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29 彼の誘惑
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『新事業の発表に、麻王グループの専務として出る』
そんなイベントがあると知ったのは、『Fill』の打ち合わせが終わった後だった。
ショーで採用するモデルを決める必要があり、イメージと合うかどうか、議論が繰り広げられていた。
――中性的なイメージの人っているけど、なんだか自分の中で、しっくりきてないのよね。
理世をモデルに作ったからか、私はまだ決めかねている。
――リセは理世で、麻王グループの専務。私の服を着てくださいなんて頼めない。
こればっかりは、いくら結婚したからといって、気軽に頼めるものではない。
そんなことを悩んでいると、理世からメッセージがきていて、事業発表をする場所まで書いてあった。
「もしかして、心細いとか?」
――心細いなんて、思いそうにない。
でも、ここに来て欲しいと思っているから、書いたのではないだろうか。
「心細いって誰のこと?」
恩未さんは、私のつぶやきを聞いていたらしい。
その手には、新しい生地カタログがあった。
麻王グループ傘下の子会社には、繊維会社もある。
その繊維会社が取り扱う生地を使えるようになったため、今までより、ずっと自由に素材を試せる。
恩未さんはそれに夢中だった。
「理世が新事業の発表で、メディアに顔を出す予定になっているみたいなんです」
「ふぅん。それって、週刊誌のことも聞かれたりするのかしら?」
恩未さんも私と同じことを思ったらしい。
「そ、そうですよね。事業内容より、そっちのほうが、気になる情報ですよね」
「しかたないわよ。麻王グループの次期社長だし、仕事関係者の手前、なにかしらのコメントを求められてもおかしくないわ」
恩未さんの言葉にうなずいた。
「そうなんです。きっと週刊誌が出たせいで理世は……」
「ニヤニヤしてそう」
「え? 恩未さん?」
私が思っていた反応と違っていた。
通りすがりの紡生さんまで、理世のニヤニヤ顔に同意していく。
「してるだろうね。結婚相手を報告する手間がはぶけたなって、思ってるかも」
紡生さんまで加わって、そんなことを言い出した。
「二人とも理世を誤解してます」
「理解してるの間違いだよ!」
「心配なら見てきたら? 今日は急ぎの仕事もないことだし」
「うん。ついでに店舗を回ってきて」
「はあ……そうさせてもらいます……」
理世のイメージって、『Fill』のメンバーから見たら、どんなイメージなのか、不安になってきた。
そのあたり、詳しく追及したかったけど、理世のことが気になり、事務所を出て、会場へ向かった。
「おかしいと思っていたのよね……」
今日の朝、理世はいつもより早く出て、麻王の本邸に行った。
私のことで、両親から、いろいろ聞かれたに違いないと思っている。
――やっぱり、きちんと挨拶に行かなきゃ。
ショーが終わってからでいいって、理世は言っていたから、後回しになってしまっていた。
――そんなわけにはいかないわ。私が理世をどれくらい好きで、必要なのか、ちゃんとわかってもらいたい。
理世が送った住所まで、急いで行くと、会場はホテルで、私が着いた頃には、すでに大勢の人だかりができていた。
――こんなに人がいたら埋もれて、私がいても、どこにいるかわからないわ。
しかも、週刊誌を見ている人たちのはずなのに、私が理世の妻だと誰も気づかない。
――平凡でよかったような悪かったような。
複雑な心境だったけど、そっと人の隙間を縫ってもぐりこんだ。
なんとか理世の顔が見える場所まで、移動できた。
「新事業がうまくいくように願っております」
「ありがとうございます」
すでにやり取りが始まっているようで、理世の声が聞こえてくる。
「社長と会長は、ご結婚相手のことについて、なにかおっしゃられていましたか?」
「父と祖父は、静かに見守ってくれていますね」
理世のほうはまったく動じず、逆に美しい顔立ちに圧倒された質問者が、自然と丁寧な態度になっていた。
「では、お金目当ての女性に、騙されたと週刊誌に書かれていましたが、専務自身は、ご結婚相手に対して、どう思っていらっしゃいますか?」
理世はそこで初めて微笑んだ。
その微笑みに、誰もが動きを止めた。
あまりに綺麗だったから、見惚れてしまったのだとわかった。
――美人すぎる。
見慣れているはずの微笑みなのに、私までぼうっとなってしまった。
さすが、モデルのリセをやっていただけある。
「そうですね。逆に俺のほうが、彼女を金と権力で、縛りつけてしまった気がして、後ろめたさを感じます」
憂いを帯びた顔は色っぽく、カメラのシャッター音が消え、ボタンを押すのを誰もが忘れてしまっている。
「病気の妹を助けたいと願う彼女の優しい気持ちにつけこんだのは、俺のほうでした」
「そ、それでは、プロポーズされたのは、専務からということでしょうか」
顔を赤らめた女性記者が、質問すると、理世はにっこり微笑んだ。
「それはもちろん、俺からですね」
完全に理世の虜にされた女性記者は、うっとりとして、『なんて、素敵な話……』とつぶやいている。
そんな理世に、負けない男記者が、ずいっと前へ出た。
「彼女はブランド『Fill』のデザイナーですが、結婚してから、『Fill』を麻王グループ傘下に置きましたよね? それは彼女からの要望ですか?」
「信じていただけないかもしれませんが、提案したのはこちらです。『Fill』に入る前から、彼女のことはデザイナーとして、目をかけ、気に入っていました」
――入る前?
