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December

36 ここにいるということ

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冬のドイツ、それもクリスマスマーケットの時期にまた訪れることになるとは思ってなかった。
前は菜湖なこちゃんがいてくれたから、心強かったけど、今度は一人で飛行機に乗った。
梶井さんがとってくれたのはビジネスクラスで快適そのもの。
食事は和食をチョイス。
どうしてかっていうと、一度目のドイツ旅行でお米が食べたくなったから、今回は機内食でお米を食べておく作戦だった。
味噌汁と押しずし、卵焼きや魚を焼いたもの、煮物が出てきて、思ったよりもずっと本格的な和食が食べることができた。
エコノミーと違う……。
しかも、アイスクリームとケーキがデザートについてくる。
これは楽勝。
私は飛行機の中まではそう思っていた。
到着するまでは。
迎えに来た梶井さんと感動の抱擁をするはずだったのに―――

「時差ボケか」

「……すみません」

着いたなり、ぐったりとベッドに横たわる羽目になった。
私の想像では(以下、自分の理想)

『梶井さんっ!』

『望未』

『会いたかった』

『俺もだよ』

なんて、空港で抱き合う二人ってなるはずだったのに。
これですよ。
手のかかる奴なんて思ってる?
梶井さんは優しい顔で私の髪をかき上げた。

「眠ってろ」

「はい……」

枕やシーツからは梶井さんの甘い香りがした。
目を閉じて、それに包まれて眠る。
旅行で来たわけじゃなく、一緒に暮らすため。
だから焦らなくていい。
体は辛いはずなのに梶井さんがそばにいるだけで、こんなに幸せなんだと思えた。
安心しきって、深く眠った。
―――どれくらい眠ったのか、目が覚めるともう外は薄暗くなっていた。
眠ったおかげか、体調もよくなっていた。

「お、重い……」

目が覚めたのはこの重みのせい。
チェロの演奏をしていたのか、シャツの腕をまくったまま、倒れこむようにしてそばで眠っている。
なんて無防備な姿。

「これはキスで起こすべき!?」

よーし!がんばるぞー!
気合いを入れて、顔を近づけてみる。
長いまつげ、綺麗な顔立ち、甘い香りにくらくらした。

「無理だよー」

ぼふっと顔をシーツに埋めた。
そのシーツからも梶井さんの香りがして、息が止まりそうになった。
これが毎日!?
私の心臓はもつの?

「おい。結局、しないのかよ」

声がして顔をあげると、梶井さんがすでに起きて、笑いながらシャツの袖を直していた。

「起きてたなら言ってよ!」

「お前の声で目が覚めた。何がキスで起こすべき、だ。襲うなよ」

「それって最初から起きてたよね!?」

「さあな」

すぐにからかうんだから。

「腹が減っただろ?なにか食べに行くか?」

「うん!」

ベッドから起きて、梶井さんに抱きついた。

「おい。食事は?」

「クリスマスマーケットに行きたい」

「お前は子供か!誘っているんじゃなかったのか……」

「え?クリスマスマーケットに誘っているよ?」

「……そうだな」

梶井さんはやれやれとため息をついてコート掛けからコートをばさりと私に投げた。

「風邪をひかないようにしっかり厚着していけよ、望未」

「今、子ども扱いされたような気がする」

「気のせいだろ」

絶対、気のせいじゃないと思うんだけど。
頬を膨らませ、コートを着て、マフラーを首に巻いた。
外の冷たい空気が完全に眠気を吹き飛ばした。
夜のクリスマスマーケットはライトアップされ、たくさんの人がいた。
前に来た時と同じ、移動遊園地やクリスマス仕様のお店。
陶器の置物やキャンドルグラス。

「可愛い」

「買っていいぞ」

「いいの?」

「ああ。部屋にお前の好きな物を飾れよ」

「うん……」

きっとシンプルな部屋が好きな梶井さん。
それなのに一緒に飾る置物を見てくれていた。
天使と星のオーナメントを買った。

「ツリーないぞ」

「いいの!観葉植物に飾るから」

「……いいのか?」

梶井さんは首をかしげていた。
あの殺風景な部屋には緑が必要だと思うんだよね。
それにベランダがあるから、なにか育てたい。
小百里さゆりさんがしていたみたいに。
カフェ『音の葉』には私の代わりに菱水音大の男子学生が入った。
ピアノ教室もその菱水音大の後輩が引き継いだ。
私の出発前に関家せきや君はトロイメライを、小学生の女の子はキラキラ星を演奏してくれた。
私はここで語学学校に入学することになっている。
まずは言葉を覚えて、それから、またピアノ教室を始められたらいいなって思っていた。

「そういえば、カフェ『音の葉』のみんなが梶井さんによろしくって言ってたよ。あと、小百里さんが梶井さんにみんなが心配していることを忘れないでねって」

「ああ……」

なぜか梶井さんはちょっと身を引いていた。
小百里さんのことが苦手なのかな。
あんな優しくて可愛いのに。
屋台の前を通るとソーセージがジュッ―と焼ける音といい匂いがしたけど、我慢した。
だって、私が行きたい場所まであと少し。

「梶井さん、ツリーを見ようよ」

「わかった……って、そろそろ梶井さんはやめろ。お前も梶井なんだからな」

「そ、そうだったね!」

「名前で呼べよ。奥さん」

「急には無理!恥ずかしいよ」

しかも、奥さん呼び。
梶井さんが残念そうな顔をしたのがおかしくて笑ってしまった。
時々、梶井さんは私といると子供っぽくなる。
気づいてる?
だから、特別だよ―――梶井さんのコートをひっぱって、身をかがめさせると内緒話をするようにその耳にささやいた。

理滉みちひろ

ふっと梶井さんが嬉しそうに笑う。

「堂々と呼べよ。お前は本当におかしい奴だな」

幸せそうに笑う梶井さんを見あげて私も微笑む。
いつも笑っていて。
私はあなたを孤独ひとりにはさせないから。
私達の前にはクリスマスツリーがあった。
ライトアップされ、クリスマスオーナメントに飾られたクリスマスツリー。
きっと梶井さんは覚えてないよね。
でも、私は覚えてる。
ここは私達が初めて出会った場所と同じ場所だってこと。
あの時と同じ暗い空から、ひらひらと白い雪が降ってきて、私達は手をつないだまま、あの日を振り返っていた。
過去を思い出すのは一瞬だけ。
そして、今、私達はキスをする。
初めて言葉を交わしたその場所でお互いの未来を思う―――

『運命だね』

そんな声がクリスマスの音楽に混じって、聞こえたような気がした。

【了】
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