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25 仁礼木家
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日曜日の午後は、とても天気が良く、雲一つない青空が広がっていた。
梅雨前で、少し空気の中に混じる湿気を感じる。
私が住んでいたアパートは、まだ形を残しているけど、黒く染まり、痛ましい姿をさらしている。
アパートの住人たちはすでに引っ越し、誰もいない。
私だけでなく、他の人も済めなくなったのだ。
でも、今ならわかる。
――おばさんは、私だけでなく、お隣のアパートの住人全員を嫌っていた。
裕福でないのに、幸せな人々。
満たされているはずなのに、彼らより幸せだと思えない自分。
だから気に入らず、自分のそばから、いなくなってほしいと願っていた。
ずっと消えてほしいと……
天気が良く、風は冷たくないはずなのに、寒く感じた。
「志茉? 気分が悪くなったか?」
「あ……。ううん。本当に燃えてしまったんだなって思って……」
「悪い。見たくなかったよな」
「そんなことない。ちゃんとアパートにお別れしたかったから、見れてよかった」
「そっか」
要人だって、平気じゃないはずだ。
思い出が残るアパートが燃えて悲しいのは、それだけ私が幸せだったから。
そう思うようにした。
そんなアパートの隣に建つ仁礼木家は、芝生の草が伸び、庭木は緑の葉を増やしている。
若い家政婦さんが、しっかりしているのか、お屋敷の中は荒れておらず、以前と同じように、きちんと片付けられ、整えられていた。
「要人、来たか」
居間に入ると、そこには要人のお兄さんである清臣さんが、くつろいでいた。
清臣さんは若い女性を一人連れ、家政婦さんが運んできた紅茶を口にし、微笑む。
座っているだけなのに、どことなく育ちの良さがにじみ出ていて、優雅な仕草も清臣さんだと、嫌みに感じない。
その一方で隣にいる女性は、可哀想なくらいに緊張していて、直立不動の姿勢を保つ。
落ち着かないのか、立ったり座ったりしていた。
「梨日子、座って」
「あ……。そ、そうですよね。でも、清臣さんの弟さんにご挨拶をしてからっ!」
要人を弟さんと呼んだけど、彼女は明らかに私より若かった。
「私、林田梨日子と申します。清臣さんとお付き合いさせていただいていて……。え、えっと、職場は仁礼木総合病院の売店勤務ですっ!」
売店勤務という梨日子さん。
そういえば、仁礼木総合病院の売店は、地元のスーパーが入っている。
仁礼木家と昔馴染みの関係で、売店前にはちょっとしたイートインスペースもある。
時代に合わせて、制服もカフェ風のおしゃれな制服に変わったと、八重子さんが言っていたのを思い出す。
梨日子さんがバイトの高校生という可能性もあり得る。
それくらい若く見えた。
「梨日子は二十歳だよ」
確か清臣さんは三十歳。
十歳下の梨日子さんが、緊張する気持ちもわかる。
緊張している梨日子さんを可愛いと思っているのか、清臣さんは真っ赤な顔をしているのを見て、微笑んでいた。
以前見た清臣さんは、穏やかだけど、どこか冷たい印象があった。
でも、今は違う。
「兄さんをよろしく」
「はっ、はい! こちらこそ!」
梨日子さんはお辞儀をし、何度も私と要人に頭を下げる。
清臣さんと真逆の善人である。
要人も同じことを思っていたのか、憐れみの目で梨日子さんを見ていた。
「嫌だな。まるで、要人は俺が梨日子を騙したみたいな目で見て困るよ」
「違うのか」
「違うよ。ね? 梨日子?」
「私の片想いだったので……。まだ信じられません」
「ほらね。でも、梨日子の片想いじゃないけどね」
梨日子さんの照れた様子がまた可愛らしい。
でも、私の目から見た二人の関係は、捕獲されたウサギちゃんとオオカミ。
外見は穏やかそうに見えても中身はやっぱり、要人の兄なのだ。
お互い挨拶をして、雑談をしていると、外で車が止まる音がした。
車のドアを閉める音がしたかと思ったら、ドタドタと荒々しい足音をさせて、居間に駆け込んできた。
「清臣さん! 要人さん!」
駆け込んできたのは、仁礼木のおばさんで、服はスウェットのセットアップ、髪は白髪混じりで、化粧はしていなかった。
