猫の物語

小笠原慎二

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猫のケティ

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おいらの名はケティ。
シロクロのブチ模様の猫だ。
この街でも腕が良いと評判の理髪店で飼われている、いわゆる飼い猫ってやつだ。
この家には4人の人間がいる。
お父さんとお母さんと、お兄ちゃんのフランツと、弟のアニスだ。
おいらも小さい頃は、自分のことを猫だと知らず、大きくなったら皆みたいに人間になれるものだと思ってたけど、近所に住むボス猫のジョンに、「猫は大きくなっても猫だ」って言われて、そういうものなのかと知った。
でも4人ともおいらのことをとても可愛がってくれて、別に人間になれなくてもいいやって思うようになった。
この4人と、いつまでも楽しく暮らせたらそれで良かったんだ。



でも、ある時を境に、この家はおかしくなっていった。
「センソー」ってものが激しくなって、お兄ちゃんのフランツが、「ヘイシ」にならなくちゃいけなくなったんだって。
よく分からないけど、遠くに行っちゃうって事はよく分かった。

「フランツ、頑張れよ」
「元気でね…。体に気をつけて…」
「父さん、母さん、俺、絶対帰ってくるから。帰って来たら、この店継ぐために頑張るから」

お父さんは顔を俯かせ、お母さんもワンワン泣いていた。

「兄ちゃん、頑張れ!」
「アニス、俺がいない間、父さんと母さんをよろしくな」
「うん!」

最後に、足元に擦り寄っていたおいらの頭を撫でて、お兄ちゃんのフランツは家を出て行った。
そして、そのまま帰って来なかった。



お兄ちゃんの遺品ってやつを持って来た人が来てから、お父さんは酒を飲むようになった。
酒を飲むようになってから、お店の評判は悪くなって、お客さんがあまり来なくなった。
だんだん暮らしが悪くなっていくのが、おいらにも分かった。
そのせいで、まだ幼いアニスが、働きに出なきゃいけなくなった。
おいらは反対したんだ。そんなことしたら、いっぱい遊べなくなっちゃうじゃないか。
でもおいらの言葉は誰も分からないから、結局アニスは、お母さんの伝手で、お城に働きに出ることになった。
お城は、この街から2日程かかる、王都ってところにあるから、お父さんとお母さんとも滅多に会えなくなっちゃうんだって。
でもお父さんはお酒飲んで働かないし、お母さんがちょこちょこ内職して頑張ったけど、もう本当に無理なんだって。
アニスはにっこり笑って、「大丈夫だよ」って言ってたけど、ベッドの中で静かに泣いていたのを、おいらは知ってる。
泣きながらおいらを抱きしめて、

「ケティにも会えなくなっちゃう…」

って言ってくれたんだ。
おいらその言葉が嬉しかった。
おいらと会えなくなるのも悲しんでくれてたなんて。
おいらも寂しい。
いつも一緒に遊んでいたアニスがいなくなるなんて。
お兄ちゃんのフランツがいなくなった時も、なんだか家が広く感じて寂しかった。



数日後、アニスはお城に行ってしまった。
家が余計に広くなった。
お父さんは酒を飲み、まともに働かず、お母さんは一生懸命働いていた。
そしてそのうち、お母さんを殴るようになった。
一度、あまりの酷さにお母さんの前に出た。
でも、

「なんだこのくそ猫!」

って言って蹴られた。

「ギャン!」

壁に思い切りぶつかって、凄く痛かった。
そしてそのまま逃げた。
後でお母さんがおいらのこと心配してくれたけど、そんなお母さんの顔も、あちこち赤くなったり青くなったりして酷いものだった。

「お父さんはね、フランツにとても期待していたの。だからフランツを失って、とても悲しくて、あんなことしてしまうけど、本当はとても優しい人なのよ」

って言いながら、おいらの背中を優しく撫でてくれた。
優しかったのは知ってる。
昔は確かに優しかった。
晩酌のつまみを時々おいらにもくれたりしてた。
お店に遊びに行くと、

