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第七章 桐谷龍之介
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しおりを挟むその声は、突然と聞こえてきた。
「かつてカリスマ美容師と呼ばれていた桐生龍之介は、母親の死をきっかけに美容師を引退。だがある時、北鎌倉にはある美容室『神結い』にてあやかしの髪を切っているという偏屈な美容師五十嵐大吾と出会う。そんな、摩訶不思議な物語もこれにて終幕じゃ」
涙でかすむ目を前へ向ければ、九つの尻尾をゆらゆらと揺らす手乗りサイズの白い狐が、そこにいた。その独特な物言いには覚えがあった。
「玉ちゃん……なの?」
「こんなにも美しい狐、わっち以外におるわけなかろう」
相変わらずの高飛車な物言い。だったらやはり、この狐は玉ちゃんで間違いない。
「なんで、玉ちゃんが、ここに……」
「物語の最後を見届けるため。と言えば、聞こえが良すぎるやもしれぬな。わっちは『神切鋏』をこの世に生み出した者として、その行く末を見届ける義務があるのじゃ。それが人間に干渉し、その力を貸してしまったわっちの責務。結果がどうであれ、のう」
玉ちゃんは亀裂の走った「神切鋏」へと目線を落として言った。
「酷い有り様じゃ、妖力のほとんどが抜け切っておる」
「ごめん……」
「謝ることはない。そもそもが、不完全な代物だったのじゃ。妖力が篭っているせいか、ガラス細工のように精細で、壊れやすい。むしろよくここまで保ったと、わっちはそう思うのじゃ」
神切鋏から、瑠璃色の光が漏れ出し、天へ向かって上っていく。そんな光を見送りながら、玉ちゃんは「こん」と、それは寂しそうに鳴いた。
「そもそも存在しなかったものが、再び存在しなくなっただけという単なる事象に過ぎん。あやかしの髪を切るなどということ自体が、そもそも誤りだったのじゃ」
「……」
「だから、気に病むでない龍ちゃん。むしろ、礼を言う。あやかしなぞという得体の知れない者たちのために、よくぞここまで頑張ってくれた」
玉ちゃんは、笑ってそう言っていた。ただその声は、悲しそうにも聞こえた。
玉ちゃんが、背を向ける。ふわふわと、九つの尻尾を揺らしながら去っていく。なにか、言わなければならないと思った。ここで今なにか言わなければ、僕は一生後悔してしまうと、そう思った。
「違うよっ!」
僕は、玉ちゃんのその小さな体を、壊れないように、大切に抱きしめる。暖かった。そして、これは夢なんかじゃないって、改めてそう思った。あやかしは、いたんだ。こうして、手の届く場所にいたんだ。
「僕は、頑張ってたわけじゃないよ」
そうじゃなかった。
「僕は、自分の意思で『神切鋏』を受け取ったんだ。僕がそうしたいから、美容師に戻ったんだ。楽しかったんだ、本当は」
涙が溢れ出して止まらなかった。
「嘘でも、幻なんかでもないよ……きみたちあやかしは、確かに存在した。得体の知れない者なんかじゃない。みんなみんな、僕の大切な友達だ」
「龍ちゃん……」
「僕は、きみたちと出会えて本当に良かったなって、そう思ってる。だからお礼を言うのは僕の方だよ、玉ちゃん。ありがとう……こんな僕を、暖かく向かい入れてくれて、本当にありがとう」
それが素直で真っ直ぐで、僕の本当の気持ち。やっと、伝えられた。
そしてまだ、ここで終わってはいけないって、そう思う。
「玉ちゃん、お願い……力を貸して」
強く、そう思った。
「伝わってくるんだ。みんなが、泣いてる。大吾が、一人で苦しんでる……なぜだか分かんないけど、そんな気がするんだ。だから帰らなきゃ、あの場所に」
玉ちゃんは、
「今からではもう間に合わん……そう、普通ならの」
そう言った後にも、「こん」と喉を震わせ鳴いた。
「前を見るのじゃ、龍ちゃん」
頭を上げてみれば、真っ黒い大きな巨大な穴のようなものが、遊歩道のど真ん中に不自然な状態で浮かんでいた。
これは……
「霊道。読んで字の通り、幽霊が通る道のことをそう呼んでおる。そしてこの穴は、『神結い』へと直接繋がっておるのじゃ」
玉ちゃんはその穴を見つめながら、「ただ、問題がないわけでもない」とその代償を言い繋ぐ。
「霊道とは、とにかく不安定じゃ。この中に入ってしまえば、どこか全く知らない土地へと出てしまうこともある。それだけならまだしもじゃ。最悪霊道に迷い込み、一生出られなくなる可能性も考えられなくはない」
恐ろしい話だと、そう思った。
「わっちにできることは、これくらいじゃ。すまぬ」
僕は涙を拭い、ぼやけた瞳で玉ちゃんを見つめた。そして、その小さな頭を指先で撫でる。
「ありがとう、玉ちゃん。充分だよ」
終わりない闇の入り口のような霊道の前に、僕は立つ。もう、迷いはなかった。
「今行かなきゃ、一生後悔すると思うから。だから玉ちゃん、僕は行くよ」
「本気か、龍ちゃん」
「うん。だから玉ちゃん、最後になるかもしれないから、言っておくね。玉ちゃんが本当は、誰よりも優しいあやかしだってこと、僕は知ってるよ。忘れないから、絶対」
「……」
玉ちゃんは黙ってしまう。ただ次の瞬間にも、僕の目尻から零れ落ちた涙をぺろっと舐めて、頭に飛び乗ってきた。
「まさか、こんなにもお人好しな人の子に再び巡り会うことになるとはのう……いや、これはお主以上か。のう、桐枝」
「玉、ちゃん?」
「ええい、もうこうなればやけじゃ。ゆくぞ、龍ちゃん! 楽しいデートの始まりじゃ! 地獄の底まで付き合うぞ。安心せい。なにがあっても、龍ちゃんを一人にはせぬ。失敗したら大吾を無理やり引き込んで、霊道に新たな美容室でも作ればよかろう」
その言葉には、なんと答えればいいか迷ってしまう。ただ僕は心の中でひと言「ありがとう」だけを呟いた。
玉ちゃんは「礼には及ばぬ」と、それは愉快そうに笑った。
だったら、それだけで充分かもしれない。
僕らの始まりは、思えばそんな感じだった。
「じゃあ、行くよ」
そして、僕は霊道の中へと足を踏み入れる。
決してもう二度と手放してしまわないように、神切鋏をしっかりと握りしめる。
その時の僕に、もはや迷いなんてものはなにもなかった。
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