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13 皇帝陛下の右腕
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クリスティナが魔女だとわかって以来、それなりに警戒していた。
でも、彼女のほうは――
「皇妃様。ご一緒に刺繍をしませんか? 二人で刺繍したものを皇帝陛下にプレゼントするっのて、素敵だと思うんです!」
自分が魔女だと、私にバレてないと思って親しげに話しかけてくる。
「私とクリスティナが刺繍したものをレクス様に贈るのですか?」
「はい。皇妃様と私が仲良くしていると、皇帝陛下が安心されますわ」
「安心……?」
つまり、正妻と愛人が仲良くしていると、男は安心する――そういうことだろうか。
「補佐官のエルナンド様も喜ばれて……あっ、皇妃様はエルナンド様から、帰還の挨拶をされてませんよね。ごめんなさい」
「いいえ。気にしていないわ」
戦地から帰ってきたという騎士団長兼皇帝の補佐官であるエルナンド。
彼はレクスの右腕で重要な立場にいる。
そのエルナンドがクリスティナに帰還の挨拶をしたらしい。
「皇妃様。エルナンド様は戦地から帰ったばかりで、きっとお疲れなんだと思います。お会いしたら、声をかけておきますね」
クリスティナは皇宮に馴染み、妃のように振る舞っている。
皇宮内を私よりも自由に行き来しているらしく、この分だとレクスの部屋にも入っていると思う。
別にレクスの部屋なんて、どんどん入ってもらっていいし、私が気にすることでもない。
こちらの待遇は前よりずっとよくなって、快適になっている。
「子供たちと犬たちのしつけをする時間なのよ。そうだわ。よかったら、クリスティナも犬と遊んではどうかしら?」
「えっ! い、犬はちょっと……」
先日の猟犬たちのしつけを任された私。
もちろん、しつけはきちんとされているから、犬と遊ぶだけである。
アーレントとフィンセントは犬が好きで、とても可愛がっていた。
「いぬ、かわい!」
「ふぃん、ぽーんする」
侍女たちに囲まれ、犬用のボールを楽しそうに投げて遊んでいる。
「ぽーん」
アーレントとフィンセントは風魔法をボールに付与させ、うまく遠くまで投げる。
将来、私と戦った時も付与魔法を得意とした二人。
すでに簡単な魔法を扱い、それを日常に取り入れるという天才ぶりを発揮した!
「付与魔法を上手に使いこなして、二人ともすごいわ!」
「えへへ」
「あーれも!」
力だけで足りない分、ボールに風魔法を付与させることを思いついたのだろう。
「さっきより、遠くまで投げられてますね!」
「もしかして、天才!? 天才じゃないですか?」
「可愛いだけじゃなく、魔法の才能まであるなんて……!」
ハンナだけでなく、侍女たちも二人を褒め称え、ボール遊びは盛り上がる。
何度か投げているうちに、ボールがクリスティナのところへ飛んで行った。
「あ……」
私が止める間もなく、犬たちはワンワン言いながら、ボールを追う。
「きゃああっ!」
「クリスティナ、落ち着いて。逃げなくても大丈夫よ。犬たちはボールを探しているだけだから、噛んだりしないわ」
ボールをくわえて、犬が戻ってくると、アーレントとフィンセントに撫でてもらい、ご満悦顔を見せていた。
「いーこ」
「よち!」
「いぬ、ぎゅー」
「えらい、いぬ、ぎゅう」
犬は賢く、アーレントとフィンセントから、ぎゅっと抱き締められても忠実にお座りをし、その体勢を崩さなかった。
――クリスティナが追いかけられていたのは、【魅了】の魔法で操っていただけだと思っていたけど、どうして怖がるのかしら?
「助けてください! エルナンド様っ!」
――あ、そういうこと?