「おや、ケティも手伝ってくれるのか?」

って笑いながら言ってくれた。
あの優しかった頃のお父さんはもういない。
今はもう、とても怖い嫌な人になっちゃったんだ。



おいらはアニスにとても会いたくなって、猫長老のティーに話を聞きに行った。
ティーは街外れのお婆さんの家に住んでいる茶虎の猫だ。

「こんにちは長老」
「ケティか。どうした」
「お城って所に行きたいんだけど、どうしたら行けるのかな?」
「城? 城に行ってどうするんだ?」
「おいらの弟分のアニスが行ってるんだ。たまには帰ってくるって言ってたのに、全然帰って来ないから、心配だから見に行こうかなって」
「にゃるほど。だったら、人の言う月曜日に、クルルの小屋まで行け。そこに来た乗合馬車というものに乗れば、王都まで行ける。王都に行ったら、いちばん大きい建物だからすぐに分かるだろう」
「ありがとう長老」
「ケティ」
「なあに?」
「あまり人に入れ込みすぎるな。命を早めるぞ」
「うん。分かってるよ」

そう言って、おいらはその場を去った。
なんで長老は最後にあんなことを言ったんだろう?



月曜日。
クルルの小屋で待っていると、馬が2頭、ガラガラ鳴るでかいものをつけてやって来た。
これが乗合馬車に違いない。
こっそり馬車に忍び込み、馬車はおいらに気付かず出立した。
途中でばれた。

「こりゃあ、理髪店のトーマスの所のケティじゃないか?」

おいらのことを知っている人がいたらしい。

「間違えて乗っちゃったのかしら?」
「もう大分街も離れちまったしなあ」
「こんな所に置いてくのもなんだし」

というわけで、そのまま乗ってくことになった。

「トーマスは良い腕をしていたんだがなぁ」
「フランツがいなくなってから、おかしくなったわよね」
「今じゃ酒に溺れて仕事もままならないって」
「アリアさんが顔を腫らしているのを見たぞ」
「どうにかしてやりたいんだが、こればかりは自分で立ち直らなければなぁ…」

街の人達も、お父さんとお母さんのことを心配してくれているらしい。
何度かお店に注意しに来てくれていた人もいたけど、今はさっぱりだもんな。
もし戻ってくれるなら、早く昔のお父さんに戻って欲しい。



乗合馬車の人達は親切だった。
手持ちの食料をおいらに分けてくれたり、おいらを膝に載せて、優しく背中を撫でてくれたり。
順番制になってたけど。
そして王都に着いた。

「にゃあん」

一応一言皆にお礼を言って、おいらは馬車から降りた。
伝わってるかは謎だけど。

「もしかして、アニスに会いに来たのかのう?」
「まさか、猫なのにアニスがいるって知ってるのかしら?」
「いやいや、猫は人の言葉を理解するって聞いたことあるぞ」

全部は分からないけど、大体は分かるよ。
下からじゃ分からないから、建物の上に上がる。
と、街の中心部の方に、大きな建物が見えた。
あれか。
それから一応、王都を纏めている猫長老の元へと挨拶に行く。
そこはほら、仁義を守らないとね。
王都の猫長老は少し毛の長い白い猫だった。
王都は餌場も多いから、それほど邪魔にならなければ餌場が被っても文句は言われないと言われた。
良かった。
城までの道を、キジ虎のベンに案内して貰うことになった。

「人間の子供に会いに来たんだって?」
「おいらの弟分なんだ。時々帰ってくるって言ってたのに、全然帰って来ないから」
「あはは、人間の時々なんて、一年に一回とかだぜ」
「一年?」
「季節が一回りしたくらいだよ」
「そんなに長いの?!」
「人間は俺達より長生きだからさ」

それもそうだ。
時々ってそんなに長いことだったんだ。
帰って来ないわけだ。
ベンに案内され、城に着いた。
その後は城に棲み着いている黒白の猫ソックスに案内され、城を見て回った。
そして、調理場でアニスを見つけた。
慣れない手つきでジャガイモの皮を剥いていた。

「ああ、あの新人ボウヤか。なんだかんだで一生懸命やってるから、皆に可愛がられてるぜ」
「そうか。それなら良かった」

おいら達が覗いていると、

「お、なんだ? 今日は友達も一緒か?」

白い服の髭の生えた男が、こっちに来た。

「ほれ、ちょっとだけだぞ」

と干し肉の切れ端を放り投げてくれた。
有り難く頂く。
その時、アニスがこっちを見た。
おいらを見て、ビックリした顔をしていた。

「なう」

頑張れって言ったんだけど、分かったかな?
その後、ちょっと嬉しそうな顔になって、またもくもくとジャガイモの皮を剥いていた。
本当はすぐに側に寄って、足元に擦り寄りたかったけど、「仕事中は邪魔したらだめだぞ」ってお父さんに言われてたから、我慢した。



