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2 妹の恋人
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大砲の音に娼館内は慌ただしくなり、お客様を『パレ・ヴィオレット』は丁重に出迎える。
今の大砲は港を攻撃したものではなく、自分が店にやって来たことを周囲に知らせるため、お客様の一人が撃たせたものだった。
「いらっしゃいませ! オディロン様!」
「ようこそおいでました」
大きな扉が開かれて、その扉の中央から現れたのは武器商人のオディロンだった。
毛皮のコートに革のブーツ、腰には金の懐中時計、首にじゃらじゃらとした宝石の首飾りをぶらさげている。
オディロンが手をさっとあげると、彼が所有する大型商船から花火が上がり、客を沸かせた。
白い月明かりが降りそそぐ天窓は花火の色に染まり、静かに瞬く星の姿を空を焼く火が隠す。
連続して打ち上げられる花火は青や赤、黄色の火で夜空を彩り、音楽の音を乱暴に打ち消した。そして、黒い海面に一瞬の絵を描いて波間に埋もれる。
大砲と花火―――これが、武器商人オディロンが客として『パレ・ヴィオレット』にやって来たと知らせる合図になっていた。
自分を迎えろと言わんばかりの派手な演出に他のお客様はあまりいい顔をしていなかった。
けれど、ここは『パレ・ヴィオレット』。
身分があってもお金がなければ弱者。
どれだけ身分が高くても貧乏では相手にされない。
ここではお金がすべてなのだ。
だから、お金持ちほど歓迎される。
「オディロン様が来たわよ!」
「今日は誰と夜を共にするの?」
姐さん達が騒ぎだした。
けれど、姐さん達が騒ぐのも無理はない。
オディロンは金払いのいい上客の部類で、お得意様。
一夜を共にした相手にはお金をたんまり払い、お気に入りになれば、ドレスや宝石などの高価な贈り物が届く。お店で売っているような可愛い細工をしたチョコレートやキャンディも飽きるほど食べられるとか。
でも、私は彼が苦手だった。
オディロンは顎や鼻の下に薄い髭を生やし、顔には傷がいくつもある。
でも、私が彼を苦手だと思うのは外見が怖いという理由からではなかった。
以前、余興だと言って、オディロンが私に猟銃を向けたことが原因だった。
私はあの目を忘れていない。
殺されるかと思って、逃げまどう私をベアトリーチェと一緒になって大笑いしていた。猟銃は鞭の比にならないくらい怖かった。
さすがにあの時の姐さん達は私をからかったりせず、顔を青くしてオディロンを止めてくれた。
そして、話を聞いたヴィオレットは娼館への出入りを禁じた。
けれど、オディロンは金や宝石を貢ぎ続け、武器の携帯を禁じるという条件の元、再び『パレ・ヴィオレット』への出入りを許可されたのだった。
「いらっしゃいませ。オディロン様」
ベアトリーチェはキモノを羽織り、蝶のように軽やかな仕草で舞台から降りると、オディロンへと近づいた。
そして、オディロンの頬を両手で包み込んだ。
なにをするんだろうと思いながら、二人を眺めていたけど、ハッと我に返った。
それどころじゃない。
舞台の上にある自分の服を回収するのを忘れていた。
みすぼらしいドレスであっても、私にとっては一張羅。一着でも減るのは困る。
ベアトリーチェとオディロンに全員が注目している今がチャンス。
誰も見ていないうちに舞台へこっそり上がり、自分のドレスを口でくわえ、舞台から引きずり、また階段下へと戻った。
そして、エプロンのポケットに入っていた甘いキャンディを口にする。
キャンディが私の傷ついた心を癒してくれた。
「キャンディ、おいしい……」
笑顔がないと言われる私だけど、甘くておいしいものを食べる時だけは別だった。
私が食べているキャンディはお客様からの頂き物ではなく、手作りで味はレモン味。
蜂蜜を使って、あっさりした甘さに爽やかなレモンの味。喉に優しく、年下の見習い芸妓達にレモンキャンディの評判はよく、ヴィオレットの許可を得て作っていた。
厳しい歌の練習後にぴったりらしく、見習い達のために切らさないように気を付けている。
