私達には婚約者がいる

椿蛍

文字の大きさ
上 下
6 / 37

6 私と彼の 出会い

しおりを挟む
私が渋木しぶき家に引き取られたのは中学生の時だった。
母と父の間にどんなやり取りがあったか、私には知らされなかった。
でも、私を母は捨てたのだということだけは理解できた。
父が私を引き取ることになったのは、母に父とは別の恋人ができたから。
いつも母は帰りが遅く、休日はいないことが多かった。
私にいい暮らしをさせたいから、父と暮らしなさいと言っていたけれど、どこまでが本心だったのだろうか。
父の物とは違う男物の香水の香り、父と違う男の人と会っていたこと。
母は私に『あの人には内緒よ?』なんて言っていたけど、父は気づいていたと思う。
私は自分が愛人の子であることを知らず、母から父とは、理由があって別居しているとだけ聞かされて育った。
だから、てっきり二人は理由があって、ただ別居しているだけで、本当の夫婦なんだと私はずっと思い込んでいた。
さすがにおかしいと思い始めてきたのは小学生の頃。

『お母さん。どうしてお父さんは一緒にいないの?』

家族が出てくるアニメを観ていて、私は母に尋ねた。

『お父さんには別の家があるからよ』

そう、家があるの―――母はなにも言わなかったけど、私はそれだけで理解した。
そして、私はそれに関して、なにも触れないようにしてきた。
美しい母の歪んだ顔を見たくなかったから。
母の口癖は『愛していても一緒にいられない人もいるのよ』だった。
だから母は自分と一緒にいてくれる人を選んだのだ。
いつも一緒にいた私じゃなくて、恋人を。
けれど、自由奔放な母にとって、渋木の家に入ることは最初から無理な話だった。
渋木の家に来て、母が愛人で満足していた気持ちが理解できた。
住む世界がまったく違っていた―――ここは。
大理石の床の広いパーティールーム、庭に噴水があり、ゲストルームはお手伝いさん達によって整えられていた。
私が渋木の本邸にやってきて、理由をつけて父は親戚を集めた。
それは私のお披露目会で、私の存在を親戚に認めさせるためのものだった。
ここぞとばかりに好奇の目でじろじろと眺められ、父は私のことを手がかからない子で、とてもいい子で、優秀だと、親戚に説明していた。
いつも堂々としている父が私のせいで、頭を下げているのを見て、胸が痛んだ。
私にできることはなく、人形のように黙って座り、時間が過ぎていく。

「愛人の子を引き取るなんて渋木の奥様もお可哀想ねぇ」

「本当に父親は渋木なのかしら。頼るところがないから、一番お金を持っていそうな渋木の家に押し付けたんじゃないの」

「本邸に入るなんて図々しい」

集められた親戚達は私に聞こえる声で、文句を言っていた。
ずっと続く、その悪意ある言葉と居心地の悪さに耐えきれず、その場から逃げてしまおうと決めて、椅子から立ち上がったその時。

「待った」

私の手を掴んだのは、私と同じ年頃の男の子だった。
華やかな顔立ちとすらりとした美しい指。
そして、お金持ちが通う中学校の詰襟の制服を着ていた。
渋木の親戚だろうか。

「ここから逃げたら、ずっとあいつらから逃げ続けることになるよ。それでいいの?」

『あいつら』とは『親戚達』のことを言っているのだとわかった。
私は彼を見つめた。
同じ年頃とは思えない大人びた態度。
まさか、弟?