一瞬、誰かわからなかった。
それは、梨日子さんも同じだったらしく、目を見開き、驚いていた。
清臣さんの服の裾を握り、『どなたですか』と尋ねようとしていたのを途中で止めたような仕草だった。
「逃亡犯が帰宅したか」
「犯人は現場に戻るって本当だな」
清臣さんと要人は、冷たい目をし、まったく動じてない。
「実家に匿ってもらっていたようだが、さすがに限界だったか」
清臣さんはふっと口の端をあげて笑った。
その敵を作りそうな顔は兄妹だけあって、要人によく似ている。
「実家の製薬会社の株を手に入れるのは大変だった」
要人はソファーに腰掛け、足を組み、悠然とした態度で、おばさんに語る。
「宮ノ入社長に協力していただいたおかげで、株の過半数を取得できた。宮ノ入グループの傘下に入ることになってしまったけど、仕方ないよな。これも母さんのせいだし」
要人は逃げられないようにするためか、おばさんの実家である大手製薬会社を買収したらしい。
それも宮ノ入グループの力を使って……
ソファーの肘置きに肘をのせ、不敵に笑う。
おばさんは要人の態度を見て、怒りで顔を赤くした。
「私はあなたたちのことを思ってやったのよ!」
「両親を亡くした志茉に誓約書を渡し、サインさせて何年も苦しめたあげく、住んでいたアパートを放火したことが、俺のため?」
「梨日子の父親を病院から追い出し、治療できずに亡くなったことも?」
要人だけでなく、清臣さんにまで、おばさんは干渉していたらしい。
それが原因で、梨日子さんは父親を亡くしたことを知る。
「……清臣さん。お父さんは転院した先で亡くなっただけですから」
「そうだな。医療設備の整ってない病院に、突然転院させられてね」
清臣さんは怒りで目を細めた。
事実らしく、隣の梨日子さんは下を向く。
「仁礼木家に見合った人間を選ばないからよ! 二人ともどうして自分の立場を理解できないのっ!」
おばさんがヒステリックに声を張り上げた瞬間、客間のドアが開いた。
ドアを開けたのは、仁礼木のおじさんだった。
「それはお前のほうだ」
「…あなた!」
「これはなんだ」
おじさんはおばさんに、写真を投げつけた。
若い男の人達と遊ぶおばさんの姿だった。
ホストクラブに出入りしたり、ホテルに入るところ、この家に連れ込む姿まである。
「こっ、これは、あなたが悪いのよっ! 今までずっと仕事ばかりで、私を放っておくから!」
おばさんは一言も謝らず、おじさんを責めた。
「……確かに、自分にも非がある。お互い結婚当初から、愛情がないことも気がついていた。それでも、家族らしくなろうと自分なりに努力はしてきた」
「私を遠ざけておいてよく言うわ!」
「家には八重子がいるから、一緒に来るかと聞いても、断ったのはお前のほうだ」
おばさんは黙った。
望む幸せの形が、お互い違ったのだ。
おばさんが望んだのは、一緒に行動するのではなく、お隣のアパートのように、この仁礼木の家で家庭を作りたかった。
でも、結婚したおじさんは忙しく、仁礼木総合病院の院長であり、有名な外科医でもあったから、海外へ行くことが多く、一か所にいるほうが珍しい。
思った通りの家庭を作りたかったおばさんと、どんな形でもいいから家族でいたかったおじさん。
「それで、私がやることを無視して、放置していたのでしょ!」
おじさんは首を横に振った。
医者として活躍し、生きることを決めているおじさんにとって、おばさんが望むような生活はできない。
来年には、仁礼木総合病院を清臣さんに任せ、海外を拠点にして、医療活動をすると聞いている。
おじさんの長年の夢だったそうだ。
仁礼木家の跡取りだったおじさんは、諦めていたけれど、清臣さんの後押しもあり、決意したらしい。
価値観の違いとすれ違い。
長い年月によって、歩み寄れないほどにまで、家族関係は壊れてしまっていた。
「昔から、母さんは、家族全員の幸せじゃなく、自分だけの幸せを求めているような人だったよ」
笑っているのに、清臣さんの目は冷たい。
「母さんが作ろうとしていた理想の家族は、俺たちにとって狭すぎたんだ。そして、母さんが閉じ込めようとしていた枠は、とてもいびつで醜いものだった」
私や梨日子さんへの嫌がらせは、おばさんが理想とする仁礼木家を作り上げるため、邪魔だったから。
