39 / 44
第七章 桐谷龍之介
6
しおりを挟む
見上げるほどに大きなテレビ局の建物が見えてきた。新宿で働いている時は、テレビ関係の仕事で何度かやってきたことがあった。その度に緊張はしていたが、今日この日の緊張感とは当時より何倍も上回っていた。
「龍之介、こっちよ」
テレビ局の前で、美麗先輩が僕を待っていてくれた。約束通り、16時ぴったり。
「来てくれるって信じてたわ」
「もちろん。約束しましたから」
「それでも、私は嬉しいわ。また龍之介と一緒に働けることが、本当に楽しみなの」
朗らかな笑顔でそう言われて、手を握られる。昔と変わらず、その手は冷たかった。
「じゃあ、行きましょう龍之介。カリスマ美容師桐生龍之介の復活を、みんなが待ってるわ」
そんなこともないだろう。僕は半信半疑な気持ちで、連れられるがまま局内へと入っていく。さすが年末ということもあって、局内はえらく慌ただしかった。廊下を曲がるたびに、忙しくなく人が走り去っていく。
通り過ぎる瞬間にも僕をちらりと見た誰かが、声を潜めて話しているのが聞こえてくる。
「おい、あれ……」
「ああ、間違いない。マジもんの桐生龍之介だ」「今日来るって噂は本当だったんだな」
「すげぇ、やっぱオーラが違うわ」
なぜ僕みたいな一美容師ごときがそう目立ってしまうのか、自分でもよく分からなかった。
ただそのことについては、美麗先輩が聞いてもいないのに話してくれた。
「桐生龍之介という存在はね、あなたが思っている以上に偉大なのよ。龍之介はなにも考えずに去ってしまったかもしれないけど、ここ一年いろんな人たちがあなたの動向を追っていたの。名前だけが一人歩きして、桐生龍之介は伝説となりかけていた。そして今日、あなたがここにいる」
「伝説って、僕は別に芸能人でもなんでもないのに」
「それはあなたの勝手な判断でしょ? みんなは、そうは思わないの。当時から多くの芸能プロダクションがあなたのことを狙っていたのよ。SNSだって、中には龍之介の目撃情報に懸賞金をかけた人だっていたんだから」
そんな話、初めて聞いた。一年間も引きこもり世間との関係一切を絶っていたから、それもまた当然かもしれないが。
「人は、失ったその時初めてその偉大さに気付かされるの。あなたはね、もう前とは違う。龍之介を見る人々の目が、変わってしまったのよ。私も、そうだったから分かるの」
美麗先輩は僕の手を握り直し、その指を絡めてきた。
「だから、おかえりなさい龍之介。ここが、あなたが本当に輝ける居場所よ」
美麗先輩に、強く求められている気がする。そういう意味では、確かに変わってしまったのかもしれない。美麗先輩にしてもテレビ局の人たちにしても、皆が僕を「カリスマ美容師の復活」だとお膳立てをしてくれた。
その熱量が、一年前よりも何倍の力となって伝わってくる。別になにをしていたわけでもないのに、桐生龍之介という名前だけで彼らは僕のことを求めてくる。どこか狂気じみているくらいに。
それが、すごく気持ち悪い感覚だった。
「(本当の僕なんて、知らないくせに)」
そして、僕は本日担当する飛縁真の控え部屋へと通されていた。美麗先輩は「じゃあ、また後で」と自身の持ち場へと去っていった。
「あ、本当に龍之介くんだ!」
控え室に入るなり、噂の飛縁真が駆け寄ってきた。その姿はテレビで見るよりも何倍も綺麗で、小顔で、同じ人間とは思えないくらい美しい女性であった。また、噂で聞いていたような「美容師泣かせ」という感じはしなかった。むしろ好意的な印象を受ける。
「なんでいなくなったんですか?」「私、龍之介くんのファンだったから超寂しくて」「休みの日はなにしてるの?」「彼女いるの?」「今度一緒に飲みに行かない?」
話すことに夢中で、彼女との時間はあっという間に過ぎていく。
