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第二章

14 白蛇の子ども

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 東京の空にも同じ鳥がいる――汽車から降り、東京駅を出た私は空を見上げた。
 鳥の鳴き声が、私の視線を上へ向かせた。
 冬が終わり、かりが列となって、飛び去っていく。
 
世梨せり。よそ見していると危ないぞ」
「す、すみません……」
 
 人にぶつかりそうになった私を手で庇う。
 ここは田舎じゃないのに、ぼんやりしてしまった。
 まだ関東大震災の傷跡が残る東京に、私は再び戻ってきた。
 焼け跡には、薄いトタン板のバラック小屋が並んでいたけれど、少しずつ店も増えつつある。
 色鮮やかなデザインに大きな文字の看板、仮店舗となっている店もあるが、西洋風の建物が多い。
 以前の街並みと変わっていて、どうしてもそちらへ目が行く。

「駅は混雑しているからな。気を付けろよ」
「そうですね。こんなに人が多いとは思っていませんでした」
「交通網が、まだ完全に戻ってないからな」

 駅は予想以上に混雑していて、歩くのが大変だったけれど、それでも帰ってこれたことが嬉しい。

「汽車で正解だった。陽文ひふみの車は酔う」
「でも、近くの駅まで、乗せていただけたので助かりました」

 陽文ひふみさんご自慢の国産自動車は、舗装されてない田舎道を走るには不向きだった。
 私と紫水様は近くの駅まで送ってもらって、汽車で帰ってきた。
 別れ際、陽文さんが寂しそうにしていたけど、紫水様はかたくなに自動車を拒み、乗って帰るとは言わなかった。
 そして、到着した東京駅。
 これから私が住む場所は、千後瀧ちごたきの本家ではなく、紫水様が本家を出て住んでいるという家だった。
 家は郊外にあり、静かでいいのだと、汽車の中で聞いた。

「足りないものがあれば、おいおい揃えるとしよう。被害が少なかった場所は、すでに店の営業を再開している」
「それは助かります」

 東京の道は騒がしく、人力車がガラガラと走っていったかと思うと、次は自転車が横切っていく。
 引っ越しなのか、荷車に山のような荷物を載せて、運ぶ姿もある。
 とにかく、人の波は途切れることがなく、目が忙しい。

「千後瀧から、迎えを頼んでおいたから、そろそろ来るだろう。バスを使うにしても、混雑している。それに市内の電車も本数が減って、乗るのも億劫おっくうだ」
「早く元通りになるといいですね」
「そうだな」

 震災で数を減らし、手に入りにくいという自動車を持っているというだけで、千後瀧の裕福さがうかがえた。
 千後瀧の家から、立派な黒色の自動車が到着する。

「おかえりなさいませ」

 制服は洋服で、運転手さんは深々とお辞儀をし、ドアを開ける。
 運転手さんは挨拶のみで、紫水様も話さない。
 それが当たり前であるかのように、それ以上お互い深く関わることなく、なにも話さなかった。
 家の前まで、私たちを送り届けると、軍人さんみたいに機敏な動きで、一礼して去っていった。

「運転手さんの制服は洋服なんですね」

 なんとなく、千後瀧の本家に関わる人の前で話しにくく、車が見えなくなってから、紫水様に話しかけた。

「最近はどこも洋服が多いんじゃないのか? 陽文のところの三葉みわ財閥系列は、百貨店も銀行も洋服を採用してるらしいぞ」

 そういう紫水様は黒色か、黒に近い色の着物が多い。
 洋服より、和装を好まれているようだけど、身長が高いから、洋服も似合いそうな気がした。

「どうかしたか?」
「いえ。なにも……」 
「ここが、俺の住んでいる家だ」

 玄関までの短い距離、両側は小さな庭になっていた。
 南天、紫陽花、梅の花――そして、川の上流で見かけるような大きな石が置かれている。
 小さいながらも、じゅうぶん楽しめる庭の造りに、センスの良さを感じる。

