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第52話「珍客」
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「見ろ、戸賀勇気! はい」
パンパカーナが喜悦の笑顔を浮かべて、帳簿にある差引き金額の項目を指差して俺にみせた。七千二百三十エウロ。日本円にして、約八十六万七千六百円。黒字だった。
「おお。予定よりもはやく稼げたな。フィアンヌさん、開店前までに閉店の予定日時を紙に書いて貼っといて。一週間後ね」
フィアンヌは臨時で雇い入れた超短期のアルバイトだ。開店から二週間が経った。予想外の盛況ぶりに目を回した俺たちは休日に街へ繰り出すと、若い男女をそれぞれ一人ずつスカウトしたのだ。随分と骨が折れた。この国の若者は成人する前から既に働きに出たり、旅をすることが常であったため、数少ない高等魔法教育学校に在籍中かつ時間に余裕のある彼らを捕まえたのは運が良かったといえる。夕刻のことだった。
「パニャートナ。では、書き終わったら先、あがりますね」
「はいよ」
パンパカーナが腕を組みながら得意げな顔で、鼻から息を勢い良く、ふんすと放った。パニャートナとは『わかりました』という意味らしい。ここではそれが決まりのようになっていた。無論、吹き込んだのはパンパカーナだ。実に誇らしげで満足そうである。先輩風をやたらに吹かすな。俺は彼女の脇腹を小突いた。
外へ出て、開店中の立て札を準備中に変える。しかし、後ろから何者かに声をかけられ、振り向く。
「おいおい。兄さんよ。もう締めちまうのかい? そいつぁ、ま〜だ早いんじゃあねえか」
男が三人。中央の顎鬚をハートに模った男が、これ見よがしに筋骨隆々の体を横に膨らませている。
「ウホッ」「ウホッ」
後ろの剣山のような緑色をした髪の男と、三メートルはあろうかという長さのチョンマゲをした男がヨイショする。果たして『ウホッ』が煽て上げる意味なのか定かではないが、雰囲気からそう思った。筋骨隆々がこちらに顔を寄せる。毛虫のように太い眉が上下する。
「俺たちよぉ、今日はもうずっっっっっっっっっっっ......」
目をつむり、拳を握りしめながら溜める。背後の男たちは両腕を広げ、がに股になり、徐々に腰を落としていく。息を止めているのか、苦しげに眉根を寄せている。迫真の演技をする劇団員さながらである。いったい何の間だ。シュールな時間が流れる。
三分経過。筋骨隆々の目がかっと見開く。
「とッ!! ......歩いてきたんだぜぇ」
にやりと口角を上げた。剣山と超ちょんまげが肩で息をしている。顔は青白い。
「はあい」
意図せず、俺は上擦った声でいった。男はさらに凄んで、
「そんでよぉ......。まあ、いいや。わかんだろ? ん? そんなに察しの悪い人間でもあるめえよ、色男の兄さん」
「ウホッ」「ウッホ」
剣山がツルテカの頭皮を叩き、超ちょんまげは「ウホッ」と言いなおした。俺は膝をつねりながら、腰を低くして、どうにか諌めてもらおうとしたが、それは阻まれた。
「いや、しかし。今日は——」
「待てまてまてまて、待て! だから言ってんだろう? 俺たちはずっっっっっっっっっ......」
おいおいウソだろ。と言いたげな顔をして、剣山たちは眉を八の字に曲げて、泣きそうな顔で先と同様、たっぷりと間をとった。頬が痩けた宇宙人のような顔になっている。
もうええわ。帰ろ。俺は立て札を『準備中』にして、男たちに背をむけるようにして歩きはじめた。手書きの温泉マークを描いた暖簾をくぐると、パンパカーナが心配そうに声をかけてきた。
「ねえ、誰か来てなかった」
「いや、通りすがりの芸人が一発芸を二発みせてきただけ」
「そうか。ならよかったあ」
暖簾が勢いよくはためく。振り向くと、あの男たちが立っていた。急いで追いかけてきたのだろうか。剣山とちょんまげはとうとう膝に手をついて息を荒げていた。筋骨隆々と目が合った。彼奴はにやりと笑った。
「——っ! なんと個性派揃いの喜劇団」
「誰が喜劇団だ」
筋骨隆々がパンパカーナに対して怒声を発した。
「困ります。お客様」
