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5 皇帝陛下、夜の訪れ

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「入るぞ」

 部屋に入ってきたレクスは、不機嫌そうだ――というより、機嫌のいいレクスを見たことがない。
 服装は寝間着ではなく、着崩したシャツとズボン、軽く羽織った上着。
 服装からレクスがここで眠るわけではなさそうだ。

「なにをジロジロ見ている?」
「レクス様がいらっしゃるとは思ってなかったので」
「お前はいつも気分が悪いと言って部屋に鍵をかけていたが、鍵をかけて眠ってないと乳母から聞いた」

 ――ハンナァァァ! 私は誘ってないのよ! 

 部屋に鍵をかけられると知らなかっただけだ。
 ハンナは気を利かせて言ったのだろうが、私はレクスと夫婦の中を深めるつもりは微塵もない。
  
「子供たちと過ごしているそうだな。俺に似ていると言って嫌がっていたくせに、どういう風の吹き回しだ?」
「それは勘違いです。私は言ってません。いつも部屋に鍵をかけていたのも、信用ならない者が多いせいですわ」
「ルスキニア帝国の人間が信用できないと言いたいのか。相変わらず、嫌味がうまいな」

 ――これはかなり溝が深い。

 レクスとユリアナの間に、どういう行き違いがあったか知らない。
 けど、なにか言えば傷つけあうだけで、これ以上話すのは得策ではない気がした。

 ――でも、レクスはユリアナを誤解しているわ。

 レクスだけではないかもしれない。
 私も『愛されない皇妃』ユリアナの噂は聞いていた。
 グラーティア神聖国の自慢ばかりし、ルスキニア帝国を蛮族と蔑んで馴染まない。
 夫のレクスに近寄る女性に嫉妬し、嫌がらせをし、使用人には愚痴や文句ばかり言って、いじめていたという噂だ。
 未来ではルスキニア皇帝一家が、人々を虐げ、悪逆皇帝一家と呼ばれたため、ユリアナよりもレクスたちのほうが有名だ。

 ――でも、噂はただの噂だったと証明されたわ。

 実際のユリアナは毒を盛られ、侍女からはいじめられ、冷たい夫に苦しむ妻。
 唯一、噂通りだったのは『愛されない皇妃』だけ。
 ユリアナの立場を悪くし、死に追いやった人間が必ず存在する。
 クリスティナを皇妃にしたいレクスのしわざだとしたら、かなりの強敵である。

「レクス様。お部屋に来られたということは、私か子供たちに用があったのではありませんか?」

 ――さっさと会話を終わらせて帰ってもらおう。

 追い出そうとしていることがバレないよう作り笑いを浮かべ、レクスに言った。
 でも、その笑顔は次の瞬間、凍りつく。

「クリスティナがユリアナに会いたいそうだ」

 レクスの口から、クリスティナの名前が出た。

「クリスティナですか……?」

 やがて、夫も子供も、皇妃の地位もクリスティナに奪われるユリアナ。
 その名前を出され身構えずにはいられない。 

「クリスティナは何度もユリアナに手紙を出しているが、一度も返事をもらえていないと悲しんでいた」
「そんなはずは……。私の手元には、彼女からの手紙はありません」

 レクスは冷たい目で私を見て、ため息をついた。

「嘘をつくな。クリスティナからの手紙を捨てているのだろう?」
「違います!」
「侍女から聞いて知っている」
「侍女が本当のことを言っているとは限りません」

 私が否定したところで、レクスは私を信じていない。
 呆れた顔でため息をつく。
 
 ――妻の言葉より、侍女とクリスティナを信じるの?

