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5 桜の花
しおりを挟む「桜帆、待った」
駅に向うつもりが夏向が腕を掴んで止めた。
「え?なに?車で帰るの?」
夏向は時任の重役なので車を使える。
運動不足気味だからと断ったけど、気が変わったのかな。
「花見」
桜の花を指さした。
どうやら、夏向はライトアップされた桜を見たかったらしい。
「そういうこと?桜が見たくて仕事を切り上げたの?」
夏向は頷いた。
この間、前髪を切ってあげたのにもう伸びて髪が目にかかっていた。
美容院に行ってくれたらいいけど、夏向は知らない人に髪の毛を触られるのが嫌らしくて、自分からは絶対に行かず、髪を切ってと私に言う。
それはいいんだけど。
昔から、夏向だけじゃなくて、他の子の髪も切っていたから、結構上手だし。
でも、今日、時任の正面から入ったら、おしゃれな人ばかりで気が引けた。
私の素人カットが恥ずかしくなり、何度も夏向の髪がおかしくないか、見てしまった。
お茶を持ってきてくれた秘書の子も女子力が高くて、大手企業に働く秘書ってかんじだった。
そんなことを考えていると、夏向がはぐれないように手を繋いだ。
ぼんやりしていると思ったのかもしれない。
昔と違って、夏向の手は大きくて私の手を包み込んでしまう。
図体ばかりが成長した子供という感じで可笑しかった。
「なに?」
不思議そうな顔で夏向は振り返る。
「夏向は変わらないなと思って」
「そうでもない」
いつもなら、頷くのに今日は違っていた。
反抗期?
まあ、そんな日もあるわよね。
川沿いの桜並木は満開で水面に提灯の灯りと桜の花が映っていて、夜の闇を鮮やかに彩っていた。
桜の枝が両側からアーチのように川にかかり、橋の上から眺めるその風景は幻想的だった。
「綺麗ね。夏向」
「うん」
夜風が吹くと、ふわりと花びらが舞い、水面に落ちて行く。
いつまでも眺めていれそうな気がした。
しばらく、無言で眺めていると、隣の夏向が橋の欄干に寄りかかり、空いた片手で体を支えていた。
「お腹空いた?」
「……大丈夫」
嘘ばっかり。
こんなところで倒れられては困る。
夏向は人よりエネルギー効率が悪い気がする。
お昼を食べたら、途中で間食すればいいのに夢中になっていると水を飲むことも食べることも忘れてしまうのだ。
「おやつを食べてないんでしょ。私のバッグに飴があるから。これ、食べて」
手渡そうとしたのに夏向は口を開けた。
どこまでものぐさなのよ……。
飴の袋を開けて、指でつまんだ。
「手を出して―――」
そう言った瞬間、夏向は飴をつまんだ手を掴み、口を近づけると指に唇が触れて、舌が指を舐める―――突然のことに動揺してしまう。
「夏向っ!」
夏向は飴を口の中にいれると、満足そうに微笑んでいた。
「甘い」
悪ガキにもほどがある。
ほんっっっと!いつになったら、大人になるわけ!?
からかわれた悔しさでぶるぶると拳を震わせ、顔を赤くする私を見て夏向は笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「その細い体のどこに食べ物が入っていくのか、不思議すぎるんだけど」
夏向の空腹が限界まできていたので、作り置きしておいた鶏手羽と大根の煮物を温めて煮卵を添えた。
ほうれん草としらすのお浸し、それから、甘く金時豆を煮たもの。
甘いものが好きな夏向は甘いものが出てくると嬉しい顔をする。
その嬉しい顔が見たくて、デザートにフルーツやゼリー、プリンなどを出してしまう。
犬の可愛さに負けておやつをあげてしまった時の気持ちに似ている。
先に夏向が食べている間に味噌汁を作って夕飯にした。
「ご飯を予約しておいて、よかったわ」
夏向はよっぽどお腹が減っていたのか、大盛りの炊きたてごはんをせっせと食べていた。
そういえば、今日は本当なら飲み会だったなーと思い出した。
住吉さんは行きたそうだったけど、あれは将を射んと欲すれば先ず馬を射よってやつだと思うけどね……。
佐藤君は何度も会社に来ているけど、社長にまったく相手にされないものだから、周りから固めていく作戦と見た。
営業は本当に大変な仕事だよね。
「ねえ、夏向。今日ね、ネットサービス会社の営業の子が来ていてね。ああいうのって、契約料は高いの?」
いらないものじゃないし、金額さえ何とかなれば、社長もいいって言いそうだった。
「さあ……」
「さあって。夏向の仕事ってそんな仕事なんでしょ!?」
「お金のことはわからない」
「そんなものなのね」
「他の人がしてると思う」
「でしょうね」
はー。夏向に聞いた私が馬鹿だったわ。
「そいつ、男?」
「え?営業の子?そうよ。最近、顔を出すようになった子でね。佐藤君っていうんだけど、社長に何回も頼みにきてて、なんとかしてあげれないかなって」
「ふーん」
なにその態度。
ぱくぱくっと夏向は無言でご飯を口に放り込み、なぜか気まずい雰囲気で夕飯が終わった。
怒ってたのかな。
なんで?男の営業だから?
いやいや、まさかね。
私と夏向は兄妹みたいなもの。
もしくは大家と下宿人。
しかも、自分はおろか他人のことなんか気にかけない夏向。
今もリビングのふわふわした白のラグの上で猫みたいにゴロゴロと転がってるし。
まだラグの上で転がってるだけならいいけど、酷い時はその辺の床の上に寝ている時がある。
それくらい気ままなのだ。
「ありえない」
夕飯の片づけをしながら、夏向の姿を見て首を横に振ったのだった。
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