「あなたは私の弟?」

「違うよ。俺は陣川じんかわ知久ともひさ

弟ではなかった。
明るく快活そうな目とあふれでる自信。
彼もまた、育ちのいいお坊っちゃんであることは一目見ただけでわかった。

「俺の家の陣川と渋木の家は仕事関係だけじゃなくて、昔から続く家同士のつながりもあるからさ。親戚が集まる場でも呼ばれるんだ」

大人達が遠慮がちに彼のほうを見ている。
見られることに慣れているのか、彼は平然とした態度で大人達の視線を受け止めていた。

「知久君、ここにいたのー?」

「おしゃべりしましょうよ」

「バイオリン弾いてー」

高校生くらいのお姉さんから幼稚園児くらいの女の子まで、彼を呼んでいた。
笑顔を作ったまま、小さい声で呟くのが聞こえた。

「面倒だな」

断るのかと思っていたら、さっき以上の笑顔を作り、にっこりと彼は微笑んだ―――ように見えた。
私にはそれが作り笑いだと分かっていたから、笑顔には見えなかった。

「もちろん。いいよー! なにを弾こうか?」

「えっー! 何にしようー」

「うれしーい!」

「みんなで話し合って決めて? 俺は一人しかいないからね」

彼がそう言うと、集まってきた女性は全員で話し始めて、彼はするりと輪の外にうまく逃げ出した。
彼なりの時間稼ぎなのだろう。
頭のいい子だと思うけど―――

「口がたつ悪魔みたい」

彼は驚いたように私を見た。
まさか、私が自分に話しかけると思わなかったのだろう。
子供らしくない顔で彼はくすりと笑った。

「俺って悪魔?」

「そうね」

「じゃあ、悪魔のトリルにしようかな」

ふざけた口ぶりで、バイオリンケースを手にする。
弾けるわけない。
すごく難しい曲なのに。
きっとふざけて言っているんだと思っていた。
私がいることで重苦しい空気になる中、彼は悠然とその中を歩き、注目を集める。
一人一人の視線を奪い、私のほうに向いていた目を全部、自分へと向けさせる。
手にバイオリンを持っただけなのに。
どうして―――?

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

時戻りのカノン

臣桜
恋愛
将来有望なピアニストだった花音は、世界的なコンクールを前にして事故に遭い、ピアニストとしての人生を諦めてしまった。地元で平凡な会社員として働いていた彼女は、事故からすれ違ってしまった祖母をも喪ってしまう。後悔にさいなまれる花音のもとに、祖母からの手紙が届く。手紙には、自宅にある練習室室Cのピアノを弾けば、女の子の霊が力を貸してくれるかもしれないとあった。やり直したいと思った花音は、トラウマを克服してピアノを弾き過去に戻る。やり直しの人生で秀真という男性に会い、恋をするが――。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

好きな人に振り向いてもらえないのはつらいこと。

しゃーりん
恋愛
学園の卒業パーティーで傷害事件が起こった。 切り付けたのは令嬢。切り付けられたのも令嬢。だが狙われたのは本当は男だった。 狙われた男エドモンドは自分を庇った令嬢リゼルと傷の責任を取って結婚することになる。 エドモンドは愛する婚約者シモーヌと別れることになり、妻になったリゼルに冷たかった。 リゼルは義母や使用人にも嫌われ、しかも浮気したと誤解されて離婚されてしまう。 離婚したエドモンドのところに元婚約者シモーヌがやってきて……というお話です。 

固有能力『変身』を使いヒーロー活動をしていた私はどうやらファンタジーな異世界でも最強のようです

遠野紫
ファンタジー
謎の地球外生命体『ドラゴラゴン』による侵略から世界を守るヒーロー『カルノライザー』。その正体は誰が見てもただの女子高生にしか見えない『龍ヶ崎咲(りゅうがさき さき)』という少女である。  そんな彼女がドラゴラゴンの親玉を打ち倒してからはや数か月が経ち、残党を狩るだけの毎日に退屈していた時に事件は起こった。彼女の乗る修学旅行のバスが突如として異世界に召喚されてしまったのだ。そこで咲たちは国王の行った勇者召喚の魔法によって自分たちが召喚されたのだと言う事を知ると同時に、勇者としての適性を測ることになるのだが……。 「『変身』……じゃと? はぁ……今回も外れが出てしまったか」 彼女が異世界に召喚される前から持っていた『変身』の能力は、この世界においては所謂『外れスキル』だったのだ。また、どういう訳か咲の適性は表示されなかった。もちろん彼女の適性が低いはずもなく、石板の表示上限を超えてしまっているためにそうなっているだけなのだが、それを国王が知るはずもなく咲は外れ勇者としての烙印を押されてしまう。 この世界において外れ勇者の扱いは酷く、まともに生きることすらも許されてはいない程であるのだが……彼女は、龍ヶ崎咲は違った。地球外生命体の侵略から世界を救った彼女が、今更異世界で遅れを取るはずが無いのだ。外れ勇者としての扱いなど、その力で跳ね除けてしまえばいい。何故なら彼女は最強のヒーローなのだから。

王妃ですけど、側妃しか愛せない貴方を愛しませんよ!?

天災
恋愛
 私の夫、つまり、国王は側妃しか愛さない。

夫に離縁が切り出せません

えんどう
恋愛
 初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。  妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。

処理中です...