それだと、学生の私と理世が会っていたことになる。
「学生の頃から、狙っていたということですか?」
「ええ。そうです。いつか彼女の力になりたいと思っていました。たとえ、男として好きになってもらえなくても、ですが」
私が意識する前から、理世は私を知っていたという事実を知り、胸が苦しくなった。
――偶然の出会いじゃなくて、理世はずっと私を見守ってくれていたの?
「『Fill』はこの先、確実伸びていく若いブランドです。俺が『Fill』を買収するために、彼女を利用したと思われてもしかたないことでしょうね。これを聞いて、彼女は俺を嫌いになるかもしれない」
理世の言葉を聞いて、私は飛び出していた。
理世は自分を悪く言うけど違う。
助けられたのは私のほう。
「理世は私を助けてくれた。利用されたなんて思ってない!」
「琉永」
人の中から飛び出してきた私を理世は抱き締めた。
うるさいシャッター音の中で、理世がくすりと笑う声がした。
「知ってる」
「えっ!?」
理世がカメラに私の顔が見えないようにして、私の唇をふさいだ。
わぁっという歓声とさっきよりうるさくなったシャッター音。
そして、唇を離した理世が低い声で言った。
「俺はそんな善人じゃない。知ってるだろ?」
――あれは演技!?
さっきとは、まるで別人の悪い顔をして、私にささやく。
それは誰も知らない顔だ。
私にだけ見せる顔。
私も記者も――全員が理世の罠にはめられてしまった。
でも、騙されたことに気づいたのは、この場で私だけだった……
そんなイベントがあると知ったのは、『Fill』の打ち合わせが終わった後だった。
ショーで採用するモデルを決める必要があり、イメージと合うかどうか、議論が繰り広げられていた。
――中性的なイメージの人っているけど、なんだか自分の中で、しっくりきてないのよね。
理世をモデルに作ったからか、私はまだ決めかねている。
――リセは理世で、麻王グループの専務。私の服を着てくださいなんて頼めない。
こればっかりは、いくら結婚したからといって、気軽に頼めるものではない。
そんなことを悩んでいると、理世からメッセージがきていて、事業発表をする場所まで書いてあった。
「もしかして、心細いとか?」
――心細いなんて、思いそうにない。
でも、ここに来て欲しいと思っているから、書いたのではないだろうか。
「心細いって誰のこと?」
恩未さんは、私のつぶやきを聞いていたらしい。
その手には、新しい生地カタログがあった。
麻王グループ傘下の子会社には、繊維会社もある。
その繊維会社が取り扱う生地を使えるようになったため、今までより、ずっと自由に素材を試せる。
恩未さんはそれに夢中だった。
「理世が新事業の発表で、メディアに顔を出す予定になっているみたいなんです」
「ふぅん。それって、週刊誌のことも聞かれたりするのかしら?」
恩未さんも私と同じことを思ったらしい。
「そ、そうですよね。事業内容より、そっちのほうが、気になる情報ですよね」
「しかたないわよ。麻王グループの次期社長だし、仕事関係者の手前、なにかしらのコメントを求められてもおかしくないわ」
恩未さんの言葉にうなずいた。
「そうなんです。きっと週刊誌が出たせいで理世は……」
「ニヤニヤしてそう」
「え? 恩未さん?」
私が思っていた反応と違っていた。
通りすがりの紡生さんまで、理世のニヤニヤ顔に同意していく。
「してるだろうね。結婚相手を報告する手間がはぶけたなって、思ってるかも」
紡生さんまで加わって、そんなことを言い出した。
「二人とも理世を誤解してます」
「理解してるの間違いだよ!」
「心配なら見てきたら? 今日は急ぎの仕事もないことだし」
「うん。ついでに店舗を回ってきて」
「はあ……そうさせてもらいます……」
理世のイメージって、『Fill』のメンバーから見たら、どんなイメージなのか、不安になってきた。
そのあたり、詳しく追及したかったけど、理世のことが気になり、事務所を出て、会場へ向かった。
「おかしいと思っていたのよね……」
今日の朝、理世はいつもより早く出て、麻王の本邸に行った。
私のことで、両親から、いろいろ聞かれたに違いないと思っている。
