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第二章
24 人質
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青空が広がる春の午後、朝晩の寒さが嘘のように、太陽の日差しはすでに春の様相を見せている。
外が明るいせいか、室内に落ちる影の色が濃く感じた。
足元の影を見つめ、不安を隠すように自分の右手を握りしめる。
――卑怯な真似をして、私を連れてきた相手に弱い気持ちを見せたくない。
拐われた私が連れてこられたのは、意外にも紫水様の家の近くだった。
建てられて、それほど経っていないのか、洋館のどこかに使われた木材の香りが残っている。
洋館内は飾り気が少ないデザインで統一され、今までのアールヌーボー様式とは違う。
装飾が少なくても、簡素というわけではなく、廊下の床は幾何学模様、階段は大理石、天井には青みを帯びたガラスのシャンデリアが吊るされ、きらびやかな雰囲気がある。
私が閉じ込められている応接間の家具の無地で、テーブルは硝子を使用した珍しいもの。
それらの意味するところは、ただひとつ。
この洋館内に、私が使えそうな文様がどこにも見当たらないということだった――
「どうです。世梨さんが奪えるような文様がないでしょう? これは新しいデザインで、アールデコと呼ぶそうですよ。家具類だけでなく、小物ひとつにしても揃えるのが大変でした」
あえて、私の馴染みの薄いデザインを選び、力を使えないようにするという用意周到ぶり。
文様の名を知らなければ、私は力を使えない。
一人がけの革のソファーに足を組んで、座っているのは継山さんで、長椅子タイプのソファーには玲花がいる。
ドアの前には見張りが二人。
窓の外にも庭を巡回する書生風の男たちが見え、逃げられないよう周囲を取り囲む。
新しい洋館を選んだのも、千後瀧と三葉の情報網を掻い潜るため。
「……私に何の御用でしょうか」
私を脅し、連れ去るために利用した打掛は、私の目の届かない場所へ移されてしまい、ここにはない。
手際の良さに、これが以前より計画されていたものであることがわかる。
郷戸から、すぐに私を連れ去らなかったのは、能力を把握し、弱みを握り、嫁取りを確実に行うためだったのだ。
継山さんは自信に満ちた顔を私に向け、はっきりとした口調で言った。
「世梨さんに自分の妻になっていただく」
そう言われるだろうと思っていた私は驚かず、冷静な態度で返した。
「私は紫水様の妻です」
「人間のルールではそうですね。ですが、我々の世界では、まだ妻ではない」
私がまだ正式な妻ではないと、継山さんは知っている。
それを聞いた玲花は、声を立てて笑った。
「世梨ってば、可哀想! まだ妻じゃなかったなんて! 世梨は旦那様から愛されていないのね」
「それは……」
違うなんて言えなかった。
私と紫水様の結婚が、形だけのものである以上、玲花の言葉を否定できない。
「でも、よかったわね。誰もいらない世梨を継山さんが、もらってくれるんですって!」
玲花は怨霊をそばに置き、チョコレート色をした革のソファーにもたれ、長く伸びた爪を私へ向けた。
「世梨がいなくなった後は、私が周りに説明してあげるから安心して? 千後瀧様との結婚生活が嫌で逃げて、いなくなりましたって」
「いなく……なる……? 私が……?」
「世梨さんは向こうで暮らすんですよ。こちらは敵が多すぎる。あちらなら、まだ龍の目を欺き、隔離できるでしょうしね」
「隔離できるって、どういうことですか?」
私があまりに無知だからか、継山さんは子供に言い聞かすように、ゆっくりとした口調で話す。
「最近、始まったラジオがあるでしょう。ラジオは周波数を合わせなくては聴けない。それと同じで、鴉には鴉の、龍には龍の領域があるんです。ただし、服従し、配下になってしまえば、居場所はすぐにバレてしまいますがね」