タイミングよく現れたのは、騎士団長兼皇帝の補佐官であるエルナンドだった。
私が知っている未来の彼は、レクスに進言しすぎて不興を買い、国外追放された。
エルナンドがいなくなり、さらにルスキニア帝国は荒れた――だから、有能であることは間違いない。
「私が戦地へ行っている間、アーレント様とフィンセント様はずいぶんと成長されましたね」
クリスティナを無視して、犬と遊んでいるアーレントとフィンセントを優先する。
駆け寄ったクリスティナは【魅了】の魔法をエルナンドに使った後なのか、自分への扱いに驚いていて、エルナンドの顔を見つめていた。
「えるぅ!」
「えりゅう!」
「アーレント様、フィンセント様! 会いたかったですよ!」
子供たちを抱きあげ、肩車をし、再会の喜びを全身で表現する。
その姿は、レクスとともに恐れられている男とは思えなかった。
「あ、あの、エルナンド様?」
クリスティナは負けじと自分の存在をアピールする。
エルナンドが気づき、にっこり微笑んだ。
「あ、クリスティナ様。大丈夫ですか?」
可憐な令嬢より、皇子たちを優先したエルナンドを見て、侍女たちは苦笑した。
「エルナンド様はお変わりないわねぇ」
「アーレント様とフィンセント様が大好きすぎて、周りが見えなくなっちゃうのよね」
子供たちに好意的でありがたいけど、私に対してはどうだろう。
エルナンドと目が合うと、向こうはうやうやしい態度で私に近づいた。
「皇妃様に帰還の挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます」
「いいえ。無事、お戻りになられ、レクス様もお喜びでしょう」
「はい。戻ってきてから、ずっと忙しかったのもありますが、皇帝陛下の許可をいただかねば、皇妃様と会うわけにはいきません」
エルナンドはユリアナの立場を気遣い、皇妃として扱ってくれているようだ。
評判が悪い私が、夫であるレクス以外の男性と楽しそうにしていたら、周りからなにを言われるかわかったものではない。
彼が旅立つ前から、ユリアナの評判は良くなかったのだとわかる。
――補佐を務めるだけあって、有能な補佐官ね。
エルナンドを敵に回すと面倒そうだ。
「あのっ! エルナンド様! 皇妃様の犬が私に……!」
「はい。じゃれてますね」
クリスティナにも遊んでもらおうと、ボールをくわえ待っている犬。
その犬のボールをエルナンドが手に取り、投げてやると、犬は喜んで追いかけていった。
「エルナンド様……。私、犬が苦手で……」
「クリスティナ様。犬が苦手なら、ここにいないほうがよろしいですよ。アーレント様とフィンセント様が、犬と遊んでいらっしゃいますから」
子供たちを両腕に軽々と抱き上げて、エルナンドは微笑んだ。
「える!」
「えるぅー」
「重くなりましたね。凛々しいお姿に幼き日の皇帝陛下を思い出します。お二人にお土産を買ってきたんですよ」
他は眼中に入ってないとばかりに、アーレントとフィンセントを可愛がる。
「なにがいいか悩んだんですけど。今、部下が持ってきますからね」
うきうきした口調で子供たちに話しかけるエルナンドを眺め、侍女たちがため息をついた。
「エルナンド様はかっこいいけど、口を開けば皇帝陛下のことしか言わないから……」
「残念な方よね」
たぶん、クリスティナに魅了されているはずだけど、アーレントたちへの愛が強すぎて、二の次になっているようだ。
「こちらをどうぞ!」
エルナンドが部下に持ってこさせたのは、本物の剣だった。
それも、立派な剣で刃に触れただけで、ざっくりいきそうだ。
「待って!? 子供たちには、まだ早いわ!」
「そうですか? 皇帝陛下は許可されましたよ」
弓矢に続き、本物の剣を与えようとするなんて、とんでもない父親だ。
エルナンドも平気な顔をしている。
「絶対、駄目です」
さっと取り上げ、それをハンナに渡す。
ハンナも怖い顔で、剣を受け取ってエルナンドに返した。
「エルナンド様、お可哀想。せっかくご用意された贈り物なのに、受け取っていただけないなんて」
クリスティナはエルナンドを見つめ、キラキラした目を向ける。
――今、【魅了】の魔法を使ったわね。
でも、クリスティナは焦っているのか、使いどころを間違えている。
私は皇妃らしい堂々とした態度で、エルナンドに微笑んだ。
「受け取らないとは申し上げていません。見事な剣です。ですから、エルナンド様が保管していただけませんか?」
「保管を?」
エルナンドはクリスティナから目をそらし、こちらを向く。
「はい。それから、エルナンド様にお願いがあります。子供たちに剣の基礎を教えていただきたいのです」
