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12 国王陛下、犬を飼う

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 ふかふかした羽根のクッションや枕は私にとって極上の寝床だった。
 ずっと眠っていられそうなくらい―――遠くで鶏の鳴き声も市場に野菜を運ぶ馬の足音も聞こえてこない静かな朝。
 私が眠るのは床下のじめっとした暗くて肌寒い部屋のはずだった。それなのに部屋の中は暖かい。優しい熱が肌に触れて心地よかった。
 肌寒い朝、暖炉に火が入り、部屋の中を暖めてくれるなんて贅沢すぎる。寒い中、各部屋の暖炉に火をつけて回るのは骨の折れる仕事だった。その後はお湯を沸かし、早い目覚めを迎えたお客様達にお茶を運ぶのは私の役目だった。
 火がパチパチと爆ぜる音と本のページをめくる音が聞こえ、心が安らぐ。その安らぎの中、ふと違和感を覚えた。

「あ……あれ? 私、どこにいるの……?」

 ごそごそと起き上がり、柔らかいクッションを手にした。
 よく見ると私が手にしたクッションはシルク生地で、生地には芸術の域で刺繍が施されている。スズランやスミレ、アザミなどの素朴な花なのに見事な刺繍で描かれた模様はまるで絵画のよう。
 刺繍やレース編みが趣味の私はその見事さに思わず見惚れてしまった。

「うわぁ……」

 クッションだけじゃない。
 寝台の天蓋を支える四本の柱には花の蔓のような模様が彫られ、天蓋には天使や雲、月や星の描かれた絵が嵌め込まれていた。
 口を開けたまま上を向き、その天蓋の絵を眺めた。
 『パレ・ヴィオレット』で過ごした私にとって、贅沢で立派な調度品を見慣れているとはいえ、ここにある物はその上をいくものばかりだった。

「起きたか」

 窓際で足を組み、本を読む男の人が一人―――ようやく私の寝ぼけていた頭がすごいスピードで動き出した。

「ひっ、ひえっ!」

 私は全裸だった。一糸まとわぬ姿のまま、調度品を眺め呆けていた変な女。
 それが私。
 色っぽい朝には程遠い。
 姐さん達の朝は大人そのもの。
 目覚めのキスから次の約束までドラマティックに演出する。
 それが私はぼんやり全裸の挙句、鶏に負けない奇声を発した。こんな絵にならない姿を見られるなんて、恥ずかしすぎる。
 眠っているうちに犬の姿から、いつの間にか人間の姿に戻っていたようだった。
 ギデオン様は長椅子で眠ったらしく、クッションと毛布が置かれている。
 まさか、私の寝相が悪くて寝台から追い出してしまった……?

「眠っている途中で犬から人になったぞ。お前、わざとか?」
「え? わ、わざと?」

 当たり前だけど、ギデオン様の機嫌が悪い。
 これは罰せられるのでは?
 投獄か、それとも鞭でぶたれる?

「ご、ごめんなさい」

 怒ってますよね、とギデオン様を見ると、私の罰より、読書のほうに関心が向けられていた。テーブルの上に本が何冊も重ねられている。
 そんな熱心になにを読んでいるのだろうと、本のタイトルを確認する。
『今日から始める犬のお世話』
『初心者にもわかりやすい犬の飼い方』
『こんな時どうする? 犬と飼い主のスキンシップ集』
『あなたの犬は健康ですか』
 えっ……犬?
 全部、犬の飼い方を学ぶ本だった。
 ギデオン様はページをめくるのも優雅だった。
 私がこんな色っぽい姿だというのに本を読み続けている。

「どうした?」

 私の恨めしい目に気づいたギデオン様が本から顔をあげた。

「俺を誘っているのか?」

 まさか、私が考えていることが読めるの?
 驚いていると、ギデオン様は即座に否定した。

「そんなわけないか。そもそも犬の色仕掛けで、俺をどうこうできるとは思えない」

 私が色仕掛けでギデオン様を罠に嵌めて暗殺―――という筋書きを考えていたようだったけど、そうじゃない、そうじゃないんです。
 暗殺とかではなく、ちらりとシーツから覗いた私の肌と乱れた(寝癖)髪でなにも思わないんですか。私の色っぽい姿を見て、胸がドキドキするとか、苦しくなるとか、少しは動じて欲しい。

