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第6話 怖い

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 童貞に好き勝手されて、気を失った翌朝。

「アオくん、おはよう」

 目が覚めた瞬間、目の前にイケメンの嬉しそうな顔があって……一瞬で覚醒した。

「あ……おはよう、ございます……」

 伊月さんはもうスーツ姿で髪もしっかりセットされていて、パーティー会場で会った「モテそうなイケメン」らしく、ベッドに腰掛けて俺の頭をなでていた。
 やはり、童貞には見えない。

「昨夜は無理させてごめんね? キレイに拭いたつもりだけど……シャワー使う? 体も辛いよね? 帰りは事務所まで送るから」
「あ、ありがとうございます……そんな、ご迷惑……」

 この辺りも、慣れている感じ。昨夜のヤバいセックスはただの「童貞プレイ」だったと言われる方がしっくりくる……あ、そうかも。
 慣れたセックスに飽きていて童貞のフリをしてガンガン腰振りたかっただけかも。
 恋人なんて言ったのも駆け引きに慣れていない童貞の演出で……

「迷惑だなんて。恋人だから当然だよ。むしろ、大好きなアオくんのためにしてあげられることが嬉しいな」

 ……演出じゃなかったか。
 伊月さんの表情は余裕のある大人のイケメンなのに、「恋人」とか「大好き」と言う瞬間だけ少し照れくさそうにするのが……本当の両想いなら「キュン」と来るところなんだろうけど、今の俺には重くて怖い。

「ねぇ、次、いつ会える?」

 会いたくない。
 一回寝たんだからもうこれで許して欲しい。
 けど……

「俺は……明日はうちがスポンサーにつくドラマのプロデューサーと会食の予定があるから無理なんだけど、明後日の夜なら、ゆっくりできるよ」

 ドラマ……プロデューサー……ここで恋人関係を断ったら、昨夜抱かれたことが無駄になる?

「あ……あ、明後日は仕事があるので……あの、スケジュールを確認して、また連絡します」

 今はこうやって誤魔化すことで精一杯。
 考えだってまとまっていないし……なんとか数日引き延ばしてうやむやにできないかな。

「あぁ、もちろん仕事を優先して。俺は彼氏である以前に俳優波崎アオのファンだから。仕事の邪魔はしたくない。応援しているよ」
「あ……ありがとうございます」

 重いし怖いけど、ちゃんとファンはファンなんだよな……この調子ならなんとかなるか?

「じゃあ連絡先……」

 交換か。これも仕方がない。
 営業用のスマートフォンを用意しているから、それの番号とアプリのIDを伝えよう。

「これに登録しているから」
「へ?」

 伊月さんが俺に差し出したスマートフォンは、昨夜着ていた服のポケットに入れていた、無難な白いシリコンカバーを付けている営業用の二世代前の古いスマホではなかった。
 俺が好きなハイブランドのロゴが入った革のカバーが付いた、最新機種だ。

「俺のスケジュールはこのアプリで共有するからアオくんもスケジュール入れてね? 位置情報アプリも入れているから、俺の位置情報もわかるよ。近くにいるときは遠慮なく呼んでね」
「え?」
「俺にもこのスマホの位置情報はわかるようになっているから、近くにいる時は顔を見に行くね?」
「え?」
「クレカや交通系IC、電子マネーのアプリも入れているから。好きに使ってね。アプリって上限設定あったかな……紐づけしているのはブラックカードだからある程度は大丈夫だと思うよ」
「え? いや、それは」

 対価のついでにお小遣いやプレゼントをもらうこともあったけど、せいぜい「タクシー代」とか「アクセサリーを買ってくれる」程度だ。
 恋人がいたことのない俺だって、これが異常なのは解る。

「本当に遠慮なく使ってね? 使用履歴は俺も見られるから、離れている時でも『あ、アオくんがコーヒー買っている。俺も買おう』なんて思えるし。今日なにを食べたとか、どんな服を買ったとか、忙しいのにいちいち報告するのは大変だと思うから、これで買ってくれれば俺に伝わって便利だよね」
「……」