そして、それだけにとどまらず、とうとうアパートの住人にまで、嫌がらせを始めた――清臣さんはため息をつく。
「母さん。まずは、梨日子と志茉ちゃんに謝ってもらえるかな?」
「なにを言ってるのっ! ただ私はあなたたちのために、相応しい環境を整えてあげただけでしょ!」
「自宅に愛人を連れ込んで、相応しい環境?」
要人の軽蔑しきった声に、おばさんは身を震わせた。
おじさんは怒らず、静かに目を伏せた。
「父さん。警察に引き渡す予定けど、その前に二人で話をする?」
清臣さんの言葉に、おじさんは落胆した様子で首を横に振った。
「もう話すことはない」
「離婚届を書いてくれた?」
「清臣が離婚届を持ってこいというから、持ってきたが……。まさか……こんな……」
「ありがとう。父さん」
要人はそれを受け取ると、おばさんの目の前に置いた。
「サインを」
「……要人さん!」
これはまるで――
「高校生にサインをさせたんだから、サインくらい簡単にできるだろ?」
青白い顔をし、おばさんは突きつけられた離婚届を見つめる。
そして、警察と言われて、おばさんは自分に逃げ場がないことを悟った。
「ま、待って! あなたっ! 私に優秀な弁護士をつけていただきたいの! 実家から追い出されてっ……! もう面倒を見れないと言われたの」
「お金の力で解決せず、きちんと罰を受けなさい。それが償うということだよ」
おばさんと違って、おじさんは冷静で、深く息を吸って吐く。
「後はお前たちのいいようにしなさい」
「き、清臣さん、要人さん。母親を助けると思って……」
二人に懇願するも、外にパトカーが止まり、インターフォンが鳴った。
おばさんは警察に連れられていく。
私と梨日子さんは、無言でそれを見送るしかなかった。
あまりに非日常すぎた出来事に、言葉が出ず、呆然としたまま。
それはまるで、ドラマの一部始終を眺めているような感覚だった。
「止められませんでした……」
梨日子さんの呟く声が、私の耳に届いた。
「そうね……」
パトカーが去った後は、とても静かで平和だった。
アパートのお隣に建つ仁礼木家。
美しく立派で、大きなお屋敷。なんて素敵なお屋敷だろうと、幼い頃の私は、憧れの目で眺めていた。
でも、いまは違う。
私は以前のように、仁礼木家を憧れの目で見ることはなくなっていた――
梅雨前で、少し空気の中に混じる湿気を感じる。
私が住んでいたアパートは、まだ形を残しているけど、黒く染まり、痛ましい姿をさらしている。
アパートの住人たちはすでに引っ越し、誰もいない。
私だけでなく、他の人も済めなくなったのだ。
でも、今ならわかる。
――おばさんは、私だけでなく、お隣のアパートの住人全員を嫌っていた。
裕福でないのに、幸せな人々。
満たされているはずなのに、彼らより幸せだと思えない自分。
だから気に入らず、自分のそばから、いなくなってほしいと願っていた。
ずっと消えてほしいと……
天気が良く、風は冷たくないはずなのに、寒く感じた。
「志茉? 気分が悪くなったか?」
「あ……。ううん。本当に燃えてしまったんだなって思って……」
「悪い。見たくなかったよな」
「そんなことない。ちゃんとアパートにお別れしたかったから、見れてよかった」
「そっか」
要人だって、平気じゃないはずだ。
思い出が残るアパートが燃えて悲しいのは、それだけ私が幸せだったから。
そう思うようにした。
そんなアパートの隣に建つ仁礼木家は、芝生の草が伸び、庭木は緑の葉を増やしている。
若い家政婦さんが、しっかりしているのか、お屋敷の中は荒れておらず、以前と同じように、きちんと片付けられ、整えられていた。
「要人、来たか」
居間に入ると、そこには要人のお兄さんである清臣さんが、くつろいでいた。
清臣さんは若い女性を一人連れ、家政婦さんが運んできた紅茶を口にし、微笑む。
座っているだけなのに、どことなく育ちの良さがにじみ出ていて、優雅な仕草も清臣さんだと、嫌みに感じない。
その一方で隣にいる女性は、可哀想なくらいに緊張していて、直立不動の姿勢を保つ。
落ち着かないのか、立ったり座ったりしていた。
「梨日子、座って」
「あ……。そ、そうですよね。でも、清臣さんの弟さんにご挨拶をしてからっ!」
要人を弟さんと呼んだけど、彼女は明らかに私より若かった。