「うん、やっぱり龍之介くんって超上手! この前のキモい下手くそとは大違い! カリスマ美容師は違うね! なによりイケメンだし!」
あなたに一体美容師のなにが分かるんですかって、喉まで出かけていたその言葉をぎりぎりのところで噛み殺した。言ってもきっと無駄だと、僕は自ずと悟っていた。
「じゃあ、またよろしくね。てか、龍之介くんはこれから私の専属だから。絶対に誰にも渡さないし。他のブスたちを触る龍之介くんが可哀想。そういうゴミはさ、ゴミみたいな美容師で馴れ合っとけばいいんだよ。田舎のパーマ屋さんみたいにさー」
彼女の嘲る笑い声が、とにかく不快だった。相槌を打つのすら嫌になる。
だけど、聞かなければならないと、僕の口は勝手に動き出す。
「もしも、」
「え、なに?」
「……いや、もしも、あなたが言うその田舎の美容室に、あなたのようになりたいっていう小さな女の子がいたとして、それでもあなたは、そんなことが言えるんですか?」
少なくとも花ちゃんは、ひのちゃんみたいになりたいと、そう言っていた。テレビや映画の世界にしか存在しない彼女に、憧れのようなものを抱いていた。そんな憧れが、こんなにもひねくれた人物であることを、僕は許せなかった。
「さぁ、どうだろうね。私には関係ないし。それに、妖怪みたいなブスじゃ、どう足掻いたって私にはなれないでしょ」
現実は残酷だ。
「私と龍之介くんは違うから。住む世界が違うってやつ。龍之介くんなら、分かってくれるよね?」
分かるわけない。
「じゃあ、また今度ね龍之介くん! 連絡待ってるよ」
その後すぐ、彼女は控え室を去っていった。きっと、また僕と出会えることを信じて疑ってすらいないのだろう。そのことが分かってしまうくらい、彼女は堂々としていて、揺るぎなかった。
そうやって、これまで全てのことが思い通りになってきたのだろう。僕は渡された連絡先のメモ用紙をゴミ箱に捨てる時にも、それを実感した。
「龍之介、こっちよ」
テレビ局の前で、美麗先輩が僕を待っていてくれた。約束通り、16時ぴったり。
「来てくれるって信じてたわ」
「もちろん。約束しましたから」
「それでも、私は嬉しいわ。また龍之介と一緒に働けることが、本当に楽しみなの」
朗らかな笑顔でそう言われて、手を握られる。昔と変わらず、その手は冷たかった。
「じゃあ、行きましょう龍之介。カリスマ美容師桐生龍之介の復活を、みんなが待ってるわ」
そんなこともないだろう。僕は半信半疑な気持ちで、連れられるがまま局内へと入っていく。さすが年末ということもあって、局内はえらく慌ただしかった。廊下を曲がるたびに、忙しくなく人が走り去っていく。
通り過ぎる瞬間にも僕をちらりと見た誰かが、声を潜めて話しているのが聞こえてくる。
「おい、あれ……」
「ああ、間違いない。マジもんの桐生龍之介だ」「今日来るって噂は本当だったんだな」
「すげぇ、やっぱオーラが違うわ」
なぜ僕みたいな一美容師ごときがそう目立ってしまうのか、自分でもよく分からなかった。
ただそのことについては、美麗先輩が聞いてもいないのに話してくれた。
「桐生龍之介という存在はね、あなたが思っている以上に偉大なのよ。龍之介はなにも考えずに去ってしまったかもしれないけど、ここ一年いろんな人たちがあなたの動向を追っていたの。名前だけが一人歩きして、桐生龍之介は伝説となりかけていた。そして今日、あなたがここにいる」
「伝説って、僕は別に芸能人でもなんでもないのに」
「それはあなたの勝手な判断でしょ? みんなは、そうは思わないの。当時から多くの芸能プロダクションがあなたのことを狙っていたのよ。SNSだって、中には龍之介の目撃情報に懸賞金をかけた人だっていたんだから」
そんな話、初めて聞いた。一年間も引きこもり世間との関係一切を絶っていたから、それもまた当然かもしれないが。