そのレモンキャンディを緊急時の時のため、エプロンのポケットに入れて、いつも持ち歩いていた。
これが私の最大の贅沢品。
台所仕事を任されているおかげで、食べ物には困らない。
栄養は足りているはずなのに痩せっぽっちのままで、胸もベアトリーチェや姐さん達みたいに 大きくならなかった。
レモンキャンディを食べ、人の姿に戻った私は急いでドレスを着た。
やっと人間に戻れたと階段下から顔を除かせたその時―――キャッーという甲高い悲鳴が起きた。
「なっ、なにごとっ?」
姐さん達の悲鳴に階段下から、なにが起きたのかと慌てて這い出した。
「ちょっと、ベアトリーチェ!」
「オディロン様ぁー!」
姐さん達の悲鳴が耳にキーンッと響いた。
「ひ、ひえっ!」
姐さん達に続いて、私も変な声をあげてしまった。
それもそのはず。
ベアトリーチェの唇とオディロンの唇が重なっていた。白い脚をオディロンが撫であげ、持ち上げられたドレスの裾から、白磁のような肌が覗いて見える。
オディロンは靴下を止めるガーターベルトを指で弾き、はずすと、靴下を脱がして床に捨てた。
見せつけるためにしているのだろうけど、その生々しい淫らさに他のお客様達が息を呑んだ。
目を細め、姐さん達を挑発するようにベアトリーチェはオディロンにキスを繰り返す。
ベアトリーチェの赤い舌がオディロンの唇をチロリと舐めた。
「ねぇ、オディロン様。いつになったら、私をここから出してくれるの?」
「ああ。今日はその話をヴィオレットにするつもりだ」
恍惚とした表情を浮かべたオディロンはベアトリーチェの顎を指で掴んで微笑んだ。
二人の会話を聞き、ベアトリーチェがオディロンに身請けされ、ここから去る日が来たのだと知った。
私の唯一の身内だったベアトリーチェ。
意地悪だったけど、いなくなるのは寂しい。
体を絡ませる二人をぼんやりと眺めていると、階上から厳しい声が響いた。
「なにをしているのかしら。ベアトリーチェ。あなたは娼婦じゃなくて、芸妓でしょう?」
紫色のスミレのステンドグラスと、きらびやかなガラス製のシャンデリアを背に娼館中央の大階段から、優雅に降りてきたのは『パレ・ヴィオレット』の女主人ヴィオレットだった。
今の大砲は港を攻撃したものではなく、自分が店にやって来たことを周囲に知らせるため、お客様の一人が撃たせたものだった。
「いらっしゃいませ! オディロン様!」
「ようこそおいでました」
大きな扉が開かれて、その扉の中央から現れたのは武器商人のオディロンだった。
毛皮のコートに革のブーツ、腰には金の懐中時計、首にじゃらじゃらとした宝石の首飾りをぶらさげている。
オディロンが手をさっとあげると、彼が所有する大型商船から花火が上がり、客を沸かせた。
白い月明かりが降りそそぐ天窓は花火の色に染まり、静かに瞬く星の姿を空を焼く火が隠す。
連続して打ち上げられる花火は青や赤、黄色の火で夜空を彩り、音楽の音を乱暴に打ち消した。そして、黒い海面に一瞬の絵を描いて波間に埋もれる。
大砲と花火―――これが、武器商人オディロンが客として『パレ・ヴィオレット』にやって来たと知らせる合図になっていた。
自分を迎えろと言わんばかりの派手な演出に他のお客様はあまりいい顔をしていなかった。
けれど、ここは『パレ・ヴィオレット』。
身分があってもお金がなければ弱者。
どれだけ身分が高くても貧乏では相手にされない。
ここではお金がすべてなのだ。
だから、お金持ちほど歓迎される。
「オディロン様が来たわよ!」
「今日は誰と夜を共にするの?」
姐さん達が騒ぎだした。
けれど、姐さん達が騒ぐのも無理はない。
オディロンは金払いのいい上客の部類で、お得意様。
一夜を共にした相手にはお金をたんまり払い、お気に入りになれば、ドレスや宝石などの高価な贈り物が届く。お店で売っているような可愛い細工をしたチョコレートやキャンディも飽きるほど食べられるとか。
でも、私は彼が苦手だった。
オディロンは顎や鼻の下に薄い髭を生やし、顔には傷がいくつもある。
でも、私が彼を苦手だと思うのは外見が怖いという理由からではなかった。
以前、余興だと言って、オディロンが私に猟銃を向けたことが原因だった。