「あっ! たしかに基礎からですよね。皇帝陛下と同じだと思ってました」
複雑な表情を見せ、申し訳なさそうな態度で剣を見つめた。
「皇帝陛下は物心がついた時から、身を守るための方法を考えているような方でしたので」
気のせいでなければ、重い空気が流れた。
クリスティナは自分の【魅了】の魔法が無意味に終わったことを知り、動揺していた。
――エルナンドがクリスティナに好意を持っていても構わない。そこそこの好感度があればいいだけ。
ユリアナが追い詰められたのは、皇宮の人々に誤解されて、嫌われてしまったからである。
クリスティナがレクスに愛されようが、こちらが皇宮の人々とうまくやれたら、どれだけ【魅了】しようが、関係ない話である。
「そうですか。いつかレクス様から、幼い頃の話をお聞きしたいですね」
突然、エルナンドが目を輝かせて私を見た。
「皇妃様は皇帝陛下にご興味がありますか!?」
「え? は、はあ、まあ……」
今のは社交辞令的な発言だったとは言い出せず、曖昧な返事をするしかなかった。
「今の皇妃様の言葉を聞けば、皇帝陛下はきっと喜ばれます」
どうやら、ユリアナはレクスに対して冷たい態度をとっていたようだ。
レクスは心を開かない皇妃に悩むようなタイプではなさそうだと思っていたけど、そうでもなかったらしい。
「それに、皇妃様がアーレント様とフィンセント様の剣術の師匠として、このエルナンドを指名したと皇帝陛下が知れば、感激なさるでしょう!」
「感激? そ、それはどうかしら?」
レクスが感激する姿なんて想像できない。
「皇妃様が自分を信頼してくださることなど、永遠にないと思っておりました……」
エルナンドは私に剣の先生をお願いされたことが、かなり嬉しかったようで、涙をぬぐっている。
政略結婚で嫁ぎ、夫は冷たく、皇宮の人間から毒を盛られ、人間不信に陥っていたユリアナは、エルナンドのことも信用できないと思っていたのだろう。
「える、つよい!」
「けん、ざくざく!」
アーレントとフィンセントも喜んでいた。
――思いつきで言っただけだったけど、結果的によかったわね。
ホッとしていた私に、クリスティナがブツブツ呟く声が聞こえてきた。
「私が好かれないなんておかしいわ。どうして……手に入らないの……私が、私の……」
クリスティナともう一人、誰か別の人格が中にいるような気がした。
――体の中に魂が二つあるとか?
ユリアナがいない私と違って、クリスティナは二人。
クリスティナが幻影系の魔法を得意とする魔女を取り込んだとしたなら、魔法を使えるようになってもおかしくない。
私がユリアナになった理由は不明だけど、魔女が肉体を奪う方法はある。
ただし、それは肉体の持ち主が、魔女に心から望まなければ、不可能な方法だ。
「皇妃様が皇帝陛下と話したいと思われているなんて、運命を感じますね」
「運命?」
エルナンドがわけのわからないことを言い出した。
「はい。皇帝陛下も同じ気持ちでいらっしゃいます。皇妃様をお呼びです」
「えっ!?」
――なんのために、レクスは私を呼んだの?
ひくっと頬がひきつった。
断りたいけど、侍女たちの期待感がすごい。
「クリスティナ様を気に入られているのかと思っていたけど、皇妃様も大切でいらっしゃるのね」
「当たり前よ。皇子様の母親よ」
「そうよねぇ、やっぱり特別よね」
レクスの元へ行こうとした私の前に、クリスティナが立ち塞がった。
「皇妃様、お願いします! 私もご一緒させてください!」
私が答える前に、お断りをしたのはエルナンドだった。
「皇帝陛下が呼ばれたのは、皇妃様だけです。クリスティナ様。よろしければ、私と一緒に騎士たちの訓練をご覧になりませんか?」
騎士たちの訓練へ向かうエルナンド―ー微妙なタイミングで【魅了】魔法の効果が発動した。
デートのお誘いだと思うけど、騎士たちの訓練を見て、ロマンチックだとか、楽しいと思える令嬢はいない。
「鍛えられた騎士たちの剣技と新しい鎧は、見ごたえがあります」
一部のマニアックな人間なら、喜ぶだろう。
残念ながら、クリスティナはマニアックな趣味は持ち合わせておらず、困惑していた。
「もしかして、迷惑でしたか?」
「い、いえ……。う、嬉しいですわ! ぜひ、ご一緒させてください!」
皇帝陛下の右腕であるエルナンドの誘いを断れるわけがない。
クリスティナは私を気にしながら、エルナンドの手をとった。
「では、皇妃様。失礼します」
うやうやしくエルナンドは頭を下げ、クリスティナと去っていった。
今の私はクリスティナのことより――
――問題はレクスよ!