「私、林田梨日子と申します。清臣さんとお付き合いさせていただいていて……。え、えっと、職場は仁礼木総合病院の売店勤務ですっ!」
売店勤務という梨日子さん。
そういえば、仁礼木総合病院の売店は、地元のスーパーが入っている。
仁礼木家と昔馴染みの関係で、売店前にはちょっとしたイートインスペースもある。
時代に合わせて、制服もカフェ風のおしゃれな制服に変わったと、八重子さんが言っていたのを思い出す。
梨日子さんがバイトの高校生という可能性もあり得る。
それくらい若く見えた。
「梨日子は二十歳だよ」
確か清臣さんは三十歳。
十歳下の梨日子さんが、緊張する気持ちもわかる。
緊張している梨日子さんを可愛いと思っているのか、清臣さんは真っ赤な顔をしているのを見て、微笑んでいた。
以前見た清臣さんは、穏やかだけど、どこか冷たい印象があった。
でも、今は違う。
「兄さんをよろしく」
「はっ、はい! こちらこそ!」
梨日子さんはお辞儀をし、何度も私と要人に頭を下げる。
清臣さんと真逆の善人である。
要人も同じことを思っていたのか、憐れみの目で梨日子さんを見ていた。
「嫌だな。まるで、要人は俺が梨日子を騙したみたいな目で見て困るよ」
「違うのか」
「違うよ。ね? 梨日子?」
「私の片想いだったので……。まだ信じられません」
「ほらね。でも、梨日子の片想いじゃないけどね」
梨日子さんの照れた様子がまた可愛らしい。
でも、私の目から見た二人の関係は、捕獲されたウサギちゃんとオオカミ。
外見は穏やかそうに見えても中身はやっぱり、要人の兄なのだ。
お互い挨拶をして、雑談をしていると、外で車が止まる音がした。
車のドアを閉める音がしたかと思ったら、ドタドタと荒々しい足音をさせて、居間に駆け込んできた。
「清臣さん! 要人さん!」
駆け込んできたのは、仁礼木のおばさんで、服はスウェットのセットアップ、髪は白髪混じりで、化粧はしていなかった。
一瞬、誰かわからなかった。
それは、梨日子さんも同じだったらしく、目を見開き、驚いていた。
清臣さんの服の裾を握り、『どなたですか』と尋ねようとしていたのを途中で止めたような仕草だった。
「逃亡犯が帰宅したか」
「犯人は現場に戻るって本当だな」
清臣さんと要人は、冷たい目をし、まったく動じてない。
「実家に匿ってもらっていたようだが、さすがに限界だったか」
清臣さんはふっと口の端をあげて笑った。
その敵を作りそうな顔は兄妹だけあって、要人によく似ている。
「実家の製薬会社の株を手に入れるのは大変だった」
要人はソファーに腰掛け、足を組み、悠然とした態度で、おばさんに語る。
「宮ノ入社長に協力していただいたおかげで、株の過半数を取得できた。宮ノ入グループの傘下に入ることになってしまったけど、仕方ないよな。これも母さんのせいだし」
要人は逃げられないようにするためか、おばさんの実家である大手製薬会社を買収したらしい。
それも宮ノ入グループの力を使って……
ソファーの肘置きに肘をのせ、不敵に笑う。
おばさんは要人の態度を見て、怒りで顔を赤くした。
「私はあなたたちのことを思ってやったのよ!」
「両親を亡くした志茉に誓約書を渡し、サインさせて何年も苦しめたあげく、住んでいたアパートを放火したことが、俺のため?」
「梨日子の父親を病院から追い出し、治療できずに亡くなったことも?」
要人だけでなく、清臣さんにまで、おばさんは干渉していたらしい。
それが原因で、梨日子さんは父親を亡くしたことを知る。
「……清臣さん。お父さんは転院した先で亡くなっただけですから」
「そうだな。医療設備の整ってない病院に、突然転院させられてね」
清臣さんは怒りで目を細めた。
事実らしく、隣の梨日子さんは下を向く。
「仁礼木家に見合った人間を選ばないからよ! 二人ともどうして自分の立場を理解できないのっ!」
おばさんがヒステリックに声を張り上げた瞬間、客間のドアが開いた。
ドアを開けたのは、仁礼木のおじさんだった。
「それはお前のほうだ」
「…あなた!」
「これはなんだ」
おじさんはおばさんに、写真を投げつけた。
若い男の人達と遊ぶおばさんの姿だった。
ホストクラブに出入りしたり、ホテルに入るところ、この家に連れ込む姿まである。
