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第5章

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 歩く冒険者の波を横切る、女性の姿が二つ。
 一人は獣耳を揺らす獣人族(ビースト)のボムズ。
 もう一人はキョロキョロと眼をシドロモドロさせる冒険者ヒポクリフトである。
「あの、ボムズさん?転移魔法陣(ゲート)の側を離れて、本当によろしかったのでしょうか?」
 徐(おもろ)にそう尋ねるヒポクリフトに、ボムズは満面の笑みを見せつけた。
「いいのいいの!大体、ここにいる冒険者達は転移魔法陣(ゲート)が起動できないの知ってるだろうし、それに」
 仮に来たとしても、何も出来ないならいたって仕方ないでしょ?
 ボムズは当然とばかしに言って、軽やかな足取りで道を進んでいく。
 ヒポクリフトはそれに続いて、「そうですか」と、蚊の鳴くような声で頷いた。
 あの後の、ガンスレイブが一人どこかへ出掛けてしまった後、ヒポクリフトとボムズは地下8階層の街へ繰り出していた。
「ヒポちゃん、一緒に出掛けようか!?」
 そんなボムズの提案に始まり、特にやる事もなかったヒポクリフトはその案に断る理由もなかった。
 故に首を縦に振って了承。
 そして今現在に至ると、今はそんな時である。
「ところでボムズさん、行く宛は決まってのですか?」
「ん?特に考えてはないけど、適当に?」
「適当……」
 呟いたヒポクリフトの視界先に、様々な建物と冒険者達とは映る。
 商店に、飲食店に、武具店に、また十人十色(じゅうにんといろ)といった冒険者達が賑う、そんな街並み。
 地下8階層とは、まるでここがダイスボードである事を忘れてしまいそうになる程の賑わいを見せていた。
 だからこそヒポクリフト、ただただ驚愕の瞳を浮かべていた。
 目線を上下左右へと忙(せわ)しく動かす。
「あれ?昨日ここ通ったんじゃないの?」
 唖然とした様子のヒポクリフトに、ボムズは首を傾げて尋ねた。
「あ、はい。そうなんですけど……昨日はそれどころじゃなくて」
 昨日はそれどころじゃなくて。
 というのも、昨日のヒポクリフトは、俯き歩いたままこの道を進んだ。
 それはガンスレイブとの間に生まれた気不味(きまず)い雰囲氣のせいで、またヒポクリフト自身、他に関心を向ける余裕がなかったせいで。
 昨日のヒポクリフトとは終始(しゅうし)、ガンスレイブの冒険者皆殺しの真意について頭を悩ませていた。
 今でこそ冷静になれてはいるヒポクリフトではあるが…
「ふーん、変なの。あいつと、何かあったんだね?」
「はい……」
「そっかそっか。じゃあとりあえず、落ち着いて話せる場所にでも行こうか」
 ボムズは提案して、ヒポクリフトの手を握り締めた。
 そのまま軽い足取りのままとある建物へ。
 そこは多数の冒険者達が卓を囲む、酒場と呼ばれる場所である。
「よおボムズ、今日は非番か?」
 カウンターまで進んだボムズに、酒場の主人が和かに尋ねた。
 顔馴染みなのか、その口ぶりはやけに親しみに溢れている。
「そうだよオッチャン!つーことで、いつもの!」
「あいよ!で、隣の姉ちゃんはどうする?」
「え!?あ、私はその…お酒は飲まないので……」
 ヒポクリフトは遠慮気味に答えた。
 その様を見て、ボムズは「じゃあ、ヒポちゃんはあれで!」と、慣れた様子で店主に受け答える。
 やっぱり、場違いだよねーー
 ヒポクリフトは酒場に漂う酒の匂いを嗅いで、どこまでも落ち着かない素振りを見せていた。
 しばらくして、カウンターに二つのグラスが出てきた。
 ボムズはグラスの一つをヒポクリフトに手渡した。
「こっちはアルコール無しだからヒポちゃんでも飲める筈だよ!私はこっち!」
 ボムズは目を輝かせ、もう一つのグラスを手にとった。
 それは黄金色をしたお酒で、酒についてあまり詳しくはないヒポクリフトでも、それがビールと呼ばれる麦のお酒である事を理解する。
 一度飲んだ事あるけど、あれ苦いんだよねーー
 二人はそのまま空いた席へと座り、グラスを重ね乾杯した。
「ぷはぁッーー!堪らん!いやぁ、私はこの一杯の為に生きていると言っても過言じゃあないね!」
「あははは。ボムズさん、お酒強いんですね」
「いや強かないけどさ、嗜(たしな)む程度には、ね?」
 と言いつつも、ボムズのグラスは既に半分以上が空であった。
「ヒポちゃんはお酒飲まないみたいだけど、どうして?」
「いや、飲まないと言うか、飲めないんです、私」
 そう言って、ヒポクリフトはボムズのグラスを流し見た。
「何が美味しいのか、まだ私には理解できないみたいです。子供舌、といいやつなんでしょうね」
 と、ヒポクリフトは自身のグラスに口をつける。
 中身は淡い赤色の液体の、言ってそれは果実のジュースのようだ。
 仄かな酸味と、癖のない甘みがヒポクリフトの舌を伝う。
「私はこちらで充分満足みたいです」
 ヒポクリフトは微笑み言った。
「そう、もったいないなぁ。美味しいのに、お酒」
「ですかね。ところでボムズさんはよくここに?」
