上 下
6 / 7

生徒会とバレンタイン【中編】

しおりを挟む
 移動教室の最中、あの人のクラスのある棟を通過する。
 機会を逃さぬよう、常に鞄は携えていた。俺は、注意深く周囲に目を配り、あの人の姿を探した。自慢ではなく事実として、俺は長身だ。人捜しに目線の高さは当然のアドバンテージである。
 
「……!」
 
 すると、十メートル程先に、人波を避けるよう廊下の隅を歩く――細身の後ろ姿を発見する。顔が見えなくとも、俺が見間違うはずもない。息を一つ吸い、そちらに近づいて行く。
 
 ――まず、彼を呼び止めよう。そして、風紀の用だと言って連れ出す。目立つのが嫌いな彼に、ここでチョコを渡すような愚は犯さない。
 
 近くなる、彼のやわらかそうな黒髪に、胸が疼いた。
 
「海棠くんだ……! 今日も素敵」
「しっ、目を合わせるな。殺されるぞ」
 
 しかし――俺の存在に、ざわざわと周囲が騒ぐ。
 そのせいで、あの人がこちらを振り返ってしまった。胡乱そうな顔で振り向いた彼は、俺と目が合うと「げっ」と口を動かした。
 
「あ……!」
 
 ぱっと身を翻し、近くの階段を駆け下りていってしまう。
 引き留めようと、声を上げかけ――空しく口を噤む。ここは人目が多すぎて、彼の迷惑になる。
 
「チッ」
 
 鋭く舌を打つと、委縮した生徒達が去って行く。
 ――烏合の衆め。なお、苛立ちが増した。
 


 
 
「ご苦労だったな、海棠。お前の仕事は丁寧で良い」
「ありがとうございます」
 
 満足げな葛城先生に、俺は会釈する。
 塞いだ気分のせいで、実技の授業では発奮し過ぎてしまった。葛城先生への詫びを兼ね、武道場の清掃を手伝っていたのだ。
 腕時計を見れば、すでに昼休みから五分すぎている。
 あの人は弁当を持参しているので、食堂に行く事はない。早速心当たりを当たるべく、その場を辞そうとすると、ガラガラと扉が開いた。
 
「失礼します」
 
 張りのある声が、朗々と武道場に響き渡る。扉の前で、精悍な笑顔を浮かべた生徒が立っていた。
 
「おお、藤川」
「葛城先生、こんにちは。海棠も、元気そうだな!」
「藤川先輩。お久しぶりです」
 
 深く頭を下げ、武道場に入って来たのは、藤川先輩だ。
 会釈をすると、快活に肩を叩かれる。この人は、桜沢さんの前任の庶務だった。その分、色々と話す機会も多かったので、少し懐かしくなる。
 藤川先輩は、提げていた大きな紙袋から、葛城先生に麦チョコの袋を差し出した。
 
「葛城先生、これを貰ってください」
「うむ? 何だこれは」
「今日はバレンタインですから。世話になった人に菓子を配るのだと、赤尾から聞きまして。なら先生に、と……」
「馬鹿者。子供が余計な気を回すんじゃない」
 
 照れくさそうに「すみません」と藤川先輩が笑う。葛城先生は、口では突っぱねつつ感激しているらしく、何度か咳払いをした。素直に喜べばいいのに、大人とは厄介なものだ。
 と、藤川先輩がこちらを振り返る。
 
「海棠、君も貰ってくれ」
「俺もですか?」
 
 呆気に取られている間に、手のひらに乗せられたのは、お握り型せんべいの袋だった。
 
「庶務になったとき、色々教えてくれてありがとう。おかげで楽しかったよ」
「……あ、ありがとうございます」
 
 臆面もなくこんなことを言われては、面食らう。……が、気持ちはありがたかったので、素直に頂いた。
 
 
 藤川先輩は、葛城先生ともう少し話したそうだったので、気を利かせて先に出た。俺も行くところがあるので、丁度良い。
 鞄に頂いたせんべいを入れ、俺は些か浮上した気分で歩いていた。
 あの人のいる心当たりに、さっそく向かっているところだ。彼は、たいてい人のいない裏庭で食事をとっている。警備の面から考えると不安だが、人目が煩わしいのだという気持ちは尊重したかった。
 
「……」
「……して、どうすんだよ」
 
 裏庭に近づくと、小さく彼の声が聞こえる。逸る気持ちで近づき、覗きこんで――ぎくりと身が強張った。
 
「ででで、でも。お、お世話になった人に、お礼する日だそうなので……だ、だからっ」
 
 矢鱈おどおどとした口調の、青いネクタイの生徒があの人にチョコレートを差し出している。桃色の包装紙は、有名店の限定商品だと、一目でわかった。
 彼は、こちらに背を向けていて、何度か頭をかきまわす。
 そして――ぶっきらぼうに、その箱を受け取った。
 