「人は、失ったその時初めてその偉大さに気付かされるの。あなたはね、もう前とは違う。龍之介を見る人々の目が、変わってしまったのよ。私も、そうだったから分かるの」
美麗先輩は僕の手を握り直し、その指を絡めてきた。
「だから、おかえりなさい龍之介。ここが、あなたが本当に輝ける居場所よ」
美麗先輩に、強く求められている気がする。そういう意味では、確かに変わってしまったのかもしれない。美麗先輩にしてもテレビ局の人たちにしても、皆が僕を「カリスマ美容師の復活」だとお膳立てをしてくれた。
その熱量が、一年前よりも何倍の力となって伝わってくる。別になにをしていたわけでもないのに、桐生龍之介という名前だけで彼らは僕のことを求めてくる。どこか狂気じみているくらいに。
それが、すごく気持ち悪い感覚だった。
「(本当の僕なんて、知らないくせに)」
そして、僕は本日担当する飛縁真の控え部屋へと通されていた。美麗先輩は「じゃあ、また後で」と自身の持ち場へと去っていった。
「あ、本当に龍之介くんだ!」
控え室に入るなり、噂の飛縁真が駆け寄ってきた。その姿はテレビで見るよりも何倍も綺麗で、小顔で、同じ人間とは思えないくらい美しい女性であった。また、噂で聞いていたような「美容師泣かせ」という感じはしなかった。むしろ好意的な印象を受ける。
「なんでいなくなったんですか?」「私、龍之介くんのファンだったから超寂しくて」「休みの日はなにしてるの?」「彼女いるの?」「今度一緒に飲みに行かない?」
話すことに夢中で、彼女との時間はあっという間に過ぎていく。
「うん、やっぱり龍之介くんって超上手! この前のキモい下手くそとは大違い! カリスマ美容師は違うね! なによりイケメンだし!」
あなたに一体美容師のなにが分かるんですかって、喉まで出かけていたその言葉をぎりぎりのところで噛み殺した。言ってもきっと無駄だと、僕は自ずと悟っていた。
「じゃあ、またよろしくね。てか、龍之介くんはこれから私の専属だから。絶対に誰にも渡さないし。他のブスたちを触る龍之介くんが可哀想。そういうゴミはさ、ゴミみたいな美容師で馴れ合っとけばいいんだよ。田舎のパーマ屋さんみたいにさー」
彼女の嘲る笑い声が、とにかく不快だった。相槌を打つのすら嫌になる。
だけど、聞かなければならないと、僕の口は勝手に動き出す。
「もしも、」
「え、なに?」
「……いや、もしも、あなたが言うその田舎の美容室に、あなたのようになりたいっていう小さな女の子がいたとして、それでもあなたは、そんなことが言えるんですか?」
少なくとも花ちゃんは、ひのちゃんみたいになりたいと、そう言っていた。テレビや映画の世界にしか存在しない彼女に、憧れのようなものを抱いていた。そんな憧れが、こんなにもひねくれた人物であることを、僕は許せなかった。
「さぁ、どうだろうね。私には関係ないし。それに、妖怪みたいなブスじゃ、どう足掻いたって私にはなれないでしょ」
現実は残酷だ。
「私と龍之介くんは違うから。住む世界が違うってやつ。龍之介くんなら、分かってくれるよね?」
分かるわけない。
「じゃあ、また今度ね龍之介くん! 連絡待ってるよ」
その後すぐ、彼女は控え室を去っていった。きっと、また僕と出会えることを信じて疑ってすらいないのだろう。そのことが分かってしまうくらい、彼女は堂々としていて、揺るぎなかった。
そうやって、これまで全てのことが思い通りになってきたのだろう。僕は渡された連絡先のメモ用紙をゴミ箱に捨てる時にも、それを実感した。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
カクリヨ美容室の奇譚
泥水すする
キャラ文芸
困っている人を放っておけない性格の女子高生・如月結衣はある日、酔っ払いに絡まれている和服姿の美容師・黄昏ほだかを助ける。
