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第七話 闇色のしっぽと祭囃子~夏の夜船~

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「連絡くらいしろよ!」

「悪いなあ。連絡しようにもこっちから連絡のとりようがなくてな」

じいさんがそう答えたその時。

「二人は悪くないんだ。安海やすみ。俺の代わりに多助たすけさんと安芸あきさんがあやかし達の世界に残ったせいで戻れなくなっていたんだ」

千歳緑ちとせみどりの着物に松葉模様の浴衣を着、夏扇子を手にした有浄ありきよ千景ちかげの後ろから現れた。

「おやおや。有浄。来ていたのか。いつの間に入り込んだのかわからなかったよ」

自分の背後から有浄が現れたのが気に入らないのか、千景の声がわずかに苛立っていた。
有浄はパチンと音を鳴らして扇子を閉じた。

富夕ふゆ、太郎。ご苦労だった。神社に戻れ」

それと同時に狐と犬が横を通り抜け、消えていった。

「こっちには鼻の利く犬がいるんだよ」

有浄は微かに笑って閉じた扇子を手で弄ぶ。

「ふむ。犬神か。犬神に狸に追わせてここに入ったというわけか。それで、有浄はたぬき達と遊んでいたのかい? けど、一歩遅かったようだね。君の大事な友達はこの世界に足を踏み入れてしまった」

「完全ではないけどね」

有浄は面をかぶらず、平然とあやかし達の視線を受けていた。
だが、あやかし達は有浄に近寄らない。
まるで恐ろしいものでも見るかのような目だった。
そんな重々しい空気をいとも容易く破ったのは―――

「あらまー、有浄ちゃん。大きくなって!」

「ほー。立派になったもんだなぁ」

俺のばあさんとじいさんだった。
緊張感のない血筋。
ここに極めり。

「おい。実の孫の成長もちゃんと祝えよ!」

「成長ねぇ……」

「ふーむ」

腕を組んで首をかしげて『ふーむ』じゃねえよ。
天下の帝大を(なんとか)卒業したっていうのに変化無しってことはないだろう。
俺はキリッとした顔をしてみせた。

「我が孫ながら、相変わらず覇気のない顔だ」

「ちゃんと目標を持って生きてるの?」

「数年振りに顔を合わせて言う台詞かよ」

俺は二人に噛みつくように言うと有浄が申し訳なさそうな顔をした。
初めて有浄のそんな顔を見たかもしれない。

「安海。俺のせいでここから出られなかっただけで多助さんや安芸さんは悪くないんだ」

「有浄のせい?」

俺の間の抜けた声がおかしかったのか、千景に笑われてしまった。

「君は気軽に行き来できると思っているのかい?」

「え? 簡単に入れたわよね?」

兎々子は状況がわかってないようできょろきょろを辺りを見回していた。

「それはこっちが君達を招いたからだよ。招かなければ、凡人である君達がここにこれるわけがないんだ」

「ぼ、凡人!? 確かにそうだけど、私だってちょっとは成長してるのに」

米を炊けるようになったことだろうか。
千景は兎々子を無視して話し続けた。

「だからね、ある夏祭りの夜、有浄を特別に招待してあげたんだよ」

「どうして有浄を?」

「そーよ! 有浄さんだけ夏祭りに行くなんてずるいわ」

「有浄と仲良くしたかったからだよ」

有浄の奴、友達は選べよ。
こんな危険そうな奴に気に入られてどうするんだ。

「あの時の俺はあやかし達の世界にとどまるつもりで中に入った」

「あやかしの世界にとどまるって、お前、どうして……」

「俺がいなくてもいいと思ったからだよ」

じいさんとばあさんがいなくなった年。
確かあれは俺が帝大に入って最初の年だった気がする。
俺は新しい逸嵩はやたかという友人ができ、よく一緒に遊んでいた。
もしかすると有浄よりも。

「けど、俺に夜船を届けに来てくれた多助さんと安芸さんが後を追ってきて、一緒にこちら側に入ってしまったんだ」

「いやー、うっかりと!」

俺のじいさんがはははっと笑っていたが、有浄の様子がおかしいと思ったからなのかもしれない。
もし、俺も気づいていたなら追いかけていただろう。

「多助さん、安芸さん。今までありがとう。あの時、ここにとどまらなくてよかったと思ってる。安海や兎々子ちゃんと一緒にいられて楽しかったよ。だから、今度は俺が二人の代わりにここに残るよ」

有浄がなぜ毎年一人で夏祭りに行っていたか、やっとわかった。
ここから出られなくなった俺のじいさんとばあさんを帰すために入り口を探していたのだ。
次は自分が身代わりに残るつもりでずっと。
別れの言葉を口にした有浄に俺は腹が立った。
疲れるから怒るのは苦手だ。
だが、今は別だ。