つまり、私が向こう側へ連れて行かれたら最後、紫水様であったとしても簡単に見つけることができなくなるということらしい。
「あなたの妻にはなりません。私は紫水様との結婚生活が、嫌だなんて思ったことは一度もありません!」
帰りたい――私はここへ連れてこられてから、ずっと帰りたいと思っていた。
それなのに、どうして紫水様たちと、引き離されなくてはならないのだろう。
「龍に絆されましたか? 困りましたね。では、打掛がどうなってもいいのですか? 千秋様はあの打掛で、世梨さんが嫁ぐ日を楽しみにしていたのでは?」
「本当よねぇ。世梨ってば、おじい様を何度も裏切るのね。育ててもらった恩も忘れて、なんて冷たい孫娘なのかしら。きっとおじい様も育てたことを後悔されてるわ」
私は前を向き、継山さんと玲花を睨んだまま、視線を外さなかった。
「なんなの? 生意気な目ね」
傷つくと思っていた私が、反抗的な態度だったからか、玲花はそばにいる怨霊に目をやる。
怨霊は私の目でも確認できるほど、禍々しく、以前より強大になっていた。
「玲花。もし、その中におじいちゃんがいるなら、今すぐ解放してあげて」
「そんなの、いるかどうかなんて、わからないわ」
「わからない?」
「だって、集めすぎちゃったし。解放なんてしたら、どうなるかわからないわ」
「それは……大丈夫なの……?」
私の胸に広がる不安は予感に近い。
けれど、玲花が気にする様子はなかった。
「私の命令を聞いてるんだから、大丈夫でしょ。そんなことより、喉が渇いたわ。紅茶を用意してちょうだい」
すでに制御不能だと、玲花は気づいているはずなのに、見て見ぬふりをしている。
継山さんに目をやると、不安げな私を見て、にっこりと微笑んだ。
その笑みで察した。
継山さんは私が逃げられないよう祖父の打掛だけでなく、玲花まで人質にしたのだ。
「世梨さんも紅茶にしますか?」
「いえ。私は……」
こんな状況で、食べ物を口にできるような気分にはなれない。
でも――
「緑茶と落雁をいただけますか?」
「ふむ。和菓子は用意してませんでしたね。洋菓子のほうがお好きだろうと思っていたので」
「渋いお茶と落雁がよく合うんです」
「わかりました。買ってこさせましょう」
継山さんは見張りに、私が要望した落雁を買ってくるよう命じていた。
「世梨が見張りを減らそうとしているんじゃない?」
「ご心配には及びません。買ってくるのは、見張りの役目ではない者が行きますからね」
しばらくして、紅茶とビスケットが運ばれてきた。
当然ながら、鴉たちは私を警戒していて、ティーカップやビスケットに文様はなかった。
継山さんは余裕の笑みを浮かべ、私に言った。
「このままだと、玲花さんは危険でしょうね」
「私が危険? どういうこと?」
玲花はティーカップを手にし、不思議そうな顔で首をかしげた。
蔑んだ目で、継山さんは玲花を見る。
「助けてあげられますが、それは世梨さん次第。さあ、どうします?」
一族の当主だけあって、継山さんが強いのは間違いない。
でも、私の手のひらには龍文がある――そう思っていると、騒がしい声がした。
「世梨さまぁっ! 世梨さまっ!」
「蒼ちゃん!」
それは、蒼ちゃんの声だった。
ドアのほうへ駆け寄ろうとした私を大きな手が阻んだ。
継山さんは私の腕を掴むと、強い力でソファーに座らせる。
「……っ!」
体が叩きつけられた衝撃で、息を詰まらせ、軽く咳き込んだ。
「世梨に自由なんて、あるわけないでしょ? 勝手に動いちゃ駄目よ」
咳き込んだ私を見て、玲花が笑う。
「ちょうどよかった。白蛇をここへ連れてきなさい」
ドアが開き、蒼ちゃんが私を見る。
青墨色の瞳が私を映し、無事を喜んだ表情を見れたのは一瞬だけ。
部屋に入った途端、蒼ちゃんの姿が変化し、白蛇の姿になった。
蹴飛ばされ、ボールのように転がり、椅子の脚にぶつかって止まる。
「蒼ちゃんっ……!」
白蛇の姿になった蒼ちゃんの元へ駆け寄り、手ですくいあげる。
蒼ちゃんは目を開けて、悲しい顔で私を見上げた。
――もしかして話せない?
