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16 私たち、結婚しました!?

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 支払いのために窓口まで行くと、不思議そうな顔をされた。

「あの、清中ですが、お金の支払いを……」
「清中さん? どうかしましたか?」

 ――それは私のセリフだ。

 若い事務員から、ベテランの事務員に窓口が変わっていた。
 なぜ、不思議そうな顔をされるのかわからない。

「入院費の支払いをしたいのですが……」
「先ほど、支払いが終わりましたけど。ほら、あの方が支払われて」

 事務員さんが指さした方向に目をやると、そこにはリセがいた。

「リセ!?」

 今日のリセはスーツ姿じゃなくて、グレーのロングカーディガンと黒のインナー、ショールとサングラス。
 そして、メイクもバッチリしているから、モデルのリセである。

 ――昨日はモデルを頼まれたからやってるなんて言ってたけど、本人はノリノリなんじゃ!?

 ひなびた山奥もリセがいるだけで、ファッション誌の一ページになる。
 どこからどうみても一般人には見えない。
 若い事務員が窓口にいなくて、本当によかった。
 院内にいる人が、全員集まってくる勢いである。
 リセは軽く手招きし、駐車場を指差す。

「ま、まって!」

 私はリセの背中を追いかけた。

「リ、リセ!」
「琉永。車に乗って。仕事場まで送るから」

 サングラスを少しだけずらして、上目づかいでこちらを見た。
 その顔は反則だと思う。
 女性の姿をしているのにドキッとして胸が苦しくなる。
 私には、リセがモデルの姿をしていても男性で、女性に見えなくなっていた。

「どうしてリセは、モデルの格好をしてきたの?」
「この格好のほうが有利な場合もある」
「え? 有利なことがあるの?」
「ある」

 リセはハンドルを指でコツコツ叩いた。

「琉永は俺の奥さんになったよな?」
「お、奥さん!?」
「俺は夫。違った?」
「ち、違わないけど……」
「悩んでることがあるなら、すぐに言わないと。これから、ずっと一緒にいるのなら、琉永だけの問題じゃない」

 その言葉を聞いて、私は本当にリセと結婚したんだと、今になって実感した。
 昨日の私は追い詰められたネズミ同然。
 その時の気分は、それこそ『窮鼠猫をかむ』という勢いで、婚姻届にサインした。
 けれど、冷静なってに考えると、私はとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと、不安な気持ちになっていた。

 ――なにかの罠とかではないわよね? ドッキリとか。

「あの、リセ。私の代わりに、妹の病院代を支払ってくれて、ありがとうございました。払っていただいた分は、責任もって働いて返します」
「なんだ。その突然の他人行儀な挨拶は」
「え? だ、だって、夫婦といってもお金のことはちゃんとしておかないと」
「あれくらいたいしたことない。返す必要もない」
「でも……」

 リセはなにか言おうとした私の言葉を遮った。

「琉永の妹は近いうちに転院させる。あの病院じゃ手術はできないからな」
「手術って、千歳を助けてくれるの!?」
「待った」

 前のめりになった私をリセは手で制した。

「感謝されたくて助けた訳じゃない。それを理由に俺を好きになろうとするなよ」
「理由があるから、私はリセを好きになったわけじゃない……」
「けど、妹を理由に結婚しようとしていたからな。俺に義務を感じて欲しくない。俺は琉永と対等でありたい」

 リセは難しい顔をしていた。
 私がリセを好きだってこと伝わってないのか――伝わりきれてないのかもしれない。
 私はバッグからデザイン画を取り出した。
 
 ――私にとって、リセは特別な人だってわかってほしい。
 
「リセ。このデザイン画を見て。これは全部、リセを思って描いたの」
「俺を?」
「パリの時もそう。ランウェイを歩くリセに一目惚れをして、たくさんデザイン画を描いた。昨日もリセを見て、我慢できなくて、たくさん描いてしまって……」

 パリで描いたデザインには日付とエッフェル塔にかかっていた月と同じ三日月のマークがある。
 それから、昨日のデザイン画も。

「モデル姿のリセとスーツ姿のリセは全然違うけど、私は同じ人に二度、一目惚れしたの。どっちのリセも魅力的だから!」

 力説してしまった。
 私がどれだけリセのことが好きか、憧れているか、伝わっただろうか。
 リセを見ると、優しい表情で微笑んでいた。
 そんな顔をされたら、また私はリセを好きになってしまう。

