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15 大切な妹

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 ――結婚してしまった。

「ほ、本当に結婚したの? 私っ!」

 朝になり、冷静になった私は、その事実に直面していた。

 ――リセのキスは危険すぎる。ううん、キスだけじゃない。目も指も全部。
 
 思い出しただけで、私を魅了するリセの存在。
 ろくに婚姻届も見ないで、サインして渡してしまった。

 ――その場の勢いもあったけど、それより問題なのは、『リセは私のどこがよかったんだろう』テーマはこれよっ!

 鏡を見ても、特徴らしい特徴のない普通の顔である。 
 こんな普通な私が、リセとキスするなんて、申し訳なさ120パーセント。
 まさかの100パーセント超え。
 リアルな唇の感触を思い出し、鏡の中の自分が、赤くなっているのがわかった。  

 ――それだけじゃない。私ったら、リセに会っただけで、デザイン画を何枚も描いてしまった。

 床に落ちているデザイン画をかき集めた。
 昨日、リセに会ってから、思い浮かんだアイデアの数々。
 一心不乱に描き続け、部屋には大量のデザイン画が散らばっていた。 

「こんな時なのに、私ったら、なにしてるのか……」

 考えるのはデザインじゃなくて、リセとの結婚である。

「そういえば、連絡先に名刺をもらったんだった」

 仕事にいくため、デザイン画をバッグに入れた。
 リセの名刺を一度確認しておこうと思い、名刺入れを探していると、スマホが鳴った。
 スマホ画面には、妹の千歳ちとせが入院している病院の名前が表示されている。

「病院から? まさか千歳になにか……」

 慌てて電話を取った。

『清中です』
『もしもし、清中きよなか琉永るなさんですか?』
「はい、そうです。千歳になにかありましたか!?」
『いいえ。千歳さんは発作もなく、元気ですよ』

 元気と聞いて、ホッと胸をなでおろした。

「あ……、そ、そうですか。よかった」

 ホッとしたのもつかの間――

『先月分のお支払いが、まだなんです。千歳さんのご両親に連絡したのですが、琉永さんに連絡するよう言われてまして……』

 気まずい空気が電話越しからでも伝わってくる。

 ――父はいったいなにを言ったのだろう。もしくは継母が私の悪口を言っていたのか。

 昨日、私が啓雅けいがさんの提示した契約書を拒み、サインをしなかった。
 それもあって、二人の私への怒りは凄まじいものだと想像できた。

「……ご迷惑をおかけしてすみません。出勤前に寄らせていただきます」

 父と継母は、病院の支払いに困った私が、啓雅さんと結婚すると思っているに違いない。

 ――千歳にひどいことはいわない。千歳は私を利用するために必要だから、大事な人質だ。

Fillフィル』の事務所に電話をかけた。

「おはようございます。清中ですけど……」
『おっはよーん!どうしたの?琉永ちゃん!』

 なぜこんな時に紡生つむぎさんが出てしまったのか。
 できたら、恩未めぐみさんがよかった。

「えーと、朝早いですね。恩未さんはいますか?」
『いるけど、今は忙しい!』

 どうして、あなたはヒマなんですかと聞きたかったけど、その言葉を呑み込んだ。

「妹の病院に寄ってから出勤するので遅刻します。遅刻した分は、残業するので、よろしくお願いします」
『いいよ。千歳ちゃん、発作が起きたの?』
「いいえ、その……」

 お金の支払いで呼ばれましたなんて、恥ずかしくて言えなかった。
 私が困っているのがわかったのか、紡生さんはそれ以上、追及しなかった。

『あー、いいよ、いいよ。千歳ちゃんの病院に寄ってあげて。ただし、遅れた分はきっーちり仕事してもらうからね?』
「ありがとうございます」
『いえいえ』

 私が千歳のことで病院へ行くのは、これが初めてではない。
 周りと気まずくならないよう紡生さんは、突然の休みや早退も快く対応してくれる。

 ――家庭の事情も言いたくないってわかってる。だから、私は『Fillフィル』が好きだし、働いていられる。

 優しさに泣きそうになりながら、電話を切り、貴重品が入っている机の引き出しを開けた。
 少ない貯金だけど、あるだけ持っていくしかない。
 今までのアルバイトで貯めたお金は、そんなに多くない。