城のあちこちを見て回り、良さそうな昼寝どころや餌場を確認したら、日が暮れた。
立ち入っちゃダメな所も教えてもらった。
気をつけよう。

「そろそろ人間も仕事を終える頃だろ」

そう言われ、調理場へ向かうと、すでにアニスの姿はなかった。

「ありゃ、寝床に行っちまったかな?」

使用人達の部屋は、扉があるからおいら達猫は入れないと言われた。
扉があると人間が開けてくれるまで閉じ込められることになるからね。
仕方ないのでアニスに会うのは明日にして、適当な寝床を決め、おいら達も寝ることになった。
ここの餌場は本当に獲物が多かった。おかげでお腹はいっぱいだ。
小屋の隅の藁の中で寝ていると、小さな足音が聞こえて来た。
この足音は聞いたことがある。
おいらは藁の寝床から飛び出して、その足音を追った。
わずかな月明かりと星明かりの中、その小さな人影は、少し木の生い茂った方へ進んで行く。
近づいてみれば、やはりアニスだった。
足を止め、何か地面をゴソゴソやっている。
近づいてみると、大きな石の下に、何かを隠しているようだった。

「わ!」

驚かせてしまったようだ。

「な、なんだ…。猫か…」

ごめん。
お詫びとばかりに、足元に擦り寄る。
うんうん、アニスの匂いだ。久しぶりだ。

「ケティ? まさかね。でもそっくりだなぁ」

そう呟いて、アニスは頭を優しく撫でてくれた。
久しぶりだな。この手も。

「ちょっと待っててね」

そう言っておいらをどかすと、大きな石を動かして、地面に開いた穴を隠した。

「このこと誰にも言わないでね。もらったお小遣い、ここで貯めてるんだ」

そう言って、またおいらの頭を撫でる。
誰にも言わないよ。言っても人間にはおいらの言葉なんて分からないけど。

「あ、そろそろ来ちゃう」

何か慌てたように、アニスが立ち上がる。
そして足早に林の中を進んで行く。
木が切れる辺りの大きな木の陰で、アニスが何かを待ちわびるように身を隠す。
おいらもその足元に隠れる。
少しすると、黒いフード付きのローブを羽織った怪しい人影が、木の前を横切っていった。
女の人のようだけど、なんなんだろう?

「……今日も見れなかったか…」

少し悲しそうな溜息を吐いて、アニスがトボトボと歩き出した。
見れない?見れないってどういうこと?
聞くに聞けず、なんだか付いていくわけにも行かず、おいらはアニスを見送った。
寝床に戻り、藁の中で考える。
あのフードを被った人物は?
アニスは何を見れなかったんだ?
モヤモヤしながら、おいらは眠りについた。



次の夜も、アニスはやってきた。
石の元には行かず、あの木の辺りに真っ直ぐ向かう。

「なうん」
「あ、昨日の」

座っておいらの頭を撫でてくれる。
ついでに顎の下に背中にお腹に…。
つい気持ちよくなってゴロゴロと地面に転がると、くすりとアニスが笑った。

「そうやってると、本当にケティみたいだ」

本人なんだけどね。
そうやってコチョコチョとやっていると、またあのフードの人物がやってきた。
アニスが手を止め、じっとその人物を目で追う。
しかし、昨日と同じように、その人物は木の前を横切っていった。

「はあ…」

アニスが溜息を吐く。

「なうん」

おいらが声をかけると、また優しくおいらを撫で始める。

「君に話すのもなんだけど、僕、あの人の顔を一度見たことがあるんだ」

そう言いながら耳の下をコチョコチョ。気持ちいい。

「風の強い日でね。たまたまあの人のフードが取れて…。綺麗な人だったんだ…」

手が止まった。
ぼーっと何かを思い出しているらしい。
ああ、なるほど。
恋、しちゃったわけね。
それでそれから毎夜、また顔が見たいとここに通っていると。
純愛だなぁ。

「もう一度見てみたいなぁと思ってるんだど…。そう上手くはいかないよね」

そう言って、またおいらを少し撫でると、お休みと言って去って行った。
明日も早いんだ。仕方ない。
そうと来たら、おいらが一肌脱いでやろうか!



