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楽園増強編

大切な家族

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『この周辺の海域は、些か特殊ですので、くれぐれも飛び込もうだなんて思わないように。いいですね?』

 押し寄せる波に飲み込まれている時、ザラトの言葉が脳裏を過ぎる。今にして思えば、あれはボクが海の中へ飛び込むことを前提として言われた忠告だったのかもしれない。

 そして多分、それはディスガイアにいる魔族全員がそうであったのかもしれない──「バカな真似はするなよ?」「シャンティが泳げるわけないんだからな」「海は怖いぞ」──みんなが、心配そうな顔をしてボクにそんなことを言ってきたのだ。

 それなのに、ボクはみんなの忠告を聞かなかった。だから、こうしてのも仕方ないのことだった。

 ゆっくりと、ボクの体が海底へと沈んでいく。その静けさが、どこか心地良い。また、懐かしい感覚だった。いつかのボクは、一人でずっとこうして静けさに身を任せていたのだ。無償に、落ち着く。

 だけど、まわりから誰の声も聞こえないのは、やっぱり寂しい。

 寂しい──

「無理だと分かっていたくせに、よくやるものね」

 突然、耳元で声が聞こえてきた。ゆっくりと、目を開けた。

 すると、目の前にビルマ様の顔があった。

「……ビルマ様、どうして……」
「助けにきたのよ」
「助けに?」
「あなた、覚えていないの? 船から落ちて、海に沈んでいたのよ」

 ああ、そうだった……。
 どうやら、ボクは意識を失っていたらしい。

 見ると、ビルマ様がボクを抱きかかえて空に飛んでいる。その背中には、大きくて立派な黒い翼が生えていた。

「……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「だって、ボク……ビルマ様に黙って、リリス様のところに行こうとしたから……」
「ああ、そのこと。全くよ、シャンティ。まさかわたしを捨てて、リリスのところに行こうとするなんて酷いわ」
「ボクは別に、ビルマ様を捨てようだなんて思ってないよ! ビルマ様とずっと一緒にいたいって、そう思ってる!」

 幸せが、どういった時に使う言葉なのかボクは知らなかった。でも、心がぽかぽかした瞬間に使うものだよって、ビルマ様はそう教えてくれた。だったら、今がそうなのだろう。

 ビルマ様と一緒いると、ボクの胸はいつもぽかぽかと暖かい。

 もうこの幸せを、失いたくない。誰にも奪われたくない。

 だけど……その幸せを投げ捨ててでも、リリス様のもとへ行かなければならないと、どうしてもそう思わされる。

「リリス様が、一人で苦しんでる……なんでか分からないけど、そんな気がするんだ」

 誰よりも幸せな世界を望んでいたリリス様が、何故か一人だけ、その幸せから遠ざかっていく。そんなの、絶対におかしい。

「だからお願い。ボクを、このままリリス様のところに行かせて──」
「自分勝手なことばかりを言うのね、シャンティ」

 ビルマ様が、キッとボクのことを睨んだ。

「あなた、自分が今どれだけ危険な橋を渡ろうとしているのか分かっているのかしら」
「わ、分かってる……けど」
「いいえ、なにも分かってないわ。いいシャンティ、これからあなたがしようしていることは、ディスガイアのみんなにも迷惑をかけかねない……いや、かけるわ。絶対に。その無自覚さが、命取りになる」
「…………ごめんなさい」
「謝って済むのなら、魔王はいらないわ」

 そう言って、ビルマ様の手がボクの顔へと伸びてきた。

「お仕置きが、必要ね。わたしに黙って家出をするなんて、タダじゃおかないわ」

 打たれる。
 咄嗟に、ボクは強く目をつぶって──ぷにっ。

「聞き分けの悪い子は、こうよ」

 ──頬を、掴まれた。
 
「……? び、びふまひゃま?」

 唇が尖ってうまく喋れないボクを見て、ビルマ様はむすっと目を細めた。

「本当、あなたはなんて可愛いのかしら。叱りたいはずなのに。つい悪戯したくなってしまうじゃない」
「ご、ごふぇんなひゃい」
「だから、謝っても許さない。あなたなんか、こうよ」

 と、ビルマ様はボクの体をそのまま優しく抱きしめてくれた。

「心配したのよ」
「……ごめんなさい」
「どうして、一人で行こうなんて考えたの?」
「……だってビルマ様、リリス様のことを、許さないって……」
「もちろん、許さない」

 ビルマ様はボクの顔をまじまじと見つめて、それはそれは悲しそうに言った。

「わたしのに、こんな悲しい思いをさせた男のことなんて、絶対に許すものですか」

 大事な家族──その言葉を聞いた瞬間だった。何故だろう、胸に熱いものが込み上げてきた。

「シャンティ、あなただけじゃない。リリスは、ディスガイアにいる全員の気持ちを踏みにじったのよ。それだけは、どうしても許してあげることはできないのよ」
「で、でも……リリス様にも、なにか理由が……」
「理由、ね。どうせ、大した理由じゃないわ」
「ビルマ様には、どうしてリリス様が裏切ったのか、分かるの?」

