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10 犬か人か

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 しばらく沈黙した後、唇を離し、先に口を開いたのはギデオン様だった。

「どういうことだ……?」
「ご、ごめんなさいっ! わ、私っ……」

 さすがのギデオン様も犬が人になるとは思ってなかったらしく、体を上半身だけ起こした状態のまま、次の行動をとれずにいた。
 その気持ちは痛いほど理解できる。
 きっとなにが起きたか、わかっていない。

「ホスキンズが獣人だと言っていたのは嘘ではなかったということか」

 ギデオン様は前髪をくしゃりと手で握り潰した。
 怒ってますよね、怒りますよね、そうですよね。
 全裸だった私はシーツを体に巻きつけて平身低頭、謝罪した。
 
「襲ったわけじゃないんです。ち、痴女でもなんです」
「……ああ、まあ、そうだな。獣人かもしれないという可能性を失念していた」

 怯えながらギデオン様の顔色を窺うと、怒るというより、むしろ混乱している。
 で、ですよね……

「妹が鳥の獣人で私は犬なんです。本当にごめんなさい!」
「そういえば、ホスキンズが鳥の獣人だと言っていたな。つまりお前はその鳥の姉ということか」
「中身が鳥じゃなくて犬でがっかりされたと思いますが……い、命だけはっ……」
「鳥でも犬でもいいが。なぜ、妹でなくお前が中に?」
「実は妹の恋人に睡眠薬を飲まされて、妹の身代わりにされたんです。それで、眠ってしまって気がついたら、こ、ここにいて……」
 
 私は泣きながら謝った。
 人間に戻った私は淡い茶色の髪に黒い目という平凡な容姿をしていたし、国王陛下の唇を奪った大罪人。

「お前は罠にはめられ、妹の身代わりにされたということか」
「そうです」
「なるほどな。それで、妹は恋人と逃げたか。だが、ヴィオレットの許可なく『パレ・ヴィオレット』から出れば、ただではすまないぞ」
 
 ヴィオレットを怒らせると怖い。
 それをベアトリーチェもわかっているはずなのにオディロンと逃げた。
 その後、どうなったのだろう。
 気になったけど、それを私が知りたくても知る手段がなかった。
 そもそも私にその後があるのかどうか―――レムナーク国王陛下を欺いた罪で殺されてもおかしくない。
 死刑、それとも投獄?
 私に裁きを下そうとしているのか、ギデオン様の視線を痛いくらい感じていた。
『どう料理してやろうか。この獣めが』
『寝室にまで忍び込んだ不届きな賊よ!』
 なんて思われているに違いない。

「飼い主はヴィオレットか」

 ギデオン様のアイスブルーの瞳の中に私の姿が見えた。

「犬の時と同じ黒い瞳をしているんだな」

 指で涙をぬぐってくれた。涙をぬぐう指先からはぬくもりを感じた。
 冷酷な人じゃない。
 ホッとして涙が、再び零れて頬を濡らした。人の優しさに触れるのなんていつぶりだろう。

「泣くな。泣けば、部屋から叩きだす」

 あ、あれ?
 今、叩き出すって言われたような気がする。
 優しい人じゃなかったんですか。

「は、裸なのに部屋から追い出すんですかっ?」
「不快だ。お前が泣くと泣いている犬の姿が見える」
「は、はあ……。それは悲しい光景ですね」

 全裸で部屋から追い出されるわけにはいかない。
 今の理不尽な要求で涙はピタリと止まった。

「それで、お前は犬なのか? 人なのか?」
「犬と言うか……。獣人です。怖いことがあると、私の意思に関係なく、犬になってしまうんです。それ以外は人と変わりありません」
「なるほどな。それで人の姿にどうやって戻った?」
「甘いものを食べた時、幸せな気持ちになるんです。だから、その、幸福感を感じると人間に戻るんだと思います。幼い時に村を離れたので難しい理屈はわからないんです」
「なるほどな。自分で制御できない感情に左右されると、未熟なお前は犬になってしまうというわけか」
「ぐっ……! なにか引っかかりますけど、その通りです」

 できることなら、もう少し言葉を選び、柔らかく包み込んで話をして欲しい。

「幸せな気持ちか」

 ギデオン様は青い目を細めると、指で私の唇をなぞった。指がなにを示しているのか気づいて顔を赤らめた。

「そ、そのっ……私、キスが大好きとかではなくて……」

 そう言いながら、私は敏感な唇でギデオン様の指の感触を味わう。
 なぜか、触れられるとうっとりしてしまう。
 でも、指より私は―――さっきのキスを思い出して顔が赤く染まった。私はキスされ、幸福感を感じて人間に戻ったという事実。
 そして、今も私に触れるギデオン様の指が甘いお菓子を食べた時みたいに甘く感じる。
 だんだん頭がぼうっとなってきて、指の感触に目を閉じた。

「よく聞け、犬」

 冷たい声を耳にして我に返った。

「は、はい!」
「俺は自分の弱みを握られることを嫌う」
「誰にも言いません! 絶対にっ!」
「どうだか」
「私は犬です! 犬は裏切りません!」
 
 じっと私の目を探るように見つめる。
 怖かったけど、ここで目を逸らしてしまったら、二度とギデオン様に信用してもらえないような気がした。目を逸らさず、しっかりと見つめ返す。

「犬は嫌いじゃない。ただし、俺が好むのは従順な犬だけだ」
「従順です!」
「暴れない犬がいい」
「穏やかでおとなしいです!」

 死刑回避に必死な私は力強くギデオン様に言い切った。
 ギデオン様は犬が嫌いじゃないらしい。
 それが嬉しかった。
 むしろ、す、す、す、好き?
 そんな図々しいことを私は考えてしまった。
 けれど、私は獣人で人間と変わらない。
 王宮内から人を徹底的に排除している状況を考えたら、私をそばに置くことはない。
 ギデオン様は私に『パレ・ヴィオレット』に帰れと言うだろう。
 言われる前に自分で申し出ようと決めた。

「あの……ご迷惑をおかけした上にお願いするのも申し訳ないのですが、私をヴィオレットの元へ帰していただけないでしょうか?」
「娼館へ帰りたいと?」

 ギデオン様の声が低くなった。
 なにか私はギデオン様の気に障ることを言ってしまっただろうか。

「飼い主はまだヴィオレットのままというわけか。ならば、お前の飼い主が誰なのか教えてやろう」
「えっ! 飼い主?」

 ぎしりと寝台の軋む音がして、ギデオン様の体が私の体に覆いかぶさる。
 大きな影ができ、金の髪が頬に触れた。

「光栄に思えよ、犬。俺が優しくすることは滅多にない」

 アイスブルーの瞳が獣のように鋭く細められた。怖いのにすごく綺麗で―――吸い込まれてしまいそうだった。
 私はその宝石よりも美しい瞳に見惚れていると、ギデオン様は再び唇を重ねてきた。
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