 侍女たちからの嫌がらせだろうけど、私への手紙を勝手に捨てるなんて。

「おかーしゃま、しない……」
「ぽい、ない!」

 レクスと私の間に重い空気が流れたせいか、アーレントとフィンセントが私をかばった。

「もういい」

 レクスは私に失望していた。
 皇妃として評判が悪く、役目を果たせず、手紙ひとつ書けない妻。
 グラーティア神聖国の王女を妻に向かえ、なんの問題も起こらないと安心していたはずだ。
 それが、侍女には馬鹿にされ、部屋に鍵をかけて妻としての役目を拒み、子供たちを守るのではなく、守られるだけの母親――レクスの目から見たユリアナの姿は、皇妃としてふさわしいものではなかった。

「クリスティナから手紙の書き方を教えてもらったらどうだ?」
「手紙をですか?」
「俺の元へクリスティナは何通も手紙を送ってくる。だが、妻からは一度ももらっていない」

 レクスは皮肉のつもりで言ったのだろうけど、私はそれがちょっとひっかかった。

「もしかして、レクス様は私から手紙が欲しかったのですか?」
「は? 誰がそんなことを言った!?」
「レクス様ですけど」
「違う。いや、違わないか……?」

 思った以上にレクスは動揺していた。
 私から返ってくるのは、冷たい言葉だけだと思っていたのだろう。
 案外、レクスは単純な男なのかもしれない。
 
 ――まあ、二十歳そこそこだし、戦ばかりやってた脳筋。女性の気持ちがわからなくてもしかたないわよね。

 ここは数百歳年上(外見は二十歳後半だけど)の大魔女ヘルトルーデ様が、大人になってあげるしかないようだ。
 大人の余裕を見せて、にっこり微笑んだ。

「わかりました。明日、アーレントたちと一緒に、レクス様に宛てた手紙を書きますね。楽しみにしていてくださいませ」
「あーれもやるー!」
「ふぃんも!」

 双子はよくわかってないみたいだけど、私と一緒になにかやるのが楽しみらしく、喜んでいる。

「二人はまだ字が書けないだろう?」
「絵だけでも、じゅうぶん素敵な手紙になりますわ」

 自分が育てた弟子から、私の似顔絵をもらった時は嬉しかった。
 それと同じだと思う。

「俺からの用件は以上だ」
「そうですか」

 私からの用事はゼロなため、これで会話終了だ。

「そっちから、なにか言いたいことはないのか?」
「ありません」
 
 言いたいことは山ほどある。
 でも、レクスが妻を信用できないと思っているうちは、なにを言っても無駄だとわかった。

 ――まずは友好的な関係になり、会話をするところから始めないと!

 会話からうまくいかないのでは、夫婦以前の問題である。
 気づくと、まだ扉の前にレクスが立っていた。

「あら。まだいらっしゃったのですか?」
「もう戻る」
「はい。おやすみなさいませ」

 話すだけ話して、レクスは『おやすみ』も言わずに出ていった。
 
 ――なにか言いたそうな顔をしてたけど、なんだったのかしら?

 今も昔もよくわからない男だ。
 レクスがいなくなると、子供たちは眠るどころか、目がさえて元気いっぱいになり、『ルスキニア帝国戦術書』を持ち上げた。

「おかーしゃま!」
「こりぇ!」

 うやむやにしようと思っていたのに、しっかり覚えていた。

 ――強くなるのは賛成だけど、将来が心配だわ。

 ルスキニア帝国の皇子ともなると、命を狙われる立場になるし、鍛えておいて損はない。
 でも、アーレントとフィンセントは冷酷で残虐な皇子に成長し、私の弟子たちと戦って、命を落とす未来が待っている。

 ――弟子も大切だけど、この二人も助けてあげたい。

「いたい?」
「おかーしゃま、いたい?」 

 私を思いやるアーレントとフィンセントを見て、未来を変えられるはずだと思えた。

「そうよ! 私が二人を優しくて強い皇子に育てればいいのよ!」

 レクスに子育てを任せなければいいのだ。
 二人をぎゅっと抱きした。

 ――この子たちだけは守ってみせる。

 誰も私を信用しない孤独な皇宮。
 それでも、私は悲しい未来を変えるつもりでいた。
 私を慕ってくれる子供たちのために―― 
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