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第二章

22 千後瀧本家(1) ※紫水視点

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 龍の一族千後瀧ちごたき家。
 村ひとつ分ほどの土地を所有し、地図に記されない土地で暮らしてきた。 
 明治になって、時代の流れに逆らえず、外へ出ることになってしまったが、外とまったく関わっていなかったわけではない。
 外に用意された千後瀧の拠点の一つで、ほとんどの客を迎える。
 だが、今日の客はわざわざ千後瀧と特別な関係であることを示すために、こちらへ訪れたのだ。
 
 ――千後瀧本家の場所を知る者は少ない。
 
 大正に時代が変わった今もなお、我々が本家と呼ぶのは、この隠里である。
 本家の下に広がる土地に住むあやかしたち、その親族は人となんら変わりない穏やかな生活を送っていた。各家の庭は美しく手入れされ、本家に向かう道沿いは、味噌屋、醤油屋、酒蔵と多様な店が並ぶ。
 整備された道、瓦屋根の街並み、湧き水が流れる用水路は土地を巡り、農業と生活用水に使われ、雰囲気は城下町に近い。
 その町から、千後瀧本家の屋敷まで急な坂道が続く。
 昔の名残である土塁どるいと石垣を通り過ぎ、辿り着くのは千後瀧本家の屋敷群だ。

「どうぞ。当主」

 運転手が先に自動車から降り、後部座席のドアを開けた。
 庭と呼ぶには、あまりに広すぎる敷地内に、屋敷が多数建てられている。
 本家の敷地には、配下である一族の当主たちが住む屋敷が並ぶ。
 あおの家、白蛇の一族一ノ川いちのかわの屋敷は本家のすぐ隣に屋敷を構えている。
 配下になって古いものほど、本家の屋敷と近い。
 千後瀧の当主は一族だけでなく、従えた配下を守る義務がある。
 
 ――当主になるつもりはなかった。

 人の世に出たいと思ったのは、自分に形がなければ、掴めないものがあると知ったため。
 その執着心を得たことで、神ではなくなった。
 しかし、人でもない。
 ゆえに、あやかしと呼ばれる。
 人に近くなった我々は、龍神の呼び名を失い、八咫烏やたがらすが鴉の一族、神狐しんこが狐の一族と名乗るのと同様に、龍神もまた、龍の一族と名乗った。
 
「当主、おかえりなさいませ」

 玄関には一族の者たち、配下の当主たちが、冷たい床に正座し、指をついて出迎えた。
 一族の者たちと、自分に血の繋がりはない。
 力によって、ねじ伏せられ配下になった者もいれば、服従を選んだ者もいる。
 服従し、配下になるのが嫌なら、戦い抗うしかない。
 ただし、当主が負ければ、一族全員が配下にくだることになる。
 それゆえに、どの一族も最も強い者が当主になる――なるしかないのだ。
 生き残るために。

「おい。出迎えをやめろと言っただろう。客と会うために戻っただけで、いちいち集めるな」
紫水しすい様は千後瀧のご当主でいらっしゃいます。大袈裟なまでにやらねば、ご自覚なさいませんでしょう」

 そう言ったのは、先代当主の妻、暖子はるこだった。
 千後瀧に拾われ、千後瀧のために生きる人間の女。
 この山奥にある巨大な屋敷を取り仕切り、先代が去っても千後瀧に忠誠を誓い、守り続けている。
 屋敷の裏手には広い雑木林が広がり、さらにその奥に不気味な言い伝えが残る滝がある。
 滝には昔、龍がいて、近寄る人間も動物も命あるものすべてを呑み込んでしまったという。
 その滝のそばに捨てられていたのが、暖子だった。 

「当主らしくしろと、また俺に説教するつもりか」
「そうでございますね。他の者では、おそれ多くて申し上げられませんから。今日は屋敷を壊さないでくださいまし」
「それで、用事とはなんだ」
「当主のご結婚に、どうしても納得していただけない方がおりまして。千後瀧にとって無視できる家柄のお嬢様ではございませんから、お呼びいたしました」

 本家にいる者では手に負えず、俺を呼んだということらしい。
 誰と聞くまでもなく、面倒な客であることがわかる。

「紫水様。お久しぶりでございます」

 客間の障子戸を開けた先に、指をついて頭を垂れていたのは、古條こじょう十詩とし
 人間でありながら、遥か昔から千後瀧と関わる古條家の娘。新進気鋭しんしんきえいの着物作家として評価され、雅号は十雨じゅううという。
 松の色を思わせる深緑の縦縞が入った着物に柄の大きな牡丹。
 十雨は柄が大きくモダンな柄を得意とし、若い女性から人気があるそうだ。

「なんだ、お前か。それで話とは?」
「せっかちですこと。久しぶりに会った婚約者にかける言葉ですの?」

 短く切り揃えられた断髪に、花を形どった赤い宝石のヘアピン、のぞいた半襟はんえりは西洋のレースで、帯留めは陶器の黒猫。
 着物姿だが、今風の着こなしをしている。
 十詩が着るものにこだわっているのは、昔からだったが、着物作家として注目を浴び始めた頃から、なおさら身につけるものに気を配るようになった。