「まぁね、暇さえあればよく来るかな。てか、ここに来て酒でも飲まないとさ、あんな場所にはずっと居られないよ!」
 相変わらず飲みっぷりで、ボムズはグラスのお酒を飲み干した。
「あんな場所、ですか……それは転移魔法陣(ゲート)の事、ですよね?」
「そうだよ。もうかれこれどれぐらいになるだろうか……忘れちゃったな」
 ボムズは過去を振り返るように、頭上を見上げた。
「そうなんですか……それにしても凄いな、ボムズさんは…」
「凄い?どうして?」
「いやだって、転移魔法陣(ゲート)の防人(さきもり)って、誰でも務まるもんじゃないですよね?少なくとも地上では、魔力の優れた者にしか慣れないとは言われてましたよ」
「ああ、そういうこと」
 ボムズは平然そうな口振りで言った。
「別に大した事じゃないけど。確かにそれ相応の魔力は必要だけどさ、別に連続で起動するわけじゃないし。使えて一日一回、それ以降は数日あけてまた一回、その繰り返し。もう、嫌になっちゃうよ!」
「それでも、ずっと続けてこられたのですから、それは誇っていいと思います。私なんか全然何をやっても駄目で、才能も何もあったもんじゃありません……」
 途端に、ヒポクリフトの表情が曇った。
「ほんと、自分が嫌になります…」
「……なんだいヒポちゃん。やけに悲観的じゃないか?」
「悲観的、確かにそうかもしれません。私は暗くて地味で、どうしようない人間なんです……」
「まぁまぁ、ヒポちゃんさ、自分で自分をそう悪く言うもんじゃないよ!それに、私はまだヒポちゃんと出会ってそう経たないけど、それでも良いとこは見つけたよ?」
「良いところ、ですか……」
 例えば?
「そうだねぇ……ヒポちゃん、凄く笑うと可愛い!」
 ボムズはニヒヒと、ハニカミ答える。
「それ、そのままそっくりお返しします」
「え?どうして?」
「だって、ボムズさんの方がよっぽど可愛くて、綺麗だから」
「そう、かな?」
「そうですよ」
「……うーん、自分じゃよくわかんないなぁ…」
 ボムズは困ったように俯いた。
 直ぐ後、
「オッチャン、お代わり!あとお摘(つま)みを適当に!」
 ボムズはカウンターに手を挙げて叫んだ。
「いやさ、私はねヒポちゃん。自分の事をあれこれ考えた事なんてなかったんさ。気づいたらここにいて、気づいたら転移魔法陣(ゲート)の防人をやっていた。ただのそれだけなんだよ。それを凄いとは、言わないね、うん」
「そんなことは、ないです……」
 多分……
 ヒポクリフトは自信なしげに呟いた。
 そんなヒポクリフトを覗いて、ボムズは笑う。
「私、またヒポちゃん良いところ見つけちゃった」
「え?」
「ほらさ、今、ヒポちゃん私の事、凄い凄いって、褒めてくれるじゃない?それってさ、誰にもできる事じゃないよ!」
 少なくとも、このダイスボードにはそんな人いないと思うな。
 ボムズは酒と摘みを持ってきた店主に頭を下げながらには、そんな言葉を口にした。
「それは……私が、駄目なところしかないから、ただ人を羨み、褒めるしかないからで……」
「ヒポちゃん、はい」
 ボムズはヒポクリフトの言葉を遮断して、摘みを差し出す。
 それは食欲の唆(そそ)る、こんがり焼けた鶏肉の手羽先である。
「あ、どうも」
「食べて」
「はい」
 ヒポクリフトはガブリと、手羽先に噛り付いた。
「どう?」
「はむはむ……美味しい、です」
「でしょ?ここの手羽先は絶品なんだから!ほらほら、じゃんじゃん食べて飲んで」
 今日は私の奢りだからさ。
「は、はい……」
 ヒポクリフトは急かされる形で、グイッとグラスの中身を飲み干した。
 あれ、何だか、やけに顔が熱いなーー
「で、何だっけ?ヒポちゃんは駄目で駄目駄目などうしようもない人間だって……」
「そ、そこまでは言ってません!」
「あははは、悪い悪い!でもさ、自分でそんな風に決めつけてるってのは確かでしょ?」
「……まぁ、否定はしません……」
「うん、いやそれってさ、何だか勿体無いなって、私はそう思うよ」
「勿体、無い……ですか?」
「そうそう、だってさ、自分をいくら蔑んだところで、何も変わらないじゃない?ただ今のヒポちゃんみたく落ち込むばかりで、暗くなって……そんなヒポちゃん、何か辛そう」
 ボムズは真剣な眼差しをヒポクリフトに向けた。
「それってやっぱり、あいつがそうさせるの?」
「あいつ?」
「獣の、あの毛むくじゃらの事さ」
「…それは絶対に、違います」
「どうしてそう言い切れるの?」
「いや、だってガンスレイブさんは……無力な私をここまで導いてくれて、守ってくれて、強くて、頼もしくて…」
 言い出したらきりがない、ヒポクリフトはそんな様子一切をボムズへと見せ付けていた。
 そんなヒポクリフトに、「ほら、やっぱり…」とボムズ。
 グラスを手に取った。
 またグビグビと、グラスを又もや半分ばかり空かして、ドカンッと、グラスをテーブルに打ち付けた。
「つまりさ、あいつの側であいつの人外っぷりを見たからそう思うんでしょヒポちゃん!?いいヒポちゃん、勘違いしちゃ駄目だけど、それ、あいつが異常なだけだからね!?」
 あんな奴と比べる方が間違ってるよ!
