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第一章 死にたくなった若者・綾野透
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しおりを挟む西京の事務所へ訪れてから、丸二日が過ぎた。
消費者金融からの着信が、鬼のように入っている。そろそろ異変に気付いた頃合いなのだろう。とは言え、今更彼らに返す金などあるわけがない。
また、母親からのメッセージも入っていた。
『お客さん増えてきてる? お父さんも心配してるよ』
親には、まだ何も伝えてはいない。三〇〇万すべて持ち逃げされましたなんて、とてもじゃないが言えるわけがない。「順調だよ」とだけ返しておいた。罪悪感で、胃がキリキリと痛む。
三十路に差し掛かったといいのに、なにをやっているんだ、俺は……
綾野はふと、数年前に行った同窓会のことを思い出していた。大学当時のサークルメンバーを集めて行った飲み会だ。最初は「当時はああだったよな」「楽しかったよな」と昔話に花を咲かせていたが、皆の酔いが回り始めた頃にも、話題は現状についてとなった。
皆、「ブラック企業だよ」「転職を考えている」「給料が低い」など、この不景気社会に対する不安も漏らす。不平不満は尽きない。だが頭の片隅では理解している。自分たちがどうこう愚痴を漏らしたところで、社会経済が良くなることはまず有り得ない。ただただ、虚しいだけだ。実際、縁も竹縄となる頃にはお通夜のようになっていた。あれから、誰とも連絡は取っていない。
綾野は、何気なくスマホに手を伸ばす。
ラインの友達欄をスクロールする。ライン仲間の数人のアイコンが、赤ちゃんの画像に変わっていた。結婚して子供が生まれたのだろうか。幸せなのかもしれない。しれないが、綾野にとっては『自分は順風満帆な人生を歩んでいます。愛する人と可愛い我が子に恵まれて、幸せです』という無言のメッセージに思えて、不快感を覚える。
その中で、探していたアイコンは当時のままであった。大学時代、一番仲の良かった男である。
斎藤武(さいとう たけし)──気の良い男で、昔はよく「ビッグになろうぜ」と漠然とした未来を語り合ったものだ。今、あいつはどうしてるだろうか?
少し、連絡してみるか──
コールが三回鳴った頃、斎藤は電話に出た。昔から斎藤はレスポンスが早かった。変わってないなと、綾野は少し嬉しく思う。
「おう、久しぶりだな。どうしたんだ、綾野?」
声の感じも、元気そうだ。
そう言えば、数年前の飲み会でも斎藤だけはやけに元気がよかった。「これから自転車で全国一周旅行を考えている」などと、二〇代後半に差し掛かっているとは思えないことを話していた。「お前はいいよな、お気楽で」と、暗い雰囲気が少し和らいだことを思い出す。
「どう、元気にしてるか?」
「ああ、もちろん。綾野こそどうなんだ、まだ福岡にいるのか?」
「え? ああ、もちろん。ずっといるよ」
県外に行くことなんて、考えたこともなかった。
「まだ焼き鳥焼いてるのか?」
「いや、さすがに。だってもう三〇目前だぜ? 普通にサラリーマンやってるよ」
本当のことは、どうしても言えなかった。
「そうなのか? あんなにサラリーマン嫌がってた綾野が。俺はてっきり、綾野はそっちの道に進むと思っていたんだけどな」
「うん、俺はそんな感じ。普通に、凡人として生きてるよ」
俺から話題を逸らさなければ──綾野の胸はちくちくと痛む。
「それで、斎藤、お前はどうなんだよ。チャリで全国一周の旅、あれ本当にやったのか?」
「まぁな。二年もかかったけど、行く先々でアルバイトしながら、地道に全国を回ったよ」
二年……斎藤は、二〇代という貴重な時間のうち、二年も無駄にしたのか。綾野は卑屈ながらそう思わされる。「今はどうしてるんだ?」と、さり気なく聞いてみた。「さあ、成り行き」などという、以前の斎藤が言いそうな返答を期待していた。
「一応、広告会社の社長やってるよ」
期待は、脆くも崩れ去ってしまった。
「と言っても、小さな会社だけどな? 借金して、自分の会社作ったんだ」
それから、斎藤はここ一年のことについて語り始めた。
一年前、全国一周の旅から地元に帰ってきた。その旅で受けた刺激はとんでもないものであった。全国各所には、行ってみないとその良さが分からない秘境スポットや、地元名産のうまい飯を食べられる飲食店がたくさんあった。
その良さを伝えたいと思った斎藤は、借金をして個人事務所を立ち上げた。小さなWEB広告の会社で、ご当地スポットの紹介を始めた。最初はフェイスブックやインスタグラムで、細々とやっていたらしい。ただそのうち、全国各地から「是非うちの紹介もしてほしい」と依頼が舞い込み、従業員を数名抱えるくらいまでに成長した。
「まあ、今はこんな状況だから依頼も減ったけど、それはそれでネットを使いながらうまくやってるよ。従業員の生活もあるし、俺も結婚して去年、子供が生まれたばかりなんだ。頑張らないといけない」
来年もう一人子供が生まれるのだと、斎藤はそうも嬉しそうに語る。途端、綾野には斎藤が遠い国の人のように思えてしまった。
俺と同じで社会の荒波に揉まれているのだろうが、斎藤ならきっとうまく生きていける。そんな気がしてならない。
「結婚、してたんだな」
「結婚式はまだだけどな、落ち着いたらあげるつもり。そのときは綾野、絶対来てくれよな」
綾野は「ああ、もちろん」と適当に答えて、「そろそろ休憩時間が終わるから」と適当な嘘をついて電話を切った。家賃五万の六畳1Kのアパートに寝転がる。人生の休憩時間は、もう充分過ぎるくらい満喫した。
「なにやったんだか、俺は……」
他人の幸せが、今の綾野にはよく響く。
また、スマホの着信が鳴った。消費者金融からだ。本日で三回目。そろそろ、もうダメかもしれない。
綾野はスマホの電源を切って、家を出る。
脳内で、西京無敵の不敵な笑みが、見え隠れしていた。
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