 ビルマ様は、

「さあ? いずれにせよ、本当に罪深い男なことに変わりはないわ」

 そう言ったビルマ様が、どこか感傷的に見えてしまう。

 リリス様がみんなを裏切った理由なんてボクは知らないけれど、ビルマ様には分かっているのだろうか──リリス様の、その真意が。

「罪深いと言えばシャンティ、あなたもよ。あなたは、リリスと同じことをしようとした」
「リリス様と、同じこと?」

 尋ね返すと、ビルマ様が頷きながら言った。

「見なさい、シャンティ」

 と、ビルマ様は地上の海へと目線を落とした。すると、地上から声が聞こえてきて──

「シャンティ! シャンティ!」
「シャンティ様ぁ~! どこにいるのよ~!」

 それは、小型の船に乗ったモウスとヤーンだった。確かあの船は、ゴーイング・シャンティ号に備え付けられていたものだ。

 それに、

「ぜぇぜぇぜぇ……おい、まだ見つかんないのかよ……」

 船の先端に括り付けれた縄ロープを引きながら犬かきで泳ぐ、それはマドルフだった。

 3人の会話が、聞こえてくる。

「おいマドルフよ。シャンティはもしかしたら溺れて海の底に沈んでいるやもしれん。ちょっと確かめてこい」
「はぁ? ふざけんな! こちとら、あんたを引っ張ってるだけで精一杯なんだよ!」
「やーねマドルフちゃん、だからちゃんと魔法で力を貸してあげてるんじゃない。それに大丈夫よ。溺れて死んでも、あたしたちの仲間に暖かく迎え入れてあげるわよ」
「だ、誰がゾンビになんてなるか! あたしは生きるぞ! 死んでたまるかぁ!」

 そんなにも、頓珍漢とんちんかんなやり取りをしながらも、みんながボクのことを探してくれていた。ボクが、海に落ちたと勘違いして……。

 その瞬間、胸にずきんと痛みが走った。

「今回のことが、あなたにとっての良い薬となることを願うわ。自覚なさい、シャンティ。あなたはもう既に、ディスガイアの一員なの。あなたになにかあれば、皆が悲しむ。シャンティの命は、もう一人のものじゃないのだから」

 自然と、目から涙が溢れ出してくる。

 そうだ。ボクは、もう一人じゃない。もう、昔のボクとは違うのだ。

 みんながいる。

 それに──

「行くときは、みんな一緒よ。みんなで、リリスのところへ行くの。あなたのその思いは、その時にぶつけなさい。必ず、連れて行ってあげるから。だから信じなさい、あなたたちの王、ビルマ・マルクレイドを」

 ビルマ様が、シャンティたちを導いてくれるのだから──

◾️

 その後、結局ビルマ様と共にディスガイアへと帰ることとなった。絶対みんなに怒られるだろうって思ってたけど、みんなは怒らないでくれて、ボクに「おかえり」と、そう言って暖かく迎えいれてきた。

 ディスガイアのみんなは、やっぱり優しい。でもだからこそ、その優しさに甘えちゃダメだって、強くそう思わされた。

「気は晴れましたか、シャンティ?」

 ザラトが、ボクにそう聞いてくる。やっぱり、ボクがしようとしていたことはバレていたようだ。

 でも、そうだよね。ザラトとボクは、このディスガイアでも一番付き合いが長い。

 聞いておきたいと、そう思った。

「ザラトは、やっぱりリリス様がボクらのことを裏切ったって、そう思ってる?」

 ザラトは、遠い目を空に向けて言った。

「さあ、分かりかねますね」

 嘘をついていると、それは直感的に理解できた。やっぱり、ザラトもリリス様が裏切った本当の理由を知っているのだ。でも明かそうとはしない。

 ザラトは、やれやれと大きなため息を吐いた。

「リリス様がどうであれ、ですよ。今はただ、このディスガイアを豊かな国にしたいとそう思っています。それこそ、いつかリリス様がここへ訪れた時、『自分が間違っていた』と、そう思わせられるくらいには」
「ザラト……」
「みんなと、ビルマ様と、一緒に……シャンティ、あなたもその一人。もう、抜け駆けは許しませんよ?」

 そう言って手を差し伸ばしてくれるザラトを見て、ボクはまた泣いてしまった。


 ねぇ、リリス様。

 ボクね、今すごく幸せだよ。

 心がね、ぽかぽかして暖かいんだ。

 リリス様にも教えてあげたいの。

 ボクが、今とっても幸せだってこと。

 だから必ず、逢いにいくからね。

 絶対に、みんなで迎えに行くから。
 
 だから、待っててね。


 待っててね。


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