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第2章

スマホを使った戦闘機

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   航空機に搭載する制御コンピューターや戦術コンピューターの作成に着手した第四開発室の面々であったが、数多くの試行錯誤をシミュレーション上で行なった結果、ある驚くべき方針に行き着く。

   よむそれは従来市販されているスマートフォンやタブレット、ノートパソコン等の中身を活用してその上で要求される性能を追求していくというものだった。



  つまりだ、航空機の制御や機能は数多くあるが、それらを1つのシステムで稼働させるのではなく、それぞれ独立したシステム(スマホ)を組み合わせていくことで全体を制御するというものだ。

  例えば武器管制コンピューターもスマホが複数使われ、制御プログラムはアプリというような感じだ。

  スマホのアプリのプログラミングなどは極端な話、一般人で出来る人が多数いるので、彼らを動員して組ませて、それらを魔理沙等のAIにチェックさせ、問題がなければ採用すれば良いという話だ。

  少しこれらの開発に携わったことがある人やミリオタの方などからすると「そんなバカなことあるか!」と思われるかもしれないが、この当時の開発陣は本気でこのようなバカなことに全力投球していたのだった。

  当然、他の「常識的な」開発メンバーなどからも白い目で見られ、川北の上層部の中にも同様の意見を持つものが多くいたのだが、会長の「うん、それでいこう」の一言で開発は続行されたのだった。

  川北の会長と坂本との血縁関係は極秘とされていたので、なぜ彼と第四開発室が会社の上層部から放置されるのかは社内でも不思議がられていたのだが。


  これらスマホはアメリカに製造拠点が移ったア◯フォンや、日本国内で細々と製造され続けていたAndroidベースのスマホ(エクス◯ディア)などが選ばれた。

  これらスマホは当然の事ながらに軍事面で使えるほどの強靭さや信頼性を持っていないので、それらを軍事面で使えるようにするには特別は手が必要だと思われた。

  信頼性向上の手としては基本的に同じ機能を複数に分散することに。

  兵器は敵の攻撃を受ける前提で作られるものなので、Aという箇所が敵弾などで被害を受け機能を停止したとしても他のBという箇所に同じ機能が残っているのであれば機能を喪失する確率を減らすなどの対策が不可欠なのだ。

  サーバ上でのシミュレーションを経て用意されたサンプル品を実際の航空機に載せたり、落下・衝撃テストを繰り返した結果、かなり高い割合で故障することが明らかになった。

  故障の原因を探るとスマホの設計で想定していない強い衝撃が基盤にかかっていたことが分かったので、その対策案も魔理沙たちに出させた。

  そこで膨大なアイデアが出され、実証試験をさせることに。

  基盤そのものをブラックボックスを作る時に使うような、基盤の上にボンドを流し込み、リフロー炉で凝固させてしまうような作りも試された。

  耐水性や耐衝撃性においては良好な結果が得られたが、熱対策の点で大きな問題があったことや、基盤そのものをボンドで固めてしまうと壊れた時にいざ修理しようとしても部品はボンドに埋まってしまっている状態なので実質的に修理不可能などという問題もあった。

  熱伝導性が高い素材を組み込んだボンドなども試されたが、修理の面や熱問題が解決しなかったのでこの方式は却下となった。

  (余談だが、車を牽引する電動ウインチのリレー部なども民間用は防水対策はケースのみで行われているが軍需用や高級品の中にはリレーボックスをボンドで固めてしまい、修理が必要になったらアッセンブリー丸ごと交換するようなものも珍しくない)

  最終的には基盤そのものをアルキルベンゼンをベースに新開発した粘度が高められた絶縁油の中に浮かせるような構造にすることで解決。

  この絶縁油を循環させラジエター(ヒートシンク)を通すことで基盤の温度管理もサーモスタットを基盤周辺に付け、周囲温度が高くなれば冷却、周囲温度が低くなれば電熱線により加熱する温度管理機能も付けた。

  また電磁波対策については電磁波を効率よく遮断する専用容器を開発、電磁波兵器などを使っても内部のスマホに影響が出ないようにされた。

  これら数多くの対策の結果、例えばAESAレーダーのアッセンブリーはF15などに搭載されている物と比べると容積比で十分の一を達成、制御も複数に分かれているので被弾や故障にも強くすることが可能になった。

  また、完全に新開発した簡易型はアンテナ素子の小型化にも成功しているので例えば航空機の翼の前面に格納するというような使い方も可能となった。

  今までのAESAレーダーはかなり大きな物だったので戦闘機の場合は機首先端のドーム内に設置したり、専用のアンテナを機体の外に設置したりするものが多かったのだが、新開発のソレはレーダーのアンテナ素子の形状をある程度自由に変えることが可能のなので、それまで設置出来なかったような極めて狭いスペースなどに設置することが可能となったのだ。

