私達には婚約者がいる

椿蛍

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2 私達には婚約者がいる(2)

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不機嫌な毬衣さんを気にすることなく、知久は笑って言った。

「ご心配なく。俺が女性関係で困ったことは一度もないので」

「それは女性のご機嫌をとるのがうまいということだろうが、婚約者のご機嫌はまた違うものだ」

笙司さんは毬衣さんのほうを気にかけながら言った。
それだけ、こちらに敵意を向けてきているからで、特に私のことを嫌っている。
毬衣さんの髪は私と違って短い。
耳の下で切り揃えているのには理由があって、私の髪がロングで同じ髪型にしたくないからだと本人がわざわざ言ってきた。
猫のように細い目をしたきつめの美人で機嫌を損ねると面倒なタイプ。
知久はため息をついた。

「こっちは仕事で遊んでるわけじゃないんだけどなー」

その態度で?
疑わしいにもほどがある。
そもそも、まだ知久は仕事中。
今は休憩時間なのに気軽にテーブルにやってきて、知り合いとおしゃべりなんて、自由すぎる。
ファンなら嬉しいだろうけど、笙司さんは物凄く迷惑そうな顔をしていた。
それでも知久が陣川家の息子だから、邪険に扱うことなんてできなかった。

「仕事とはいえ、さすがに婚約者の前で他の女性に愛想を振り撒くのはまずいだろう」

「俺は別に自分から振り撒いていませんよ? 向こうから手を振ってくるから、応じているだけで。ほらね」

ひらひらと知久は女性客に手を振り返す。
振り撒いてるのは愛想じゃなくてフェロモンだと思うわ。
知久を呆れた目で見る私と違って、他の女性は彼の一挙一動に歓声をあげていた。
テーブルの女性客は『目があった!』と大騒ぎになり、ますます毬衣さんのご機嫌は悪くなった。

「知久君。君の婚約者のご機嫌が相当悪いようだ。こちらのテーブルより先に挨拶しておくべきだったな」

「それじゃあ、バイオリニストらしく音楽でごきげんをとろう」

目を細め、笑みを浮かべた知久は顔からふざけた表情を消した。
それにどきりとしない女性なんていない。
知久は私をちらりと見た。

「小百里さん。俺と一緒に演奏しない?」

「私? 私は唯冬みたいに上手くないけど」

弟の唯冬はピアニストで知久と同じ音楽事務所に所属している。
いわゆるプロの音楽家。
私はピアノ教室でピアノを教えているだけで大勢の人の前で弾くことなんて滅多にない。

「失敗しても俺がフォローするから大丈夫。みんな、俺を見ているだろうし、緊張しなくていいよ」

「もう……!」

憎たらしいことを言っても許されるのは知久の持つ愛嬌のおかげで、普通なら嫌味だととられるのも冗談で済まされる。
私と知久のやりとりを聞いていた笙司さんがワイングラスを置き、毬衣さんのほうをちらりと見た。

「小百里。ピアノを弾いてあげないとこの場は収まらないんじゃないか」

「笙司さんもそう言ってることだし、一曲だけでも弾こうよ」

「しかたないわね」

席を立ち、一瞬だけ知久と視線を絡ませてから腕を差し出す。
エスコートに慣れている知久のふるまいは自然だった。
女性がそばにいることに違和感がない。
私がその腕に手を絡めたところで、周りはおかしいとは思わなかった。

「ただいま。

さっきとは違う低い声。
今年の春、留学先のドイツから帰国した知久。
大人の男の人の色気を兼ね備え、以前に増して魅力的になった。
ふざけているのは変わらないけど、本当は誰よりも色々なことを考えていることを私は知っている。

「なかなか会えなくて寂しかったよ。小百里は?」

「どうだったかしら」

はぐらかされたと知久は気づいていた。
でも、彼は嫌な顔はしなかった。

「そんなふうに言えるのも今だけだよ」

「怖いわね」

「留学する前から決まってるんだよ。小百里が俺の物になるのはね」

「欲しいものを我慢することができないのかしら?」

「残念。俺が欲しいものを諦めたことはないんだ」

まるで殴り合うかのような会話。
初めて会った時から私達はこうだった。
お互いの本当の姿を唯一知る者。

「知久。私達には婚約者がいるのよ」

私には笙司さん。
知久には毬衣さんが。
それぞれ観客席テーブルから私達を見ている。
家同士の決めごとによって選ばれた婚約者達。
それは何年も前から決められていた。
抗えないもの。
私の婚約は、私を不幸にするための婚約、彼の婚約は家の都合のための婚約。

―――私達には婚約者がいる。

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