「好きな部屋を自由に使っていいぞ」

 紫水様はそう言って、玄関の硝子戸を開けた。
 玄関には、郷戸ごうどから送った荷物がすでに届けられていて――

「えっ……!」

 玄関の惨状を目にした私は、思わず、声を上げてしまった。

「ん? なにかあったか?」

 玄関には山積みの本とガラクタ、ほこりまみれの明らかなゴミ……ゴミだと思うけど、紫水様は蒐集家しゅうしゅうか
 もしかして、名のあるおしなかもしれない。
 玄関でこれなら、奥はもっと凄まじいはず――嫌な予感がして、紫水様の着物の袖を掴んだ。

「あ、あのっ! お掃除はいつしましたか?」
「いつだったかな。夏?」
「今は春です」
「まだ一年、経ってなかったか」

 (人ではないけど)人は完璧ではない――それを知った瞬間だった。

「……これから、紫水様はお仕事ですか?」

 一刻も早く、掃除をしなくてはいけない。
 そんな使命感に駆られた。

「ああ、そうだ。玄関から入って左が俺の仕事部屋だ。それと悪いが、仕事中は……」
「お仕事が終わった頃を見計らい、声をかけさせていただきます」
「そうしてくれると助かる」

 祖父と同じで、仕事をしている間、話しかけられたくないのだとわかった。

「家のことは、その辺にいる俺の配下に頼め」
「配下……?」

 紫水様の視線の先にあるのは、ゴミ……積み上げられた物の山。
 あまりにごちゃごちゃしていて、その辺がどの辺を指しているのか、私にはわからなかった。

「そいつの力は、俺が保証する。身の安全の心配はいらない」

 じゃあなと言って、紫水さまは仕事部屋へ入っていってしまった。
 郷戸ごうどでの滞在が長くなってしまったというのもあり、着いたなり、紫水様は忙しそうにしていたから、仕方ない。
 嫁を娶るつもりがなかったのに、私を連れてきたことも予定外だったはず。
 なるべく、仕事の邪魔にならぬよう気を付けようと心に決めた。

「とにかく、この惨状をなんとかしなければ……」

 まずは掃除道具を探し出し、台所を綺麗にして夕食を作るまでが、今日の目標。

「紫水様の配下って、どこにいるのかしら?」

 今は不在なのか、見当たらない。
 とりあえず、荷物を片付けるため、使えそうな部屋を探す。
 台所と女中部屋(らしき物置)は玄関入って右側で、真っすぐ行くと客間、そして居間に茶の間。
 その奥にも部屋があったけれど、開かなかった。

「鍵があるということは、大切な蒐集品置き場なのかもしれないわ。眠れそうな他の部屋は……」

 縁側の横の部屋が空いている。
 一人分の隙間は、かろうじて残っていた。
 私の荷物が少なくて、本当によかった。
 荷物から、割烹着かっぽうぎたすきを取り出し、奥の部屋を片付ける。
 布団を干し、洗濯タライを探しだし、洗い物を集めた。
 
「台所も片付けないと……」

 台所は近代化され、ガスも水道も使える。
 とても便利になっているのに、使われた形跡がない。
 この家で食事をするには、台所と茶の間をせめて綺麗にする必要がある。
 茶の間へ入り、座布団を拾い集め、重ねようとした時、座布団の中に白い紐が見えた。

「紐? 新聞をまとめるのに使えそう」

 座布団と座布団の間から、紐を引っ張り出す。
 白い紐は手をすり抜け、しゅるりと素早く尾を動かし、畳の上にとぐろを巻く。
 子供なのか、小さな白蛇だった。

「へ……蛇っ!」

 悲鳴を上げそうになって、口に手をあてた。
 紫水様は忙しいのに、騒いだりしたら、仕事の邪魔になる。
 私の気配に目を覚ました蛇は、すばやく人の形に変化した。

「うぅー。お昼寝してたのにぃ……。陽文さまですかぁ?」

 青墨あおずみ色の髪と目、白い童水干わらわすいかん、牛若丸みたいな恰好をした幼い男の子。
 人の姿になった白蛇の子どもは、眠そうに目をこすり、じぃっと私を見る。

「ひゃっ! も、もしかして、紫水さまのお嫁さま……」
「はい。世梨と申します」

 私が丁寧に挨拶をすると、男の子はぴょんっと飛び上がり、頭を下げた。

「ご無礼をっ! ぼくは紫水さまの配下、一ノ川いちのかわあおですっ!」
「そうですか。蒼様は……」
「ぼくのことは、蒼とお呼びください」
「蒼ちゃんとお呼びしてもよろしいですか?」