俺は物腰柔らかくいう。
「ハッ! 聞いたかよ、兄弟。聞いたよな? しかとこの耳に入れたよなぁ」
「「ウ......ホ......」」
おねがい。もう休ませてあげて。と俺は思った。パンパカーナは高く聳えるちょんまげの天辺を凝視して「ヘルニアになりそう」と呟いた。フィアンヌは筆を止めたまま、凝然としている。
「しっかしまあ。こんなところにこんな建物なんてあったか」
「二週間ほど前にオープンしました」
「ほーう。客足はどうかね」
「おかげさまで。上々です」
「ほほほう! ならば、さぞかし美味い飯が食えるのだろうな」
違う。ここは温泉だ。飯屋ではない。
「あの、お客様」
俺はそろそろこのトリオ芸人を追い返そうと一歩踏み出したが、筋骨隆々は掌を前に突き出し、それを制止した。
「あー、よせよせ! みなまでいうな! わかっているぞ。さては、これからディナータイムの支度をするのだろう? ん? 違うか」
違う。普通に閉店する。俺たちはこれからディナーへ行く予定だ。
「まあそれなら仕方がない。時間がかかるんだろ? オレたちはここで気長に待つさ。ほうら、湯気が立ち昇っているぞ。きっと、スープの仕込みだな」
無味無臭の湯気。どんだけ薄いスープなのよ。と俺は思いながら、どかっと腰を下ろした三人をどうしようかと考える。このまま追い返したいが、なんやかんやと見当違いなことを言われたり、恐ろしく間をとる芸を見せられるので、もはや力づくで問答無用に叩き出すしかないのだろうか。いやしかし、この者たちが腹いせに店の評判を著しく下げてしまうような風説を流布するとなると、非常に厄介だ。ああ。閉店間際に限って厄介な客が来るというジンクス。
「おっす〜! 遊びに来たぜ、パンパカー......ってあっちゃあ〜。なんだよ、先客がいたのかあ」
元気発剌な赤髪の少女。ルトだ。木の桶にタオルや石鹸などを入れている。今晩、貸切の風呂を提供しようと、パンパカーナが誘っておいたのだ。
ばつが悪そうにしているルトをじろりと見上げると、筋骨隆々は顎鬚をさすって、
「なんだ、客。お前もか。そうかそうか! やはり、お前もこの店のディナーを食いにきたのだな」
「でぃ、でぃなー? あたしはただ、風呂に——」
「あー! いい! いわんでいい」
手を前に突き出し、止まれというジェスチャーをするように、筋骨隆々はかぶりを振っていった。
「見抜いたのだろう? ここは夜になると閉店するが、其の内は、知る人ぞ知る秘密のレストランに変わるのだ。おっと。これはオレたちのように、目の肥えたエリートにしか見抜けないのだ。よしよし。特別に、姉さんもエリートってことにしてやるぜ。ぬははははははは」
「はあ。それはどうも。あざっす」
そう言うルトは当惑しているようだ。ごめんね。変な人、連れて来ちゃってごめんね。俺は心の中で懺悔するとともに、ルトのことを憐憫に思っていた。せっかく来てもらったのに、なんだか申し訳ない。友人宅へ遊びに行ったら、面識のない友人の友人と鉢合わせしたときのような感じだ。さぞ気まずいだろう。
「ルト。お風呂いこう」
パンパカーナがルトの手をとり、赤い暖簾をくぐろうとしている。こいつ。俺に丸投げするつもりだな。
「お、おい。いいのかよ、あいつら」
「いいんだ。彼らは戸賀勇希の友人の親戚の従兄弟たちだ」
荒唐無稽なことをいうパンパカーナ。それはもはや他人である。
俺はそのか細い手首を捕まえ、引き寄せる。
「待てくれよお、パンナコッタちゃあん。俺も一緒に風呂行くわあ」
「お前っ......離せ! ここから先は女湯だ。ほら、寂しそうに見ているぞ。かまってあげて」
横目でちらと見やると、カードゲームを広げて遊びはじめていた。「はい、ウノ」「「ウホッ!?」」
「ねえ、なんでウノやってんの? なんで知ってるの?」
「し、知らん! いいから離せ、離してよ! お風呂入らせてよ」
押し問答が続く。すると、それに痺れを切らしたルトが、
「だーっ!! てめえら全員しゃらくせえなぁ! ちょっとあたしに面貸しな」
と、がなりたてた。
「はい、アガリ」
男が高らかに腰を反らせて笑った。その拍子に、眉間に深い皺を寄せているルトさんと目が合ったようだ。「あ」といい、表情が引きつった笑顔のまま固まった。
