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6 私と彼の 出会い
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私が渋木家に引き取られたのは中学生の時だった。
母と父の間にどんなやり取りがあったか、私には知らされなかった。
でも、私を母は捨てたのだということだけは理解できた。
父が私を引き取ることになったのは、母に父とは別の恋人ができたから。
いつも母は帰りが遅く、休日はいないことが多かった。
私にいい暮らしをさせたいから、父と暮らしなさいと言っていたけれど、どこまでが本心だったのだろうか。
父の物とは違う男物の香水の香り、父と違う男の人と会っていたこと。
母は私に『あの人には内緒よ?』なんて言っていたけど、父は気づいていたと思う。
私は自分が愛人の子であることを知らず、母から父とは、理由があって別居しているとだけ聞かされて育った。
だから、てっきり二人は理由があって、ただ別居しているだけで、本当の夫婦なんだと私はずっと思い込んでいた。
さすがにおかしいと思い始めてきたのは小学生の頃。
『お母さん。どうしてお父さんは一緒にいないの?』
家族が出てくるアニメを観ていて、私は母に尋ねた。
『お父さんには別の家があるからよ』
そう、家があるの―――母はなにも言わなかったけど、私はそれだけで理解した。
そして、私はそれに関して、なにも触れないようにしてきた。
美しい母の歪んだ顔を見たくなかったから。
母の口癖は『愛していても一緒にいられない人もいるのよ』だった。
だから母は自分と一緒にいてくれる人を選んだのだ。
いつも一緒にいた私じゃなくて、恋人を。
けれど、自由奔放な母にとって、渋木の家に入ることは最初から無理な話だった。
渋木の家に来て、母が愛人で満足していた気持ちが理解できた。
住む世界がまったく違っていた―――ここは。
大理石の床の広いパーティールーム、庭に噴水があり、ゲストルームはお手伝いさん達によって整えられていた。
私が渋木の本邸にやってきて、理由をつけて父は親戚を集めた。
それは私のお披露目会で、私の存在を親戚に認めさせるためのものだった。
ここぞとばかりに好奇の目でじろじろと眺められ、父は私のことを手がかからない子で、とてもいい子で、優秀だと、親戚に説明していた。
いつも堂々としている父が私のせいで、頭を下げているのを見て、胸が痛んだ。
私にできることはなく、人形のように黙って座り、時間が過ぎていく。
「愛人の子を引き取るなんて渋木の奥様もお可哀想ねぇ」
「本当に父親は渋木なのかしら。頼るところがないから、一番お金を持っていそうな渋木の家に押し付けたんじゃないの」
「本邸に入るなんて図々しい」
集められた親戚達は私に聞こえる声で、文句を言っていた。
ずっと続く、その悪意ある言葉と居心地の悪さに耐えきれず、その場から逃げてしまおうと決めて、椅子から立ち上がったその時。
「待った」
私の手を掴んだのは、私と同じ年頃の男の子だった。
華やかな顔立ちとすらりとした美しい指。
そして、お金持ちが通う中学校の詰襟の制服を着ていた。
渋木の親戚だろうか。
「ここから逃げたら、ずっとあいつらから逃げ続けることになるよ。それでいいの?」
『あいつら』とは『親戚達』のことを言っているのだとわかった。
私は彼を見つめた。
同じ年頃とは思えない大人びた態度。
まさか、弟?
「あなたは私の弟?」
「違うよ。俺は陣川知久」
弟ではなかった。
明るく快活そうな目とあふれでる自信。
彼もまた、育ちのいいお坊っちゃんであることは一目見ただけでわかった。
「俺の家の陣川と渋木の家は仕事関係だけじゃなくて、昔から続く家同士のつながりもあるからさ。親戚が集まる場でも呼ばれるんだ」
大人達が遠慮がちに彼のほうを見ている。
見られることに慣れているのか、彼は平然とした態度で大人達の視線を受け止めていた。
「知久君、ここにいたのー?」
「おしゃべりしましょうよ」
「バイオリン弾いてー」
高校生くらいのお姉さんから幼稚園児くらいの女の子まで、彼を呼んでいた。
笑顔を作ったまま、小さい声で呟くのが聞こえた。
「面倒だな」
断るのかと思っていたら、さっき以上の笑顔を作り、にっこりと彼は微笑んだ―――ように見えた。
私にはそれが作り笑いだと分かっていたから、笑顔には見えなかった。
「もちろん。いいよー! なにを弾こうか?」
「えっー! 何にしようー」
「うれしーい!」
「みんなで話し合って決めて? 俺は一人しかいないからね」
彼がそう言うと、集まってきた女性は全員で話し始めて、彼はするりと輪の外にうまく逃げ出した。
彼なりの時間稼ぎなのだろう。
頭のいい子だと思うけど―――
「口がたつ悪魔みたい」
彼は驚いたように私を見た。
まさか、私が自分に話しかけると思わなかったのだろう。
子供らしくない顔で彼はくすりと笑った。
「俺って悪魔?」
「そうね」
「じゃあ、悪魔のトリルにしようかな」
ふざけた口ぶりで、バイオリンケースを手にする。
弾けるわけない。
すごく難しい曲なのに。
きっとふざけて言っているんだと思っていた。
私がいることで重苦しい空気になる中、彼は悠然とその中を歩き、注目を集める。
一人一人の視線を奪い、私のほうに向いていた目を全部、自分へと向けさせる。
手にバイオリンを持っただけなのに。
どうして―――?
