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第3章

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 黒い霧。
 一見して、ヒポクリフトはそう思った。
 ただそれが危険なものだと理解するよりも先に、黒い霧がヒポクリフトの体に纏わり付き、その身を、魂を、穢していく。
 意識が薄れていく感覚を、ヒポクリフトは覚えていた。
 そんな最中に、ヒポクリフトの耳へと、かの者の声が聞こえてくる。
「ヒポクリフト!!!」
 呼んでいるのは、ガンスレイブ。
 ガンスレイブが、私を呼んでいる。
 あれ?そもそも、ガンスレイブって、
 誰だっけ?
 私って……
 誰だっけ?
 ヒポクリフトは、思考を乗っ取られつつあった。
 それこそ、黒い霧の能力にして、その実態。
 対象の体へ、魂へと乗り移り、その全てを自身のものへと、書き換えていく。
 一度書き換えられた魂は二度と戻らない。
 仮にゴーストが体を離れたとして、目を覚ます事はない。
 書き換えられるとはそういうものだ。
 一度上書きされてしまえば、以前の魂はなかったことにされてしまう。
 ゴーストとはそうやって長きに渡る時間を渡り注いできた。
 全てはその意思に従って。
 その意思の発信源とは、ゴースト自身にも分からない。
 自分はどのようにして誕生し、どのような存在なのかを、知らない。
 ただ絶対的な意思命令、『ガンスレイブを苦しめ、抹殺せよ』という何者かの意思に準じては、突き動かされるに過ぎない。
 その機会とは今まさに、やってきたというだけ。
 それは冒険者で、名をヒポクリフトというらしい。
 記憶を覗く限り、普通の人間のようだった。
 何の変哲もない、少女。
 だったら、乗っ取りは容易に済む。
 以前のエルフのように、魂の抵抗は皆無に等しい。
 あの時は少々、疲れた。
 アルビダというエルフは強靭な魂の持ち主だった。
 中々、自身の魂汚染に従ってはくれない。
 だからムキになって、強い汚染を施してしまった。
 強い汚染の施された魂は、あまり質が良いとは呼べない。
 またそのせいで、長い封印に陥ってしまった。
 奴が封印を解除してくれなければ、自力での封印解除は不可能であったと言えるだろう。
『さぁ、その体を、魂を明け渡せ。上手くは使ってやる。案ずるな、傷みはない。ただ、虚無に帰るだけ……虚無は、素晴らしいぞ』
 ゴーストは着々と、ヒポクリフトに汚染の魔の手を広げていく。
 簡単だ。何の問題はない。
 今度こそ、必ず上手くいく筈、
 そう信じて疑わなかった。
 故の、違和感。
『!??』
 気持ちの悪い。
 ゴーストは突然、そう思ってしまっていた。
 その気持ちの悪さが何なのかは分からない。
 でも普通じゃ考えられない。
 強い、誰かの意思が、伝わる。
「破邪、殲滅」
 声。
 ヒポクリフトのものとは違う、またガンスレイブのものでもない。
 全く理解の届くことはないだろう、そんな声がゴーストへと語りかけてくる。
 何だ、これは?
「邪気、抹殺。不浄、浄化。愚者、滅殺……」
 それは祝詞。
 強い意思の込められた、浄化の祝詞。
 何でそんなものがこのヒポクリフトの魂に残されているからは分からない。
 この祝詞は、自身の強い意思さえも浄化してしまうーー
 ゴーストは、未だかつてない恐怖を感じ、恐れていた。
 そして、
「滅殺、滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺」
『!??』
 ついにはヒポクリフトの体を離れた。
 ヒポクリフトの体を覆い尽くしていた、黒い霧が再び宙へと舞い戻る。
 また辺り一帯を覆っていた霧が、綺麗さっぱりには失せ切っていた。
 ガンスレイブの眼に、力なく倒れるヒポクリフトは映る。
「ヒポクリフトッ!!」
 瞬時に、ヒポクリフトへと駆け寄るガンスレイブ。
 ヒポクリフトの体を支え、顔を覗いた。
「ガ、ガンスレイブさん?私は……」
「……ヒポクリフトよ、無事か?」
「ええ……私は……一体?」
「奴に乗っ取られそうになっていたようだ。だが、何故か奴は、お前を解放した……何故だ……」
 それはガンスレイブにも分からない。
 ヒポクリフトが何かをやったわけでもないだろう。
 だったら、何があった?