「足りるといいけど……」

 千歳は心臓が弱く、手術をしたほうがいいと言われているけど、手術費は高額で、働きだしたばかりの私には、とても払えるような額ではなかった。
 父に頼んでも殴られて終わり、継母はそんな私を笑っていた。 

 ――私の学費を出してくれたのは、二年間だけ。それも啓雅さんに借金していたのかもしれない。

 昨日の三千万円という金額を思い出し、背筋が寒くなった。
 そういえば、学費がいらない特待生になった時、父は少しも喜んでくれなかった。
 私を二十歳で結婚させるつもりだったとしたら、あの態度も納得がいく。

「とりあわず、千歳の病院代を払わなきゃ……!」

 電車に乗り、バスに揺られて山の中にある静かな病院に着いた。
 郊外の小さな病院で、交通の便の悪さからか、外来患者は少なかった。
 受付の清算窓口をのぞくと、若い新人の女性事務員が座っていた。
 
「すみません。清中ですが、支払いにきました」
「お支払いですね。少々お待ちください」

 請求書を探し始め、他の人は不在のようで、これはしばらくかかりそうだと思った。

「先に妹に面会してもいいですか? 帰りに寄ります」

 そう答えると事務員の女性は助かったという顔してうなずいた。

 ――千歳に心配させないように、余裕たっぷりな私でいないとね!

 ペチペチ頬を叩き、消毒液の匂いがする廊下を歩いて、エレベーターに乗った。
 二階建てになっていて、病棟は西と東にわかれている。
 千歳が入院している西病棟へ向かった。
 部屋は四人部屋だけど、今は千歳だけで、同じくらいに入院した人たちは、他の病院へ転院していった。
 千歳は何度も同じ病室の子を見送っている。
 冬に大きな発作が起きて入院して以来、担当医の許可が出ず、今のところ退院の目処はたっていない。

「千歳。調子はどう?」

 ベッドを隠すカーテンの隙間から、そっと顔を出した。
 ベッドの上には青白い顔をした千歳が、高校の教科書を開き、課題をこなしていた。

「お姉ちゃん! 来てくれたの? 仕事は?」

 千歳は長い三つ編みを揺らし、笑顔を浮かべて私のほうを見た。
 元気そうな千歳の顔を見て、私も笑顔になった。

「今日は午前中が休みなの」
「本当?」
「本当、本当!」
「それならいいけど……。お姉ちゃんはずっと夢だったデザイナーになったんだから、忙しいでしょう? 私は平気だから、仕事を優先して」

 千歳から、私に迷惑をかけたくないという気持ちが伝わってくる。
 だからこそ、私は今日、病院に呼ばれた理由を絶対口に出せなかった。

「あのね、お姉ちゃん。私、大学受験は諦めようと思っているの」
「どうして!?」
「医学部はお金がかかるでしょう? それにこの体じゃ無理だし……」
「最近、発作もないし、先生は大丈夫って言ってたわよ? お金のことは心配しないで!」

 青白い千歳の手を握った。
 千歳には辛くても生きたいと思えるような夢が必要だ。
 手術だって、夢があるから、受けたいと思ってる。
 お母さんとの記憶がある私より、千歳のほうが辛く、寂しい日々を送ってきた。
 だから、せめて私がお母さんの代わりに、千歳の夢を守りたい。
 生活も――

「千歳は勉強だけじゃなくて、体力をもつけないとね。体力がついたら、手術をして千歳は元気になって大学に通うのよ。ちゃんと準備しておかないと駄目よ」
「でも……」
「大丈夫! 私が有名なデザイナーになって、千歳の手術代も学費も余裕で出せるようになる予定でしょ!」

 千歳に不安を悟られまいと、笑顔を浮かべ、明るく振る舞った。

「じゃあ、千歳。午後から仕事があるから行くわね。勉強、サボらないのよ」
「うん。来てくれてありがとう。お姉ちゃんも仕事、頑張ってね」

 また来るわねと言って、千歳に手を振った。
 そろそろ支払い金額がわかった頃だ。
 私の持っているお金で足りればいいけど……
 千歳には強がってみせた私も、一人になったら心細くて、不安な気持ちを抱え、廊下を歩いた。 
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