どうして呼び出されたのかわからない。
もしかして、私がヘルトルーデだとバレたとか?
レクスの用事がなんなのか、まったくわからなかったのだった。
でも、彼女のほうは――
「皇妃様。ご一緒に刺繍をしませんか? 二人で刺繍したものを皇帝陛下にプレゼントするっのて、素敵だと思うんです!」
自分が魔女だと、私にバレてないと思って親しげに話しかけてくる。
「私とクリスティナが刺繍したものをレクス様に贈るのですか?」
「はい。皇妃様と私が仲良くしていると、皇帝陛下が安心されますわ」
「安心……?」
つまり、正妻と愛人が仲良くしていると、男は安心する――そういうことだろうか。
「補佐官のエルナンド様も喜ばれて……あっ、皇妃様はエルナンド様から、帰還の挨拶をされてませんよね。ごめんなさい」
「いいえ。気にしていないわ」
戦地から帰ってきたという騎士団長兼皇帝の補佐官であるエルナンド。
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そのエルナンドがクリスティナに帰還の挨拶をしたらしい。
「皇妃様。エルナンド様は戦地から帰ったばかりで、きっとお疲れなんだと思います。お会いしたら、声をかけておきますね」
クリスティナは皇宮に馴染み、妃のように振る舞っている。
皇宮内を私よりも自由に行き来しているらしく、この分だとレクスの部屋にも入っていると思う。
別にレクスの部屋なんて、どんどん入ってもらっていいし、私が気にすることでもない。
こちらの待遇は前よりずっとよくなって、快適になっている。
「子供たちと犬たちのしつけをする時間なのよ。そうだわ。よかったら、クリスティナも犬と遊んではどうかしら?」
「えっ! い、犬はちょっと……」
先日の猟犬たちのしつけを任された私。
もちろん、しつけはきちんとされているから、犬と遊ぶだけである。
アーレントとフィンセントは犬が好きで、とても可愛がっていた。
「いぬ、かわい!」
「ふぃん、ぽーんする」
侍女たちに囲まれ、犬用のボールを楽しそうに投げて遊んでいる。
「ぽーん」
アーレントとフィンセントは風魔法をボールに付与させ、うまく遠くまで投げる。
将来、私と戦った時も付与魔法を得意とした二人。
すでに簡単な魔法を扱い、それを日常に取り入れるという天才ぶりを発揮した!
「付与魔法を上手に使いこなして、二人ともすごいわ!」
「えへへ」
「あーれも!」
力だけで足りない分、ボールに風魔法を付与させることを思いついたのだろう。
「さっきより、遠くまで投げられてますね!」
「もしかして、天才!? 天才じゃないですか?」
「可愛いだけじゃなく、魔法の才能まであるなんて……!」
ハンナだけでなく、侍女たちも二人を褒め称え、ボール遊びは盛り上がる。
何度か投げているうちに、ボールがクリスティナのところへ飛んで行った。
「あ……」
私が止める間もなく、犬たちはワンワン言いながら、ボールを追う。
「きゃああっ!」
「クリスティナ、落ち着いて。逃げなくても大丈夫よ。犬たちはボールを探しているだけだから、噛んだりしないわ」
ボールをくわえて、犬が戻ってくると、アーレントとフィンセントに撫でてもらい、ご満悦顔を見せていた。
「いーこ」
「よち!」
「いぬ、ぎゅー」
「えらい、いぬ、ぎゅう」
犬は賢く、アーレントとフィンセントから、ぎゅっと抱き締められても忠実にお座りをし、その体勢を崩さなかった。
――クリスティナが追いかけられていたのは、【魅了】の魔法で操っていただけだと思っていたけど、どうして怖がるのかしら?
「助けてください! エルナンド様っ!」
――あ、そういうこと?