「裸のほうが楽なのはわかるが、そろそろ服を着ろ。そこに俺の服がある。使っていいぞ」
「はい……」

 私は窮屈な衣服から解放され、自然の風を感じている裸犬じゃないのに完全に犬扱いだった。
 
「王宮は人手不足だ。着替えと食事くらいは世話してやる。お前は俺の犬だからな」
「い、犬?」

 ショックを受けている私に構わず、ギデオン様は言った。

「違うのか?」
「いえ、犬です」

 凄まれて、あっさり犬宣言してしまう私。
 生きるためにプライドを捨てた。
 ギデオン様はすでにきちんとした服装をしている。さすがに軍服の上着は椅子にかけられてあったけど、剣はすぐ手に取れるようにと、そばに置いてある。
 ギデオン様は神経を尖らせ、常に警戒しているのは敵がそれだけ多いということだろう。
 私はおとなしくギデオン様のシャツを着た。
 着替え終わった頃、ちょうど部屋をノックする音が響いた。その音にギデオン様は本から少しだけ目を離し、扉のほうに視線を向ける。

「入れ」
「ギデオン様、おはようございます」

 黒い髪と瞳、黒の軍服を着たジョシュアが現れた。
 ジョシュアはギデオン様のシャツを着て髪を直している私を目の錯覚だと思ったのか、まばたきを数回繰り返し、じっと目を凝らして私を見つめた。
 この先のセリフはわかります。
 『女性と一夜を共に?』もしくは『恋人ですか』とか?
 ドキドキしながら、私はジョシュアの黒い目を見つめ返した。

「どなたですか?」

 期待していたセリフと違っていた。
 ジョシュアは軍服のボタンを外し、無表情で内ポケットに手を入れた瞬間、ギデオン様が止めた。

「ジョシュア。暗器を使うなよ。この女は昨日の白い犬だ」

 あ、暗器?
 それって、暗殺者が使う武器じゃないですか?
 もしかして、私の息の根を止めようとした……?
 青ざめた顔で震えながら、なんとか怪しいものではないとわかってもらいたくて自己紹介をした。

「わ、私は昨日の白い犬で名前はエルヴィーラとい、言います……」

 つい自分から犬アピールしてしまった。
 けれど、これで命が助かるなら何回だって私は言おう!
 犬です、と!

「ギデオン様。これが暗殺者だったら、あなたはもう殺されていましたよ」
「こんな間抜け面をした暗殺者がいてたまるか」

 ま、間抜け面……?
 それって、私の顔のことですか。
 ギデオン様は私を鼻先で笑い飛ばした。
 そして、手にしていた一冊の本、『初心者にもわかりやすい犬の飼い方』のページをパラパラとめくると、私の前に本を差し出す。

「これを読め」

 ギデオン様は犬をしつけようと書いてある箇所を指で示した。

「ここをちゃんと読んでおけよ。まてとおすわり、伏せのやり方が書いてある」

 とてもいい笑顔を見せたギデオン様が私に本を手渡した。
 つまり、これを熟読しておけということですか。
 普通、飼い主が教えるものじゃないのかなと思いながら、黙って本を受け取った。
 今、私をジョシュアから守ってくれるのはギデオン様しかいない。
 頼れるのはギデオン様だけ。
 とりあえず、言われたとおり本を眺めていると、ジョシュアがギデオン様の朝食を運んできたことに気がついた。
 人手不足というのは本当らしい。
 新しいレムナーク国王陛下が即位したと噂で聞いたのは去年のこと。
 前国王の死ぬ間際、愛妾が産んだ王子に王位を譲って息を引き取った。
 それに反発したのは王妃と貴族達だった。正当な王位継承者ではないと王妃やそれに連なる貴族が主張し、王子を廃して王女を女王にしようと謀反を企てた。
 けれど、王子はすでにレムナーク王国軍を掌握しており、謀反を企てた女王と貴族を追い詰めていく。命が危なくなった王妃と王女は隣国アシエベルグに亡命した―――という話を思い出して、人が少ないと言ったギデオン様の複雑な事情を察した。
 
「昼食は二人分、用意させます」
「ああ、頼む。ライオネルに肉でもとってきてもらうか?」
「ごちそうですね」

 ギデオン様とジョシュアは私を見た。
 まさか、その肉は私のため?
 肉は生ですか、焼いてありますか。
 体は丈夫だけど、さすがに得体の知れない肉が出てくるのでは、と心配になった。

「本に味付けはするなと書いてあるが、どう思う?」
「健康第一ですね」

 二人が私の食事の相談をしていることに気づいた。

「あっ、あの! 私、普通の人間と同じものを食べられますから。人間と違うのは犬になることくらいなんです」

 幼い時に村を出たから自分でも獣人のことを完全に理解しているとは言い難い。でも、今まで普通の人間と同じものを口にしても体に害はなかったことを考えると同じでいいはず。
 
「なんだ」

 ギデオン様はどこか残念そうな顔をしていた。
 本気で私を犬として飼うつもりだったのかな……ま、まさかね?