次の晩も、アニスはやって来た。
謎の人物は毎夜やってくるわけでもないらしいが、アニスは毎晩ここに通っているらしい。
来るまでおいらと戯れる。
こうやってアニスと遊ぶのも久しぶりだ。
早くお父さんが元に戻って、アニスが家に帰ってくれば良いのに。
昨日と同じくらいだろうか、その人物はやって来た。
アニスがいつもと同じように木の陰で息を殺す。
そしておいらは、

「にゃあん」

その人物に近づいた。

「あら? 猫?」

その人物が足を止める。
その足元に擦り寄る。

「人懐っこい子ね。足元にいると危ないわよ」

そう言ってしゃがむと、おいらの頭を優しく撫でてくれた。
うん、この人は優しい人だ。
ぱっと身を翻すと、アニスの元に向かって走る。

「わっ!」

アニスが飛びついたおいらに驚いて、すっころぶ。

「誰かいるの?!」

その人の声が鋭くなった。
こちらを警戒してるかも。
しかし、ここでいかねば男じゃない!
アニスを急かして、木の陰から出させる。

「あ、あの…、その…」
「子供…」

その人物の言葉が柔らかくなった。

「そんな所で、こんな夜更けに何をしていたの?」
「え、えと…、その…」

アニスがもじもじとしている。
頑張れ、言うのだ!

「つ、月が綺麗で…! 散歩に…!」

上を見上げる。
夜空には月がかかっていた。
まあ…、綺麗な月ではあるけれど…。
その人物、女性はクスリと笑うと、

「そう、でも子供の一人歩きは良くないわ。早く部屋へ戻りなさい」

そう言って、アニスの頭を少し撫でた。
アニスが顔を上げ、その女性の顔を見た。

「お休みなさい」
「お、お休みなさい…」

女性はそのまま、奥の建物へと消えていった。
しばらく、アニスはぼんやりと女性が消えていった方を見ていた。
心配になって足元に擦り寄ると、なんだかふるふると震えだし、突然拳を握って腕を激しく上下に揺さぶり始めた。
なんだ?

「す、凄いよ…、は、話しちゃった…。あんな近くで…、見れちゃった…」

興奮しているらしい。

「ありがとう! 君のおかげだよ!」

そう言っておいらを抱っこする。
頬ずりされるのも久しぶりだ。
ちょっとうざいけど。

「ああ、ケティ元気にしてるかな? お父さんとお母さんも元気かなぁ」

ケティは大丈夫。お父さんとお母さんは、分からない。
少ししたらまた家に帰ろう。
アニスは大丈夫そうだから、今度はお母さんの様子を見に行こう。
そう決めた。



それから夜、その女性と会う度に、アニスは一言二言話すようになっていった。
月が出ていない晩に、

「きょ、今日も月が綺麗で…」

なんて言った時には、女性がちょっと眉をひそめていたけれど。

「恋、してるんかい、あのボウヤ」

ソックスと昼寝していた。この小屋の上は日当たりが良い。

「どうやらそうみたいでね。心配したほど辛い目に遭ってもいないみたいだし、近々家に帰ろうかと思ってるんだ」
「そうかい。だったら、王都を少し見て帰っても良いんじゃないかい? 良い土産話になるだろう」
「そうだなぁ」

猫は基本、生まれた場所からあまり動かない。
それこそ、雄の縄張り争いが激化しない限り。
だからおいらのように王都まで来た猫など、そうそういない。
確かに良い土産話になるだろう。
それから数日、おいらは王都巡りをした。
確かに良いね、王都。
いろんな所でいろんな美味しい物くれるからね!



次の馬車の日取りを確認して、夜、いつもの場所へ。
あの女性とアニスがまた少し話している。
お互いに名乗っておらず、女性は「ボウヤ」、アニスは「お姉さん」と呼び合っていた。
まあ、女性はアニスの名を知っているかもしれないけど。
おいらだって、ただ遊んでいたわけじゃない。
その女性のことも少し調べた。
とてもじゃないが、アニスの想いが届くような人物じゃないってことも分かったけど、アニスも話せるだけで満足みたいだし、いいだろう。
いつものように別れる。