「よし、目が合った。てめえも来な」
パンパカーナが喜悦の笑顔を浮かべて、帳簿にある差引き金額の項目を指差して俺にみせた。七千二百三十エウロ。日本円にして、約八十六万七千六百円。黒字だった。
「おお。予定よりもはやく稼げたな。フィアンヌさん、開店前までに閉店の予定日時を紙に書いて貼っといて。一週間後ね」
フィアンヌは臨時で雇い入れた超短期のアルバイトだ。開店から二週間が経った。予想外の盛況ぶりに目を回した俺たちは休日に街へ繰り出すと、若い男女をそれぞれ一人ずつスカウトしたのだ。随分と骨が折れた。この国の若者は成人する前から既に働きに出たり、旅をすることが常であったため、数少ない高等魔法教育学校に在籍中かつ時間に余裕のある彼らを捕まえたのは運が良かったといえる。夕刻のことだった。
「パニャートナ。では、書き終わったら先、あがりますね」
「はいよ」
パンパカーナが腕を組みながら得意げな顔で、鼻から息を勢い良く、ふんすと放った。パニャートナとは『わかりました』という意味らしい。ここではそれが決まりのようになっていた。無論、吹き込んだのはパンパカーナだ。実に誇らしげで満足そうである。先輩風をやたらに吹かすな。俺は彼女の脇腹を小突いた。
外へ出て、開店中の立て札を準備中に変える。しかし、後ろから何者かに声をかけられ、振り向く。
「おいおい。兄さんよ。もう締めちまうのかい? そいつぁ、ま〜だ早いんじゃあねえか」
男が三人。中央の顎鬚をハートに模った男が、これ見よがしに筋骨隆々の体を横に膨らませている。
「ウホッ」「ウホッ」
後ろの剣山のような緑色をした髪の男と、三メートルはあろうかという長さのチョンマゲをした男がヨイショする。果たして『ウホッ』が煽て上げる意味なのか定かではないが、雰囲気からそう思った。筋骨隆々がこちらに顔を寄せる。毛虫のように太い眉が上下する。
「俺たちよぉ、今日はもうずっっっっっっっっっっっ......」
目をつむり、拳を握りしめながら溜める。背後の男たちは両腕を広げ、がに股になり、徐々に腰を落としていく。息を止めているのか、苦しげに眉根を寄せている。迫真の演技をする劇団員さながらである。いったい何の間だ。シュールな時間が流れる。
三分経過。筋骨隆々の目がかっと見開く。
「とッ!! ......歩いてきたんだぜぇ」
にやりと口角を上げた。剣山と超ちょんまげが肩で息をしている。顔は青白い。
「はあい」
意図せず、俺は上擦った声でいった。男はさらに凄んで、
「そんでよぉ......。まあ、いいや。わかんだろ? ん? そんなに察しの悪い人間でもあるめえよ、色男の兄さん」
「ウホッ」「ウッホ」
剣山がツルテカの頭皮を叩き、超ちょんまげは「ウホッ」と言いなおした。俺は膝をつねりながら、腰を低くして、どうにか諌めてもらおうとしたが、それは阻まれた。
「いや、しかし。今日は——」
「待てまてまてまて、待て! だから言ってんだろう? 俺たちはずっっっっっっっっっ......」
おいおいウソだろ。と言いたげな顔をして、剣山たちは眉を八の字に曲げて、泣きそうな顔で先と同様、たっぷりと間をとった。頬が痩けた宇宙人のような顔になっている。
もうええわ。帰ろ。俺は立て札を『準備中』にして、男たちに背をむけるようにして歩きはじめた。手書きの温泉マークを描いた暖簾をくぐると、パンパカーナが心配そうに声をかけてきた。
「ねえ、誰か来てなかった」
「いや、通りすがりの芸人が一発芸を二発みせてきただけ」
「そうか。ならよかったあ」
暖簾が勢いよくはためく。振り向くと、あの男たちが立っていた。急いで追いかけてきたのだろうか。剣山とちょんまげはとうとう膝に手をついて息を荒げていた。筋骨隆々と目が合った。彼奴はにやりと笑った。
「——っ! なんと個性派揃いの喜劇団」
「誰が喜劇団だ」
筋骨隆々がパンパカーナに対して怒声を発した。
「困ります。お客様」
俺は物腰柔らかくいう。
「ハッ! 聞いたかよ、兄弟。聞いたよな? しかとこの耳に入れたよなぁ」
「「ウ......ホ......」」
