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第六話 夏の合戦~夜空の下の七夕流し~
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この二人が朝から揃うとは営業妨害もいいところだ。
店の中に入れたが、黙って菓子を眺める有浄とにこにこ笑っている逸嵩。
二人の温度差が辛い。
きっと逸嵩は前回のニセ有浄を本物の有浄だと思っているに違いない。
理解し合えたことになっている。
そんなことはない、そんなことはないんだ!
俺の心の中の叫びは届かない。
「安海。これ土産な」
「あ、ああ……ありがとう」
今日も逸嵩は俺に手土産を持ってきてくれたらしく、中身をのぞくとなんと牛肉だった。
「牛!」
「どうかしたか? 牛鍋、好きだったよな?」
「いや……うん、大好物だ」
一時は仲間意識も芽生えた俺と牛。
だが、牛はうまい。
すまんな、牛。
おいしくいただくとしよう。
「今度、一之森も一緒に牛鍋屋に行かないか?」
「誰と?」
「俺とお前と安海の三人で」
有浄はなにを言っているのかわからないという顔をしていたが、社交辞令だと思ったらしく作り笑いを浮かべてうなずいた。
「ああ、いいね」
「うんうん。これをきっかけに親睦を深めようじゃないか」
三人で鍋をつつく姿を想像してみた。
炭火の上に鉄鍋をのせ、牛脂をひいて肉を並べる。
肉をつつきつつ、葱、豆腐、しいたけなども入れていく。
醤油の焦げる香りと鍋からたちのぼる白い湯気。
間違いなくうまいだろうな。
だが、長い、長すぎる。
深まるのは親睦じゃない。
二人の溝だ。
「えーと、それで逸嵩の用事ってなんだ?」
牛鍋屋の日を決められないうちに話題を変えた。
「ああ、そうだったな。朝早くから悪い。この時間しか空いてなくてな」
「相変わらず忙しいのか」
「まあな。来年からはもっと忙しくなる」
「なにかあるのか?」
「大陸のほうで仕事をすることになった」
「そうか。体に気を付けて頑張れよ」
やはり議員は一時的なものだったらしい。
議員より実業家のほうが逸嵩に合う。
大陸に行くと聞いても違和感がまったくなかった。
「安海も一緒に行かないか」
まるで近所の飲み屋に誘うような軽さで逸嵩は言った。
「工業系の仕事なんだが、と言っても俺の仕事は向こうで地盤を作ることで工場で働くってわけじゃない」
「まあ、そうだろうな」
工場で働く逸嵩の姿が想像できない。
「俺の仕事を補佐できる人間を探している」
「逸嵩は優秀だからな。補佐する方も大変だ。昼寝が趣味の俺に忙しいお前の補佐は無理だぞ」
冗談だと思った俺は笑いながら軽く断った。
いつもの逸嵩ならば、わかったと言って引くはずだった。
だが、今回の逸嵩は違った。
「俺の周りには信用できる人間がそう多くない。お前が来てくれると助かる。和菓子を作るより、もっとでかいことをしてみたいと思わないか」
そう言われて頭に思い浮かんだのは顔ほどにもある大きな酒饅頭だった。
腹いっぱい饅頭を食べたいと言われて作ったじいさんの酒饅頭は子供の顔ほどある饅頭で酒種を混ぜ込んで発酵させた生地はもちもちとしており、こしあんがたっぷり入っていた。
『千年屋』の焼き印を押された酒饅頭。
あの兼岡商店のタヌキじじいも大好物だった。
だが、俺の代になってからは小さいものしか作っていない。
そろそろ復活させるべきか―――と、そこまで考えて和菓子のことしか頭にないことに気づいた。
「いや、俺はのんびり和菓子を作って商っているほうが身の丈にあっているよ」
「そこまで和菓子屋にこだわる理由はあるのか?」
「高尚な考えも壮大な理由もないが……」
和菓子屋を細々とやっている俺に比べ、逸嵩がやっている仕事は大きなものばかりだ。
詳しい内容まではわからないが、数年、数十年先を見越した仕事をしているということくらいは知っている。
昔から先を見て動くそういう男だった。
「俺と来れば今よりいい暮らしができる。ある程度稼いだら仕事を辞めて昼寝でも旅行でもなんでも好きなことをやればいい」
逸嵩と一緒に行けば、出世は間違いなし。
俺の好物の牛も食べ放題で―――昼寝はできそうにないが、裕福な暮らしができるのは間違いない。
けれど、それは俺らしい生き方ではないような気がした。