「凄いねぇ、ケティ。僕あの人と普通に喋れるようになったよ」

この頃にはアニスは、おいらのことをケティと呼んでくれるようになった。

「ケティの代わりのケティ」

と良く分からん事を言ってたけど。
嬉しそうに戻って行くアニス。
ところが、

「誰だ?! そこにいるのは?!」

この晩に限って、何故か警備兵が走り寄ってきた。

「貴様! こんな夜更けに何故こんな所にいる!」
「あ、あの、ちょっと眠れないので散歩を…」
「そんな言い訳が通用するか! 盗賊の仲間だろう!」

近頃、王都でそういう犯罪がはびこっているらしかった。
下働きとして入った新人が、実は盗賊の仲間で、家人が眠った所で中から家の鍵を開け、仲間を導き入れると。

「違います! 僕は盗賊じゃありません!」

必死に言うも、アニスの言葉は受け入れられず、地下の牢獄へ幽閉されることとなってしまった。



地下になると、おいら達もそうそう気軽に行けるものでもない。
ソックスや他の仲間達にも協力して貰い、何度かアニスの元を訪れることができた。
だが、会う度にアニスはやせ衰え、体の傷が増えていった。
盗賊の仲間だと言わないアニスは、必要以上に暴力を受けているらしかった。
しかも、一人の男から。
警備兵達も、こんな子供に何ができるかと、解放するように働きかけてくれているらしかったが、頑として首を縦に振らないものが一人。
アニスを捕まえた、警備兵だった。
かなり責任のある立場の者らしい。
この男がアニスを犯罪者だと決めつけ、アニスを痛めつけているらしかった。
アニスを救えない自分が悲しかった。
おいらを優しく撫でてくれていた手が、今はもう弱々しく震えているだけだ。

「なうん…」

頬を軽く舐めると、アニスが目を開いた。

「ケティ…。お金…、お父さんと、お母さんに…」

そう呟くと、アニスは目を閉じた。
そして、息をしなくなった。




人間の社会には、人間のルールがある。
だから、猫は必要以上に人間に関わってはいけないという、猫界のルールがある。
でなければ、魔女の使い魔という謂われのない罪を押しつけられ、また虐殺されてしまうからだ。
ただ、例外もある。
自分をとても愛してくれた人から、それこそ命を掛けるようなお願いをされた時。
大事な想いを託された時。
おいら達は動くことが出来る。
猫の力を使うことが出来る。




「ち、いいサンドバッグだったのによう…」

警備兵士長の男が呟いた。
大分酔っているようで、足元が覚束ない。
あの日偶々、あの子供を見つけた。
別に害もなさそうだし、調理場で見かけていたから、特に気にせず放っていこうとした。
その時、ふと王都で噂になっている犯罪の事を思い出し、これを口実にすることを思いついた。
近頃は城に近づく犯罪者も減っており、彼のストレス発散の機会は減っていたのだ。

「僕は盗賊じゃありません!」

と泣き叫ぶ子供を殴るのは、思った以上に面白かった。
柔らかい肌が、肉が、骨が、殴る程に悲鳴を上げる。
やはり弱い者を嬲るのはいい。
その為に、男はこの仕事を選んだのだから。
家への近道の路地に入る。
路地ともなれば灯りも少なく、闇が多い。
慣れ知っている道を、千鳥足で歩いて行く。
と、何かに足を取られた。

「わ!」

前のめりに倒れる。
酔っていたせいか、受け身も満足に取れず、鼻を思い切りぶつけてしまった。

「いって…。なんだよ!」

訳も分からずに怒る。
とりあえず怒っておけばいいとでも思っているのか。
酔った体をよろよろと起こして、男は気付いた。
辺りが真っ暗になっていることに。

「あれ? ここ、どこだ?」

ふらふらと立ち上がり、路地の壁を探す。
しかし、何処まで行っても壁らしきものがない。
方向が違うのかと、あちらこちらに手を伸ばすも、何も手に触れなかった。

「路地って、こんなに広かったっけ?」

不思議と背筋が寒くなってくる。
酔いも冷めてきた。
最早方向も分からなくなり、フラフラと足を前に進める。

「誰か、誰かいないかー!」

声を出しても、響くこともなく、ただ空間に吸い込まれていく。
嫌な予感が止まらなくなり、足が早くなる。
とにかく早く家に帰り着かなければ。
いつの間にか走り出していた。
だが走っても走っても何処にも辿り着かない。
辺りは暗いまま。
男は初めて恐怖を感じた。
自分が今居るここは、普通の場所ではない。
無我夢中で走り出す。
とにかく、どこかへ、どこかへ。
どれ程走ったか、前方に、光が見えた。