 蒼ちゃんは頬を赤く染め、こくこくっと首を縦に振った。

「えっと、ぼく、お茶を持ってきます。世梨さまはお疲れでしょう。おくつろぎくださいませっ!」

 蒼ちゃんは勢いよく走っていった。
 けれど、台所の惨状を思い出し、心配になって、後を追いかけた。
 案の定、蒼ちゃんは立ち尽くし、呆然としていた。
 私が台所へきたことに気付いて、慌てふためき、自分の小さな背中で隠そうとする。

「ぼ、ぼく、ちゃんとできます。ぼくは紫水さまのお世話係に選ばれたんだから……」

 紫水様のお世話係は名誉なことらしく、蒼ちゃんは顔の表情を引き締めた――のは、一瞬で、絶望的なまでの散らかりようを見て、悲しい顔をした。
 蒼ちゃんは懸命に埋もれた流し台の中、湯呑みを探し始めた。

「あの、蒼ちゃんのお手伝いをしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ぼくの?」
「はい」
「でも、紫水さまに叱られるかも……」
「私がお手伝いしたいと、申し出たのですから、叱られません」

 蒼ちゃんはホッとした顔でうなずいた。
 一緒に台所を片付け、お湯を沸かせるまでにはなった。
 ガス式のコンロに水道付きの台所は、火を起こさなくていいから、とても便利で使いやすい。

「湯呑みがないので、お茶碗ですけど。蒼ちゃん、どうぞ」

 お茶の葉がなくて、中身は白湯だったけれど、ひと仕事を終えた後の温かい白湯は美味しく感じられた。

「世梨さま、あったかくて美味しいですね」
「ええ」

 お茶の間に続く段差に、蒼ちゃんと並んで座り、白湯を飲む。
 久しぶりに、ほっとする時間が流れていった。
 台所を片付けているうちに、私と蒼ちゃんは打ち解けて、千後瀧家の話も聞くことができた。

「世梨さま、おうちが散らかっていて、びっくりでしたよね……?」
「少しだけ驚きました」

 本当はすごく驚いたけど、蒼ちゃんの気持ちを考え、少しと答えた。

「紫水さまが怒って、お手伝いの女の人を全員追い出したんです」
「怒って? 紫水様が? いったいなにが起きて、そんなことになったの?」

 全員とは穏やかではなかった。
 一緒に暮らす上で、紫水様が嫌がるようなことならば、聞いておかなくてはならない。

「千後瀧の本家からきたお手伝いは、紫水様のお嫁さま候補でした。一人だけじゃなくて、たくさん来たんです」

 白湯のお茶碗を両手で抱え、蒼ちゃんはため息をついた。

「紫水さまはお嫁さまをいらないって言ってました。でも、みんな、紫水さまのお嫁さまになりたくて、喧嘩になったんです」
「け、喧嘩に……」
「紫水さまは怒ると、とっても怖いんですよ。千後瀧の本家に行った紫水さまは、本家を壊したんです。一瞬でした」

 白湯を吹き出しそうになった。
 そして、自分の右手のひらを見つめた。
 土蔵で一度、紫水様の力を使ったけれど、鉄製の錠前が吹き飛び、戸は粉砕された。
 破壊力なら、すでに実証済み。あんな力を自由に使って、暴れられたら、あっという間に家がなくなってしまう。

「そ、そう。気を付けましょうね」
「だから、紫水さまがお嫁さまをもらうって、連絡が来たので、とっても、びっくりしました!」

 家を破壊するくらい怒ったのだから、驚くのは当たり前。
 興奮気味に蒼ちゃんは言った。

「世梨さまが優しいお嫁さまでよかったです。ぼく、一生懸命、お仕えします!」
「ありがとう。蒼ちゃん。家の近くで、お買い物ができるお店に案内してもらっていいかしら?」
「はいっ! お供します」

 ぴょんっと蒼ちゃんは立ち上がり、張り切った様子で、手を挙げた。
 やっと夕飯の準備ができそうな環境にまで整い、買い物へ行くことにしたのだった。
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