して悪かった。続きを聞きたいな」とユウ爺さんに、にっこりと笑いかけ、それを合図にユウ爺さんはまた口を開く。
「あぁ、ええと、何だったかな……?あぁ、そうだ。凪くんの名前の話だったね。あれはね、琥珀から聞いていた凪くんの色が、今日、自分で感じたものと、同じだった。だから、『あぁ。この子が、琥珀の後輩の子か』と、すぐに分かったよ」
「先輩が……」
「だから、凪くん。君に会えるのを、私はずっと、楽しみに待っていたんだよ」
ユウ爺さんの、優しい笑顔と声に、
僕の視界は、ぼんやりと歪んでいく。
「琥珀は、良い先輩であったようだね」
コツン、コツン、と杖をつく音がゆっくりと近づいてくる。
「琥珀のために、泣いてくれて、ありがとう」
ポス、と優しい声とともに、ユウ爺さんの、少しだけ硬い手が、ズボンを掴んでいた僕の手に重なる。
「ユウ、爺さんっ、琥珀、琥珀先輩はっ」
ポタポタと、堪え切れなかった涙が落ちる。
「凪くんと同じように、ずっと、探してはいたのだけどね……。見つからないんだ。この世界の、何処にも」
胸の奥が、ぎゅう、と締め付けられるような、ユウ爺さんの声は、彼もまた、琥珀先輩を大切に思っていてくれたモノの、声色だ。
「先、輩……!先輩……っ」
「琥珀を、大切にしてくれて、ありがとう。凪くん」
その言葉を聞いた僕は、
この日初めて、
人前で
大きな声で、泣いた。
ーー ねぇ、凪、
ーー 好きになっちゃいけない人を
ーー 好きになってしまったら
ーー どうしたら、いいんだろうね
『想いが、通じ合ったその瞬間に、
諦めなければいけないなんて、
私には、出来ない。出来なかったの』
泣きながら、それでも笑った琥珀先輩の顔は
月の光を浴びて輝く湖の波間みたいに、とても綺麗で
誰かに恋をする、ということが分からない僕には
満月の夜の月明かりみたいに、眩しかった。
「落ち着いた、かな?」
「……はい」
こく、と頷いた僕に、リチャード地区長は「すまなかったね」と僕の頭をゆっくりと撫でながら言う。
「今日は、お祝いの日、だったのだろう?カペルから、そう聞いていたのだけど」
「……そう、みたいです。何のだか、よく、分からないんですけど……」
「それは、多分。彼が知っているよ」
リチャード地区長の言葉に、視線をあげれば、少し離れた所から、とても見覚えのある人物が、コチラへと歩いてくる。
「御影……」
その表情は、いつもよりも、不機嫌そうな、けれど、さっき見た時みたいに、泣きそうに見えて、僕は、ちら、と隣に座るユウ爺さんへと視線を動かす。
「大丈夫。怒っているわけじゃないだろう?」
「でも……」
今日は、御影と顔を合わせる度に、琥珀先輩の話が出ていた。
琥珀先輩のコトとなると、御影はいつも、哀しそうな表情を浮かべる。
そんな顔をさせたいわけでは無い、と思うけれど、先輩を慕っていた御影の想いも知っているから、どうにか、したくて。
「凪くん、君は……」
きゅ、と手を握りしめた僕の手を、ユウ爺さんが、ぽん、ぽん、優しく撫でる。
「琥珀を通して、ではなく、御影自身は、どう思い、どう感じているかな?」
「……ええと……」
言われた意味が、よく理解出来なくて、首を傾げた僕に、ユウ爺さんは、優しく微笑む。
「誰かを通して、ではなく、自分の瞳で、自分の感覚で、その人を見てご覧。その人が、何を好きで、何を大切にしているのか。自分の目で見た世界は、どう、見える?」
「僕の……目で……」
「そう。私や、リチャード、リリスと話す時のように、自分の瞳で見た世界は、御影は、どう映る?」
段々と近づいてくる御影の姿を、じ、と眺めてから、一度、ゆっくりと瞼を閉じる。
御影はいつも、忘れ物していないか、とか
ちゃんと寝たのか、とか
時々怒って、よく食べて、よく笑って。
よく誰かと一緒に居るし、
同じ地区の夢渡しの手伝いをしたり
他の地区でも手伝いをしていたり
誰かが困っていると、すぐ助けに行ったり。
いつも誰かの心配をしている。
「おい、凪……お前、泣いたのか?」
リチャード地区長への挨拶もせずに、御影は真っ先に僕の泣きはらした瞼に気づいて、自分じゃないのに、何処かが痛そうな顔をする。
「……普通、聞かないと、思うけど」
ぼそり、と小さな声で言った僕に、「いや、凪のことだし」と近づきながら、僕の顔を覗き込む。
「あとで冷やす」
そう言って、御影の視線から逃げた僕に、ユウ爺さんの手が、ぽん、ぽん、と優しく僕の手を撫でる。
「ユウ爺さん……」
「ちゃんと見てご覧。君には、琥珀だけじゃ、ないはずだよ」
ばっ、と視線をあげた僕に、ユウ爺さんは春の日差しみたいに温かく、柔らかくにっこりと笑う。
ちら、と視線を動かせば、心配そうに僕を見る御影と目が合って、思わず反らしそうになるけれど「凪」と僕を呼ぶ御影の声で、踏みとどまる。
「結構、赤いな。冷やすもの、持ってくるから、少し待ってろ」
じ、と見つめてくる御影の瞳は、いつもと同じ、心配ばかりしている御影で、けれど、何処かに、違う色が入っていたような気がして、僕は「御影」と無意識に彼の名を呟いていて、僕の声に気がついた御影が「ん?」と首を傾げる。
「いや……何でも、ない」
ふるふると首を横に振って告げただけの僕を見て、御影は「おう」と短く答えて、僕の頭を一撫でして、待機所の方へと歩いていく。
「青春、だね!」
「……ええと……?」
「……リチャード」
「あぁ、ごめんね。何でも無いよ」
御影が歩いていく背を眺めながら何処かウキウキしながら呟いたリチャード地区長の言葉の意味がわからずに首を傾げれば、ユウ爺さんが、窘めるような声で地区長の名前を呼び、その声を受けてリチャード地区長は、にっこりといつもの笑顔を浮かべて、また僕の頭を一撫でした。
僕はまだ、
琥珀先輩みたいに、
誰かを好きに、なったことは無いけれど
大切にしたい誰かが出来た時、
それが叶わないものだと分かったら、
僕なら、どうしているのだろう。
戻ってくる御影の姿をぼんやりと眺めながら、
僕は一人、そう思った。
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