タイミングよく現れたのは、騎士団長兼皇帝の補佐官であるエルナンドだった。
私が知っている未来の彼は、レクスに進言しすぎて不興を買い、国外追放された。
エルナンドがいなくなり、さらにルスキニア帝国は荒れた――だから、有能であることは間違いない。
「私が戦地へ行っている間、アーレント様とフィンセント様はずいぶんと成長されましたね」
クリスティナを無視して、犬と遊んでいるアーレントとフィンセントを優先する。
駆け寄ったクリスティナは【魅了】の魔法をエルナンドに使った後なのか、自分への扱いに驚いていて、エルナンドの顔を見つめていた。
「えるぅ!」
「えりゅう!」
「アーレント様、フィンセント様! 会いたかったですよ!」
子供たちを抱きあげ、肩車をし、再会の喜びを全身で表現する。
その姿は、レクスとともに恐れられている男とは思えなかった。
「あ、あの、エルナンド様?」
クリスティナは負けじと自分の存在をアピールする。
エルナンドが気づき、にっこり微笑んだ。
「あ、クリスティナ様。大丈夫ですか?」
可憐な令嬢より、皇子たちを優先したエルナンドを見て、侍女たちは苦笑した。
「エルナンド様はお変わりないわねぇ」
「アーレント様とフィンセント様が大好きすぎて、周りが見えなくなっちゃうのよね」
子供たちに好意的でありがたいけど、私に対してはどうだろう。
エルナンドと目が合うと、向こうはうやうやしい態度で私に近づいた。
「皇妃様に帰還の挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます」
「いいえ。無事、お戻りになられ、レクス様もお喜びでしょう」
「はい。戻ってきてから、ずっと忙しかったのもありますが、皇帝陛下の許可をいただかねば、皇妃様と会うわけにはいきません」
エルナンドはユリアナの立場を気遣い、皇妃として扱ってくれているようだ。
評判が悪い私が、夫であるレクス以外の男性と楽しそうにしていたら、周りからなにを言われるかわかったものではない。
彼が旅立つ前から、ユリアナの評判は良くなかったのだとわかる。
――補佐を務めるだけあって、有能な補佐官ね。
エルナンドを敵に回すと面倒そうだ。
「あのっ! エルナンド様! 皇妃様の犬が私に……!」
「はい。じゃれてますね」
クリスティナにも遊んでもらおうと、ボールをくわえ待っている犬。
その犬のボールをエルナンドが手に取り、投げてやると、犬は喜んで追いかけていった。
「エルナンド様……。私、犬が苦手で……」
「クリスティナ様。犬が苦手なら、ここにいないほうがよろしいですよ。アーレント様とフィンセント様が、犬と遊んでいらっしゃいますから」
子供たちを両腕に軽々と抱き上げて、エルナンドは微笑んだ。
「える!」
「えるぅー」
「重くなりましたね。凛々しいお姿に幼き日の皇帝陛下を思い出します。お二人にお土産を買ってきたんですよ」
他は眼中に入ってないとばかりに、アーレントとフィンセントを可愛がる。
「なにがいいか悩んだんですけど。今、部下が持ってきますからね」
うきうきした口調で子供たちに話しかけるエルナンドを眺め、侍女たちがため息をついた。
「エルナンド様はかっこいいけど、口を開けば皇帝陛下のことしか言わないから……」
「残念な方よね」
たぶん、クリスティナに魅了されているはずだけど、アーレントたちへの愛が強すぎて、二の次になっているようだ。
「こちらをどうぞ!」
エルナンドが部下に持ってこさせたのは、本物の剣だった。
それも、立派な剣で刃に触れただけで、ざっくりいきそうだ。
「待って!? 子供たちには、まだ早いわ!」
「そうですか? 皇帝陛下は許可されましたよ」
弓矢に続き、本物の剣を与えようとするなんて、とんでもない父親だ。
エルナンドも平気な顔をしている。
「絶対、駄目です」
さっと取り上げ、それをハンナに渡す。
ハンナも怖い顔で、剣を受け取ってエルナンドに返した。
「エルナンド様、お可哀想。せっかくご用意された贈り物なのに、受け取っていただけないなんて」
クリスティナはエルナンドを見つめ、キラキラした目を向ける。
――今、【魅了】の魔法を使ったわね。
でも、クリスティナは焦っているのか、使いどころを間違えている。
私は皇妃らしい堂々とした態度で、エルナンドに微笑んだ。
「受け取らないとは申し上げていません。見事な剣です。ですから、エルナンド様が保管していただけませんか?」
「保管を?」
エルナンドはクリスティナから目をそらし、こちらを向く。
「はい。それから、エルナンド様にお願いがあります。子供たちに剣の基礎を教えていただきたいのです」
「あっ! たしかに基礎からですよね。皇帝陛下と同じだと思ってました」