ほだかは助けてもらったお礼に、伸びきった結衣の髪を切ってくれるというが……結衣は髪に対して、とある特殊な事情を抱えていた。
「ほだかさん……先にお伝えしておきます。わたしの髪は、呪われているんです」
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
JOLENEジョリーン・鬼屋は人を許さない 『こわい』です。気を緩めると巻き込まれます。
尾駮アスマ(オブチアスマ おぶちあすま)
キャラ文芸
ホラー・ミステリー+ファンタジー作品です。残酷描写ありです。苦手な方は御注意ください。
完全フィクション作品です。
実在する個人・団体等とは一切関係ありません。
あらすじ
趣味で怪談を集めていた主人公は、ある取材で怪しい物件での出来事を知る。
そして、その建物について探り始める。
ほんの些細な調査のはずが大事件へと繋がってしまう・・・
やがて街を揺るがすほどの事件に主人公は巻き込まれ
特命・国家公務員たちと運命の「祭り」へと進み悪魔たちと対決することになる。
もう逃げ道は無い・・・・
読みやすいように、わざと行間を開けて執筆しています。
もしよければお気に入り登録・イイネ・感想など、よろしくお願いいたします。
大変励みになります。
ありがとうございます。
戒め
ムービーマスター
キャラ文芸
悪魔サタン=ルシファーの涙ほどの正義の意志から生まれたメイと、神が微かに抱いた悪意から生まれた天使・シンが出会う現世は、世界の滅びる時代なのか、地球上の人間や動物に次々と未知のウイルスが襲いかかり、ダークヒロイン・メイの不思議な超能力「戒め」も発動され、更なる混乱と恐怖が押し寄せる・・・
カフェひなたぼっこ
松田 詩依
キャラ文芸
関東圏にある小さな町「日和町」
駅を降りると皆、大河川に架かる橋を渡り我が家へと帰ってゆく。そしてそんな彼らが必ず通るのが「ひより商店街」である。
日和町にデパートなくとも、ひより商店街で揃わぬ物はなし。とまで言わしめる程、多種多様な店舗が立ち並び、昼夜問わず人々で賑わっている昔ながらの商店街。
その中に、ひっそりと佇む十坪にも満たない小さな小さなカフェ「ひなたぼっこ」
店内は六つのカウンター席のみ。狭い店内には日中その名を表すように、ぽかぽかとした心地よい陽気が差し込む。
店先に置かれた小さな座布団の近くには「看板猫 虎次郎」と書かれた手作り感溢れる看板が置かれている。だが、その者が仕事を勤めているかはその日の気分次第。
「おまかせランチ」と「おまかせスイーツ」のたった二つのメニューを下げたその店を一人で営むのは--泣く子も黙る、般若のような強面を下げた男、瀬野弘太郎である。
※2020.4.12 新装開店致しました 不定期更新※
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
心に白い曼珠沙華
夜鳥すぱり
キャラ文芸
柔和な顔つきにひょろりとした体躯で、良くも悪くもあまり目立たない子供、藤原鷹雪(ふじわらのたかゆき)は十二になったばかり。
平安の都、長月半ばの早朝、都では大きな祭りが取り行われようとしていた。
鷹雪は遠くから聞こえる笛の音に誘われるように、六条の屋敷を抜けだし、お供も付けずに、徒歩で都の大通りへと向かった。あっちこっちと、もの珍しいものに足を止めては、キョロキョロ物色しながらゆっくりと大通りを歩いていると、路地裏でなにやら揉め事が。鷹雪と同い年くらいの、美しい可憐な少女が争いに巻き込まれている。助け逃げたは良いが、鷹雪は倒れてしまって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる