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第六章 雨に濡れた髪
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19時過ぎ、営業終わりの帰り道のこと。鼻先に、ポツンと一滴の雫が落ちてきた。
「雨か……」
僕はリュックに常時している折り畳み傘を取り出した。そのすぐ後にも、雨は本格的に降り出してくる。
ここ最近では、突然の雨にも慣れてきたものだ。
その理由としては──と、脳内に雨の原因もとである彼女の姿を思い浮かべている時だ。ちょうど、対向から学校帰りだろう制服姿の彼女が走ってくる。スクールバックを傘がわりに頭の上にかざしているあたり、どうやら傘を忘れてしまったらしい。
「蘭子ちゃん」
「えっ? あ、龍之介さま!」
颯爽と走り抜けようとしていた蘭子ちゃんを傘に入れてあげる。
「傘、忘れたんだね。家まで送ってくよ」
「いや、そんな! 反対方向ですし、それに」
と、蘭子ちゃんは僕の肩元へと目線を移した。若干濡れていることを気にしているのだろう。この通り、蘭子ちゃんはいつも僕に対して妙に気を遣ってくるのである。そんな彼女は時雨蘭子ちゃん。女子高生。また──「雨女一族の末裔」という肩書きの、一応はあやかしだ。
「それで蘭子ちゃん、なんかあったの?」
渋る蘭子ちゃんをなんとか傘の下に入れた僕は、ふとそんなことを尋ねていた。
蘭子ちゃんは首を傾げている。
「どうして、そんなこと聞いてくるんですか?」
「いやだって」と、僕は未だ降り止む気配のない雨雲を見上げてみる。
「雨、降ってきたからさ。もしかして、蘭子ちゃんになにかあったのかなって」
雨女である蘭子ちゃんの感情が高ぶると、雨が降り出す。そんな冗談みたいな話も、今では全く疑いすら抱かない。そのくらいには、僕は蘭子ちゃんを含むあやかしたちとの不可思議な日常に慣れてきっていた。
だからこそ、雨が降った時はふと蘭子ちゃんのことを思い浮かべてしまう。また、無性に心配してしまうのだが。
「別に、なにもありませんよ。これはあたしのせいではなく、たまたまの雨です」
ぎこちなく笑う蘭子ちゃん。
「ご心配していただき、ありがとうございます。あたしはなんともありませんし、それに多少なにがあっても気にしないたちなので!」
「本当に?」
「え、ええ! もちろん! あたしが嘘ついてるように見えますか!?」
「いや、見えないけどね。蘭子ちゃんはそんな子じゃないって知ってるから」
僕がそう言えば、蘭子ちゃんは目を丸くさせ、途端に表情から笑顔が失われていた。
まただ。今日の蘭子ちゃんは、表情がコロコロ変わる。いつもとなんか違うって、僕はそう思った。
「やっぱり、なにかあったんでしょ?」
蘭子ちゃんはなにも言わない。それでも僕は一方的に話し続けることにした。
「別に言いたくないならいいんだよ。蘭子ちゃん高校生だし、それに女の子だし、ない方がおかしいもんね」
あやかし事情にしてもそうだ。僕が知らないだけで、いろいろと抱えている問題があるのかもしれない。それを、無理に聞き出そうとも思わない。
ただ、そうだ。
「もしも僕で力になれることがあったら、遠慮しないでなんでも相談してね」
「龍之介さま……」
「蘭子ちゃんにはいつもお世話になってるからさ。まあ、それ抜きにしても、なにかしてあげたいからさ」
「……」
蘭子ちゃんは、やはりなにも言ってはこなかった。それはそれで構わない。これ以上はありがた迷惑みたいで嫌だったから、もうなにも言わないことにした。
そのうち、北鎌倉台商店街が見えてきた。ここまで来れば、蘭子ちゃんの自宅である「雨宿り定食」はもう目と鼻の先だ、と。
「龍之介さま……もしも、ですよ」
蘭子ちゃんが、突然話しかけてきた。見ると、その横顔は、どこか切なげで。
「もしも、大切な誰かがいなくなっちゃうとして、その誰かとはもう二度と会えなくなるとしたら、龍之介さまなら、どうしますか?」
突拍子もない話だ。いきなり過ぎて反応には困ったが、僕を見つめる蘭子ちゃんの目は真剣であった。だとすれば、なにか意味を持って聞いてきたに違いない。
よく意味は分からないが、
「そうだね。引き留める、とか」
「引き留められないとしたら?」
「それは……死んじゃうって、そういうこと?」
聞いてはならないことかもとの懸念はあったが、そうは口に出してみる。もしかして、蘭子ちゃんの大切な誰かがそうなのかなって。
「そうじゃないんですけど……でも、会えないっていう意味では、同じことかもしれない。どんなに会いたくても、もう二度と、会えないから」
雨が、より一層強まってきた。
「だから、あたしは思うんですけど……その誰かには、あたしのこともう心配しないで欲しいんですよね。だって、どんなに心配したところで会えないなら、もうどうしようもないじゃないですか」
その気持ちは、少しだけ分かる気がした。
「だから、変わらないといけないのかなって……今、ようやくそう思いました」
そう言った蘭子ちゃんとは、それは覚悟の決まった顔のようだと、僕にはそんな風に見えた。
「龍之介さま、やっぱり、お話したいことがあります」
なんだろうか、一体。
今日の蘭子ちゃんは、やはりどこか変だ。
「雨か……」
僕はリュックに常時している折り畳み傘を取り出した。そのすぐ後にも、雨は本格的に降り出してくる。
ここ最近では、突然の雨にも慣れてきたものだ。
その理由としては──と、脳内に雨の原因もとである彼女の姿を思い浮かべている時だ。ちょうど、対向から学校帰りだろう制服姿の彼女が走ってくる。スクールバックを傘がわりに頭の上にかざしているあたり、どうやら傘を忘れてしまったらしい。
「蘭子ちゃん」
「えっ? あ、龍之介さま!」
颯爽と走り抜けようとしていた蘭子ちゃんを傘に入れてあげる。
「傘、忘れたんだね。家まで送ってくよ」
「いや、そんな! 反対方向ですし、それに」
と、蘭子ちゃんは僕の肩元へと目線を移した。若干濡れていることを気にしているのだろう。この通り、蘭子ちゃんはいつも僕に対して妙に気を遣ってくるのである。そんな彼女は時雨蘭子ちゃん。女子高生。また──「雨女一族の末裔」という肩書きの、一応はあやかしだ。
「それで蘭子ちゃん、なんかあったの?」
渋る蘭子ちゃんをなんとか傘の下に入れた僕は、ふとそんなことを尋ねていた。
蘭子ちゃんは首を傾げている。
「どうして、そんなこと聞いてくるんですか?」
「いやだって」と、僕は未だ降り止む気配のない雨雲を見上げてみる。
「雨、降ってきたからさ。もしかして、蘭子ちゃんになにかあったのかなって」
雨女である蘭子ちゃんの感情が高ぶると、雨が降り出す。そんな冗談みたいな話も、今では全く疑いすら抱かない。そのくらいには、僕は蘭子ちゃんを含むあやかしたちとの不可思議な日常に慣れてきっていた。
だからこそ、雨が降った時はふと蘭子ちゃんのことを思い浮かべてしまう。また、無性に心配してしまうのだが。
「別に、なにもありませんよ。これはあたしのせいではなく、たまたまの雨です」
ぎこちなく笑う蘭子ちゃん。
「ご心配していただき、ありがとうございます。あたしはなんともありませんし、それに多少なにがあっても気にしないたちなので!」
「本当に?」
「え、ええ! もちろん! あたしが嘘ついてるように見えますか!?」
「いや、見えないけどね。蘭子ちゃんはそんな子じゃないって知ってるから」
僕がそう言えば、蘭子ちゃんは目を丸くさせ、途端に表情から笑顔が失われていた。
まただ。今日の蘭子ちゃんは、表情がコロコロ変わる。いつもとなんか違うって、僕はそう思った。
「やっぱり、なにかあったんでしょ?」
蘭子ちゃんはなにも言わない。それでも僕は一方的に話し続けることにした。
「別に言いたくないならいいんだよ。蘭子ちゃん高校生だし、それに女の子だし、ない方がおかしいもんね」
あやかし事情にしてもそうだ。僕が知らないだけで、いろいろと抱えている問題があるのかもしれない。それを、無理に聞き出そうとも思わない。
ただ、そうだ。
「もしも僕で力になれることがあったら、遠慮しないでなんでも相談してね」
「龍之介さま……」
「蘭子ちゃんにはいつもお世話になってるからさ。まあ、それ抜きにしても、なにかしてあげたいからさ」
「……」
蘭子ちゃんは、やはりなにも言ってはこなかった。それはそれで構わない。これ以上はありがた迷惑みたいで嫌だったから、もうなにも言わないことにした。
そのうち、北鎌倉台商店街が見えてきた。ここまで来れば、蘭子ちゃんの自宅である「雨宿り定食」はもう目と鼻の先だ、と。
「龍之介さま……もしも、ですよ」
蘭子ちゃんが、突然話しかけてきた。見ると、その横顔は、どこか切なげで。
「もしも、大切な誰かがいなくなっちゃうとして、その誰かとはもう二度と会えなくなるとしたら、龍之介さまなら、どうしますか?」
突拍子もない話だ。いきなり過ぎて反応には困ったが、僕を見つめる蘭子ちゃんの目は真剣であった。だとすれば、なにか意味を持って聞いてきたに違いない。
よく意味は分からないが、
「そうだね。引き留める、とか」
「引き留められないとしたら?」
「それは……死んじゃうって、そういうこと?」
聞いてはならないことかもとの懸念はあったが、そうは口に出してみる。もしかして、蘭子ちゃんの大切な誰かがそうなのかなって。
「そうじゃないんですけど……でも、会えないっていう意味では、同じことかもしれない。どんなに会いたくても、もう二度と、会えないから」
雨が、より一層強まってきた。
「だから、あたしは思うんですけど……その誰かには、あたしのこともう心配しないで欲しいんですよね。だって、どんなに心配したところで会えないなら、もうどうしようもないじゃないですか」
その気持ちは、少しだけ分かる気がした。
「だから、変わらないといけないのかなって……今、ようやくそう思いました」
そう言った蘭子ちゃんとは、それは覚悟の決まった顔のようだと、僕にはそんな風に見えた。
「龍之介さま、やっぱり、お話したいことがあります」
なんだろうか、一体。
今日の蘭子ちゃんは、やはりどこか変だ。
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