 もう、声も出ない。
 異常すぎる。

「共演者に奢るとか、スタッフさんへの差し入れとかにも使ってね? 仕事の役に立てることが嬉しいから」
「あ、いえ、そういうのは……自分のお金ですることに意味が……」
「あぁ、そうか。確かにそうだね。偉いなぁ、アオくん。仕事のこと、誰よりも一生懸命、真摯に取り組んでいて。そういうところ大好きだよ」
「あ、は、はは……あ、そ、そろそろ、あの、時間……」

 誤魔化すように笑って、何時かなんてわかっていなかったけどなんとか口走ると、伊月さんは不思議そうな顔をする。

「ん? 仕事午後からだよね? まだ七時だよ? 午前中は二人でゆっくり過ごせるかなと思ったんだけど」

 すでにスケジュールを把握されている。俺、午後からって言った? 

「仕事の前に、事務所で、確認することがあって……」
「あぁ、そういうのがあるんだ? 仕事の時間外でも色々と大変だね? じゃあ、簡単な朝食だけ用意するから、シャワー浴びて来て」
「あ……はい」

 なんとか、今この瞬間は逃げられる算段が付いて、ほっとしながらシャワールームへ向かった。
 少し重い下半身をかばいながらシャワーを浴びて脱衣所に戻ると、昨日着ていた服と共に、昨日履いていた有名下着メーカーのロゴが入ったボクサーパンツ……の新品が袋に入った状態で置かれていた。
 色も、品番も、サイズも、同じ、新品。

「は? なんで……?」

 俺が眠っている間に買いに行った?
 深夜にこのブランドを売っている所、ある?
 それに、洗面台に並んでいるスキンケア用品は全部俺が愛用しているブランドの新品。
 横に同じブランドの使いかけのボトルが並んでいて、こっちは俺とは肌質が違う人向けだから……伊月さん用? 助かるけど、これ……
 しかも……

「アオくん、朝食これでいい?」
「は? なんで?」

 怖いと思いながらもノーパンでいる勇気も無くて、履き慣れたメーカーの履き慣れた下着……の新品を身に着けてダイニングルームへ向かうと、見晴らしのいいタワマンの窓から入る朝日に照らされたダイニングテーブルの上には、俺が毎朝食べているものと全く同じメニューが並んでいた。

「前に雑誌のインタビューで『朝食は一日の始まりなので気を使っています』って言っていたから」

 言った。雑誌以外でも、時々答えている。何を食べているかも言うことがある。
 でも、メニューは……数ヶ月に一度見直したり仕事に合わせて調整したりするから……今の「次の仕事に向けてやや体を絞っている」メニューは公表していないはずなのに。
 しかも、サラダチキンはコンビニの物ではなく俺がわざわざ通販で取り寄せているメーカーの物だし、サラダには俺が好きなカニ缶が使われているし、野菜スープは……嘘だろう? オフの日に自分で大量に作って冷凍ストックしているスープと具も味付けも同じ。俺の家の冷凍庫から持ってきた? あ、野菜の切り方が少し違う。じゃあ、別物……?

「どう? ちゃんとアオくん好みにできている?」
「あ……はい」

 ダイニングテーブルで向かい合って食べている伊月さんは、育ちが良いのがよくわかるキレイな食べ方で、笑顔だって優しそうなのに……料理も問題ないのに……怖い。

「アオくんがいつ泊りに来てくれても大丈夫なように、ちゃんと用意しておくからね?」
「そんな……伊月さん、大変だと思うし、いいですよ……」
「大丈夫だよ。俺もアオくんと同じもので体を作りたいし」

 イケメンなのに。モテそうなのに。
 行動も発言も、全部怖い。

 事務所の先輩でサイコパス役が上手い歌手兼俳優さんがいるけど、最近の映画でも「今回のサイコパスストーカー殺人鬼役、怖すぎ! 俺もこれくらい迫力のある演技ができるようになりたい!」と思ったけど……

 俺、どれだけ演技を頑張っても、この怖さの領域に達せないんじゃないか?
 
 演技派俳優の俺にこんなことを思わせるくらい、目の前の笑顔のイケメンは怖かった。

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