「黙って聞いてれば、面白いことを言うね。信用できる人間がいないのは本人に人徳がないからじゃないのかな」
有浄が扇子をひろげて口元を隠しているが、扇子の下では笑っているのが見てわかる。
「逸嵩が議員になったのも大陸で自分が動きやすくするためだったんだろう? あちらで邪魔されないよう必要な法案を通してから向こうに行くつもりでずっと準備をしてきた。違うかな?」
逸嵩の顔を見ると笑っているものの目が虎のように鋭い。
「だいたい思惑が透けて見えるんだよ。望月家に婿入りしたのも議員になったのも大陸での仕事を成功させるためだ。そして、次は広げた自分の夢のために便利な駒を必要としている」
「さすが一之森は頭が回る。だが、それを口に出すか出さないかが安海との差だ」
「当然。俺は誰の駒にもなる気はないからね。もちろん、安海もだ」
駒か。
まあ、そうだろうなとは思ってはいた。
だが、俺には最大の野望がある。
昼寝ができるかどうか。
これがなにより重要だ。
「悪いな。逸嵩。俺はここで和菓子を作っているのが性分に合ってるみたいなんだ」
「俺は和菓子屋が悪いと言っているわけじゃないぞ。安海はじいさんがいなくなったから代わりに店をしているだけなんじゃないのかと思っていただけだ」
逸嵩の言葉に扇子をゆったりと動かしていた有浄の手が止まった。
「それが理由じゃない」
「そうか。それならいいが」
逸嵩はあっさり引いた。
行方不明のじいさん達の代わりに俺が店をやり、健気に二人の帰りを待っていると思ったのだろうか。
自分のやりたいことに正直で自由な逸嵩にすれば、俺が縛られているように見えたのかもしれない。
「逸嵩。心配してくれてありがとうな」
「いや、一之森が言ったことも少しは当たっていた」
「そうだろうね」
「この間の一之森はいい奴だったのに今日はなんだ、野良猫みたいに俺のことを警戒してないか?」
「それは夏だから仕方ない。夏だけに懐かないってな」
「ははは。安海は冗談がうまいな」
俺は笑いがとれてご満悦だったが、有浄の目は冬を思わせる冷たさだった。
冗談を言って許される雰囲気ではなかったようだ。
「よし! 安海。土用餅を十個ずつくれ」
それ以上、元気になってどうするんだと思いながらうなずいた。
白と蓬の二種類の土用餅を十個ずつ包んで渡した。
「向こうに行ったら安海の菓子を食えなくなるのが辛いな」
「いつ出発なんだ?」
「来年の春だ。その時、また聞くからな」
逸嵩はにやりと笑った。
一か所にじっとしている男ではない。
俺とは違う。
俺は時速四十八メートル以下の男。
「それじゃ、俺は今から仕事だから行くが、気が変わったら教えてくれよ」
「ああ」
夏の太陽のように明るく笑い逸嵩は帰っていった。
「やっとうるさいのが帰った」
やれやれと有浄はため息をつくとパチンと音を鳴らして扇子を閉じた。
「そろそろ和解しろよ」
「仲が悪いわけじゃない。気が合わないだけだ」
どう違うんだよと思ったが、学生の頃からこうだったから今さら俺がああだこうだと言うことでもないかとそれ以上、追及しなかった。
「お前はどの菓子にするか決まったのか?」
ずいぶん長いこと商品を眺めていたから、もう決まっているだろう。
「錦玉羹を五個と土用餅の蓬と白を五個ずつ、それから竹筒羊羮を十個、水まんじゅうを十個」
「どこの大所帯だよ。お前は大家族かなんかか?」
「似たようなものだよ」
いつものように詳しくは聞くもりはない。
菓子を包みながら有浄に言った。
「狸が化けたニセ有浄は逸嵩と仲良くやれてたぞ」
「は?」
極寒零度。
今日一番の冷たい声だった。
今なら店にかき氷を出せるんじゃないかというくらい温度が下がった。
「まさか俺の姿で狸どもが逸嵩と会話したとか?」
「あー、うん、まあな。『自分は常々、狭量な人間だと反省しています』って逸嵩に言ったくらいで……」
俺がくだらない冗談を言った時よりも静まり返った。
チリンと風鈴が鳴り、石畳の道を走るリヤカーの車輪の音がした。
「そうか。わかった。ありがとう」
不自然な静寂の後、有浄は極上の笑みを浮かべた。
菓子の包みを受け取り代金を払う。
その間も笑顔だった。
背中に冷たい汗が流れたのがわかった。
「おい、有浄。あんまり狸にひどいことするなよ?」
「え? ああ、うん。わかってるよ。大丈夫。俺を怒らせるとどうなるか思い知らせるだけだから」
おいおいおい!?