「ギィイイイイッッ!!!!」
 金切り声。
 怒りに満ち溢れた金切声を上げ、黒い霧が宙を走り回っていた。
 まだ、終わってはいない。
「ホーリークラフトは全て使い切ってしまった……」
 どうすれば。
 ガンスレイブは舌打ちを鳴らす。
 最早、手は使い果たした。
 それでも、ゴーストは封印は終わっていない。
 また、このままゴーストが2人を逃してくれるわけもないだろう。
 どうせまた追ってくる。
 しかも次は、もっと執拗さを増してくるかもしれない。
 そんな雰囲気がゴーストから伝わってくるようだ。
「ガンスレイブ、さん……」
 不意に、ヒポクリフトがガンスレイブの手を握った。
 そしてバックをゴソゴソと弄ると、例の、石ころ大の水晶玉を取り出した。
「これを、使って下さい……」
「魔浄石か。確かに、これは封印の供物として申し分ない。だが……」
 いいのか?
 ガンスレイブは真剣な眼差しを作る。
 ヒポクリフトは笑って、ガンスレイブに答えた。
「ええ、いいのです……これが、ガンスレイブさんの役に立つのであれば……何の問題は、ありません」
「……そうか。ヒポクリフトよ、恩にきる」
「ふふ、ガンスレイブさん、それは、こちらの台詞ですよ?」
「???」
「……私は、ガンスレイブさんに、何度も救われています。だから、こんな水晶玉一つで、その恩返しができるのであれば、何個だって、差し上げたいくらいです」
 そう言ったヒポクリフトの言葉に嘘はなかった。
 ヒポクリフトは心から、ガンスレイブに感謝をしていた。
 全く関わりのない冒険者である私を、守ってくれた。
 確かにガンスレイブは、冒険者でもなければ、また人ではない。
 だけど、その優しさと強さは、ずっと弱い私を支え、導いてくれた。
 その事に嘘偽りはない。
 だったら、信じるしかない。
 今はただ、このガンスレイブという、獣顔の勇者に、全てを託そう。
「ガンスレイブさん、約束ですよ?必ず、私を、地下8階層まで、連れてって、下さい」
「ああ、もちろんだヒポクリフトよ。俺がこの命に代えても、お前を地上へと返すと、誓う」
 ガンスレイブの眼に、強い意思は灯る。
 その眼に灯ったものは、憎悪の炎でも、復讐の眼光でもない。
 それは、ただただ純粋なる、決意の輝き。
 ガンスレイブは、ヒポクリフトとの約束を違(たが)ない。
 もう二度と、交わした約束を裏切らないと、自身に、そしてヒポクリフトに誓う。
『アルビダよ、見てくれているか?』
 かつてのエルフの女が、走馬灯のようにはガンスレイブの脳裏を走り過ぎる。
 そのエルフは、眩しい笑顔を、ガンスレイブに見せていた。
 過去に置き去った記憶の中で、やはりアルビダはずっとアルビダだった。
 だったら、アルビダはまだ死んでいない。
 俺の中のアルビダが生きている限り、アルビダのあの笑顔は、誰にも穢(けが)されてなんかいない。
 だから、アルビダよ。
 許せ。
 俺は今から、偽りのお前を、殺す。
「ゴーストぉおおおおおおおッ!!!!!」
 ガンスレイブの咆哮が、空間を制圧していた。

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