複雑な表情を見せ、申し訳なさそうな態度で剣を見つめた。
「皇帝陛下は物心がついた時から、身を守るための方法を考えているような方でしたので」
気のせいでなければ、重い空気が流れた。
クリスティナは自分の【魅了】の魔法が無意味に終わったことを知り、動揺していた。
――エルナンドがクリスティナに好意を持っていても構わない。そこそこの好感度があればいいだけ。
ユリアナが追い詰められたのは、皇宮の人々に誤解されて、嫌われてしまったからである。
クリスティナがレクスに愛されようが、こちらが皇宮の人々とうまくやれたら、どれだけ【魅了】しようが、関係ない話である。
「そうですか。いつかレクス様から、幼い頃の話をお聞きしたいですね」
突然、エルナンドが目を輝かせて私を見た。
「皇妃様は皇帝陛下にご興味がありますか!?」
「え? は、はあ、まあ……」
今のは社交辞令的な発言だったとは言い出せず、曖昧な返事をするしかなかった。
「今の皇妃様の言葉を聞けば、皇帝陛下はきっと喜ばれます」
どうやら、ユリアナはレクスに対して冷たい態度をとっていたようだ。
レクスは心を開かない皇妃に悩むようなタイプではなさそうだと思っていたけど、そうでもなかったらしい。
「それに、皇妃様がアーレント様とフィンセント様の剣術の師匠として、このエルナンドを指名したと皇帝陛下が知れば、感激なさるでしょう!」
「感激? そ、それはどうかしら?」
レクスが感激する姿なんて想像できない。
「皇妃様が自分を信頼してくださることなど、永遠にないと思っておりました……」
エルナンドは私に剣の先生をお願いされたことが、かなり嬉しかったようで、涙をぬぐっている。
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「える、つよい!」
「けん、ざくざく!」
アーレントとフィンセントも喜んでいた。
――思いつきで言っただけだったけど、結果的によかったわね。
ホッとしていた私に、クリスティナがブツブツ呟く声が聞こえてきた。
「私が好かれないなんておかしいわ。どうして……手に入らないの……私が、私の……」
クリスティナともう一人、誰か別の人格が中にいるような気がした。
――体の中に魂が二つあるとか?
ユリアナがいない私と違って、クリスティナは二人。
クリスティナが幻影系の魔法を得意とする魔女を取り込んだとしたなら、魔法を使えるようになってもおかしくない。
私がユリアナになった理由は不明だけど、魔女が肉体を奪う方法はある。
ただし、それは肉体の持ち主が、魔女に心から望まなければ、不可能な方法だ。
「皇妃様が皇帝陛下と話したいと思われているなんて、運命を感じますね」
「運命?」
エルナンドがわけのわからないことを言い出した。
「はい。皇帝陛下も同じ気持ちでいらっしゃいます。皇妃様をお呼びです」
「えっ!?」
――なんのために、レクスは私を呼んだの?
ひくっと頬がひきつった。
断りたいけど、侍女たちの期待感がすごい。
「クリスティナ様を気に入られているのかと思っていたけど、皇妃様も大切でいらっしゃるのね」
「当たり前よ。皇子様の母親よ」
「そうよねぇ、やっぱり特別よね」
レクスの元へ行こうとした私の前に、クリスティナが立ち塞がった。
「皇妃様、お願いします! 私もご一緒させてください!」
私が答える前に、お断りをしたのはエルナンドだった。
「皇帝陛下が呼ばれたのは、皇妃様だけです。クリスティナ様。よろしければ、私と一緒に騎士たちの訓練をご覧になりませんか?」
騎士たちの訓練へ向かうエルナンド―ー微妙なタイミングで【魅了】魔法の効果が発動した。
デートのお誘いだと思うけど、騎士たちの訓練を見て、ロマンチックだとか、楽しいと思える令嬢はいない。
「鍛えられた騎士たちの剣技と新しい鎧は、見ごたえがあります」
一部のマニアックな人間なら、喜ぶだろう。
残念ながら、クリスティナはマニアックな趣味は持ち合わせておらず、困惑していた。
「もしかして、迷惑でしたか?」
「い、いえ……。う、嬉しいですわ! ぜひ、ご一緒させてください!」
皇帝陛下の右腕であるエルナンドの誘いを断れるわけがない。
クリスティナは私を気にしながら、エルナンドの手をとった。
「では、皇妃様。失礼します」
うやうやしくエルナンドは頭を下げ、クリスティナと去っていった。
今の私はクリスティナのことより――
――問題はレクスよ!
どうして呼び出されたのかわからない。
もしかして、私がヘルトルーデだとバレたとか?
レクスの用事がなんなのか、まったくわからなかったのだった。
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