「有浄。俺達と二度と会えなくなってもいいってことか」

「そうは言ってない。ただ多助さんと安芸さんには向こうに大事な人が大勢いる」

「お前にだっているだろ!」

「いるよ。だから、ここに残ると言っている。安海、気がついているだろう? 今度は俺を逃がさないためにお前と兎々子もこの世界に閉じ込めるつもりだ」

俺達の周りをうろついていた黒猫はその機会をうかがっていたということか。

「俺がここにいると言えば、全員が帰れる。安海だって多助さん達と暮らしたいだろう?」

「俺にはこちらもあちらもねえよ。日本と上海程度の差でしかない。だから、別にじいさん達と一緒に暮らさなくても構わない。けどな、お前がいないと調子が狂う」

俺の両親は上海に行ったきりだし、手紙のやり取りくらいしかしていない。
じいさん達は俺が物心ついた時には全国を回ってほとんど家にいなかった。
有浄のほうが家族より過ごした時間が長いくらいだ。

「え? 有浄さん、どういうこと? どこか遠いところに行くの?」

「安海も兎々子ちゃんもこれだから困るんだ……」

「有浄さん、どうしたの。なにか困り事?」

俺が怒ったことで兎々子が驚き、俺と有浄の顔を見比べて泣きそうな顔をした。
きっと兎々子は俺達が言い争うのを初めて見た。

「おいおい。有浄よ。勘違いしてもらっちゃ困るぜ。俺は嫌々ここに残ったわけじゃねえぞ」

「そうよ。まったく成長したかと思ったら、まだまだ子供ねぇ」

俺のじいさんとばあさんがずいっと前に出てきた。
そして、なにを言うのかと思っていると―――

「多助だけに助けたい!」

「安芸だけに諦めない!」

しーんと場が凍りついた。
そうか、俺の冗談もこんなかんじなんだな……
千年屋ちとせやのどうしようもない血を感じ、俺はそっと目頭をおさえた。

「孫よ、せめてお前は笑えよ」

「そうよ。気が利かない子ねえ」

ため息をつかれる俺。
これは俺が悪いのか?
なぜかさっきから一番責められているのは俺のような気がしてならない。

「千景さんよ。俺を帰していいのかい? 俺の菓子が食べられなくなるぞ」

「それは困る」

目に見えて千景は狼狽えた。
さっきまで余裕ぶっていたのが嘘のようだ。

「む……。そうだな。お前達の代わりに孫に菓子を作らせてもいいか」

「いやいや、孫はまだまだ未熟だぞ。見ろ。あのぼんやりした顔を」

じいさんはそう言うと俺が有浄のために作った夜船の入った重箱を包んだ風呂敷をさっと取り上げた。

「おい、それは有浄にやるやつで……」

問答無用とばかりにじいさんは風呂敷をほどいて重箱の蓋を開けた。
千景は重箱の中をのぞきこみ、満足そうにうなずいた。

「ふむ。立派なものだ」

「はん!見た目だけだろうよ」

「おい、じいさん。俺と張り合ってんじゃねえぞ。俺もここ数年でだいぶ腕をあげたからな」

「毎日作ってんのかい?」

ばあさんにそう聞かれ、俺は言葉に詰まった。
さすが身内。
ちょっとやそっとじゃ誤魔化されない。
千景は俺が作った夜船に手を伸ばし、ひとつ口に入れた。
二口目、三口目と食べる。
俺が作った和菓子もなかなかのものだろう。
そう俺は思っていたのだが。

「多助のがうまい。帰れ」

「おいっ!決断が早すぎるだろ!? しかも、そんなに食ってから言うことかよ!?」

「ほらな。安海、精進しろよ」

にやにやとじいさんは俺に笑って見せた。

「やっぱりまだまだだねぇ」

孫が可愛くないのかよ。
ばあさんも少しは褒めろよ。
俺はぶるぶると拳を震わせた。

「ただの菓子では困る。この夏祭りは普通の祭りじゃない。向こう側にいたあやかし達を招き慰めるための祭りだ」

千景はふわりと空を見上げた。
空は同じ星空だが、向こうよりたくさんの星が煌めいているような気がした。

「人の形をとれず、獣にもなれず、中途半端で自我をなくした哀れな存在達よ。ゆえにこの夏祭りが奴らの慰めになるようにと招いているのだ」

周囲から楽しそうにケラケラと笑う声がした。
それは自我があるのかないのかわからない。
だが、人ではないもの。
夜店に立つあやかし達はユキのように人の形をとれる者だけだということはわかった。

「だから、わかるな? まずい菓子は振る舞えない」

「誰もここに残るなんて一言も言ってないだろ。俺は帰る。有浄と一緒にな」

「それは聞けないな。有浄だけは残ってもらう」

「わがままな奴だな。それなら、俺と詰め将棋で勝負しろよ。俺が勝ったら有浄を連れて帰る。俺が負けたらここに俺も有浄と残ろう」

「いいだろう。そういう祭りらしい余興は嫌いではない」

千景はなかなか遊び心のある奴らしく話に乗ってきた。
有浄は俺を止めずに笑っていた。
なにをするか知っているのはきっとこの場で有浄だけだ―――俺達は長い付き合いだからな。
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