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33 君の音【唯冬】

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「今日は仕事入れるなって言っただろ」

「何回も謝ったじゃないですか。時間には間に合うように終わったんだから、もう許してくださいよー!」

宰田さいだは運転しながら、すみませんと言っていたが、蛇みたいにしつこいんだから困りますよと小さい声で呟いたのはしっかり聴こえているからな?

「まあまあ。宰田を許してやれって」

「うん。ステーキ弁当に罪はない」

こいつら!
どさくさに紛れて、宰田に唐揚げ弁当からステーキ弁当に格上げさせ、仕事が終わると俺と一緒にコンクール会場についてきた。
急に雑誌の取材の仕事が入ったのはこいつらの罠じゃないかと怪しんでいる。
こんな都合よく三人同時にスケジュールを合わせてこれるか?

「いやー、楽しみだなー」

知久ともひさはうきうきしていたが、一番怪しい。
じろりとにらむとさっと目をそらした。
こいつが犯人か。
知久が『みんなで千愛ちゃんを応援しよう!』と騒ぎだしたから、わざと日にちを教えていなかったというのに。
宰田が教えたんだろうな。

「周りに迷惑にならないように静かにしてろよ」

「わかってるよ」

今、返事をしてほしいのは逢生あおじゃなくて、知久だけどな。

「へぇー。同じ会場なんだなー」

そう、同じ会場だ。
千愛が棄権したコンクール会場は同じコンクールで同じ会場。
だからこそ、一緒にいるつもりだった。
それが、仕事?
まったく納得いかない。
車から一番先に降りたのは知久で張り切って入り口に向かった。
遠足気分もいいところだ。
コンクール会場のロビーに入ると隈井くまい先生がうろうろしているのが見えた。

「隈井先生、休憩ですか?」

前半と後半の途中休憩だろう。
気分転換にコーヒーでも飲みにきたか?と思っていると違っていた。
俺の顔を見るなり、早口でまくしたてた。

渋木しぶき君!いいところにきた。雪元ゆきもとさんがいない。どういうことだと思う?会場に来ていたのは目にしていたんだが、今になって姿が見えないんだ!」

千愛ちさがいない!?」

「えっ!?千愛ちゃんが?」

「昼寝して寝過ごしてる……?」

深月みづき君じゃあるまいし、そんなわけないだろう!」

隈井先生のこんなに焦った顔を見たことがない。

「休息は大事だよ」

真面目な顔で逢生あおは言ったが、千愛に限ってあり得ない。

「これは……トラブルかもな。探そう。スタッフの誰かが千愛ちゃんの姿を見ていないか聞いてくるよ」

知久ともひさは険しい顔をしていた。
逢生と違ってすぐに察してくれて助かる。
なにがあった?
ここにきて、いったい誰が千愛を妨害した?

「千愛の両親か妹のどちらかか」

「渋木君。なんて顔をしているんだ。まるで視線で人を殺せそうなくらいの顔じゃないか。君はそんな顔をするような人間じゃないだろう?」

「先生も周りも俺を買いかぶりすぎなんですよ。俺はそんな優しい人間なんかじゃないんです」

千愛を救いたいという気持ちは確かにあったかもしれない。
けど、結局は自分のために千愛をそばに置きたかっただけだ。
あの優しく触れる指を忘れられなくて。
彼女が欲しくて仕方なくて、俺から逃げれないようにしてしまった。
あの両親達と同じ。
閉じ込めた。
俺の――――

「唯冬は優しい」

「逢生」

「少なくとも俺よりは面倒見いいし、他人に興味がある」

「お前基準だとハードルがぐっと下がるな」

「失礼な」

こっちが馬鹿馬鹿しくなるくらい逢生は気楽に言った。

「必死に尽くす唯冬の姿を見るのが面白い」

「そうだよなー。他の人間にも同じくらい尽くせよ。そしたら、もうちょっとは人としての優しさレベルがあがるぞ?」

遠くからわざわざ知久がつけくわえた。
もっとましなフォローができないのかと思っていたが、知久の後ろに女性がいることに気づいた。

「ナンパしてきたわけじゃないぞ」

「当たり前だ」

コンクールの運営スタッフらしくネームプレートを首から下げている。

「あ、あの、雪元さんに隈井先生が伝言があると言われて案内したんです。それで、控え室のほうに向かっていくのを見たのが最後で」

隈井先生が眉をひそめた。
そんな伝言を頼んだ覚えはないらしい。

「誰に頼まれた?」

「えっと、雪元虹亜こあさんだったと思います。……姉妹ですよね?」

怪しい人間を取り次いだわけじゃないと言いたいらしいが―――

「やられたね」

逢生は苦笑した。

「なるほどね……レストランでの仕返しをしたってわけか」

「だろうな。ひと気のない場所を探す。あの短絡的な思考タイプなら、千愛を閉じ込めるのが精いっぱいだ」

「仕返しとはなんだね!?」

焦る隈井先生に言った。

「先生。千愛は必ず見つけます。先生は千愛の他に出場している生徒もいるでしょう?席に戻った方がよろしいのでは?」

「しかし!」

「騒ぎになると他の出場者達が動揺するかもしれません」

「……わかった。必ず見つけられると約束してくれるな?」

「もちろんです」

納得してくれたのか、隈井先生は苦い顔で返事をして戻って行った。
後半の演奏が始まるアナウンスが流れた。
急がなくては―――

「関係者しか使わない場所はありますか?」

知久が女性スタッフの手をすっと握り、ほほ笑んだ。

「えっ、ええっ!ありますっ!こっちですっ!」

あっさり関係者しか入れない場所へ案内してくれた。
スタッフ控え室のドアの鍵はかかっておらず、そこにはいなかった。

「トイレや掃除用具が入ってるところにはいなかったよ」

逢生が戻ってくる。
棚の中までくまなく探したけれど、いない。

「ここじゃないのかもな」

「他の場所は?」

「えっと、今日は使用していないのですが、後はもう二階席くらいしか」

「きっとそこだ!」

知久が走り出した。
長い通路を走り、二階席の階段が目に入る。
そこを知久が駆け上がり、見に行った。
だが、すぐに戻ってくる。

「いや、いないな。ここだと誰かを呼べるよな」

「確かに」

ホールの中で見ていない場所はもうここしかない―――

「二人とも静かに」

逢生が目を閉じた。
聴こえてくるのは出場者が演奏する曲の音だけ。
いや、違う、これは。

「聴こえる」

逢生はすっと目を開けた。
俺にも知久にもその音は聴こえていた。

「千愛だ」

すぐに誰が弾いているのかわかった。
ピアノの音がするほうへ近づくと、そこにはドアがあり、鍵がかかっていた。

「そういえば、そこの鍵がないって警備員の人が騒いでいました。今すぐマスターキーを持ってきます!」

女性スタッフが走って行った。
そのドアから微かに聴こえてくるのは。
サティのジムノペディだった―――彼女の中で特別な曲になっていた。
俺が彼女だけのために弾いたあの雨の日の曲。

「もう俺だけが特別に思っているわけじゃないんだな」

開かないドアに手を触れて、名前を呼んだ。

「千愛」

「唯冬!」

応えるように俺の名前を彼女が呼ぶ。
それは特別な音。
俺にとっては一番大切な音だ。 
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