 ボムズはそうも言った。
 また続けて、
「聞かせてよヒポちゃん!あいつと上で何があったか!てか、そもそもそれを聞きにここへ来たわけだし!」
「は、はぁ……」
「ほら、ヒポちゃん!グラス!」
「あ、はい!」
 急かすボムズに、ヒポクリフトはグラスを手渡した。
 そして、
「オッチャン!ヒポちゃんに同じの。あと、さっきよりアルコール強めで頼むね!」
 あいよー、カウンターから声が鳴る。
 それと同時に、ヒポクリフトの驚嘆めいた声も鳴った。
「えっ!?今のお酒だったんですか!?」
「当たり前でしょ!?果実酒だよ果実酒、酒場なんだから当たり前じゃん!」
「き、聞いてませんよ!それに、私アルコールは飲めませんって言いましたよね!?」
「んなこと言って美味しそうに飲んでたじゃん!」
「うっ……」
 だって聞いてないですもの!!
 そんなヒポクリフトの訴えが、酒場に響き渡っていた。


◆◇◆◇


「ああ、その娘か」
 湿気の臭気に満ちたその一室で、情報屋サーチは頷く。
 彼の目にはガンスレイブの指先の、地上の札付き娘達の情報が記されたリストの、とある箇所へと向けられていた。
「有名だよ。ルナマリア王国の見習い魔法使い、ヒポクリフト・ジュリエッタだろ?」
 ヒポクリフト、確かにサーチはその名を口にした。
 ガンスレイブは肩一つ揺らすことなく、フードの奥の瞳でサーチを見る。
「有名、とは?」
「いやね、実を言うとそのヒポクリフトという娘、半年ほど前に陥落したルナマリア王国の秘宝を持ち出したとされているのさ。何でもその秘宝、小国の国家予算に値する程の秘宝らしく…確か、マテリアルストーンと呼ばれていたっけな?其れを持ち出して、何処かに雲隠れしたというのさ」
 地上ではかなり有名な話さ。
 サーチは声を鳴らして笑った。
「で、その娘の情報が知りたいと?」
 ガンスレイブは無言で、ゆっくり頭を縦に振った。
 そんなガンスレイブを眺めて、ニヤリとサーチの口元は歪む。
「いいけど、その娘の情報は高いぜ?何たって、今じゃあ裏組織の連中供がヨダレを垂らしてかき集めている程の情報だからな。安かぁない」
 嘘は言っていない。
 サーチの心奥を覗いて、ガンスレイブはそう思っていた。
 故にガンスレイブ、懐に手を伸ばすや否や、「50枚」と呟き、薄汚れた巾着(きんちゃく)を取り出しサーチに寄越した。
「50…枚?全部、金貨か?」
 金貨50枚ーー
 それが真実であれば、サーチが情報屋を初めて切手の超高額取引となる。
 何せ、サーチが売っているのは飽くまでも情報に過ぎない。それがどんなに有意義な情報であったとしてもだ、その価値に金貨50枚という破格の値がつく事はこの先の未来に於いても絶対ない。
 金貨50枚もあれば、何もこんな薄暗い地下深くに潜る理由なんてそもそもない。
 そもそもダイスボードに潜る人間とは、大体が金や財宝目的の成り上がりを所望する者達ばかり。その中の一人にこのサーチという情報屋も含まれており、ゆくゆくは地上に戻ろうと考えていた。
 そして、サーチは手に持ったずっしりと重い巾着の中身を確認して、その瞬間にも地上への帰還は決定づけられていた。
 それもまたサーチだけじゃない。このダイスボードに潜る冒険者達の殆どが、いずれは地上への帰還を望んでいるだろう。ただその手に、地上で一生遊んで暮らせるだけの大金を握っているか否かの違いだけで。
 サーチは目を丸くさせ、驚嘆の眼差しをガンスレイブへと送っていた。
「あんた……正気か?」
「ああ、無論だ」
 俺にとって金貨など大した価値はない。
 そうは続けて、
「詳しい情報を開示しろ。情報屋」
 ギラつく眼光を、フードの奥に走らせていた。

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