 


 
「はぁ」
 
 俺は、重い体を引きずりながら、廊下を歩いていた。
 ……チョコを、受け取っていた。 
 何とか気を落ち着けようと、呼吸を繰り返す。
 しかし、どうしても、先を越されたという意識が拭えない。
 
「愚かな。あの人は素晴らしい人だ。誰に好意を持たれていても、不思議ではない」
 
 慢心を振り払うよう、頭を振った。
 
 ――焦るな。まだ、時間はある。それに……俺はあの人の楽しみを、奪いたいわけではない。
 
 ふらふらと歩いているうちに、生徒会室に着いてしまった。
 どうせだから仕事をしていくかと、ドアをノックする。
 
「戻りました」
「お帰りなさい」
 
 ドアを押し開けると、穏やかなテノールに迎えられる。先までは居なかった蓮条先輩が、笑顔で立っていた。鳶色の髪を背で一つに纏め、ティーポットを持っている。
 
「おー、海棠か。おつかれさん」
「いえ」
 
 須々木先輩も、いつの間にか戻っていたらしい。自身のデスクで何か食べている。
 部屋の中からは入れ替わりに、八千草先輩と桜沢さんがいなくなっていた。……松代先輩はいるのだが、何故か奥の給湯室から体を半分だけのぞかせ、こちらを見つめていた。
 
「……あの、どうしたんですか?」
「このおやつ? 蓮条が出してくれてん」
 
 須々木先輩が、笑顔で皿の上の菓子をフォークで指す。そっちではなく、松代先輩のことを聞いたのだが。
 と、蓮条先輩が、にこにこと笑みを浮かべ近づいてきた。
 
「海棠くんも、良かったら食べてくれませんか?」
「はあ……?」
 
 手渡されたトレイの上には、湯気を立てるティーカップと、大振りの皿。その上には、熊の形をした最中と、三角にカットされたチョコケーキが乗っている。
 
「蓮条先輩、これは?」
「よくぞ聞いてくれました! こちらは私の愛するテディちゃんをですね、調理部の皆さんの協力で、チョコ最中として再現したコラボフードなんです! 中身はチョコアイスになってましてね――」
「……結構なものを、ありがとうございます」
 
 この人は普段穏やかだが、興奮するとものすごく早口になる。勢いに半ば引きつつ、止まらない言葉に相槌を打っていると、須々木先輩がケッケっと笑い声を立てる。
 
「蓮条、ありがとうなあ。うまかったでー」
「本当ですか! 嬉しいですっ」
「海棠も早よ食べてみ。作り立てで、最中ばりっばりやから」
「あ、はい」
 
 これ幸いと、自分のデスクに着く。
 蓮条先輩と須々木先輩が、朗らかに談笑するのを横目に、俺は最中を齧った。ぱり、と皮が歯の下ではじけ、香ばしい小麦の風味とチョコレートの濃い芳醇な香りが鼻を抜ける。
 ……素直に美味だ。
 凝り性の蓮条先輩らしい仕上がりだと思う。これほどの腕前であれば、手作りを振舞っても喜ばれるだろう。
 しみじみと食べてしまうと、流れでチョコケーキにもフォークを突き立てる。
 
「……?」
 
 こっちは、蓮条先輩じゃないようだ。
 美味しいと言えなくは無いが、精度が違いすぎる。グラサージュの甘味が著しく強いうえ、ゴロゴロと底面に入っている栗は、一体どういう了見なのか。
 首を傾げていれば、同じくケーキを口にしたらしい須々木先輩が、何やら渋い顔をしていた。厳ついリングの嵌った華奢な手で目元を覆い、深くため息を吐く。
 
「はあ~……なんやもう」
 
 呆れ声で呟いて、給湯室の方へ歩んでいく。
 すると、依然として覗いていた松代先輩が、嬉しそうに頬を赤らめる。
 
「りょーさん、気づいてくれたん!」
「松代~、お前なあ。何をコソコソしてんねん」
「ふふーん、ええやろ! おれ、「みんなにどうぞ」してんで。りょーさんも生徒会のな・か・まやろ~」
「おま……。知恵をつけよって」
 
 ぐったりと肩を落とす須々木先輩に、松代先輩が嬉しそうに懐いている。
 そのやり取りに「もしや」と思い、蓮条先輩に尋ねてみた。
 
「先輩、このチョコレートケーキですが」
「ええ! 松代君のプレゼントですよ。「生徒会の仲間で食べよう」って、焼いて来てくれたんですって。嬉しいですね」
 
 人の好い笑みを浮かべる蓮条先輩に、俺は頭を抱えたくなった。
 松代先輩――なんという手段の選ばなさだ。
 
「りょーぉさん。んまかった? おれのザッハトルテ」
「あー、うまいうまい」
「もーう! 心こもってへんやんけ~!」
 
 きゃっきゃと燥ぐ松代先輩に、須々木先輩は遠い目だ。とはいえ……「男嫌い」の彼がこの態度なら、全く脈なしではないのだろう。
 松代先輩は、迷惑を省みないのはどうかと思う。
 だが……真っすぐ突進できる強さは、少し羨ましかった。
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうやら手懐けてしまったようだ...さて、どうしよう。

