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29 チャンスそれとも【姫凪 視点】
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新しい辞令について、人事部長から連絡が来たけれど、みじめすぎて行きたくなかった。
秘書室が閉鎖されたことは全社員が知っていて、たいして仲良くもなかった女子社員達から『今、何しているの?』『これからどうするの?』とか、連絡がくるけど、私を噂のネタにして笑いものにしたいだけ。
秘書室の先輩達は経理や営業へ異動になったにも関わらず、私は子会社のさらに子会社へ出向になった。
クビにならなかっただけ、マシだろうけど。
親が聞いたら、なんて思うだろう。
時任グループの秘書であることが親の自慢なのに。
はあ、とため息を吐いた。
麻友子は佐藤君とのやり取りが残っていたらしく、ウィルスだとわかっていてメールを開いたのがバレてクビになった。
当然よね。
私も麻友子のせいでとばっちりを受けたようなものよ。
「姫凪。時任に居づらいなら、うちの会社にくればいい」
優しくそう言ってくれたのは諏訪部さんだった。
「そんなっ!私、迷惑じゃないですか?」
「いつも仕事を手伝ってくれているんだ。大歓迎だよ」
「本当ですか!?すっごく嬉しいですっ」
時任の辞令なんて、もうどうでもよかった。
退職届を郵送したし、受理されれば、すぐにでも諏訪部に移るつもりだった。
「でも、こっちに来る前に姫凪にお願いがあるんだ」
「なんですか!?」
「これに時任の顧客情報をコピーしてきてほしい」
USBを諏訪部さんから渡された。
なんだ、そんな簡単なこと。
「危険だから、コピーしたらすぐに会社を出るんだよ?」
「わかってます」
退職届が受理される前に行かないとね。
さっそく私は時任に向かったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「須山さん、自宅待機じゃなかったですか?」
受付にいた私の後輩が呼び止めた。
「辞令を頂いて、荷物をとりにきたの」
「そうなんですか」
「荷物くらいはいいでしょ?」
「はい」
顧客情報にアクセスするには部長以上の権限が必要でパスワードもいるけれど、諏訪部さんからパスワードをもらっていていた。
どこから手に入れたのか、このパスワードからいって、一番年配の部長で定期的にパスワードを変えなくてはいけないのにしていなかったみたいだ。
「馬鹿ね」
さすが諏訪部さんは優秀だわ。
重役フロアにはさすがに入れないから、今の時間、人が少ない営業部に入り込んだ。
パソコンの一つにUSBを差し込んで社内ネットワークにアクセスする。
諏訪部さんからもらったメモ書き通りに手順をふみ、ファイルを見つけるとパスワードを入力すると、簡単にファイルは見つかった。
それをコピーすると、USBを抜いて、何食わぬ顔で営業部を出た。
そして、私は重役フロアに向かった。
これで最後だもの。
挨拶くらいは許されるはずよ。
フロアに入った私は副社長を探した。
副社長はいつものようにパソコンの前にいるのかと思ったら、珍しく社長室から出てきた。
隣には時任社長がいて、今日もボサボサの頭に黒ぶちメガネで目が見えない。
しかも、ジャージ。
身なりをきちんとしている諏訪部さんとは大違いだった。
辞めて正解かもね。
なんて思いながら、私は二人に近づいた。
「あの……副社長」
そっと呼び止めて、目を潤ませると、私は副社長をじっと見つめた。
「私、ずっと副社長のこと、好きだったんです。もう……会えなくなると思ったら、ちゃんと伝えたくて」
これで、グラッとこない男なんていないはず。
私は自信があった。
それなのに副社長は冷ややかなまなざしで私を見ていたばかりか、時任社長も表情一つ変えていなかった。
「ああ……秘書の」
今になって、わかったのか、私の顔を見て頷いていた。
「夏向、最後まで名前を覚えられなかったな」
「本当だね」
どこまでも私を無視して!
たった一人だけを想い続けるなんて。
そんなのぜったい許さない。
「副社長っ!ひどいですっ!」
私は副社長に抱きついた。
驚き、副社長は身を固くしたかと思うと、顔を歪ませて反射的に私の体を突き飛ばした。
いつから聞いていたのか、私の背後から出てきた真辺専務が受け止めた。
「おっと。副社長は慣れない人に触られるの嫌いなんだよ。慣れれば、平気なんだけど」
「大丈夫か?夏向」
時任社長の前髪からのぞいた目はぞくりとするほど鋭く。まるで獣のようだった。
なに、この人―――さっきと様子が違う。
「社内で副社長を襲うなんていい度胸だな」
「お、襲ってなんかないです……!転びそうになっただけですから……」
なぜか、怖くて仕方なかった。
「し、失礼します」
慌ててエレベーターまで走り、すぐにボタンを押して乗った。
「……なんなの」
気づくと、手が震えていた。
悔しい―――でもいいわ。
副社長の服にファンデとキスマークがついてしまったけど、しかたないわよね?
ポケットに片方、ピアスも入ってしまったけど、たまたま、そうなってしまっただけで、わざとじゃないの。
これが原因で二人の間が気まずくなるかもしれないけど、副社長に近づけないから、教えてあげることもできない。
「ごめんなさいね?」
そして、私の手の中には時任の顧客情報が入ったUSBがある。
あの社長も重役達も並んで頭を下げることになる。
謝罪会見が楽しみだわ。
これで終わりよ―――私を無視した罪は重いんだから!
