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第七話 闇色のしっぽと祭囃子~夏の夜船~

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「そういえば、有浄の奴、今日はまだ来てないな」

風呂屋に行った自慢話とアイスクリームの話をしようと思っていたのだが、通る気配もない。
その代わりに裏口でニャアと猫が鳴く声がした。
鮎を焼いた匂いを嗅ぎ付けたのかもしれない。
俺はいそいそと鮎の頭や尻尾と骨を皿に入れた。
裏口の戸を開けるといつもの黒猫がいて緑色の目を俺に向けていた。
しゃがんで猫にエサの入った皿を差し出した。

「なあ、有浄はいい奴だよな?」

そんな都合よく猫がニャアとは鳴かない。
猫は黙ったまま、尻尾を左右に振るだけだった。
今日も皿のエサを食べずに俺を見ている。
まるで自分に気を引きつけようとするかのように。

「なんだよ。あゆは嫌いだったか?」

そう猫に優しく話しかけてから俺はハッとした。
気づかなければいいものを俺は気づいてしまった。
まさか、こいつ……!
野良猫なのに食べるものを選ぶのか!?

「おい、好き嫌いはよくないぞ」

ぷいっと黒猫はそっぽを向いた。
今日は一段と可愛げがなかった。
鮎はうまいってのにこれ以上のご馳走を望むとはとんでもない猫だ。
俺は絶対にかつおぶしなんかを削ったりしないぞ!
こうみえて、血も涙もない厳しい男だ。

おーい、安海やすみ。また店を休んでいるのか」

「またじゃないだろ! 昨日までは店を開けてたぞ!」

俺はそう言い返しながら、立ち上がった。
店のほうからいつもどおりの有浄の声がして、なぜかホッとする自分がいた。
逸嵩はやたかが言った言葉を気にしているわけじゃないが、いつかふらりといなくなるのは俺よりきっと―――

「有浄はいなくならないよな」

俺の言葉に答えるようにニャアと猫の声がして足元を見る。
猫は皿の中のエサを食べずに木々や草の濃い影を探しながら蝉時雨せみしぐれの中、のそのそと歩いていった。
まるで王様のように。

「なんだ、あいつ」

今日はいつもに増して黒猫の態度が偉そうだったな。
まあいいかと思いながら皿を片付け、店のほうへ行くと暗い店の中で有浄が俺を待っていた。
夏にしては珍しく浴衣ではなく、洋装姿だった。

「どうした。仕事帰りか?」

「そんなところかな」

店の中が薄暗いせいか顔色がよくないように見えた。

「今日は茶の間にあがって休んでいかないのか?」

「うん。ちょっと忙しいからね」

「黒糖羊羮を持っていくか?」

「もちろん」

数本作っておいたずしりと重たい黒糖羊羮を全部取り出した。
兎々子ととこには悪いが、なぜか有浄にやらねばならないような気がしたのだ。
あいつがきたら、店の前に冷やしてある西瓜すいかを食べればいいだろう。

「今日は気前がいいね」

「どうせまた作る。最近の俺は働き者だからな」

「朝湯に行ったくせによく言うよ」

「なんで知っているんだよ。俺がこれからお前に風呂屋の素晴らしさを話そうとしていたところだったんだぞ」

「富士山の絵がよかったって言いたいんだろう」

「先に言うなよ!」

「タイル張りの風呂にステンドグラスは風呂屋にしては洒落てたね」

こいつはやっぱりひどい奴だ。
俺が黒糖羊羮を没収しようとしたのをサッと有浄は先に奪い取った。

「黒糖羊羮とは珍しいね。ありがたくいただくよ」

「そうしてくれ」

俺がいろいろと気にしていたのが馬鹿みたいに思えてきた。
有浄はいつもの有浄で腹が立つのも変わらない。
  
「有浄。夏祭り、今年も行くだろ?」

「もちろん」

「カネオカのおばさんが夏祭りに行く前にアイスクリームをごちそうしてくれるそうだ。今年は洋食屋『カネオカ』で集合な」

「いいね。アイスクリームは好きだよ」

知っている。
昔からの付き合いだ。
嫌いなものや好きなものくらい知りたくなくとも自然に気がつく。

「夏祭りも好きなのか?」

飄々ひょうひょうとした有浄の顔の表情が一瞬だけ強ばったのを俺は見逃さなかった。

「逸嵩から聞いたのか」

「そうだ」

逸嵩に調べられていたことを知っていたのか、有浄は驚かなかった。

「あいつのことだから、安海に言うだろうと思ってたよ。なんて言ったかは知らないけど、別に夏祭りが特別好きだってわけじゃない」

「夏祭りになにか思い出でもあるのか?」

好きじゃないのに行くのはなにか理由があるからだ。

「思い出か……。やっぱり安海は逸嵩とは違う」

ははっと笑って有浄は頭の上の帽子に触れた。
完全にはずれというわけではなさそうだった。
けれど、有浄は笑って俺に答えた。

「俺が夏祭りに行く理由はある。あるけどその理由はまだ言えない」

「俺のじいさんとばあさんが関わっているんじゃないのか」

「逸嵩の勘は野生動物並みだね。たいした情報もないのに組み立てて先を見る。けど、あいつが見えるのは表向きの世界だけだ」

話はここまでというように有浄は羊羮の代金を置いて俺に背を向けた。
その姿がさっきの猫に重なって俺は呼び止めた。

「有浄、待て。なにか困ったことがあるならちゃんと言えよ。いつも大事なことを黙っているのはよくないぞ」

目深にかぶった帽子から顔の表情は見えなかったが、足を止め少しだけこちらに顔を向けていた。

「俺はただの和菓子職人だ。けど、俺の菓子が必要だっていうなら、なんでも作ってやる。だから言えよ」

「いいね、それ。約束みたいで」

有浄は微かに笑い手をあげると店から出ていった。
何気なく後ろ手で閉めていった硝子戸だったが、俺と有浄の間に隔たりを作ったような気がした。
向こうに側に見える明るい通りと暗い店の中を隔てて硝子戸一枚が分厚く感じ、静寂を深いものにした。
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