「それならいい」

 屈託ない笑顔に私も微笑んだ。

「お互いの気持ちがわかって、よかったと言いたいところだが、のんびりしている暇はなさそうだ。琉永の引っ越しを急ごう」
「引っ越し?」
「ああ。乾井いぬいの性格を考えたら、琉永の弱みがなくなったと気づいたら、焦り出す」

 千歳が安全な場所に移されたら、父も継母も私になにもできなくなる。
 啓雅さんが私の自由を奪うために、父に借金をさせた三千万。
 父に返済能力があるとは思えず、借金を踏み倒されるかもしれないのだ。

「アパートまでくる確率が高い。押し掛ける連中は、他にもいるだろう」

 リセははっきり言わなかったけど、父と継母が押しかけてきて、なにをするかわからない。
 そう言いたかったんだと思う。
 千歳のことがなければ、もう二度と二人に利用されずに済む。
 リセはそれを全部わかっていて、私の引っ越しを急いでいる。

「リセ。どうして私にここまでしてくれるの?」
「その答えは簡単に教えてあげられないな」
「えっ? どうして?」
「琉永が俺を覚えていないから」

 ――それって、私との初めての出会いが、パリではなかったってこと?

 意地悪な答えだったけど、覚えてない私が悪いというように、リセは絶対教えてくれなかった。
 運転するリセをチラッと横目で見る。

 ――こんなかっこいい人、一度見たら、絶対忘れられないと思うけど。

 その上、頭がよくて綺麗で、お金持ちなリセ。
 ただのモデルとは思えない。
 そういえば、本名を聞くのを忘れていた。
 今思えば、リセというのはモデルの時の名前で、フルネームもまだ知らない。
 婚姻届を書いた時は必死すぎて、ちゃんと隣の欄を見ていなかった。

「リセの本名って……」

 聞こうと思った瞬間、『Loreleiローレライ』の文字が浮かぶ巨大スクリーンが目に入った。
 信号待ちの車の中から、見えたスクリーンに、ローレライの美しい姿が写し出された。

「あれがローレライの新しいCM……」
「ああ。デジカメのCMだな。メーカーからぜひって言われて決まった」

 青い海を背に風を受け、長い髪をなびかせるローレライ。
 ワンピースは海と同じ色をしているのに、その存在感は海に負けない。
 歩くとワンピースの裾が波のように揺れる。
 耳のイヤリングとネックレスは氷の粒を模したデザイン。
 彼女の温度を感じさせない姿は、まるで海の妖精。

「あっ! リセ!?」

 そして、リセが現れる。
 対比した存在の二人。
 ローレライの氷を溶かす炎は赤。
 赤い炎が――最後まで見届ける前に、信号が赤から青に変わって、車が動き出してしまった。

「リセも見たかったのに」
「見る必要がない」

 見られたくないのか、車のスピードがさっきより出ている。

「実物でいいだろ?」
「実物はいるけど、それはそれというか……」
「俺がここにいるのに欲張りだな」
麻王あさお悠世ゆうせいがリセにどんな服を作ったのか見たかったの」

 私の子供みたいな嫉妬に気づいたのか、リセが笑う。

「俺は琉永の作る服が好きだよ」

 その言葉は私にとって、最高の殺し文句だった。
 そんなふうに言われたら、なにも言えなくなってしまう。
 にやけた顔をリセに見られたくなくて、窓のほうに顔を向けた。

 ――どうしよう。すごく嬉しい。リセが私の服を好きだって!

「けど、まだまだだな」
「えっ!?」

 ――持ちあげておいて、それから地面に叩き落とすスタイル!?

「着いたぞ」

 車は『Fillフィル』のデザイン事務所の駐車場に入った。
 そして、エンジンを切り、リセが車から降りる。

「どうしてリセも一緒についてくるの?」
「ああ。ほら。妻の職場に挨拶しないとね」
「その格好で!? なんのために!?」
「んー、職場見学?」

 リセが悪い顔をして笑ったのを私は見逃さなかった。

 ――なにをたくらんでるの?
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