母と父の間にどんなやり取りがあったか、私には知らされなかった。
でも、私を母は捨てたのだということだけは理解できた。
父が私を引き取ることになったのは、母に父とは別の恋人ができたから。
いつも母は帰りが遅く、休日はいないことが多かった。
私にいい暮らしをさせたいから、父と暮らしなさいと言っていたけれど、どこまでが本心だったのだろうか。
父の物とは違う男物の香水の香り、父と違う男の人と会っていたこと。
母は私に『あの人には内緒よ?』なんて言っていたけど、父は気づいていたと思う。
私は自分が愛人の子であることを知らず、母から父とは、理由があって別居しているとだけ聞かされて育った。
だから、てっきり二人は理由があって、ただ別居しているだけで、本当の夫婦なんだと私はずっと思い込んでいた。
さすがにおかしいと思い始めてきたのは小学生の頃。
『お母さん。どうしてお父さんは一緒にいないの?』
家族が出てくるアニメを観ていて、私は母に尋ねた。
『お父さんには別の家があるからよ』
そう、家があるの―――母はなにも言わなかったけど、私はそれだけで理解した。
そして、私はそれに関して、なにも触れないようにしてきた。
美しい母の歪んだ顔を見たくなかったから。
母の口癖は『愛していても一緒にいられない人もいるのよ』だった。
だから母は自分と一緒にいてくれる人を選んだのだ。
いつも一緒にいた私じゃなくて、恋人を。
けれど、自由奔放な母にとって、渋木の家に入ることは最初から無理な話だった。
渋木の家に来て、母が愛人で満足していた気持ちが理解できた。
住む世界がまったく違っていた―――ここは。
大理石の床の広いパーティールーム、庭に噴水があり、ゲストルームはお手伝いさん達によって整えられていた。
私が渋木の本邸にやってきて、理由をつけて父は親戚を集めた。
それは私のお披露目会で、私の存在を親戚に認めさせるためのものだった。
ここぞとばかりに好奇の目でじろじろと眺められ、父は私のことを手がかからない子で、とてもいい子で、優秀だと、親戚に説明していた。
いつも堂々としている父が私のせいで、頭を下げているのを見て、胸が痛んだ。
私にできることはなく、人形のように黙って座り、時間が過ぎていく。
「愛人の子を引き取るなんて渋木の奥様もお可哀想ねぇ」
「本当に父親は渋木なのかしら。頼るところがないから、一番お金を持っていそうな渋木の家に押し付けたんじゃないの」
「本邸に入るなんて図々しい」
集められた親戚達は私に聞こえる声で、文句を言っていた。
ずっと続く、その悪意ある言葉と居心地の悪さに耐えきれず、その場から逃げてしまおうと決めて、椅子から立ち上がったその時。
「待った」
私の手を掴んだのは、私と同じ年頃の男の子だった。
華やかな顔立ちとすらりとした美しい指。
そして、お金持ちが通う中学校の詰襟の制服を着ていた。
渋木の親戚だろうか。
「ここから逃げたら、ずっとあいつらから逃げ続けることになるよ。それでいいの?」
『あいつら』とは『親戚達』のことを言っているのだとわかった。
私は彼を見つめた。
同じ年頃とは思えない大人びた態度。
まさか、弟?
「あなたは私の弟?」
「違うよ。俺は陣川知久」
弟ではなかった。
明るく快活そうな目とあふれでる自信。
彼もまた、育ちのいいお坊っちゃんであることは一目見ただけでわかった。
「俺の家の陣川と渋木の家は仕事関係だけじゃなくて、昔から続く家同士のつながりもあるからさ。親戚が集まる場でも呼ばれるんだ」
大人達が遠慮がちに彼のほうを見ている。
見られることに慣れているのか、彼は平然とした態度で大人達の視線を受け止めていた。
「知久君、ここにいたのー?」
「おしゃべりしましょうよ」
「バイオリン弾いてー」
高校生くらいのお姉さんから幼稚園児くらいの女の子まで、彼を呼んでいた。
笑顔を作ったまま、小さい声で呟くのが聞こえた。
「面倒だな」
断るのかと思っていたら、さっき以上の笑顔を作り、にっこりと彼は微笑んだ―――ように見えた。
私にはそれが作り笑いだと分かっていたから、笑顔には見えなかった。
「もちろん。いいよー! なにを弾こうか?」
「えっー! 何にしようー」
「うれしーい!」
「みんなで話し合って決めて? 俺は一人しかいないからね」
彼がそう言うと、集まってきた女性は全員で話し始めて、彼はするりと輪の外にうまく逃げ出した。
彼なりの時間稼ぎなのだろう。
頭のいい子だと思うけど―――
「口がたつ悪魔みたい」
彼は驚いたように私を見た。
まさか、私が自分に話しかけると思わなかったのだろう。
子供らしくない顔で彼はくすりと笑った。
「俺って悪魔?」
「そうね」
「じゃあ、悪魔のトリルにしようかな」
ふざけた口ぶりで、バイオリンケースを手にする。
弾けるわけない。
すごく難しい曲なのに。
きっとふざけて言っているんだと思っていた。
私がいることで重苦しい空気になる中、彼は悠然とその中を歩き、注目を集める。
一人一人の視線を奪い、私のほうに向いていた目を全部、自分へと向けさせる。
手にバイオリンを持っただけなのに。
どうして―――?
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