全然大丈夫じゃないんだが。
俺が止められるわけもなく、有浄は笑顔のまま店から出ていった。
狸達は一番やってはいけないことをやってしまったのだ。
七夕に雨どころか、血の雨が降らなければいいのだが。
牛肉をたくさんもらったから、一緒に食べようと思ったのだが、有浄を誘う暇もなかった。
まあ、また明日来るだろう。
その時、誘えばいい。
どうせ毎日のようにきているんだからな。
朝から大量に買っていく客が続いたせいですでに菓子は残りわずかになっていた。
俺が和菓子を作ると決めたきっかけはなんだったのだろう。
忘れてしまったが、それは逸嵩のように難しく考えて決めたことではなかったような気がする。
「俺が和菓子を作る理由か……」
―――なんだったかな。
そう思いながら、店の外に出ると錦玉羹《きんぎょくかん》の青に似た夏の空が広がっていた。
店の中に入れたが、黙って菓子を眺める有浄とにこにこ笑っている逸嵩。
二人の温度差が辛い。
きっと逸嵩は前回のニセ有浄を本物の有浄だと思っているに違いない。
理解し合えたことになっている。
そんなことはない、そんなことはないんだ!
俺の心の中の叫びは届かない。
「安海。これ土産な」
「あ、ああ……ありがとう」
今日も逸嵩は俺に手土産を持ってきてくれたらしく、中身をのぞくとなんと牛肉だった。
「牛!」
「どうかしたか? 牛鍋、好きだったよな?」
「いや……うん、大好物だ」
一時は仲間意識も芽生えた俺と牛。
だが、牛はうまい。
すまんな、牛。
おいしくいただくとしよう。
「今度、一之森も一緒に牛鍋屋に行かないか?」
「誰と?」
「俺とお前と安海の三人で」
有浄はなにを言っているのかわからないという顔をしていたが、社交辞令だと思ったらしく作り笑いを浮かべてうなずいた。
「ああ、いいね」
「うんうん。これをきっかけに親睦を深めようじゃないか」
三人で鍋をつつく姿を想像してみた。
炭火の上に鉄鍋をのせ、牛脂をひいて肉を並べる。
肉をつつきつつ、葱、豆腐、しいたけなども入れていく。
醤油の焦げる香りと鍋からたちのぼる白い湯気。
間違いなくうまいだろうな。
だが、長い、長すぎる。
深まるのは親睦じゃない。
二人の溝だ。
「えーと、それで逸嵩の用事ってなんだ?」
牛鍋屋の日を決められないうちに話題を変えた。
「ああ、そうだったな。朝早くから悪い。この時間しか空いてなくてな」
「相変わらず忙しいのか」
「まあな。来年からはもっと忙しくなる」
「なにかあるのか?」
「大陸のほうで仕事をすることになった」
「そうか。体に気を付けて頑張れよ」
やはり議員は一時的なものだったらしい。
議員より実業家のほうが逸嵩に合う。
大陸に行くと聞いても違和感がまったくなかった。
「安海も一緒に行かないか」
まるで近所の飲み屋に誘うような軽さで逸嵩は言った。
「工業系の仕事なんだが、と言っても俺の仕事は向こうで地盤を作ることで工場で働くってわけじゃない」
「まあ、そうだろうな」
工場で働く逸嵩の姿が想像できない。
「俺の仕事を補佐できる人間を探している」
「逸嵩は優秀だからな。補佐する方も大変だ。昼寝が趣味の俺に忙しいお前の補佐は無理だぞ」
冗談だと思った俺は笑いながら軽く断った。
いつもの逸嵩ならば、わかったと言って引くはずだった。
だが、今回の逸嵩は違った。
「俺の周りには信用できる人間がそう多くない。お前が来てくれると助かる。和菓子を作るより、もっとでかいことをしてみたいと思わないか」
