ダブルシャドウと安心毛布

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キヅキ・キズツキ

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「何か、顔についてる?」
そういって、何度か掌で顔を拭う神楽さん。

「いや、全然。なんで?」帰ったお客様のテーブルの上の食器を洗い場に持っていき、そのまま神楽さんと洗い物をしていると唐突に聞かれたので、つっけんどんな言い方になってしまった。

「いや、ずっとチラチラ見てるから。」
寒さが強くなったせいで給湯器の温度を2度程高くして焼き鳥のタレがついた皿やポテトフライの油でぬるぬるしてる皿をリズム良く洗っていき、神楽さんが綺麗に流していく。
「自意識過剰~、見てません。」
「へいへい。…なら、良いんだけど。」
思い出し笑いの様に薄く笑う神楽さんに胸が締め付けられる。

あの冬の日、言ったこと。
あの夜の日、話したこと。
この前の講義で思った事。

聞いてみたいことがあるのに、相手に伝えるために、どういう言い方をするか考えるのがこんなに大変だと思わなかった。

言葉にするのだけなら簡単だ。
「神楽さんは将来どうしたいんですか?期待されてたのが膨らみに膨らんで、いきなり無くなって…どうして良いか分からないんじゃないんですか?」と。

洗い物が終わり、そのままシンクの掃除をしてる私を見て、神楽さんがコンロ回りの掃除をしていく。
後、一時間もすれば営業が終わるので手が空いた人間がこまめに片付けていくのがこの店のやり方だ。
「そういえばさぁ、前に言ってたじゃん。」コンロの壁を拭きながら神楽さんが聞いてくる。

「前に?何言ったっけ?」
「ほら、好きな音楽なんですか?って」
「あったねぇ」
「彩月は好きなアーティストとかいるの?」
「今なら日食なつこさんかな?」
「良いねぇ、あの人のピアノは表現力豊かだよねぇ。」
「そうなのよ!」思わず手を止めてしまう。まさか、知ってる人がいるとは。
「しかも、歌詞が曲と相俟って胸を抉ってくるのが…もう、もう!って感じ。」
それを見つめながら、また薄く笑う顔を見て、リベンジのつもりで、もう一度聞いてみた。
「神楽さんはいるんですか?好きなアーティスト。」
髭もないのに顎を二、三度触り少し目を閉じる。
「色んな曲を聴いてるから、『今の』好きなアーティストはパッとは出ないけど、昔はBUMP OF CHICKENとLUNKHEAD、LOST IN TIMEが好きだったなぁ。」
「BUMP OF CHICKENは知ってますけど、他のは…」
「そうだよねぇ…オススメはLUNKHEADなら『三月』でLOST IN TIMEなら『線路の上』と『30』だね。こっちも歌詞が心に刺さって、もう!」って感じ。と私の真似をして思わず、ふふんっ、と今度はこちらが笑ってしまった。

少しずつ、少しずつ壁がなくなっていって、心を開いてくれてるのが分かる。
それが、一欠片の石だとしても、砂粒ほどの粒子だとしても、それがこういう表情とかふざけた行動に表れてるなら、私にはとても嬉しい。
私がこの人の、生きていく上での、ほんの僅かでも糧でありたい。

まぁ、でも…と、呟くように、独り言のように「辛い時に聴くのはオススメしないけどね。」と真顔で言って、どんな曲なのか少し分かってしまった。



いつもの様に仕事終わり並んで駅まで歩いていく。
でも、いつもと違う所に気付いて思わず聞いてしまう。
「あれ、いつもの革ジャンは?」
ダブルライダースの革ジャンじゃなく、モッズコートを羽織り、やっぱり手をポケットに突っ込んだ神楽さんが答える。
「あぁ、少し破けたから修理に出してるんだよ。」
「なんか変な感じ。いつもの神楽さんじゃないみたい。」と笑う私に
「俺も」と笑う神楽さん。
「あの革ジャンはいつから着てるの?」
「あれは今の仕事始めてから少しずつ貯めて一年後位に買ったかな。もう7年位前かな。」
「そんなに持つんだ?」
「良い革ジャンは20年位持つよ、欲しくても上げないからな。」
「女の子は革ジャン欲しがんないよ。」
当たり前の様にヘルメットを渡してくるのを暗黙の了解で受け取る。



「神楽さんはさぁ」珍しくテレビを付けずに、スマホから流れる音楽に包まれながら、口に出してみる。
「ん?」
「将来、どうするの?」いつの間にか私の物になった白い無地のマグカップを両手で包み込んで、目を合わせず下を向く。
「あぁ、だから仕事中…なるほど。」会得がいったというように胡座をかき、いつもの透明のグラスをテーブルに置く。
「そうだなぁ…」と呟いたきり、LUNKHEADの『前進/僕/戦場へ』が室内に響く。

【もうだめだ打ちのめされた そこが僕の始まりだった】

居住まいを正すように座り直した、神楽さんが喋ろうとする。
「」
「ごめん、やっぱ無し。」沈黙が怖かった。
「いやぁ、この前授業でね、心理学の授業があって『シャドウ』って単語を学んでね。」顔をあげても目は見れなかった。
「そこで、『なれなかった自分』とか『生きたかったけど、そういう風に生きれなかった自分』って内容を聞いてね。」殊更、明るく振る舞う。

「彩月」優しい声が聞こえても止まらなかった。
「店長から聞いちゃって!それで、こんなに実は優しくて実は頼りになって、絶対にどんな感情的に話した事でもちゃんと考えて返してくれるし、でも、本当は全部抱え込んでて、今まで押さえ付けられてて、誰にも言えない気持ちがあったんじゃないかなんて…」何故か涙が出てくる。
もう一度優しく名前を呼ばれる。

「だから、少しでも私に言えば。八つ当たりでもなんでも良いからその辛さを和らげたら。なんて…色々考えて喋ろうと思っても、やっぱり思った事言っちゃうね…」段々、気分が沈んでくる。

少しの笑顔でも、いやだからこそ、その中に溜め込んだ想いを考えると、自分の小ささを改めて見つめてしまう。

こんな時にランダムに流れる曲がいつの間に変わりMOROHAの「ネクター」になってることに思わず苦しくなる。
【それでも家族】なんてこの人に言える訳がないのに。

「実は許せてないんだ、あの人の事を。」
アフロの叫びより小さな声でポツリと言った。

「最近、連絡がきて、体を悪くしたらしくて。『逢いに来てくれないか』って。」思わず立ち上がった私。
「そんな時だけ!逢った事ない人だけど、そんなのって…」
見上げた私を見つめた神楽さんの顔は。

とても穏やかに笑っていて、また胸が苦しくなる。

「まぁ、俺もそう思ってたんだけど。」
「けど?」
「最近、彩月とこうやって仲良くなって、今までは他人と話してても『いつか親みたいに俺の事を蔑ろにするんじゃないか?、勝手に期待されて勝手に失望されるんじゃないか?』と恐くてさ。」

ははは、と声に出して笑う。

「でも、彩月と逢って…お前が本音で接してくれるから、少しずつ本音で話して良いんだって思えるようになってきたら、あの人の事どうでも良くなったんだよね。」
その言葉にとても救われた気がする。

「とはいえ」
滲んだ神楽さんが殊更明るく言葉を紡ぐ。
「じゃあ、それでめでたしめでたしには現実は行かないから。」

神楽さんが立ち上がりこちらの頭を優しくなでる。
「逢ってくるよ。で、俺の気持ち言ってくる。」
仕事中の真面目なトーンで言いきったこの人を見て、(こんな風に強くなりたいな)と心の中で激しく思った。
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