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19 私達の家 (前編)

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「今日からカモメの家に新しい子が入りました。倉永くらなが夏向かなた君です。みんな、仲良くね」
新しく来た子はガリガリにせた男の子だった。
前髪が目を隠してしまっていて、どんな顔をしているのか、よくわからなかった。
黙ったまま、何も話さない男の子を皆は静かに眺めていた。
私達は幼いながらに人に聞いてはいけないことがあると言うことを理解していた。
「夏向君は桜帆さほちゃんの二個上だけど、面倒見てあげてね」
いつものように私は頷いた。
親のいない子や事情があって預けられている子供達が暮らすカモメの家という施設で私は赤ちゃんの頃から育った。
そのせいか、私は皆のお姉さんだという気持ちが強く、年下の子や新しく来た子のお世話をすることが多かった。
大変だったけれど、先生達に信頼されるのは嫌ではなかった。
必要とされていることで安心できるから。
私はここにいてもいいんだと思えた。
「よろしくね。私は桜帆だよ」
小さくうなずくと、夏向は一人になりたいらしく、部屋の片隅に行って静かに座っていた。
「初日だもんね。仕方ないか……」
「桜帆ちゃん、髪の毛してー」
「編み込みでいい?」
「うん」
小さい子達の髪の毛を結び、小学校に行くと、今日きたばかりの男の子―――夏向がさっそくランドセルを蹴られていた。
「こらー!!!」
「や、やばい!ボス猿がきた!」
「誰がボス猿よっ!」
だだだっと追いかけると、逃げていった。
なによ。
根性なしねっ!
夏向の様子を見に戻ると、まだ地面に転がっていた。
なぜ起き上がらないのだろうと、覗き込むとボッーと空を見ていた。
「大丈夫?」
「うん」
言われて夏向はよろよろと立ち上がったけど、ぼんやりしていた。
「またいじめられたら言うのよ?私が仕返ししてあげるから」
「どうして?」
夏向とやっと目があった。
それが嬉しくてにっこり笑って言った。
「カモメの家の子達は私が守るって決めてるの」
「そんな小さいのに?」
「年齢は関係ないわよ」
ブンブンと傘を振り回した。
「ケンカは頭でやるものよ。勝つコツはね、相手が予想もしない方法でやること。ちゃんと覚えておきなさいよ」
「わかった」
素直に返事をした夏向に気をよくした私は得意顔でうなずいた。
夏向は年が上だったけど、なんにもできなかった。
なんにもできないというか、集団生活に向いていなかった。
ベテランの先生達ですら手を焼いていた。
「夏向君。ベッドで眠りましょうね。学校にパジャマを着て行ってはいけません。人が話しているときは起きていなさい」
夏向はなかなか大変な子だったけど、私は嫌じゃなかった。
「夏向。おいで」
そう言うと、素直に来るし、小さい子達に混じって、髪をといてあげても夏向なら、不思議と違和感がない。
困ったのは食事だった。
夏向は好き嫌いが多かった。
ただでさえ、痩せてるのにご飯を残すんだから、なかなか太らなかった。
「夏向、なにか食べたい物はある?」
あまりに痩せているので、心配になって聞いてみた。
「甘いものが食べたい」
「甘い物ねぇ……」
なにかあったかなと思いながら、台所に行くとお小遣いで買ったプリンの素があるのを思い出し、プリンを作った。
百円ショップのプリンの素で作った簡単な物だったけれど、プリンを口にすると、夏向はにっこり笑った。
初めての笑顔に周りの子達もホッとしていた。
それくらい夏向は笑わない子だった。
「桜帆、ありがとう」
「うん。また作ってあげるから、好き嫌いしないで、ご飯食べないとダメよ?」
素直に夏向はうなずいたけど、その日によって食べたり食べなかったりだった。
特になにかに夢中になると、一切口にしない。
水も、食事も。
夏向が特別だと思ったのはそういう所だった。
それは私だけが感じていたことじゃなかった。
夏向が施設に来てしばらくたった頃、異質の存在であることを決定づける出来事が起きた。
「桜帆ちゃん、夏向くんがこわいー」
「ずっとなにか書いてるの」
「えー?」
下の子達に呼ばれて、自習室に行くとそこには難しい計算を早いスピードで解き続ける夏向の姿があった。
「どうしよう」
おろおろと高校生のお姉さんがうろたえていた。
「私が課題をやっていたらね、夏向君がやってきて教科書を読み始めたの。それから、ああなってしまって」
紙が足りなくなって、小さい子達のスケッチブックにまで書いていた。
「あー、わたしのなのにー」
「ぼくのやつに書いたー」
「私の使ってないスケッチブックとノートをあげるから、夏向にあげて」
壁に掛けてあったカレンダーを外し、夏向の側に置いた。
裏の白い紙を使えるはずだ。
その間に私は部屋まで走り、行事でもらった使っていないノートとってくると、夏向の隣に置いた。
ちらりと視線だけを夏向は寄越した。
「満足するまでやっていいよ」
それだけ言って、私は椅子に座って夏向を見ていた。
機械みたいに書き続ける夏向を。
先生達ですら何が起きているか、わからなかった。
誰も止めれずに夏向が飽きるまで、それは続いた。
そして、夏向は何もできない子から、この日を境に『天才』と呼ばれるようになった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「夏向、中学入学おめでとう」
わー!と皆で手を叩いた。
春休みに入り、高校を卒業した人達のお別れ会が終わると、次は入学のお祝いをする。
退屈な私達はイベントを必要としていた。
夏向はカモメの家の暮らしになれて少しは皆とも話すようになった。
学校では何も喋らないらしいけど、成績だけはよくて教科書も一回読めば覚えてしまうらしい。
中学校の教科書も早速、開いていたみたいだけど、もう棚の中に片付けてあり、ただの飾りになってしまっていた。
「今年の入学する子は夏向だけだったね。学生服、似合ってるけど、入学式の前には髪を切らないとね」
「うん」
どこまで切ろうか髪に触れていると、先生がそれを見て笑った。
「夏向君は桜帆ちゃんにしか、頭を触らせないから助かるわ」
夏向は黙ったままだった。
警戒心が強く、生活には慣れたけど、人と話すのは相変わらず苦手みたいだった。
「夏向君がきた時はどうなるかと、思ったけど、桜帆ちゃんに懐いてくれてよかったわ」
いつもぴったり後ろについてくるか、そばで眠っているか、夏向と私はまるでカルガモの親子みたいだった。
たまにそういう子がいるから、気にしていなかった。
それに夏向がそばにいても嫌だとは思わなかった。
静かで大騒ぎしたりしないし、まるで空気みたいに自然にそこにいたから。
私も夏向がいることが当たり前になっていた。
けれど、夏向の中学入学のお祝いをしたその日、夏向の親戚だと名乗る人が現れた。
夏向には血が繋がった人がいたのだ。
私と違って―――

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