そう言われて頭に思い浮かんだのは顔ほどにもある大きな酒饅頭だった。
腹いっぱい饅頭を食べたいと言われて作ったじいさんの酒饅頭は子供の顔ほどある饅頭で酒種を混ぜ込んで発酵させた生地はもちもちとしており、こしあんがたっぷり入っていた。
『千年屋』の焼き印を押された酒饅頭。
あの兼岡商店のタヌキじじいも大好物だった。
だが、俺の代になってからは小さいものしか作っていない。
そろそろ復活させるべきか―――と、そこまで考えて和菓子のことしか頭にないことに気づいた。
「いや、俺はのんびり和菓子を作って商っているほうが身の丈にあっているよ」
「そこまで和菓子屋にこだわる理由はあるのか?」
「高尚な考えも壮大な理由もないが……」
和菓子屋を細々とやっている俺に比べ、逸嵩がやっている仕事は大きなものばかりだ。
詳しい内容まではわからないが、数年、数十年先を見越した仕事をしているということくらいは知っている。
昔から先を見て動くそういう男だった。
「俺と来れば今よりいい暮らしができる。ある程度稼いだら仕事を辞めて昼寝でも旅行でもなんでも好きなことをやればいい」
逸嵩と一緒に行けば、出世は間違いなし。
俺の好物の牛も食べ放題で―――昼寝はできそうにないが、裕福な暮らしができるのは間違いない。
けれど、それは俺らしい生き方ではないような気がした。
「黙って聞いてれば、面白いことを言うね。信用できる人間がいないのは本人に人徳がないからじゃないのかな」
有浄が扇子をひろげて口元を隠しているが、扇子の下では笑っているのが見てわかる。
「逸嵩が議員になったのも大陸で自分が動きやすくするためだったんだろう? あちらで邪魔されないよう必要な法案を通してから向こうに行くつもりでずっと準備をしてきた。違うかな?」
逸嵩の顔を見ると笑っているものの目が虎のように鋭い。
「だいたい思惑が透けて見えるんだよ。望月家に婿入りしたのも議員になったのも大陸での仕事を成功させるためだ。そして、次は広げた自分の夢のために便利な駒を必要としている」
「さすが一之森は頭が回る。だが、それを口に出すか出さないかが安海との差だ」
「当然。俺は誰の駒にもなる気はないからね。もちろん、安海もだ」
駒か。
まあ、そうだろうなとは思ってはいた。
だが、俺には最大の野望がある。
昼寝ができるかどうか。
これがなにより重要だ。
「悪いな。逸嵩。俺はここで和菓子を作っているのが性分に合ってるみたいなんだ」
「俺は和菓子屋が悪いと言っているわけじゃないぞ。安海はじいさんがいなくなったから代わりに店をしているだけなんじゃないのかと思っていただけだ」
逸嵩の言葉に扇子をゆったりと動かしていた有浄の手が止まった。
「それが理由じゃない」
「そうか。それならいいが」
逸嵩はあっさり引いた。
行方不明のじいさん達の代わりに俺が店をやり、健気に二人の帰りを待っていると思ったのだろうか。
自分のやりたいことに正直で自由な逸嵩にすれば、俺が縛られているように見えたのかもしれない。
「逸嵩。心配してくれてありがとうな」
「いや、一之森が言ったことも少しは当たっていた」
「そうだろうね」
「この間の一之森はいい奴だったのに今日はなんだ、野良猫みたいに俺のことを警戒してないか?」
「それは夏だから仕方ない。夏だけに懐かないってな」
「ははは。安海は冗談がうまいな」