部屋の入口に、蒼ちゃんがポケットに入れていた炒り豆。そして、よそゆきのセーラー服が散らばっていた。
鴉たちは白蛇の姿に戻った蒼ちゃんを嘲笑う。
「白蛇殿。なんと無様なものですなぁ。力を封じられて、本性を晒すとはみっともない」
「なんじゃ。この豆は? 白蛇の奴、豆を食っておるのか」
鴉たちの視線を追うと、部屋の四隅に黒い羽根が置かれている。
そして、他にも忍ばせてあるのか、彼らの視線はそこだけでなく、部屋の中のいたるところに向けられていた。
この部屋に仕掛けられた罠。
それは、他のあやかしの力を無効にするものだった。
継山さんの余裕がある態度の理由がわかった。
たとえ、紫水様や陽文さんが、私の居場所を探し出したとしても勝てる自信があったからだ。
「結界に気づきましたか。驚くことではありません。龍も狐もやっていることです。一族以外の者が力を使えぬようにするのは、自衛のため、当然のこと」
だから、鴉たちは紫水様の家の中まで入れなかったのだ。
道の前で私を狙うしかなかった。
「百貨店で遅れをとったのも、あの中では、三葉が有利だったためですよ。封じられてはいないものの、狐の力を増幅させる作用が施されている」
「建物にあった文様は、そういう意味だったんですね」
「白蛇のように本性を晒す情けない真似はしませんでしたが。さすが御三家から選ばれた当主。幻影から抜け出すのに苦労しました」
「蒼ちゃんは無様でも情けなくもありません。危険だとわかっていたのに、私を助けに来てくれたんです」
蒼ちゃんを守ろうと、私の膝の上に置き、奪われないよう手で包み込むと、鴉たちはまた笑った。
「人間の娘に守られるとは、なんと恥ずかしい」
「これだから、配下になどなりたくないのじゃ。戦い方を忘れ、守られることが当たり前になってしまっておるのではないか?」
「龍に都合よく利用されてしまっているのだ」
鴉たちの酷い言葉は止まない。
「そうよ。世梨も千後瀧様に利用されてるだけなのよ」
鴉たちの話を聞き、玲花は微笑みを浮かべ、優雅に紅茶を一口飲む。
「千後瀧様はおじい様の着物が欲しくて、世梨を利用したいだけ。利用価値があるからよ。そうじゃなきゃ、私より世梨を選ぶんなんてありえないもの」
「紫水様は、私なんて利用しなくても自分の力で欲しいものを手に入れられる方です。強くて優しくて、こんな卑怯な真似を一切なさらない!」
私の言葉を聞いて、継山さんの表情が不快なものへ変わる。
「世梨さんを今すぐにでも連れていって差し上げたいくらいですよ。白蛇が来なければ、向こうへ行けたが……忌々しい白蛇め」
継山さんに、さっきまでの余裕はなくなった。
ここに蒼ちゃんが来たことで、私の居場所が紫水様に伝わったのかもしれない。
その推測が正しければ、鴉の領域に蒼ちゃんを連れて入れば、あちらへ行ったとしても私の居場所がわかるということだ。
なおさら、蒼ちゃんを奪われるわけにはいかない。
「じゃあ、その白蛇を奪ってあげる。世梨の大好きなおじい様を使ってね?」
ティーカップを置き、玲花は私に顔を向けた。
祖父がいるかどうかもわからないほど、肥大した死霊たち。
その怨霊となった死霊たちの塊は禍々しく、玲花の命令に悲鳴を上げた。
物悲しく、苦しげな声。
「やめて! 玲花!」
継山さんは玲花を止めず、残忍な笑みを見せた。
最初から継山さんは、玲花を助けるつもりなんてなかったのだ。
それに気づいたけれど、もう遅い。
「みんな、世梨ばかりを見て、もう嫌なのよ! ここから消えて!」
心の奥にあった本当の言葉を玲花は吐き出し、私に怨霊を向けた――
外が明るいせいか、室内に落ちる影の色が濃く感じた。
足元の影を見つめ、不安を隠すように自分の右手を握りしめる。
――卑怯な真似をして、私を連れてきた相手に弱い気持ちを見せたくない。