秘書室が閉鎖されたことは全社員が知っていて、たいして仲良くもなかった女子社員達から『今、何しているの?』『これからどうするの?』とか、連絡がくるけど、私を噂のネタにして笑いものにしたいだけ。
秘書室の先輩達は経理や営業へ異動になったにも関わらず、私は子会社のさらに子会社へ出向になった。
クビにならなかっただけ、マシだろうけど。
親が聞いたら、なんて思うだろう。
時任グループの秘書であることが親の自慢なのに。
はあ、とため息を吐いた。
麻友子は佐藤君とのやり取りが残っていたらしく、ウィルスだとわかっていてメールを開いたのがバレてクビになった。
当然よね。
私も麻友子のせいでとばっちりを受けたようなものよ。
「姫凪。時任に居づらいなら、うちの会社にくればいい」
優しくそう言ってくれたのは諏訪部さんだった。
「そんなっ!私、迷惑じゃないですか?」
「いつも仕事を手伝ってくれているんだ。大歓迎だよ」
「本当ですか!?すっごく嬉しいですっ」
時任の辞令なんて、もうどうでもよかった。
退職届を郵送したし、受理されれば、すぐにでも諏訪部に移るつもりだった。
「でも、こっちに来る前に姫凪にお願いがあるんだ」
「なんですか!?」
「これに時任の顧客情報をコピーしてきてほしい」
USBを諏訪部さんから渡された。
なんだ、そんな簡単なこと。
「危険だから、コピーしたらすぐに会社を出るんだよ?」
「わかってます」
退職届が受理される前に行かないとね。
さっそく私は時任に向かったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「須山さん、自宅待機じゃなかったですか?」
受付にいた私の後輩が呼び止めた。
「辞令を頂いて、荷物をとりにきたの」
「そうなんですか」
「荷物くらいはいいでしょ?」
「はい」
顧客情報にアクセスするには部長以上の権限が必要でパスワードもいるけれど、諏訪部さんからパスワードをもらっていていた。
どこから手に入れたのか、このパスワードからいって、一番年配の部長で定期的にパスワードを変えなくてはいけないのにしていなかったみたいだ。
「馬鹿ね」
さすが諏訪部さんは優秀だわ。
重役フロアにはさすがに入れないから、今の時間、人が少ない営業部に入り込んだ。
パソコンの一つにUSBを差し込んで社内ネットワークにアクセスする。
諏訪部さんからもらったメモ書き通りに手順をふみ、ファイルを見つけるとパスワードを入力すると、簡単にファイルは見つかった。
それをコピーすると、USBを抜いて、何食わぬ顔で営業部を出た。
そして、私は重役フロアに向かった。
これで最後だもの。
挨拶くらいは許されるはずよ。
フロアに入った私は副社長を探した。
副社長はいつものようにパソコンの前にいるのかと思ったら、珍しく社長室から出てきた。
隣には時任社長がいて、今日もボサボサの頭に黒ぶちメガネで目が見えない。
しかも、ジャージ。
身なりをきちんとしている諏訪部さんとは大違いだった。
辞めて正解かもね。
なんて思いながら、私は二人に近づいた。
「あの……副社長」
そっと呼び止めて、目を潤ませると、私は副社長をじっと見つめた。
「私、ずっと副社長のこと、好きだったんです。もう……会えなくなると思ったら、ちゃんと伝えたくて」
これで、グラッとこない男なんていないはず。
私は自信があった。
それなのに副社長は冷ややかなまなざしで私を見ていたばかりか、時任社長も表情一つ変えていなかった。
「ああ……秘書の」
今になって、わかったのか、私の顔を見て頷いていた。
「夏向、最後まで名前を覚えられなかったな」
「本当だね」
どこまでも私を無視して!
たった一人だけを想い続けるなんて。
そんなのぜったい許さない。
「副社長っ!ひどいですっ!」
私は副社長に抱きついた。
驚き、副社長は身を固くしたかと思うと、顔を歪ませて反射的に私の体を突き飛ばした。
いつから聞いていたのか、私の背後から出てきた真辺専務が受け止めた。
「おっと。副社長は慣れない人に触られるの嫌いなんだよ。慣れれば、平気なんだけど」
「大丈夫か?夏向」
時任社長の前髪からのぞいた目はぞくりとするほど鋭く。まるで獣のようだった。
なに、この人―――さっきと様子が違う。
「社内で副社長を襲うなんていい度胸だな」
「お、襲ってなんかないです……!転びそうになっただけですから……」
なぜか、怖くて仕方なかった。
「し、失礼します」
慌ててエレベーターまで走り、すぐにボタンを押して乗った。
「……なんなの」
気づくと、手が震えていた。
悔しい―――でもいいわ。
副社長の服にファンデとキスマークがついてしまったけど、しかたないわよね?
ポケットに片方、ピアスも入ってしまったけど、たまたま、そうなってしまっただけで、わざとじゃないの。
これが原因で二人の間が気まずくなるかもしれないけど、副社長に近づけないから、教えてあげることもできない。
「ごめんなさいね?」
そして、私の手の中には時任の顧客情報が入ったUSBがある。
あの社長も重役達も並んで頭を下げることになる。
謝罪会見が楽しみだわ。
これで終わりよ―――私を無視した罪は重いんだから!
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