――やっぱり、きちんと挨拶に行かなきゃ。
ショーが終わってからでいいって、理世は言っていたから、後回しになってしまっていた。
――そんなわけにはいかないわ。私が理世をどれくらい好きで、必要なのか、ちゃんとわかってもらいたい。
理世が送った住所まで、急いで行くと、会場はホテルで、私が着いた頃には、すでに大勢の人だかりができていた。
――こんなに人がいたら埋もれて、私がいても、どこにいるかわからないわ。
しかも、週刊誌を見ている人たちのはずなのに、私が理世の妻だと誰も気づかない。
――平凡でよかったような悪かったような。
複雑な心境だったけど、そっと人の隙間を縫ってもぐりこんだ。
なんとか理世の顔が見える場所まで、移動できた。
「新事業がうまくいくように願っております」
「ありがとうございます」
すでにやり取りが始まっているようで、理世の声が聞こえてくる。
「社長と会長は、ご結婚相手のことについて、なにかおっしゃられていましたか?」
「父と祖父は、静かに見守ってくれていますね」
理世のほうはまったく動じず、逆に美しい顔立ちに圧倒された質問者が、自然と丁寧な態度になっていた。
「では、お金目当ての女性に、騙されたと週刊誌に書かれていましたが、専務自身は、ご結婚相手に対して、どう思っていらっしゃいますか?」
理世はそこで初めて微笑んだ。
その微笑みに、誰もが動きを止めた。
あまりに綺麗だったから、見惚れてしまったのだとわかった。
――美人すぎる。
見慣れているはずの微笑みなのに、私までぼうっとなってしまった。
さすが、モデルのリセをやっていただけある。
「そうですね。逆に俺のほうが、彼女を金と権力で、縛りつけてしまった気がして、後ろめたさを感じます」
憂いを帯びた顔は色っぽく、カメラのシャッター音が消え、ボタンを押すのを誰もが忘れてしまっている。
「病気の妹を助けたいと願う彼女の優しい気持ちにつけこんだのは、俺のほうでした」
「そ、それでは、プロポーズされたのは、専務からということでしょうか」
顔を赤らめた女性記者が、質問すると、理世はにっこり微笑んだ。
「それはもちろん、俺からですね」
完全に理世の虜にされた女性記者は、うっとりとして、『なんて、素敵な話……』とつぶやいている。
そんな理世に、負けない男記者が、ずいっと前へ出た。
「彼女はブランド『Fill』のデザイナーですが、結婚してから、『Fill』を麻王グループ傘下に置きましたよね? それは彼女からの要望ですか?」
「信じていただけないかもしれませんが、提案したのはこちらです。『Fill』に入る前から、彼女のことはデザイナーとして、目をかけ、気に入っていました」
――入る前?
それだと、学生の私と理世が会っていたことになる。
「学生の頃から、狙っていたということですか?」
「ええ。そうです。いつか彼女の力になりたいと思っていました。たとえ、男として好きになってもらえなくても、ですが」
私が意識する前から、理世は私を知っていたという事実を知り、胸が苦しくなった。
――偶然の出会いじゃなくて、理世はずっと私を見守ってくれていたの?
「『Fill』はこの先、確実伸びていく若いブランドです。俺が『Fill』を買収するために、彼女を利用したと思われてもしかたないことでしょうね。これを聞いて、彼女は俺を嫌いになるかもしれない」
理世の言葉を聞いて、私は飛び出していた。
理世は自分を悪く言うけど違う。
助けられたのは私のほう。
「理世は私を助けてくれた。利用されたなんて思ってない!」
「琉永」
人の中から飛び出してきた私を理世は抱き締めた。
うるさいシャッター音の中で、理世がくすりと笑う声がした。
「知ってる」
「えっ!?」
理世がカメラに私の顔が見えないようにして、私の唇をふさいだ。
わぁっという歓声とさっきよりうるさくなったシャッター音。
そして、唇を離した理世が低い声で言った。
「俺はそんな善人じゃない。知ってるだろ?」
――あれは演技!?
さっきとは、まるで別人の悪い顔をして、私にささやく。
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