拐われた私が連れてこられたのは、意外にも紫水様の家の近くだった。
建てられて、それほど経っていないのか、洋館のどこかに使われた木材の香りが残っている。
洋館内は飾り気が少ないデザインで統一され、今までのアールヌーボー様式とは違う。
装飾が少なくても、簡素というわけではなく、廊下の床は幾何学模様、階段は大理石、天井には青みを帯びたガラスのシャンデリアが吊るされ、きらびやかな雰囲気がある。
私が閉じ込められている応接間の家具の無地で、テーブルは硝子を使用した珍しいもの。
それらの意味するところは、ただひとつ。
この洋館内に、私が使えそうな文様がどこにも見当たらないということだった――
「どうです。世梨さんが奪えるような文様がないでしょう? これは新しいデザインで、アールデコと呼ぶそうですよ。家具類だけでなく、小物ひとつにしても揃えるのが大変でした」
あえて、私の馴染みの薄いデザインを選び、力を使えないようにするという用意周到ぶり。
文様の名を知らなければ、私は力を使えない。
一人がけの革のソファーに足を組んで、座っているのは継山さんで、長椅子タイプのソファーには玲花がいる。
ドアの前には見張りが二人。
窓の外にも庭を巡回する書生風の男たちが見え、逃げられないよう周囲を取り囲む。
新しい洋館を選んだのも、千後瀧と三葉の情報網を掻い潜るため。
「……私に何の御用でしょうか」
私を脅し、連れ去るために利用した打掛は、私の目の届かない場所へ移されてしまい、ここにはない。
手際の良さに、これが以前より計画されていたものであることがわかる。
郷戸から、すぐに私を連れ去らなかったのは、能力を把握し、弱みを握り、嫁取りを確実に行うためだったのだ。
継山さんは自信に満ちた顔を私に向け、はっきりとした口調で言った。
「世梨さんに自分の妻になっていただく」
そう言われるだろうと思っていた私は驚かず、冷静な態度で返した。
「私は紫水様の妻です」
「人間のルールではそうですね。ですが、我々の世界では、まだ妻ではない」
私がまだ正式な妻ではないと、継山さんは知っている。
それを聞いた玲花は、声を立てて笑った。
「世梨ってば、可哀想! まだ妻じゃなかったなんて! 世梨は旦那様から愛されていないのね」
「それは……」
違うなんて言えなかった。
私と紫水様の結婚が、形だけのものである以上、玲花の言葉を否定できない。
「でも、よかったわね。誰もいらない世梨を継山さんが、もらってくれるんですって!」
玲花は怨霊をそばに置き、チョコレート色をした革のソファーにもたれ、長く伸びた爪を私へ向けた。
「世梨がいなくなった後は、私が周りに説明してあげるから安心して? 千後瀧様との結婚生活が嫌で逃げて、いなくなりましたって」
「いなく……なる……? 私が……?」
「世梨さんは向こうで暮らすんですよ。こちらは敵が多すぎる。あちらなら、まだ龍の目を欺き、隔離できるでしょうしね」
「隔離できるって、どういうことですか?」
私があまりに無知だからか、継山さんは子供に言い聞かすように、ゆっくりとした口調で話す。
「最近、始まったラジオがあるでしょう。ラジオは周波数を合わせなくては聴けない。それと同じで、鴉には鴉の、龍には龍の領域があるんです。ただし、服従し、配下になってしまえば、居場所はすぐにバレてしまいますがね」
つまり、私が向こう側へ連れて行かれたら最後、紫水様であったとしても簡単に見つけることができなくなるということらしい。
「あなたの妻にはなりません。私は紫水様との結婚生活が、嫌だなんて思ったことは一度もありません!」
帰りたい――私はここへ連れてこられてから、ずっと帰りたいと思っていた。
それなのに、どうして紫水様たちと、引き離されなくてはならないのだろう。