「こっ、これは、あなたが悪いのよっ! 今までずっと仕事ばかりで、私を放っておくから!」
おばさんは一言も謝らず、おじさんを責めた。
「……確かに、自分にも非がある。お互い結婚当初から、愛情がないことも気がついていた。それでも、家族らしくなろうと自分なりに努力はしてきた」
「私を遠ざけておいてよく言うわ!」
「家には八重子がいるから、一緒に来るかと聞いても、断ったのはお前のほうだ」
おばさんは黙った。
望む幸せの形が、お互い違ったのだ。
おばさんが望んだのは、一緒に行動するのではなく、お隣のアパートのように、この仁礼木の家で家庭を作りたかった。
でも、結婚したおじさんは忙しく、仁礼木総合病院の院長であり、有名な外科医でもあったから、海外へ行くことが多く、一か所にいるほうが珍しい。
思った通りの家庭を作りたかったおばさんと、どんな形でもいいから家族でいたかったおじさん。
「それで、私がやることを無視して、放置していたのでしょ!」
おじさんは首を横に振った。
医者として活躍し、生きることを決めているおじさんにとって、おばさんが望むような生活はできない。
来年には、仁礼木総合病院を清臣さんに任せ、海外を拠点にして、医療活動をすると聞いている。
おじさんの長年の夢だったそうだ。
仁礼木家の跡取りだったおじさんは、諦めていたけれど、清臣さんの後押しもあり、決意したらしい。
価値観の違いとすれ違い。
長い年月によって、歩み寄れないほどにまで、家族関係は壊れてしまっていた。
「昔から、母さんは、家族全員の幸せじゃなく、自分だけの幸せを求めているような人だったよ」
笑っているのに、清臣さんの目は冷たい。
「母さんが作ろうとしていた理想の家族は、俺たちにとって狭すぎたんだ。そして、母さんが閉じ込めようとしていた枠は、とてもいびつで醜いものだった」
私や梨日子さんへの嫌がらせは、おばさんが理想とする仁礼木家を作り上げるため、邪魔だったから。
そして、それだけにとどまらず、とうとうアパートの住人にまで、嫌がらせを始めた――清臣さんはため息をつく。
「母さん。まずは、梨日子と志茉ちゃんに謝ってもらえるかな?」
「なにを言ってるのっ! ただ私はあなたたちのために、相応しい環境を整えてあげただけでしょ!」
「自宅に愛人を連れ込んで、相応しい環境?」
要人の軽蔑しきった声に、おばさんは身を震わせた。
おじさんは怒らず、静かに目を伏せた。
「父さん。警察に引き渡す予定けど、その前に二人で話をする?」
清臣さんの言葉に、おじさんは落胆した様子で首を横に振った。
「もう話すことはない」
「離婚届を書いてくれた?」
「清臣が離婚届を持ってこいというから、持ってきたが……。まさか……こんな……」
「ありがとう。父さん」
要人はそれを受け取ると、おばさんの目の前に置いた。
「サインを」
「……要人さん!」
これはまるで――
「高校生にサインをさせたんだから、サインくらい簡単にできるだろ?」
青白い顔をし、おばさんは突きつけられた離婚届を見つめる。
そして、警察と言われて、おばさんは自分に逃げ場がないことを悟った。
「ま、待って! あなたっ! 私に優秀な弁護士をつけていただきたいの! 実家から追い出されてっ……! もう面倒を見れないと言われたの」
「お金の力で解決せず、きちんと罰を受けなさい。それが償うということだよ」
おばさんと違って、おじさんは冷静で、深く息を吸って吐く。
「後はお前たちのいいようにしなさい」
「き、清臣さん、要人さん。母親を助けると思って……」
二人に懇願するも、外にパトカーが止まり、インターフォンが鳴った。
おばさんは警察に連れられていく。
私と梨日子さんは、無言でそれを見送るしかなかった。
あまりに非日常すぎた出来事に、言葉が出ず、呆然としたまま。
それはまるで、ドラマの一部始終を眺めているような感覚だった。
「止められませんでした……」
梨日子さんの呟く声が、私の耳に届いた。
「そうね……」
パトカーが去った後は、とても静かで平和だった。
アパートのお隣に建つ仁礼木家。
美しく立派で、大きなお屋敷。なんて素敵なお屋敷だろうと、幼い頃の私は、憧れの目で眺めていた。
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