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38 祖母
しおりを挟む「どうして、スーツを着ているの?」
日曜日の朝、部屋から出てきた夏向はスーツを着ていた。
もしかして寝ぼけた?
「今日は日曜日よ」
「知ってるよ」
寝ぼけてなくて、きちんスーツを着ている―――それだけでも驚きなのに前髪をあげてセットし、前に見た雑誌のモデルの夏向みたいだった。
モデルをした時よりは気の抜けた炭酸水ってかんじでぽやんとしてるけど、問題はそこではない。
「やればできるんじゃないの!!」
「感想がそれ?」
「他になにがあるのよ」
他にあるとするなら、朝起こされずに自分で起きて、服を用意し、髪をセットするという流れを人並みにできたことに『この詐欺師がっ!』と叫びたいところよ。
いつものあの手のかかりようはなによ!?
「今日は特別」
「なにが特別よ!」
はあ、これを毎日やりなさいよ。
言っても無駄だろうけど。
「でかけるから」
「そうなの?どこに行くの?」
「倉永に行く」
「えっ!大丈夫なの!?」
「心配しないで」
「するわよ!私も一緒に行こうか?」
「桜帆が嫌なことを言われるかもしれないから」
「そんなのいいわよ」
倉永の家に夏向を一人で行かせる方が心配だった。
あの家にはいい思い出がないから。
叔父夫婦に会っただけで、調子を崩すくらいなのに……。
「絶対に一緒に行くわよ」
拳を握りしめ、強く言い切った私に夏向はうなずいた。
「わかった」
そういえば、何しに行くか聞かなかったけど、よかったのかなと思いながら、私も無難そうなスーツを選んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夏向を迎えに行って以来、初めて訪れた倉永の家は相変わらず、ドーンとしていて、田舎の名家ってかんじだった。
まさか、またここにくるなんて思いもしなかったけれど。
しかも、夏向と結婚して。
インターホンを押すと奥から、年配のお手伝いさんがさらさらと静かな足音をたてて現れた。
「ようこそお越しくださいました。大奥様がお待ちです」
「あ、あの、これ大したものではありませんけど」
焼き菓子の詰め合わせをお手伝いさんに渡すと深々と頭を下げられ、私もつられて頭を下げたのに隣の夏向は知らん顔をしていた。
「ちょっと!夏向っ!」
「別に手土産とかいらなかったんじゃないかな」
「ば、馬鹿っ!」
せっかく好印象でいこうと思っているのに夏向は出だしから喧嘩腰だった。
「おじゃまします」
お手伝いさんは夏向に苦笑していた。
ほら、みなさいよ!
礼儀知らずとか、思われているわよ。絶対。
長い廊下を庭づたいに歩き、障子戸の前で足を止めると、お手伝いさんは戸に手を添えた。
「大奥様、お待ちの方がいらっしゃいました」
「おはいりなさい」
「はい」
す、とお手伝いさんが戸を開けるとそこには白髪で厳しそうなおばあさんがいた。
迫力あるな、と思いながら、お手伝いさんが勧めてくれた座布団に座るとおばあさんは夏向に言った。
「初めてこの倉永の家に来た時は私が入院中で会えなかったけれど、後から倉永の家が嫌だから施設に戻ったと聞いたよ。今まで祖母である私に挨拶もなく、一度も顔を出さなかったお前が今になって、倉永にくるなんてね」
夏向はうつむいた。
本当は嫌だったに違いない。
それなのになんでわざわざ。
「私に頼みがあると聞いたのだけど?」
夏向はうなずいた。
「土地を売ってください」
「土地?」
「この住所の土地です」
夏向はメモを渡すと、おばあさんは笑った。
「ああ、そういうこと」
「もしかして、カモメの家の土地って」
「叔父さんがカモメの家の土地を買ったんだ。けれど、自分の金じゃなく」
「そう、私のだよ。名義もね。あの子にそんな甲斐性はないよ」
おばあさんは自分の息子であるはずの叔父さんのことをよく思っていないようだった。
「そうだねえ」
値踏みするように夏向と私をおばあさんは交互に見たその時、ドタドタと荒々しい足音が響いた。
「母さん!」
「うるさいねえ」
叔父さん夫婦がギロリと私と夏向をにらんだ。
「なんだ!今さら、惜しくなったか」
「これだから、嫌なのよ!無欲ですって顔をして、お金をせびりにきたんでしょ」
「カモメの家の土地を買わなければ、来なかった」
夏向は冷ややかな目をし、スーツケースを出した。
「倉永の金に興味はない。いくらなら、土地を売ってくれる?」
ま、まさか。
夏向。
スーツケースをドンッと皆の前に置き、開いた。
札束がぎっしり隙間なく詰まっていた。
さすがのおばあさんも虚を衝かれたのか、言葉をしばし、失っていた。
「どおりで珍しくカバンを持っていると思っていたわ」
「重かった」
でしょうね。
ため息をつき、夏向の肩を叩いた。
「取りあえず、片付けて」
「ダメだった?時任のみんなに聞いたら、これだけあれば、黙るだろうって言うから」
「あー、うん。違う意味でね、確かに黙ったわね」
時任の人達の感覚って、本当にやることなすことがデカイというか、ぶっとんでいるっていうか。
叔父さん達に至っては座ることも忘れ、中腰で立ったまま、固まっていた。
お金を片付けるとやっと我に返り、叔父さんが夏向に怒鳴り付けた。
「なんでもかんでも金で解決しようと思うなよ!あの土地は売らん!第一、正式に倉永を継いだのは私だ!今さら、口を挟むな!」
パンッとおばあさんが手を叩くと叔父さんは黙った。
「金も名義も私だよ。決定権は私にある。それにお前が勝手に自分が跡継ぎだと騒ぎ立ててパーティーを開いただけで私は認めていない」
「母さん!」
叔父さんは悲鳴のような声をあげたけれど、おばあさんは無視した。
「本当に倉永の男ときたら、どうしようもないのばかりだね」
おじいさんもそうだったのか、仏間をちらりと横目で見ていた。
「私も入退院を繰り返している。確かに倉永の家を絶やさないように跡継ぎを選ばなくてはいけない」
「俺は別に」
「土地と引き換えだと言ったら?」
夏向の顔が強張った。
「か、母さん、まさか」
「私は倉永の家さえ守れたらそれでいいんだよ。馬鹿な息子に家を継がせるのもどうかと思っていた」
熱のこもらない淡々とした口調で言うと、おばあさんは何かを決めたように一人うなずいた。
「こうしよう。半年の猶予をあげるから、私が喜ぶものを持ってきなさい。勝った方を倉永の跡継ぎとする。いいね?」
「そんな!母さん!」
「俺はカモメの家の土地とさえあればそれでいいのに」
「跡を継がない人間にはやらないよ。半年後が楽しみだねぇ」
ほほほ、とおばあさんは楽しそうに笑っていた。
叔父さんも夏向も考えていることは別なのに二人とも苦い表情をしていたーーー
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