「龍に絆されましたか? 困りましたね。では、打掛がどうなってもいいのですか? 千秋様はあの打掛で、世梨さんが嫁ぐ日を楽しみにしていたのでは?」
「本当よねぇ。世梨ってば、おじい様を何度も裏切るのね。育ててもらった恩も忘れて、なんて冷たい孫娘なのかしら。きっとおじい様も育てたことを後悔されてるわ」
私は前を向き、継山さんと玲花を睨んだまま、視線を外さなかった。
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傷つくと思っていた私が、反抗的な態度だったからか、玲花はそばにいる怨霊に目をやる。
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「玲花。もし、その中におじいちゃんがいるなら、今すぐ解放してあげて」
「そんなの、いるかどうかなんて、わからないわ」
「わからない?」
「だって、集めすぎちゃったし。解放なんてしたら、どうなるかわからないわ」
「それは……大丈夫なの……?」
私の胸に広がる不安は予感に近い。
けれど、玲花が気にする様子はなかった。
「私の命令を聞いてるんだから、大丈夫でしょ。そんなことより、喉が渇いたわ。紅茶を用意してちょうだい」
すでに制御不能だと、玲花は気づいているはずなのに、見て見ぬふりをしている。
継山さんに目をやると、不安げな私を見て、にっこりと微笑んだ。
その笑みで察した。
継山さんは私が逃げられないよう祖父の打掛だけでなく、玲花まで人質にしたのだ。
「世梨さんも紅茶にしますか?」
「いえ。私は……」
こんな状況で、食べ物を口にできるような気分にはなれない。
でも――
「緑茶と落雁をいただけますか?」
「ふむ。和菓子は用意してませんでしたね。洋菓子のほうがお好きだろうと思っていたので」
「渋いお茶と落雁がよく合うんです」
「わかりました。買ってこさせましょう」
継山さんは見張りに、私が要望した落雁を買ってくるよう命じていた。
「世梨が見張りを減らそうとしているんじゃない?」
「ご心配には及びません。買ってくるのは、見張りの役目ではない者が行きますからね」
しばらくして、紅茶とビスケットが運ばれてきた。
当然ながら、鴉たちは私を警戒していて、ティーカップやビスケットに文様はなかった。
継山さんは余裕の笑みを浮かべ、私に言った。
「このままだと、玲花さんは危険でしょうね」
「私が危険? どういうこと?」
玲花はティーカップを手にし、不思議そうな顔で首をかしげた。
蔑んだ目で、継山さんは玲花を見る。
「助けてあげられますが、それは世梨さん次第。さあ、どうします?」
一族の当主だけあって、継山さんが強いのは間違いない。
でも、私の手のひらには龍文がある――そう思っていると、騒がしい声がした。
「世梨さまぁっ! 世梨さまっ!」
「蒼ちゃん!」
それは、蒼ちゃんの声だった。
ドアのほうへ駆け寄ろうとした私を大きな手が阻んだ。
継山さんは私の腕を掴むと、強い力でソファーに座らせる。
「……っ!」
体が叩きつけられた衝撃で、息を詰まらせ、軽く咳き込んだ。
「世梨に自由なんて、あるわけないでしょ? 勝手に動いちゃ駄目よ」
咳き込んだ私を見て、玲花が笑う。
「ちょうどよかった。白蛇をここへ連れてきなさい」
ドアが開き、蒼ちゃんが私を見る。
青墨色の瞳が私を映し、無事を喜んだ表情を見れたのは一瞬だけ。
部屋に入った途端、蒼ちゃんの姿が変化し、白蛇の姿になった。
蹴飛ばされ、ボールのように転がり、椅子の脚にぶつかって止まる。
「蒼ちゃんっ……!」
白蛇の姿になった蒼ちゃんの元へ駆け寄り、手ですくいあげる。
蒼ちゃんは目を開けて、悲しい顔で私を見上げた。
――もしかして話せない?