私はあの目を忘れていない。
殺されるかと思って、逃げまどう私をベアトリーチェと一緒になって大笑いしていた。猟銃は鞭の比にならないくらい怖かった。
さすがにあの時の姐さん達は私をからかったりせず、顔を青くしてオディロンを止めてくれた。
そして、話を聞いたヴィオレットは娼館への出入りを禁じた。
けれど、オディロンは金や宝石を貢ぎ続け、武器の携帯を禁じるという条件の元、再び『パレ・ヴィオレット』への出入りを許可されたのだった。
「いらっしゃいませ。オディロン様」
ベアトリーチェはキモノを羽織り、蝶のように軽やかな仕草で舞台から降りると、オディロンへと近づいた。
そして、オディロンの頬を両手で包み込んだ。
なにをするんだろうと思いながら、二人を眺めていたけど、ハッと我に返った。
それどころじゃない。
舞台の上にある自分の服を回収するのを忘れていた。
みすぼらしいドレスであっても、私にとっては一張羅。一着でも減るのは困る。
ベアトリーチェとオディロンに全員が注目している今がチャンス。
誰も見ていないうちに舞台へこっそり上がり、自分のドレスを口でくわえ、舞台から引きずり、また階段下へと戻った。
そして、エプロンのポケットに入っていた甘いキャンディを口にする。
キャンディが私の傷ついた心を癒してくれた。
「キャンディ、おいしい……」
笑顔がないと言われる私だけど、甘くておいしいものを食べる時だけは別だった。
私が食べているキャンディはお客様からの頂き物ではなく、手作りで味はレモン味。
蜂蜜を使って、あっさりした甘さに爽やかなレモンの味。喉に優しく、年下の見習い芸妓達にレモンキャンディの評判はよく、ヴィオレットの許可を得て作っていた。
厳しい歌の練習後にぴったりらしく、見習い達のために切らさないように気を付けている。
そのレモンキャンディを緊急時の時のため、エプロンのポケットに入れて、いつも持ち歩いていた。
これが私の最大の贅沢品。
台所仕事を任されているおかげで、食べ物には困らない。
栄養は足りているはずなのに痩せっぽっちのままで、胸もベアトリーチェや姐さん達みたいに 大きくならなかった。
レモンキャンディを食べ、人の姿に戻った私は急いでドレスを着た。
やっと人間に戻れたと階段下から顔を除かせたその時―――キャッーという甲高い悲鳴が起きた。
「なっ、なにごとっ?」
姐さん達の悲鳴に階段下から、なにが起きたのかと慌てて這い出した。
「ちょっと、ベアトリーチェ!」
「オディロン様ぁー!」
姐さん達の悲鳴が耳にキーンッと響いた。
「ひ、ひえっ!」
姐さん達に続いて、私も変な声をあげてしまった。
それもそのはず。
ベアトリーチェの唇とオディロンの唇が重なっていた。白い脚をオディロンが撫であげ、持ち上げられたドレスの裾から、白磁のような肌が覗いて見える。
オディロンは靴下を止めるガーターベルトを指で弾き、はずすと、靴下を脱がして床に捨てた。
見せつけるためにしているのだろうけど、その生々しい淫らさに他のお客様達が息を呑んだ。
目を細め、姐さん達を挑発するようにベアトリーチェはオディロンにキスを繰り返す。
ベアトリーチェの赤い舌がオディロンの唇をチロリと舐めた。
「ねぇ、オディロン様。いつになったら、私をここから出してくれるの?」
「ああ。今日はその話をヴィオレットにするつもりだ」
恍惚とした表情を浮かべたオディロンはベアトリーチェの顎を指で掴んで微笑んだ。
二人の会話を聞き、ベアトリーチェがオディロンに身請けされ、ここから去る日が来たのだと知った。
私の唯一の身内だったベアトリーチェ。
意地悪だったけど、いなくなるのは寂しい。
体を絡ませる二人をぼんやりと眺めていると、階上から厳しい声が響いた。
「なにをしているのかしら。ベアトリーチェ。あなたは娼婦じゃなくて、芸妓でしょう?」
紫色のスミレのステンドグラスと、きらびやかなガラス製のシャンデリアを背に娼館中央の大階段から、優雅に降りてきたのは『パレ・ヴィオレット』の女主人ヴィオレットだった。
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