「光だ!」

夢中でその光の方へ走った。
近づくにつれ、なんだか生臭いような臭いがしてくる。
しかしそんなことも気にせず走った。
何もないよりはましだ!
近づくにつれ、何かグルルルという音も聞こえ始めた。
光は6つに増えていた。
男はただ懸命に走った。
ここが終わるならどんな場所でも良い!
そんなことを考えながら。
そして、光に近づき、初めて男は気付いた。
その光は、その生物の目の光だということに。
男は足を止めた。
その生物がはっきりと見えるようになったから。
3つの頭を持った巨大な犬。
地獄の番犬と呼ばれるその生物。

「う、うわああああああああ!!」

3つの頭、6つの目が、男を捕らえた。



知り合いが玩具を切らしていてつまらんと言うので、玩具の代わりを送ってやった。
とても喜んでくれて、しばらく嬲って遊ぶらしい。
喜んでくれて何よりだ。
この夜、おいらは立ち入り禁止と言われていた所を歩いていた。
一応城の猫達を纏める者には許可を取っている。
事情が事情だからと。
王妃様がいるという寝室にするりと潜り込む。
いるかどうかは分からなかったが、有り難いことにいてくれた。

「あうん」
「あら? 猫ちゃん?」

王妃様はベッドの上で、ぼんやりと本を読んでいた。
読んでいるというより、眺めているって感じだけど。

「珍しいわね、こんな所に…」

ベッドの上にひょいと飛び乗ったおいらの頭を、王妃様は優しく撫でてくれた。
うん、やっぱりいい人だ。

「あのボウヤと一緒にいた猫ちゃんね?」

分かってくれたみたいだ。
王妃様の顔を見上げると、王妃様の目から涙が溢れてきた。

「なんでかしら…。アルフレッドがいなくなるより、あの子に会えないことの方が悲しいなんて…」

顔を覆って、泣き始めた。
人間達の話によると、王様と王妃様、仲が悪いわけではないんだけど、仕事にかまけて相手にしてくれないことが寂しくて、騎士長といい仲になってしまったらしい。
黒いフードにローブを羽織り、毎夜のように出ていたのは、その騎士長に会うため。
アニスはその途中で王妃様を見かけたのだ。
アニスの純粋な恋心に、王妃様も気付いてくれていたみたい。

「いつからかしら…。アルフレッドに会うよりも、あの子に会うのが楽しみになってたのは…」

恋、というほどでもないけど、王妃様もアニスの事を好いていてくれてたみたい。
良かったね、アニス。

「なうん」

その日、おいらは王妃様に抱かれて眠った。




コンコン

「はい…」

扉が叩かれ、アリアが扉を開けると、アニスと同じくらいの少年が立っていた。
白と黒の混じった珍しい髪の色の少年だった。

「アニスから、届けて欲しいって頼まれて」

少年が革袋を差し出した。
受け取ったアリアが中を見ると、少しのお金。

「それと、これ」

そう言って、アリアの手に毛の束を押しつけた。

「これ…、アニスと同じ毛の色…」
「最期まで、お父さんとお母さんを心配してたよ」

そう言って、少年は駆け出した。

「あ、待って、待っておくれ!」

アリアの制止も聞かず、少年は道の向こうへ消えていった。





その後、どうやらアニスの死を知って、お父さんはお酒を止めたらしい。
仕事もちゃんとするようになって、お母さんのことも殴らなくなったみたい。
なんでらしい・・・かって?
おいらは見てないからさ。
おいらの最期を看取ってくれた、長老から聞いたんだ。
理髪店が営業を開始したらしいと。
お父さんとお母さんは、少し寂しそうではあったけど、笑うようになったと。
猫の力は、猫によってってのもあるけど、命の力でもあるから、使うと命を落とす者がほとんど。
たまに力が強くて、使っても命を長らえる者がいるけど。
長老みたいな。
屋根裏で動けなくなったおいらの元に、ふらりと長老がやってきて、お父さんとお母さんのことを話してくれた。
良かった。これで向こうでアニスに会えたら、良い報告が出来る。
死ぬ事なんて怖くない。
だって、もう向こうには、お兄ちゃんのフランツとアニスがいるんだもん。
また一緒にいっぱい遊ぶんだ。
また、一緒に…。

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