彩ノ華
BL
ある日BLゲームの中に転生した俺は義弟と主人公(ヒロイン)をくっつけようと決意する。 だが、義弟からも主人公からも…ましてや攻略対象者たちからも気に入れられる始末…。 どうやら手懐けてしまったようだ…さて、どうしよう。

ひとりぼっちの180日

あこ
BL
付き合いだしたのは高校の時。 何かと不便な場所にあった、全寮制男子高校時代だ。 篠原茜は、その学園の想像を遥かに超えた風習に驚いたものの、順調な滑り出しで学園生活を始めた。 二年目からは学園生活を楽しみ始め、その矢先、田村ツトムから猛アピールを受け始める。 いつの間にか絆されて、二年次夏休みを前に二人は付き合い始めた。 ▷ よくある?王道全寮制男子校を卒業したキャラクターばっかり。 ▷ 綺麗系な受けは学園時代保健室の天使なんて言われてた。 ▷ 攻めはスポーツマン。 ▶︎ タグがネタバレ状態かもしれません。 ▶︎ 作品や章タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

嫌われ悪役令息に転生したけど手遅れでした。

ゆゆり
BL
俺、成海 流唯 (なるみ るい)は今流行りの異世界転生をするも転生先の悪役令息はもう断罪された後。せめて断罪中とかじゃない⁉︎  騎士団長×悪役令息 処女作で作者が学生なこともあり、投稿頻度が乏しいです。誤字脱字など等がたくさんあると思いますが、あたたかいめで見てくださればなと思います!物語はそんなに長くする予定ではないです。

婚約破棄されたら魔法使いが「王子の理想の僕」になる木の実をくれて、気付いたらざまぁしてた。

えっしゃー(エミリオ猫)
BL
僕は14年間の婚約者である王子に婚約破棄され、絶望で死にそうに泣いていた。 そうしたら突然現れた魔法使いが、「王子の理想の僕」になれる木の実をくれた。木の実を食べた僕は、大人しい少年から美少年と変化し、夜会へ出掛ける。 僕に愛をくれる?

真冬の痛悔

白鳩 唯斗
BL
 闇を抱えた王道学園の生徒会長、東雲真冬は、完璧王子と呼ばれ、真面目に日々を送っていた。  ある日、王道転校生が訪れ、真冬の生活は狂っていく。  主人公嫌われでも無ければ、生徒会に裏切られる様な話でもありません。  むしろその逆と言いますか·····逆王道?的な感じです。

台風の目はどこだ

あこ
BL
とある学園で生徒会会長を務める本多政輝は、数年に一度起きる原因不明の体調不良により入院をする事に。 政輝の恋人が入院先に居座るのもいつものこと。 そんな入院生活中、二人がいない学園では嵐が吹き荒れていた。 ✔︎ いわゆる全寮制王道学園が舞台 ✔︎ 私の見果てぬ夢である『王道脇』を書こうとしたら、こうなりました(2019/05/11に書きました) ✔︎ 風紀委員会委員長×生徒会会長様 ✔︎ 恋人がいないと充電切れする委員長様 ✔︎ 時々原因不明の体調不良で入院する会長様 ✔︎ 会長様を見守るオカン気味な副会長様 ✔︎ アンチくんや他の役員はかけらほども出てきません。 ✔︎ ギャクになるといいなと思って書きました(目標にしましたが、叶いませんでした)

気づいて欲しいんだけど、バレたくはない!

甘蜜 蜜華
BL
僕は、平凡で、平穏な学園生活を送って........................居たかった、でも無理だよね。だって昔の仲間が目の前にいるんだよ?そりゃぁ喋りたくて、気づいてほしくてメール送りますよね??突然失踪した族の総長として!! ※作者は豆腐メンタルです。※作者は語彙力皆無なんだなァァ!※1ヶ月は開けないようにします。※R15は保険ですが、もしかしたらR18に変わるかもしれません。

【BL】水属性しか持たない俺を手放した王国のその後。

梅花
BL
水属性しか持たない俺が砂漠の異世界にトリップしたら、王子に溺愛されたけれどそれは水属性だからですか?のスピンオフ。 読む際はそちらから先にどうぞ! 水の都でテトが居なくなった後の話。 使い勝手の良かった王子という認識しかなかった第4王子のザマァ。 本編が執筆中のため、進み具合を合わせてのゆっくり発行になります。

処理中です...