鬼を継ぐ者 〜磔右近奮戦記〜

西一三

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一、即返品

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「おせんに側仕えはまだ早かったようだな」
 信長は、呆れた声でそう言った。
 無理もない。仙千代せんちよは信長の目の前で、同僚の頭を扇で殴るという乱暴を起こしたのだ。
 天正十年(1582年)のこの年、仙千代は十三歳になる。
 まだ幼さの残るその顔に、ほのかに赤みを帯びた頬が、まるで少女のような愛らしさを感じさせた。
 同僚の梁田はそれが面白かったのだろう。つい仙千代の頬をぷにぷにと指で突き始めたのである。
 初めは静かに注意していた仙千代だったが、梁田の指は一向に止まりそうもない。
 ついに仙千代は激昂し、
「いい加減にしろ!」
 と、梁田を殴りつけたのである。
 魔の悪いことに、その瞬間を信長に見られた。
 そこで冒頭の、
「お仙に側仕えはーー」
 という信長の言葉につながるのであった。
(元はと言えば梁田のやつが悪いのだ)
 憤懣やる方ない仙千代であったが、流石にその言葉を口には出さない。その頬を膨らまし、ただ不貞腐れて黙っていた。
 だが、次に聞こえてきた信長の呟きで、仙千代の不満は一気に霧消した。
「まったく、こういうところは勝蔵しょうぞうにそっくりだ」
 勝蔵とは、仙千代の長兄、森長可もりながよしのことである。長可は現在、信長の嫡男・信忠の配下として甲州武田攻めの最前線にいる。
 鬼武蔵おにむさしの異名を持つ長可は、その異名に違わず、純然たる暴力の化身のような人物で、些細なことですぐに人を殺すことで有名であった。
 ある時は、同じ織田家中の関守を、自分に下馬を命じたというだけの理由で斬り殺している。
 合戦の中でも人間離れした逸話には事欠かない。初陣で二十七もの首を自らの手で討ち取ったと言われるほか、とある合戦の時など、その甲冑があまりに真っ赤に染まっているので、どこか負傷したのではないかと信忠に心配された。しかし、長可は笑ってこう言うのである。
「ご安心を。これは全て返り血でござる」
 勝蔵こと鬼武蔵長可は、こういう人物であった。
 仙千代にとって、兄の長可は父親のような存在である。なにせ実の父親は、仙千代が生まれたその年に討死している。自然、兄の背中を父の背中と見て育ってきたのであった。
 余人には辟易されることの多い兄であったが、仙千代はそんな長可を尊敬していた。
 いずれは兄上のような猛々しい武者になりたい……。そう常に思い続けている。
 信長曰く、そんな憧れの長兄に、仙千代は『似ている』のだという。これが嬉しくならないはずはなかった。
「そんなに兄に似ておりましょうか」
 仙千代の明るい声色に、信長は苦笑した。決して良い意味で言ったわけではないのである。
「母の元へ帰れ」
 結局仙千代は、満足に側仕えの役を果たさぬまま、母の元へと返されることとなった。

 森家の居城は、美濃の金山城である。城主である長可が出陣中なので、母の妙向尼みょうこうにがその留守を守っている。
 そこへ送り返されてきた仙千代を見て、母は呆れた声をあげた。
「あなたという人は、まあ……」
「やむを得ぬ仕儀です。私は武士としての本分を果たしたに過ぎません」
「何を一丁前の口を聞いているのです。とにかくここに座りなさい」
 仙千代は渋々と母の前に腰を下ろした。
 物心ついてから幾度目か知らぬ、母のお説教が始まる。
「聞けばあなたは信長様の前で暴力沙汰を起こしたとか……。自らを慎み、御主君の手足となって働かねばならぬ立場でありながら、軽率な振る舞いをいたし、これほど早々に送り返されるとは、母は呆れて物も言えません」
(ずいぶん良く物を言うておられますが……)
 などと言いたくなる気持ちをぐっと飲み込み、仙千代はとにかく形だけでも反省の態度を示していた。
「まったく、少しは、兄上たちを見習ったらどうなのです」
 ここで母の言う『兄上』とは、あの鬼武蔵こと勝蔵長可の事ではない。
 仙千代には、長可のほかにも三人の兄がいた。名をらん(乱)まる坊丸ぼうまる力丸りきまると言い、皆信長の側小姓として支えている。
 三人ともよく気がつく性格で、信長には非常に気に入られていた。仙千代もまた、その兄たちと共に働くはずであったのだが……。
成利なりとし(蘭丸の諱)殿たちの時は、褒められこそすれ、御主君の勘気を蒙るなどと言うことは一度もありませんでした。このような情けないことになったのは、お仙、あなただけですよ」
 なるほど、確かに蘭丸たち三人の兄は偉い。あの気難しい信長の機嫌をまったく損ねず、ずっと可愛がられているのだから。
「しかし、それが武士の勤めといえましょうか」
 仙千代は、つい口に出してしまった。
 兄たちの仕事を軽く見ているとも取れる発言を聞き、俄かに妙向尼の顔色が変わった。
「仙っ!あなたは……あなたは……!」
 怒りのあまり言葉が出てこない様子である。仙千代は流石に
(しまった……)
 と、自身の発言を後悔したが、もはや後の祭りである。
 その後仙千代は、一刻余りもの間、母の猛烈なお説教を喰らう羽目になったのであった。