  また、川北重工は新型の戦闘機では従来のものほどレーダーの性能向上を重視していなかった。

  理由は簡単で、ステルス技術が格段に進化している現代で、レーダーが使える相手というものは相対的に少なくなると思われていたからだ。

  どんなに努力したとしても技術の流出というものは起こりうるものだ。

  例えば大東亜戦争前半、猛威を振るったゼロ戦も鹵獲機がアメリカに渡ったことで能力や弱点が徹底的に暴かれ、その結果、サッチアンドウェーブ戦法だとか一撃離脱戦法の徹底だとか、耐久性・量産性・速度・火力などが高い戦闘機を次々と開発するなどという対策が打たれた結果、ゼロ戦は大戦後期にはその優位性を大幅に失う結果となった。

  戦闘機の開発でいうと、例えばゼロ戦などは2t程度の重量だったわけだが、対戦中でも5tクラスの重さのある戦闘機が多数生み出されていて、現代などは10t以上あるものも珍しくないほど大型化・重量化が進んでいる。

  これは航続距離の増大、使用する武装の強力化と継戦能力のアップ、対空能力だけでなく対艦や対地攻撃など多くの能力を持たせたり、将来の発展性を考慮した余裕のある設計などを行った結果なのだが、川北重工が新たに開発しようとしている戦闘機では、それらの流れに逆行して「小型・軽量化」を徹底して行うとされた。

  大戦期前、ゼロ戦の開発時に行われたような贅肉を極限まで削り取るような作業を現代でも もう一度行うことにしたのだ。

  もちろん、大戦期のゼロ戦はそのことによって耐久性・耐弾性・生産性の低下、将来の発展性の無さなどが結果的に問題となったわけだが、今回開発する戦闘機では、それらを全て最新の技術とこれらか開発する技術で克服するということが決められていたわけだ。

  もっとも、それを決めたのは坂本の独断と妄想の中であって、それらの設計思想を上層部に認めさせていくことは極めて困難な作業となるのだが、それについてはまた後ほど語りたいと思う。


  ひとまず、この「スマホを活用し、それを現役の戦闘機に組み込んでいくことで軽量化・省スペース化を実現させる元となる技術が完成する目処が立った。


  2020年の段階でまだ現役として日本の空を守る役割を担っていたF-4EJ戦闘機があったのだが、新型戦闘機の開発遅れなどもあり、正式採用から50年を超えた現在でもまだまだ退役出来ずにいた。



  防衛費を5兆円程度でほぼ固定されている日本の自衛隊ではF-4EJの近代化もなかなか本気で進めれなかった訳だが、次期戦闘機のF-3の開発もなかなか進んでいなかった為、F-4EJの更なる延命化と魔改造が川北によって行われることになった。
  
  ここで川北は新開発した小型化したAESAレーダーの搭載や制御機器の小型化を試験的に行った。

  これらのプロジェクトは対外的には通常の延命措置とされていたが、実際行った内容はトップシークレットとして自衛隊内部と日本政府のトップの極々一部で秘匿された。

  それらの費用は半分は防衛費から出されたが、残りは川北と政府の内閣官房機密費から出された。

  安くない金額であったが実際に使われている戦闘機に組み込んでテスト出来るということなど多くのメリットも川北にもたらすことになった。
 

  自衛隊で現役で使われている機体に川北のシステムを組み込んでいくということは、将来的に日本の航空自衛隊と川北の戦闘部隊とが合同で作戦を行うことになった時、情報共有が非常に捗るということを意味するからだ。

  F-4EJは確かに古い機体だが、アビオニクス(通信機器、航法システム、自動操縦、飛行管理システムなどの総称)は当然、米軍との共通化も進めているわけで、川北のシステムを追加した自衛隊機がいれば米軍との共同作戦も可能になるという訳だった。

  このことは当然、米軍側も了承していて、川北に米軍が使っているアビオニクスのシステムを渡さなければオッケーだとされていた。

  川北重工が作っている戦闘機のアビオニクスは当然、川北だけのオリジナルの物だ。

  一方、航空自衛隊や米軍はデータリンクがされているのでそれぞれの間で戦術情報が共有される仕組みになっているのだが、米軍も川北を信頼しているという訳では当然ない。

  当然、川北側も米軍には相当数のスパイが紛れ込んでいることを知っているので自らの手の内を簡単に明かすつもりはないのだった。

  だから、米軍の情報データリンクに川北を入れたりはしないのだが、「自衛隊が間に入って情報交換を取り持つ」ことに関しては問題がないと米軍側も考えていた。

  F-4EJは現在では極めて珍しい複座機ではあったのだが、後方に搭乗している副パイロットが川北と米軍の間の情報の橋渡し役をするということになっていたわけで、そういう意味でもF-4EJの存在が非常に重要となっていたのだった。

  このようにして、就役して50年も経つ老兵は、川北の資金と技術を持って最新のアビオニクスを搭載した戦闘機へと再々再度、生まれ変わっていくのだった。
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