全てを救う、その手には…

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群青、左手

全て失くした部屋

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カチャカチャとパソコンのキーボードを叩きながら時折ずり落ちた眼鏡を直す位しか変化がないやせぎすの男性を横目で見ながら、テーブルの上にある日記、もとい資料を幾度となく目を通す。
声をかけたい気持ちに駆られるが、この状況の彼に話しかけても、眼鏡を直す手の動きを野良犬を追い払う動きに変わる位か、酷い時は『あぁ、そうだねぇ…うんうん。』と心ここに非ずで相槌をうつくらいしかしないので、こういうときは黙って待っているに限るのだ。

しかし、と何度も読み返したテーブルの上の資料の中身を頭の中で反芻する。
人が生きる上で、何が必要なのかは議論の余地があるだろうが、こんな本人の承諾なしにレールの上を走らせて目的地に無理矢理たどり着かせることに、本人は喜ぶのだろうか?
夢の中でも願いが叶えば、誰かがお膳立てした夢の中でも『それ』を幸せと呼ぶことが出来るのだろうか?

ふぅっ、という声と共に背もたれに体を預け、白衣のポケットに手をいれるのが彼に声をかけて良い合図だった。

「珈琲でも入れますか?」
「いや、とりあえず君の意見を聞きたい。」
私は先程、頭の中で考えていた思いを彼にぶつけてみた。
「と思うのですが。」
「なるほど、一応だが、患者の基本的事項を擦り合わせてみようか?患者の○○君は去年の南海トラフ自身で最愛の妻を亡くしてしまった。」
「えぇ、出勤するために○○さんは家を出た瞬間に大地震が起き、家ごと…」
「そこまでで結構、つまり彼はそれによって自宅のドア、扉だね。それと妻の事を思い出せなくなった。」
「それによって、彼は壊れてしまったという事ですね。」
「有り体に言えばね。」
「それで、彼に鎮痛剤を打ってVRゴーグルをかけさせて奥さんの皮膚で作った左腕のロボットを触らせる。」
「その通り。まぁ、僕は医者だからね。彼がたまにこれをすることによって日常生活をおくれるなら良いと思うんだよね。」
「おしゃぶりと何が違うんですか…」
「上手いこと言うね。何も変わらんよ。そもそも人はすべからく『生き甲斐』というものがないと生きていけないのさ。」
「でも、奥さんの手を作るなんて…」
彼はゆっくりと立ち上がり、窓のカーテンを開けた。
「2022年には生きた皮膚で指型ロボットを作ったのだよ?ならば、今の世の中なら失ったモノの皮膚で左手を作るくらい出来るよ。それが…その温もりが彼にとっての本当の救いになるかは分からんがね。この空の群青を恐ろしいと思うか素晴らしいと思うか。」

「彼にしか分からない。」
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