 嵐は去り、仙千代は一人考えに耽っていた。内容はもちろん、母への不満である。
(なにもあそこまで怒らなくても良さそうなものだ)
 そもそも、母の妙向尼が、自分のことだけ子供扱いしているようなのが気に入らない。
 勝蔵を呼ぶ時は『長可殿』、蘭丸を呼ぶ時は『成利殿』と、元服後の諱で呼ぶくせに、仙千代に対してだけは『仙』や『お仙』と呼ぶ。
 一応仙千代にも、側上がりするにあたってつけられた『長重ながしげ』と言う元服名があるに関わらずである。
(母上は俺にだけ厳しい)
 と、仙千代は考えたが、無論それは彼の勘違いであろう。
 森家には勝蔵長可や蘭丸らを含め、六男三女計九人の兄弟がいた。
 父親の森可成は非常な愛妻家で、戦国武将には珍しく、側室を一人も置かなかった。つまり彼ら兄弟は全て、妙向尼が自ら腹を痛めて産んだ子なのである。
 歳をとってから産んだ末っ子の仙千代は、他の子と比べてもとりわけ可愛らしい。口うるさく説教を繰り返すのもそれ故にであるのだが、そのことに気づくには、仙千代はまだ幼すぎた。
(今に見ていろ。母上の鼻を明かしてやる)
 蘭丸たちのように側小姓としてでは無く、長兄長可のように、武勇を以て手柄を立て、一国一城の主になってやる。それが仙千代の夢であった。
 だが間も無く、仙千代は驚くべき知らせを聞くこととなる。側小姓である兄の蘭丸が、その手柄によって城を与えられたと言うのである。しかもその城とは、今仙千代らが居る金山城であった。

 仙千代は急いで妙向尼の元へと駆けた。母の元に、きっと詳細な情報が来ているはずなのである。
「もう耳に入ったようですね」
 妙向尼は、息を荒げて部屋に入ってくる仙千代に、まずは座るよう促した。
「まことでございますか。蘭丸兄上が城主になったと」
「その通りです。信長様は成利殿のご奉公ぶりを大層気に入られ、この金山城の城主に任命してくださいました」
 無論蘭丸には信長の近習としての勤めがある。実際に城主として金山城に入るのは当分先になるであろう。しかし、いつかは一国一城の主に……と言う仙千代の夢を、蘭丸はいともあっさり小姓働きで勝ち取ってしまったことに違いはなかった。
「あなたは成利殿たちのご奉公を馬鹿にしていたようですが、何か言うことはありますか」
「いえ、別に馬鹿になどはしておりませんが……」
 言い淀んで、仙千代はふと気がついた。
(勝蔵兄上はどうなったのだ?)
 この金山城は長兄の勝蔵長可のものであったはずである。城主が蘭丸に交代するとすれば、長可はどこへ行くのか。
 その疑問を母にぶつけると、妙向尼は、何故か言い辛そうにこう答えた。
「……長可殿は甲州征伐で大変功績をあげられたそうで、信濃川中島四郡を新たに頂いたそうです」
「それはずいぶんと広大な土地ではありませんか!」
「ええ、そのようですね」
 母の態度はなんとなく空々しい。
(ははん、なるほど……)
 仙千代は合点がいった。要するに此度の恩賞は蘭丸でなく長可の方が主なのだ。長可が新たな領地を貰ったので、旧領にとりあえず弟の蘭丸を入れたと言うだけにすぎない。
 妙向尼は、側仕えをやめさせられた仙千代の行状を嗜める意味も込めて、意図的に蘭丸が手柄を立てたように話したのであろう。
 だが仙千代が聞きたいのは、蘭丸の行き届いた仕事ぶりではなく、長可の武勇譚のほうである。それほどの恩賞をもらえると言うことは甲州攻めでさぞ目立つ活躍をしたはずなのだ。
「勝蔵兄上のことも話してください、母上。知らせはきているのでしょう?」
 以下に妙向尼と言えど、武士の子に戦話を禁じるなどと言うことはできない。
「お仙に悪い影響がないと良いけれど……」
 小さな声で呟きつつ、渋々といった様子で、伝えられてきた長可の活躍ぶりを話し始めた。
 