俺は笑いがとれてご満悦だったが、有浄の目は冬を思わせる冷たさだった。
冗談を言って許される雰囲気ではなかったようだ。
「よし! 安海。土用餅を十個ずつくれ」
それ以上、元気になってどうするんだと思いながらうなずいた。
白と蓬の二種類の土用餅を十個ずつ包んで渡した。
「向こうに行ったら安海の菓子を食えなくなるのが辛いな」
「いつ出発なんだ?」
「来年の春だ。その時、また聞くからな」
逸嵩はにやりと笑った。
一か所にじっとしている男ではない。
俺とは違う。
俺は時速四十八メートル以下の男。
「それじゃ、俺は今から仕事だから行くが、気が変わったら教えてくれよ」
「ああ」
夏の太陽のように明るく笑い逸嵩は帰っていった。
「やっとうるさいのが帰った」
やれやれと有浄はため息をつくとパチンと音を鳴らして扇子を閉じた。
「そろそろ和解しろよ」
「仲が悪いわけじゃない。気が合わないだけだ」
どう違うんだよと思ったが、学生の頃からこうだったから今さら俺がああだこうだと言うことでもないかとそれ以上、追及しなかった。
「お前はどの菓子にするか決まったのか?」
ずいぶん長いこと商品を眺めていたから、もう決まっているだろう。
「錦玉羹を五個と土用餅の蓬と白を五個ずつ、それから竹筒羊羮を十個、水まんじゅうを十個」
「どこの大所帯だよ。お前は大家族かなんかか?」
「似たようなものだよ」
いつものように詳しくは聞くもりはない。
菓子を包みながら有浄に言った。
「狸が化けたニセ有浄は逸嵩と仲良くやれてたぞ」
「は?」
極寒零度。
今日一番の冷たい声だった。
今なら店にかき氷を出せるんじゃないかというくらい温度が下がった。
「まさか俺の姿で狸どもが逸嵩と会話したとか?」
「あー、うん、まあな。『自分は常々、狭量な人間だと反省しています』って逸嵩に言ったくらいで……」
俺がくだらない冗談を言った時よりも静まり返った。
チリンと風鈴が鳴り、石畳の道を走るリヤカーの車輪の音がした。
「そうか。わかった。ありがとう」
不自然な静寂の後、有浄は極上の笑みを浮かべた。
菓子の包みを受け取り代金を払う。
その間も笑顔だった。
背中に冷たい汗が流れたのがわかった。
「おい、有浄。あんまり狸にひどいことするなよ?」
「え? ああ、うん。わかってるよ。大丈夫。俺を怒らせるとどうなるか思い知らせるだけだから」
おいおいおい!?
全然大丈夫じゃないんだが。
俺が止められるわけもなく、有浄は笑顔のまま店から出ていった。
狸達は一番やってはいけないことをやってしまったのだ。
七夕に雨どころか、血の雨が降らなければいいのだが。
牛肉をたくさんもらったから、一緒に食べようと思ったのだが、有浄を誘う暇もなかった。
まあ、また明日来るだろう。
その時、誘えばいい。
どうせ毎日のようにきているんだからな。
朝から大量に買っていく客が続いたせいですでに菓子は残りわずかになっていた。
俺が和菓子を作ると決めたきっかけはなんだったのだろう。
忘れてしまったが、それは逸嵩のように難しく考えて決めたことではなかったような気がする。
「俺が和菓子を作る理由か……」
―――なんだったかな。
そう思いながら、店の外に出ると錦玉羹《きんぎょくかん》の青に似た夏の空が広がっていた。
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