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第七章 桐谷龍之介

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 見上げるほどに大きなテレビ局の建物が見えてきた。新宿で働いている時は、テレビ関係の仕事で何度かやってきたことがあった。その度に緊張はしていたが、今日この日の緊張感とは当時より何倍も上回っていた。

「龍之介、こっちよ」

 テレビ局の前で、美麗先輩が僕を待っていてくれた。約束通り、16時ぴったり。

「来てくれるって信じてたわ」

「もちろん。約束しましたから」

「それでも、私は嬉しいわ。また龍之介と一緒に働けることが、本当に楽しみなの」

 朗らかな笑顔でそう言われて、手を握られる。昔と変わらず、その手は冷たかった。

「じゃあ、行きましょう龍之介。カリスマ美容師桐生龍之介の復活を、みんなが待ってるわ」

 そんなこともないだろう。僕は半信半疑な気持ちで、連れられるがまま局内へと入っていく。さすが年末ということもあって、局内はえらく慌ただしかった。廊下を曲がるたびに、忙しくなく人が走り去っていく。

 通り過ぎる瞬間にも僕をちらりと見た誰かが、声を潜めて話しているのが聞こえてくる。

「おい、あれ……」
「ああ、間違いない。マジもんの桐生龍之介だ」「今日来るって噂は本当だったんだな」
「すげぇ、やっぱオーラが違うわ」

 なぜ僕みたいな一美容師ごときがそう目立ってしまうのか、自分でもよく分からなかった。

 ただそのことについては、美麗先輩が聞いてもいないのに話してくれた。

「桐生龍之介という存在はね、あなたが思っている以上に偉大なのよ。龍之介はなにも考えずに去ってしまったかもしれないけど、ここ一年いろんな人たちがあなたの動向を追っていたの。名前だけが一人歩きして、桐生龍之介は伝説となりかけていた。そして今日、あなたがここにいる」

「伝説って、僕は別に芸能人でもなんでもないのに」

「それはあなたの勝手な判断でしょ? みんなは、そうは思わないの。当時から多くの芸能プロダクションがあなたのことを狙っていたのよ。SNSだって、中には龍之介の目撃情報に懸賞金をかけた人だっていたんだから」

 そんな話、初めて聞いた。一年間も引きこもり世間との関係一切を絶っていたから、それもまた当然かもしれないが。

「人は、失ったその時初めてその偉大さに気付かされるの。あなたはね、もう前とは違う。龍之介を見る人々の目が、変わってしまったのよ。私も、そうだったから分かるの」

 美麗先輩は僕の手を握り直し、その指を絡めてきた。

「だから、おかえりなさい龍之介。ここが、あなたが本当に輝ける居場所よ」

 美麗先輩に、強く求められている気がする。そういう意味では、確かに変わってしまったのかもしれない。美麗先輩にしてもテレビ局の人たちにしても、皆が僕を「カリスマ美容師の復活」だとお膳立てをしてくれた。

その熱量が、一年前よりも何倍の力となって伝わってくる。別になにをしていたわけでもないのに、桐生龍之介という名前だけで彼らは僕のことを求めてくる。どこか狂気じみているくらいに。

 それが、すごく気持ち悪い感覚だった。

「(本当の僕なんて、知らないくせに)」

 そして、僕は本日担当する飛縁真の控え部屋へと通されていた。美麗先輩は「じゃあ、また後で」と自身の持ち場へと去っていった。

「あ、本当に龍之介くんだ!」

 控え室に入るなり、噂の飛縁真が駆け寄ってきた。その姿はテレビで見るよりも何倍も綺麗で、小顔で、同じ人間とは思えないくらい美しい女性であった。また、噂で聞いていたような「美容師泣かせ」という感じはしなかった。むしろ好意的な印象を受ける。

「なんでいなくなったんですか?」「私、龍之介くんのファンだったから超寂しくて」「休みの日はなにしてるの?」「彼女いるの?」「今度一緒に飲みに行かない?」

 話すことに夢中で、彼女との時間はあっという間に過ぎていく。

「うん、やっぱり龍之介くんって超上手! この前のキモい下手くそとは大違い! カリスマ美容師は違うね! なによりイケメンだし!」

 あなたに一体美容師のなにが分かるんですかって、喉まで出かけていたその言葉をぎりぎりのところで噛み殺した。言ってもきっと無駄だと、僕は自ずと悟っていた。

「じゃあ、またよろしくね。てか、龍之介くんはこれから私の専属だから。絶対に誰にも渡さないし。他のブスたちを触る龍之介くんが可哀想。そういうゴミはさ、ゴミみたいな美容師で馴れ合っとけばいいんだよ。田舎のパーマ屋さんみたいにさー」

 彼女の嘲る笑い声が、とにかく不快だった。相槌を打つのすら嫌になる。

 だけど、聞かなければならないと、僕の口は勝手に動き出す。

「もしも、」

「え、なに?」

「……いや、もしも、あなたが言うその田舎の美容室に、あなたのようになりたいっていう小さな女の子がいたとして、それでもあなたは、そんなことが言えるんですか?」

 少なくとも花ちゃんは、ひのちゃんみたいになりたいと、そう言っていた。テレビや映画の世界にしか存在しない彼女に、憧れのようなものを抱いていた。そんな憧れが、こんなにもひねくれた人物であることを、僕は許せなかった。

「さぁ、どうだろうね。私には関係ないし。それに、妖怪みたいなブスじゃ、どう足掻いたって私にはなれないでしょ」

 現実は残酷だ。

「私と龍之介くんは違うから。住む世界が違うってやつ。龍之介くんなら、分かってくれるよね?」

 分かるわけない。

「じゃあ、また今度ね龍之介くん! 連絡待ってるよ」

 その後すぐ、彼女は控え室を去っていった。きっと、また僕と出会えることを信じて疑ってすらいないのだろう。そのことが分かってしまうくらい、彼女は堂々としていて、揺るぎなかった。

そうやって、これまで全てのことが思い通りになってきたのだろう。僕は渡された連絡先のメモ用紙をゴミ箱に捨てる時にも、それを実感した。
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