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May

12 恋は命懸け

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―――死ぬ気でいかなきゃこの恋は手に入らない。

相手は大人の男で女の人と何人も付き合ってきたようなとんでもない人。
そんな簡単な男じゃないってわかっている。
わかっているけど、嫌いまで言わないでもいいと思う。
さすがにグサッと傷ついた。
でも、梶井かじいさんの嫌いは悪意がない。
私から距離をとるためにあんなことを言った。
これ以上、踏み込めば私が傷つくって思っている。
私が本気の恋しかできない子供だから。
梶井さんはもう私のことなんて忘れたような顔をしてインタビューを受けている。
さっきと別の人みたい。
梶井さんは存在感も雰囲気も特別なオーラを持っている。
私はそれを黙って遠くから眺めていた。

「―――先生。望未みみ先生」

呼ばれてハッとした。

「ご、ごめん。関家せきや君。どうかした?」

「いえ。来週のレッスンの予約をしたいんですけど」

「そうだね。いつがいい?」

スケジュール帳を開いた。

「先生って、他の生徒のこと名前で呼ぶけど、俺のことは名字だよね」

「え?他の生徒って小学生の女の子だし。関家君をちゃん付けで呼ぶのってなんだかおかしいでしょ」

関家君はちょっと不満そうだった。
その顔が小学生みたいに見えて笑ってしまった。

「じゃあ、関家君。来週の水曜日の四時ね」

「先生はきびしーなー」

「え?厳しい?優しいでしょ?」

「そうじゃなくて―――」

私と関家君が話していると店のドアが開いた。
常連客の達貴たつきさんだった。
私を見つけると手をあげて微笑む。
会釈して返すとちらりと梶井さんが私の方に視線を向けたような気がした。
―――まさかね。
水をいれたコップを用意して達貴さんが座った席まで運ぶ。

「望未ちゃん。忙しかった?」

「いえ。まだ忙しい時間じゃなかったので平気です」

「あの高校生の子は?」

「ピアノ教室の生徒なんです。あとは小学生の女の子一人だけで。もう少し増えてくれたら嬉しいんですけど」

小学生の女の子は店内のピアノ教室生徒募集中の貼り紙を見てやってきた。
ピアノを習いたいという小学生の女の子がいるとカフェのお客さんが紹介してくれた。
カフェの仕事もあるけど、本業はピアノだから、もう少し増えてくれたらなぁと思っていた。
 
「そうか。俺も知り合いに声をかけてみるよ」

「え!?いいんですか?」

「うん。もちろん。望未ちゃんは俺にとって―――」

ゴツッと鈍い音がした。
私と達貴さんの間に足があった。
誰の?なんて顔を見なくてもわかる。
壁に靴底をあてて、ピリピリした空気を感じていた。
インタビューは終わったらしく、いるのはマネージャーの渡瀬さんだけ。
そして、関家君がこちらへこようとしたのを渡瀬さんが止めた。

「おい、望未。行くぞ」

「え?ど、どこへ」

達貴さんは驚き、梶井さんを見上げていた。
梶井さんの空気はまるで王様と同じ。
自信たっぷりで自分の敵など、すべて踏み潰して消してしまうような圧倒的存在感。

「望未ちゃんは仕事中だよ」

達貴さんの制止の言葉をふっと笑い飛ばし、梶井さんは足をあげて離れた。

「来い」

私を見る目。
そして、甘く誘うような香水。
遠ざかる背中を見て、私は追いかけていた。
持っているもの全て失ってもいいくらいに私は梶井さんを好きになっていた。
急に立ち止まられて、背中にドンッとぶつかると梶井さんが振り返って言った。

「コーヒーをふたつ」

悪い顔をして笑っている―――からかわれた。
背中にぶつけた鼻をさすりながら、私はむうっとした顔で伝票にコーヒー二つと書いた。

「も、もうっ!仕事中なんですよ?邪魔しないでください!」

「ちょっとからかっただけだろ?」

怒りながら、梶井さんに言うとふざけた態度で返された。
そして、渡瀬さんと仕事の打ち合わせらしく、席に戻った。
これだもん。
はぁっとため息をついて達貴さんのところまで戻った。

「すみません。注文の途中でしたよね」

「いや……あれはチェリストの梶井理滉?」

「そうです」

「望未ちゃんの知り合い?」

「知り合いというか。『音の葉』のお客さんなんです。おとなげなく、からかってくるんですよ」

私と梶井さんの関係にまだ名前はない。
友達でもないし、恋人でもなかった。

「じゃあ。俺と同じくらいの知り合いってことかな」

「全然違いますよ。達貴さんと梶井さんは!」

親切な達貴さんと意地悪な梶井さん。
一緒なわけがない。

「まあ、そうだね。でも、彼よりは親しい関係かな。注文いいかな?」

達貴さんはメニューを眺めながら、独り言のように言った。

「気を付けて、望未ちゃん。彼は魅力的だけど、危険な男だよ。ハマったら、抜け出せない。ほどほどの距離で付き合うといい」

今の言葉は私に対する忠告なんだろうとすぐに気づいた。
けれど、私は曖昧に微笑んでいるだけで、なにも答えなかった。
だって、この恋はそんなほどほどの距離ですむ生易しい恋じゃない。
それじゃあ、だめなの。
死ぬ気でいかないときっと、この恋は終わってしまう―――
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