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2 祖父

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「扱いにくい頑固者なのよ。病人のくせに家の権利も井垣の会社も手放さない強欲な年寄りで困ってるの」

「おこづかいちょうだいって言ってもくれないし。本当にケチなんだから。すぐに怒るし、すごく怖いのよ。お祖父様の面倒をみるなんて可哀想。殴られないように気を付けてね」

「町子さん!お祖父様の所にこの子を連れて行って!」

年配のお手伝いさんが奥から現れて、深々と頭を下げ、私の手を掴んだ。

「さ、お早く」

リビングから私を連れ出すと、町子さんはやれやれとため息をついた。

「可哀想にね。母親を亡くしたあげくに年寄りの世話をさせるために引き取って。これじゃあ、まるで使用人同然だよ」

「行くあてがなかったので、助かりました」

「そうだけどねぇ……。こう言っちゃなんだけど、奥様もお嬢様も親切とは縁遠い方だよ。大旦那様が病気になる前はおべっかばかり使っていたのに今じゃ部屋にも寄り付かないし」

「そうなんですか。お祖父さんは寂しいでしょうね」

話を合わせるのにそう答えた。
町子さんはしゃべりすぎたと思ったのか、それ以上なにも言わなかった。
どこまで続いてるのか、長い廊下を歩いていた。
旅館みたいに広い家はどこもかしこもピカピカでホコリ一つない。
窓の外には本格的な日本庭園があり、池には高そうな鯉が泳いでいた。

「大旦那様。朱加里さんをお連れしました」

高級そうなふすまの前で立ち止まった。
襖には竹林と梅の木が描かれ、小鳥が梅の花をついばんでいる。
金や銀の細工も見事だった。
この襖一枚で母が稼いでいた月給と同じかもしれない。

「入れ」

襖の向こうから、乾いた咳としゃがれた声がした。

「失礼します」

まるで、職員室に入るような気分でそっと入った。
部屋には車椅子と杖があり、ベッドでは上半身を起こしたお祖父さんが私の方をじっと見つめていた。
病人と言っていたけれど、身だしなみはきちんとしていて、立派な着物姿、白い髪もセットされていて背筋はしゃんとしている。
気むずかしい顔はしているものの、芙由江さんや紗耶香さんのように見下した目ではなかった。

「はじめまして。あの、朱加里です。孫の……」

孫と言ってよかったのだろうか。
気を悪くしないだろうかと思っていると、お祖父さんは感情のない抑揚よくようのない声で私に言った。

「そうか。ここに来ても何も楽しいことはない。さっさと出て行った方が身のためだ」

投げつけたのか、本が床に散らばっていた。

「……もう住むところもありませんから」

「ここよりマシだろう」

自分の家なのにお祖父さんはそんなことを言った。
それが悲しかった。
床に落ちた物を片付けていると、お祖父さんがベッドから身を乗り出した。

「何をしている」

「散らかっているので」

「なるほど。死にかけたジジイの世話でも頼まれたか。貧乏クジもいいところだな」

自分で死にかけというあたり、まだまだ元気だと思う。
本当に死にかけている人はそんな風には言えない。

「これから、よろしくお願いします」

「……さっさと出て行け」

他の人達に会った後だから、ぶっきらぼうな言い方にも傷つくことはなかった。
お祖父さんは私のことを嫌いだから、出て行けと言っているわけじゃない。
私がこの家にいても幸せになれないことをわかっていて、出て行けと言ってくれているのだ。
きっと父に言えば、安いアパートを借りるくらいのことはしてくれたかもしれない。
けれど―――

「ありがとうございます」

「なんのお礼だ?おかしな奴だな」

誰も私の心配してくれる人なんていないと思っていた。
でも、いた。
たった一人だけ。
お祖父さんは私を孫娘だと思ってくれていたのだった。

「私、ここにいてもいいですか?」

「贅沢はできんぞ。それでもか?」

「はい。もともと贅沢な暮らしはしていませんでしたから、なにが贅沢なのかもわかりませんし」

「おかしな娘だ」

お祖父さんは私から顔を背けた。
窓の外には雪が降っているのが見えた。
そして、お祖父さんの少しだけ嬉しそうな顔も。
私がいて嬉しいとお祖父さんは思ってくれる。
そう思ってくれることが私には一番嬉しかった。
母のお荷物だった私。
父に厄介者扱いされる私。
そんな中でお祖父さんだけが違っていた。
だから、ここにいたい。
お祖父さんが生きている間、一緒に家族として過ごしたいと思ったのだった。

「町子さんに部屋を案内してもらえ。それから、なにか困ったことがあれば言いなさい」

「はい」

会釈をして部屋から出た。
部屋を出ると廊下に町子さんが待っていた。

「大旦那様から気に入られたようでよかった。これでひと安心だね」

「とてもいい方でしたよ」

「そう、根はとてもいい方だよ。けど、最近じゃ人間不信気味になっていてね。旦那様や奥様だけじゃなく、孫の紗耶香さんも金をせびるだけだろ?大旦那様は寂しかったんじゃないかねぇ」

「そうなんですか」

町子さんは話をしながら、また長い廊下を歩いた。

「大旦那様には経営の才能はあっても旦那様には遺伝しなかったみたいでね。会社も引退できずに井垣財閥の会長のままなんだよ」

聞いてもいないのにどんどん町子さんは話し続けた。

「心配なんだろうね。ああ、部屋はここだよ」

お祖父さんの部屋に近い部屋で台所や裏口にも近い六畳ていどの部屋だった。
机と椅子、ベッドがあるけど娘の部屋というよりは住み込みの使用人のための部屋のようだった。
町子さんの哀れむような目を見て、自分の感想が間違ってないことを知った。

「明日からよろしくお願いします」

「そ、そうだね。夕飯は台所でとるように言われているけど、今日は部屋に持って行くように言ってあるから」

「はい」

私がなんの不満も言わずに返事をしたのを見て、町子さんはホッとしていた。
部屋のドアがしまり、一人になると雪の音しか聞こえないくらい静かになった。
それくらい広いお屋敷だった。
部屋の窓を開けると、すでに外は薄暗い。
雪の白さだけが明るく見えて、私は空を仰いだ。
一人になっても泣かずに済んだのはお祖父さんの存在だった。
私の唯一の血縁だと思えた人。

「ここにいても大丈夫」

そう呟いた声は誰にも聞こえることはなく、ただ冷たい空気の中に溶けていった。

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