おねがい。もう休ませてあげて。と俺は思った。パンパカーナは高く聳えるちょんまげの天辺を凝視して「ヘルニアになりそう」と呟いた。フィアンヌは筆を止めたまま、凝然としている。
「しっかしまあ。こんなところにこんな建物なんてあったか」
「二週間ほど前にオープンしました」
「ほーう。客足はどうかね」
「おかげさまで。上々です」
「ほほほう! ならば、さぞかし美味い飯が食えるのだろうな」
違う。ここは温泉だ。飯屋ではない。
「あの、お客様」
俺はそろそろこのトリオ芸人を追い返そうと一歩踏み出したが、筋骨隆々は掌を前に突き出し、それを制止した。
「あー、よせよせ! みなまでいうな! わかっているぞ。さては、これからディナータイムの支度をするのだろう? ん? 違うか」
違う。普通に閉店する。俺たちはこれからディナーへ行く予定だ。
「まあそれなら仕方がない。時間がかかるんだろ? オレたちはここで気長に待つさ。ほうら、湯気が立ち昇っているぞ。きっと、スープの仕込みだな」
無味無臭の湯気。どんだけ薄いスープなのよ。と俺は思いながら、どかっと腰を下ろした三人をどうしようかと考える。このまま追い返したいが、なんやかんやと見当違いなことを言われたり、恐ろしく間をとる芸を見せられるので、もはや力づくで問答無用に叩き出すしかないのだろうか。いやしかし、この者たちが腹いせに店の評判を著しく下げてしまうような風説を流布するとなると、非常に厄介だ。ああ。閉店間際に限って厄介な客が来るというジンクス。
「おっす〜! 遊びに来たぜ、パンパカー......ってあっちゃあ〜。なんだよ、先客がいたのかあ」
元気発剌な赤髪の少女。ルトだ。木の桶にタオルや石鹸などを入れている。今晩、貸切の風呂を提供しようと、パンパカーナが誘っておいたのだ。
ばつが悪そうにしているルトをじろりと見上げると、筋骨隆々は顎鬚をさすって、
「なんだ、客。お前もか。そうかそうか! やはり、お前もこの店のディナーを食いにきたのだな」
「でぃ、でぃなー? あたしはただ、風呂に——」
「あー! いい! いわんでいい」
手を前に突き出し、止まれというジェスチャーをするように、筋骨隆々はかぶりを振っていった。
「見抜いたのだろう? ここは夜になると閉店するが、其の内は、知る人ぞ知る秘密のレストランに変わるのだ。おっと。これはオレたちのように、目の肥えたエリートにしか見抜けないのだ。よしよし。特別に、姉さんもエリートってことにしてやるぜ。ぬははははははは」
「はあ。それはどうも。あざっす」
そう言うルトは当惑しているようだ。ごめんね。変な人、連れて来ちゃってごめんね。俺は心の中で懺悔するとともに、ルトのことを憐憫に思っていた。せっかく来てもらったのに、なんだか申し訳ない。友人宅へ遊びに行ったら、面識のない友人の友人と鉢合わせしたときのような感じだ。さぞ気まずいだろう。
「ルト。お風呂いこう」
パンパカーナがルトの手をとり、赤い暖簾をくぐろうとしている。こいつ。俺に丸投げするつもりだな。
「お、おい。いいのかよ、あいつら」
「いいんだ。彼らは戸賀勇希の友人の親戚の従兄弟たちだ」
荒唐無稽なことをいうパンパカーナ。それはもはや他人である。
俺はそのか細い手首を捕まえ、引き寄せる。
「待てくれよお、パンナコッタちゃあん。俺も一緒に風呂行くわあ」
「お前っ......離せ! ここから先は女湯だ。ほら、寂しそうに見ているぞ。かまってあげて」
横目でちらと見やると、カードゲームを広げて遊びはじめていた。「はい、ウノ」「「ウホッ!?」」
「ねえ、なんでウノやってんの? なんで知ってるの?」
「し、知らん! いいから離せ、離してよ! お風呂入らせてよ」
押し問答が続く。すると、それに痺れを切らしたルトが、
「だーっ!! てめえら全員しゃらくせえなぁ! ちょっとあたしに面貸しな」
と、がなりたてた。
「はい、アガリ」
男が高らかに腰を反らせて笑った。その拍子に、眉間に深い皺を寄せているルトさんと目が合ったようだ。「あ」といい、表情が引きつった笑顔のまま固まった。
「よし、目が合った。てめえも来な」
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