部屋の入口に、蒼ちゃんがポケットに入れていた炒り豆。そして、よそゆきのセーラー服が散らばっていた。
鴉たちは白蛇の姿に戻った蒼ちゃんを嘲笑う。
「白蛇殿。なんと無様なものですなぁ。力を封じられて、本性を晒すとはみっともない」
「なんじゃ。この豆は? 白蛇の奴、豆を食っておるのか」
鴉たちの視線を追うと、部屋の四隅に黒い羽根が置かれている。
そして、他にも忍ばせてあるのか、彼らの視線はそこだけでなく、部屋の中のいたるところに向けられていた。
この部屋に仕掛けられた罠。
それは、他のあやかしの力を無効にするものだった。
継山さんの余裕がある態度の理由がわかった。
たとえ、紫水様や陽文さんが、私の居場所を探し出したとしても勝てる自信があったからだ。
「結界に気づきましたか。驚くことではありません。龍も狐もやっていることです。一族以外の者が力を使えぬようにするのは、自衛のため、当然のこと」
だから、鴉たちは紫水様の家の中まで入れなかったのだ。
道の前で私を狙うしかなかった。
「百貨店で遅れをとったのも、あの中では、三葉が有利だったためですよ。封じられてはいないものの、狐の力を増幅させる作用が施されている」
「建物にあった文様は、そういう意味だったんですね」
「白蛇のように本性を晒す情けない真似はしませんでしたが。さすが御三家から選ばれた当主。幻影から抜け出すのに苦労しました」
「蒼ちゃんは無様でも情けなくもありません。危険だとわかっていたのに、私を助けに来てくれたんです」
蒼ちゃんを守ろうと、私の膝の上に置き、奪われないよう手で包み込むと、鴉たちはまた笑った。
「人間の娘に守られるとは、なんと恥ずかしい」
「これだから、配下になどなりたくないのじゃ。戦い方を忘れ、守られることが当たり前になってしまっておるのではないか?」
「龍に都合よく利用されてしまっているのだ」
鴉たちの酷い言葉は止まない。
「そうよ。世梨も千後瀧様に利用されてるだけなのよ」
鴉たちの話を聞き、玲花は微笑みを浮かべ、優雅に紅茶を一口飲む。
「千後瀧様はおじい様の着物が欲しくて、世梨を利用したいだけ。利用価値があるからよ。そうじゃなきゃ、私より世梨を選ぶんなんてありえないもの」
「紫水様は、私なんて利用しなくても自分の力で欲しいものを手に入れられる方です。強くて優しくて、こんな卑怯な真似を一切なさらない!」
私の言葉を聞いて、継山さんの表情が不快なものへ変わる。
「世梨さんを今すぐにでも連れていって差し上げたいくらいですよ。白蛇が来なければ、向こうへ行けたが……忌々しい白蛇め」
継山さんに、さっきまでの余裕はなくなった。
ここに蒼ちゃんが来たことで、私の居場所が紫水様に伝わったのかもしれない。
その推測が正しければ、鴉の領域に蒼ちゃんを連れて入れば、あちらへ行ったとしても私の居場所がわかるということだ。
なおさら、蒼ちゃんを奪われるわけにはいかない。
「じゃあ、その白蛇を奪ってあげる。世梨の大好きなおじい様を使ってね?」
ティーカップを置き、玲花は私に顔を向けた。
祖父がいるかどうかもわからないほど、肥大した死霊たち。
その怨霊となった死霊たちの塊は禍々しく、玲花の命令に悲鳴を上げた。
物悲しく、苦しげな声。
「やめて! 玲花!」
継山さんは玲花を止めず、残忍な笑みを見せた。
最初から継山さんは、玲花を助けるつもりなんてなかったのだ。
それに気づいたけれど、もう遅い。
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