「それでは普通の食事を乳母のローナに頼んでおきましょう」
「台所はギデオン様の乳母が担当しているんですか?」
「そうだ。乳母の親戚や身元がしっかりした者だけを王宮内で働かせている」

 王宮の規模を考えたら、下働きの人間が数十人では絶対に足りない。庭が荒れていたのも部屋が閉じられていたのも納得がいく。

「それと、ジョシュアの一族がいる」
「あまりお役に立てていませんよ。自分の家系は暗殺者の家系ですからね。ギデオン様の生活でお世話できることは食事の毒見役くらいですよ」

 あ、暗殺者の一族って……!
 毒見役と聞いて、冷えたスープを口に運ぶスプーンがピタリと止まった。
 食事に毒が入っている可能性があるということですか。
 昨日のキメラを連れたライオネルといい、このジョシュアといい、ギデオン様の周りには物騒な人間ばかりでまともな人間がいないような……青ざめ、ぶるぶると震えている私に二人は気づいてない。
 今のが日常会話らしく、和やかなムードで話している。
 怯える私を置き去りにして。
 
「お前は邪魔にならないようおとなしくしていろよ」
「わかりました。ギデオン様のお邪魔にならないように気を付けます」

 死と隣り合わせの私は素早く返事をした。
 とりあえず、死刑を免れたらしく、私がホッと胸を撫で下ろしていると、ジョシュアから射すような視線を感じた。

「ギデオン様はこの娘に名を呼ばせることを許したんですか?」
「そういえばそうだな」

 今思えば、名前を呼んでいいと言われたのは私が犬の姿をしていた時だった。
 ギデオン様がなんと答えるだろうかと目線を外さず、食い入るように見つめた。
 そんな私をギデオン様は一瞥し、僅かに口の端をあげる。

「まあ、いい。俺の犬だからな」
「そうですか。人手不足ですし、犬でも豚でも構いません。いっそ、トカゲでもいないよりマシですからね」
「豚? トカゲ?」

 常識人に見えるけど、ジョシュアはギデオン様を超える毒舌家らしい。
 表立って(怖いから)文句を言えず、恨めしい顔をした私に気づき、取ってつけたような言葉を加えた。

「例えですよ」

 例えにしては酷すぎる例えだと思う。
 庇ってくださいと訴えかけるようにしてギデオン様を見ると、私の淡い茶色の髪を指でくるくると巻きながら、なにか考え込んでいた。
 もしかして、より高度で難解な事柄や政治的な問題を思案していらっしゃる?

「よし。決めた」

 ギデオン様は私の髪をしゅるりと指からほどき、ジョシュアに告げた。

「ジョシュア。仕立て屋を呼べ」
「仕立て屋ですか」
「着るものがないと困る。あいつらのドレスはすべて燃えてしまったからな」

 ごくっとパンを飲み込んだ。
 も、燃えたって……。
 きっと古くなったから廃棄しましたという穏やかな理由ではない。
 ううん、それよりも!
 ドレスって私のドレスのことだろうか?
 死刑回避どころか、『パレ・ヴィオレット』に例えるとご贔屓のお客様がお気に入りの女性に贈り物をするパターンなのでは?
 お気に入りという響きに胸がときめいた。
 でも、私の身分で絹のドレスや宝石なんてもってのほか。

「そんな! 立派なドレスなんて私には……」
「犬の服を作ってやらないとな。ついでに人用のドレスも」

 ぐっ……!
 私のドレスはオマケなんですか?
 ギデオン様はうきうきしているように見えるけど、それは犬の姿の私を着飾らせるため?
 納得いかなかったけど、シャツ一枚で過ごすわけにはいかない。

「わかりました。レムナーク王国で一番の仕立て屋を呼びましょう」

 目元をほころばせたジョシュアの表情を見て、私はあることに気が付いた。ギデオン様でなく、ジョシュアの顔もずっと険しく冷たいものだったということに。
 ギデオン様が即位して一年。
 ここで、どんなことがあったのか、私は知らない。
 けれど、笑顔になれるものじゃないことだけは確かだった。
 ほんの少しの間だけだったけれど、二人が穏やかな表情を浮かべたことが嬉しい。
 私の犬の姿で和み、喜ばれることも初めてで、自分が犬の獣人でよかったと生まれて初めて思えた。
 温度のない冷たい目だと思っていたアイスブルーの瞳に私はぬくもりを感じ始めていた。
 
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