「当主。お座りになられて、十詩様とお話されたらいかがでしょう」

 座れば、余計に話が長くなりそうな予感がした。

「紫水様。暖子様のおっしゃるとおりになさって。わたくしのお話は、千後瀧の将来に関わる大切なお話ですもの。そのほうがよろしいわ」

 断ろうとしたが、一族内で問題が起きても動じない暖子でさえ、十詩の扱いには困っているようで、物言いたげな目で俺を見る。

「紫水様がお好きなカステラもお土産に持って参りましたの。ご一緒に召し上がりましょ」

 渋々、俺が座るのを見て、十詩は明るい声で言った。
 俺のカステラ好きは、どこから広まったのか、いつの間にか俺への手土産はカステラに決まっていた。
 どうせ陽文ひふみあたりが言いふらしたに違いない。
 確かにカステラはうまいが、うっかり『うまい』と口に出したばかりに、客が来るたびカステラである。
 ここ連日、カステラが続いている。

「いや、いい。炒り豆をもらった」

 思えば、世梨せりが来てから、色々な食べ物を口にするようになった。
 世梨が用意する食事やちょっとした間食のひとつひとつが、特別に思えるのも不思議だ。
 煩わしさから、本家の者でさえ、そばに置かなかったが、世梨だけは違う。
 違和感なく自然に暮らせる。

「炒り豆? 紫水様に炒り豆なんて貧乏臭い食べ物を差し上げる方がいらっしゃいますの?」
「世梨が作ってくれたものだ。うまいぞ」

 包み紙を広げ、炒り豆を見せた俺に、十詩は顔から笑みを消す。
 世梨が宝物でも運んでいるかのように、包み紙を両手に持ち、駆け寄ってきた時、その手の中になにがあるのだろうと思った。
 覗き込んだ手の中に、紙に包んだ炒り豆が見え、それが俺のためであることを知った時、不思議な気持ちになった。
 たぶん俺は、その気持ちを初めて知ったのだ。
 
本宮もとみや千資せんすけ……いえ、紫水様が尊敬する着物作家、千秋せんしゅう様の孫娘ですわね」
「そうだ。俺の妻だ」

 十詩は気の強い娘だけあって、それを聞いても怯まなかった。
 むしろ、暖子が心配そうに、俺と十詩の顔を見比べていた。

「彼女は紫水様の妻に相応しいと思えませんわ。女学校も出ておらず、千秋様の跡を継いだとも聞いておりません」
「それが、どうした。なにが問題なのか、俺にはわからないのだが?」

 雲行きが怪しくなってきたからか、暖子がすかさず、俺と十詩の前にお茶を置く。

「当主、十詩様。お茶をどうぞ」

 だが、十詩はお茶が入った湯呑みに見向きもしなかった。

「普通の娘に、千後瀧当主の妻の責務は果たせません。荷が重すぎますわ」
「世梨は当主の妻としての条件を満たしている」
「条件なら、わたくしのほうが上のはず。わたくしのどこが彼女より劣るのですか? 千秋様の孫娘だから、紫水様が気に入っただけではございませんの?」
「ならば、聞く。お前が言う上とは、なにを持って上と言っているんだ?」

 これだけ必死になるということは、十詩が焦っている証拠だ。
 語らずとも世梨の力のほうが上であると、言っているのと同じ。

「そ、それは……でも、わたくしは古條の娘ですし……」

 己の力だけを見て語れば、自分の不利になると、十詩は気づいたらしく、言葉に詰まる。
 ようやく静かになったかと思いながら、茶を一口飲む。
 そして、世梨が持たせてくれた炒り豆を食べた。 

「力なら、お前より世梨のほうが上だ。俺が与えた龍の文様を自分のものにしてしまったんだからな」

 十詩だけでなく、成り行きを見守っていた暖子も息を呑むのがわかった。
 
「驚くだろう? 俺たちの印は、護符程度の力しか与えられない。それが、世梨は俺の力の一部を持っていった」

 自分の右の手のひらを眺める。
 世梨に与えたのと同時に、俺の手ひらにも同じ龍文が現れた。
 
「今や、俺とあいつは一心同体ってわけだ」
「当主、そのようなことがあるのですね……」
「俺も驚いた」

 あやかしたちが世梨を狙うのも無理はない。
 興味を持って当然だ。

「これだから、人の世は面白い。龍の力を奪い、それを使う人間の女だぞ」
「珍しい力かもしれませんけれど、紫水様の婚約者であるわたくしではなく、他の女性に加護を与えるなんて、ひどすぎます……!」

 十詩はいつも自信たっぷりで、他の娘たちなど相手ではないという顔をしているが、自分に勝ち目はないと悟り、涙をにじませて睨みつけた。

「ずっと紫水様の妻になるため、努力してまいりました! あなたに気に入られようと必死でした! どうして、わたくしの気持ちをわかってくださらないの?」

 この必死さが演技でないなら、なおのこと悪い。

「婚約者か。ここで、はっきり言っておく。俺がお前を妻にすることはない。俺を裏切ったお前を信用できないからだ」

 千秋が亡くなった後、本宮もとみや夫妻から、着物を売ってもらう約束をしていた。
 事業に失敗した本宮夫妻の経済状況を考えたら、手当たり次第、売ってしまうだろうとわかっていたからだ。
 だが、それを俺への取引材料にするため、裏から手を回し着物を奪ったのは、他でもない古條家。
 さらに千秋の着物をあちこちへ売り飛ばし、わざと俺の手に渡らないようにしたのは、十詩がやったことだった――  
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