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30 真実を知る人 (1)

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壱都いちとさんが取引先のパーティーにでかけたその日、私はお祖父さんが懇意こんいにしていた方々から会食に誘われて料亭に来ていた。
お祖父さんと同じくらいの年齢の方か、それより少し下の方ばかりで着物か上品なスーツ姿で、私は手を貸せるように動きやすいパンツスーツにパールのネックレスを身につけてきた。

「あと、どれくらい皆さんとこうして集まれるかしらねぇ」

そんなことを言いながら、お茶の先生がため息をついた。

「あら、お弟子さんが言うには先生はお弟子さん達より、お元気だとおっしゃってましたよ。むしろ、私の方が足も痛いし、腰もね……」

日舞の先生だって、まだ若々しく年齢よりずっと若く見えた。
運ばれてきた料理を食べながら、お祖父さんの若い時分はかなりモテたとか、商売上手だけど、奥様には弱かったなど、私が知らないことも聞けた。
ピアノの先生はスーツに素敵なスズランのブローチを胸元につけていた。
たしかあれは亡くなられた旦那様からいただいたものだと聞いている。
今日はそんな過去の故人を悼むような空気の会だった。
柔らかな声で先生は私に言った。

「白河家の末の息子さんとご婚約されたのですってね。おめでとう。とても素敵な方だと聞いてますよ」

「はい。ありがとうございます」

「白河と言えば、白河会長と井垣会長は仲が悪かったでしょう?」

「ええ。犬猿の仲と聞いてます」

「女の人を争って、白河会長が負けたからなんですよ。それをずっと引きずって、仲が悪いったら」

「そ、そんな理由で!?」

お茶の先生がスッと指をたてた。

「あら。朱加里さん。恋のお相手がどんな平凡な女性だったとしても恋に落ちた相手には特別な存在ですよ」

さっきまで、脚が、腰が、と言っていたのに恋の話になると、食いつきがいいのはどの年齢の女性も同じらしい。

「朱加里さんだって、壱都さんを特別な存在だと思ったのでしょう?井垣の紗耶香さんから奪いとったなんて情熱的なことを耳にしたのよ」

驚いて顔を目を見開いた。

「そんな噂が……」

先生達の耳にまで私の酷い噂が届いていたとは知らず、ショックを受けた。
芙由江ふゆえさんや紗耶香さやかさんが行く先々で『引き取った恩も忘れて財産もお金も奪った』と言いふらしているのは知っている。

「あら、そんな悪い話でもないわねって私達は言っていたのよ」

「え……?」

「会長の事を気にかけていたのはご家族で朱加里さんだけだったでしょう?壱都さんも見る目があるわねえなんて、言っていたのよ」

「本当に。壱都さんは白河のお孫さんにしては上等な部類ですわね」

完全に壱都さんは子ども扱いだった。

「噂なんて気にしないで胸を張ってなさいな」

「そうそう。白河会長に比べたら、大した噂じゃないですよ」

比べる相手じゃないと思う……
白河会長もこの方々にかかれば、勝てそうにないなと思いながら、食後のコーヒーを口にした。
コーヒーをゆっくり飲み終えたところで会はお開きとなった。
タクシーを呼び、一人一人にお別れの挨拶を言っていると、誰かが『あらっ!』という驚きの声をあげた。
全員の視線は必然的に一ヵ所に集まった。
濃い化粧したけばけばしい女の人が鬼のような顔で立っている。
よく見ると芙由江さんだった。
なぜあんな化粧をしているのか、わからないけど人が違ったみたいで、目付きが怖い。

「みなさん、この娘に騙されないでください!私達から家も会社もなにもかも奪った恐ろしい娘ですよ!」

先生達は芙由江さんの言葉に眉をひそめた。

「娘の婚約者までたぶらかして!」

なおも芙由江さんは言い、私につかみかかろうとしたのを先生達が静かな声音こわね一喝いっかつした。

「おやめなさい」

「井垣の奥さまの名が泣きますよ」

「恥を知りなさい。井垣会長の遺言書をなかったことにしたことを私達が知らないとでも?」

「故人の名誉を傷つけたこと、許しませんよ」

杖を手にしながらも、先生達の歳を重ねた精神的な強さを感じた。

「芙由江さん。あなたを私達と弟子の教室、すべての出入りを禁じます」

「なぜ、私が追い出されるの!」

「いい加減になさい」

「あまり、しつこいようなら、警視庁にいる孫に連絡しましょうか」

「私の孫も弁護士事務所を構えているのよ」

芙由江さんの顔色が変わった。

「警察沙汰は困るのではなくて?」

「朱加里さんには私達がついてますからね。おかしな真似でもしようものなら、私達が許しませんよ」

「ありがとうございます……」

先生達は任せてというように力強く頷いた。
私が先生達の言葉に感動していると、話はなぜか孫自慢に移っていった。

「まー!あなたのお孫さん、弁護士になられたの?」

「ふふっ。今は所長なんですよ」

「あらあら。私の孫なんて医大に通っていて」

「まぁー!いいわねえ」

気がつくと、芙由江さんはいなくなっていた。
いなくなったことに気付いているはずなのに先生達は孫自慢を続けていた。
なかなか終わりそうにはなかったけれど、タクシーの運転手さんが困っているのに気づき、ようやくおしゃべりが止んだ。

「やあねぇ。帰ろうと思っていたのに」

「ほんとね。ついつい話し込んじゃったわ」

「それじゃあ、みなさん、またお会いしましょうね」

そう挨拶をして、それぞれタクシーに乗り込んだ。

「朱加里さん」

お茶の先生が私の腕を掴み、小さな声で言った。

「一度、壱都さんと私の家にいらっしゃい」

「はい……。お伺いします」

「近いうちに必ずよ」

なんだろうと思いながらも、頷いた。
婚約のお祝いのお茶席を設けてくれるのだろうか。
タクシーが見えなくなるまで見送ってから、自分のスマホを手にした。
会食が終わり、壱都さんに連絡すると出たのは樫村かしむらさんだった。

『すみません。今、壱都さんが手当てを受けていて電話をとれなかったもので、代わりに受けました』

「手当て?なにかあったんですか?」

紗耶香さんからナイフで刺されたと聞いて倒れそうになった。

「う、嘘……!」

慌ててタクシーに乗り、マンションへと向かったのだった。


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