 この鬼武蔵長可の軍は、まさに疾風怒濤というに相応しかった。先鋒部隊として派遣されるや否や、信長からの、しばし待てと言う書状での命令を華麗に無視し、次々と城を落としていった。
 そのうちの一つ、高遠城は、武田信玄五男の仁科盛信にしなもりのぶが守る堅城であった。この城を落とした際の長可の活躍は凄まじい。
 長可率いる森軍は、城の屋根によじ登ると、屋根板をひき剥がし、その隙間から城内に向かい、雨あられと鉄砲玉を打ち込んだのである。
 この斬新かつ残虐な戦法により城は落城、城主の仁科盛信も討死し、その首は信長の元へと送られたのであった。
(さすがは勝蔵兄上だ)
 仙千代は心から感激した。鬼武蔵とはこうでなければ。
「ヒャハハハ!」
 と笑いながら、逃げ惑う城兵を次々と撃ち殺していく兄の様子が、仙千代の目に浮かんだ。
 この戦功により川中島四郡を授かった長可であったが、領民たちがすぐに信服したわけではない。長可が着任するや否や、大規模な一揆が起こってしまったのである。
 だが、それに狼狽える鬼武蔵ではなかった。長可は三千の兵を率いて出陣し、一揆勢を女子供も含めて容赦なく切り捨てた。
 そしてなんと、たった二日で完全に鎮圧してしまった。
 ちなみに一揆勢の戦力は八千余りであったと言う。それが事実であれば、長可は自身の兵力の三倍近くの敵を破ったことになり、その武勇は恐ろしいばかりである。
 戦後処理にも余念はない。長可は、一揆勢に加担した地侍たちの妻子を人質に取り、自らの新たな居城となった海津城に住まわせた。これにより、再度の蜂起を防いだのである。
 現在信濃川中島は、こういった長可の類稀なる暴力によって、とりあえずは安定していると言うことであった。

 この話を聞いた仙千代の思ったことは、
(川中島に行きたい!)
 ということであった。
 川中島は今や、兄の長可が文字通りその武を持って平定した、いわば鬼武蔵王国というべき地となっている。
 そこへ行き、自らの目で兄の武に触れ、また自分自身もその武を持って兄の元で働きたい、真剣にそう考えた。
「いけませんよ」
 口には出していないはずだが、仙千代の態度から何か不穏な物を感じたのであろう。妙向尼が、何をとも言わず嗜めた。
「まずは信長様に今一度お側へあげていただけるようお頼みせねばなりません。母も共に参るゆえ、そのつもりでいなさい」
 妙向尼は熱心な一向宗(浄土真宗)の信徒である。そんな彼女にとって、血生臭い戦の場に息子たちを送り込むことは、本意ではないのであろう。
 天殺星に愛されたような男である長可はもう諦めるにしても、他の子供たち、特に末っ子の仙千代には、また違った生き方をしてほしい、そう思っているに違いない。
 そんな母の気持ちを、仙千代もまったく理解できぬわけではない。それでも、自分の理想の在り方というものを曲げようとは思えないのである。
 今一度側仕えに、と告げられた仙千代の落胆は言うまでもない。だが、強いて母に逆らうこともできず、仙千代は渋々、母と共に再び、信長のいる安土城へ向かうことになったのであった。

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