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第10話 社長
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「桜田と……吉野だっけ? 早くこっち来い」
今年五〇歳になる色黒のスポーツマンっぽい見た目の社長が、不機嫌そうに手招きをする。
黙っていれば爽やかでパワフルなビジネスマンって感じなのに……不機嫌な顔をされると、体が大きいこともあって委縮してしまう。
でも、行かないわけにはいかない。
俺と吉野が課長の隣に速足で向かうと、社長は重厚な木製のデスクをバン! と大きな音をさせて叩いた。
「広告の掲出場所変更の件、営業部長から報告をきいたけどありえないミスだよなぁ!?」
「すみません!」
「申し訳ございません!」
怖ぇぇえ……。
いきなり怒鳴らないでくれよ。パワハラか?
……とは思うけど、ミスはミスだからある程度の叱責は仕方がない。
俺と吉野が深々と、クライアント相手の時よりも深く頭を下げた。
社長は当然それだけでは納得してくれない。
「間違えるじゃなくて忘れるってさ、お前の脳内後期高齢者か? 病気か? 介護認定うけてくるかぁ?」
「す、すみません」
社長が吉野を睨みつける。
ヤンキーかよ……。叱責の内容も、だんだんキツくなってくる。
でも、ここで下手に口を挟むと社長の機嫌がこじれて余計面倒なんだよな。
耐えてくれ、吉野……。
「対応もあり得ない」
「え?」
しばらく吉野に対してネチネチと文句をぶつけていた社長が、大きなため息を吐いて俺と課長を見る。
「忘れていて枠が取れなかったら『取れませんでした』で押し通せばいいのに。赤字になってまで別の枠とる意味あるか?」
「あ……しかし、あのメーカーとは、長いお付き合いで……」
「小銭しか落とさない、業界七位の菓子メーカーなんてハイハイ頷いて右から左に流せばいいんだよ」
……確かに、業界最大手ではない。
でも、うちみたいな規模の会社が最大手を担当できるはずもない。
「あぁいう小さなところは広告一回飛ばしたくらいでたいして売り上げ変わらないって。広告出稿が無くなるだけなんだから、広告費浮いてむしろラッキーだって」
おい。仮にも広告代理店の社長が言っていいことか?
売り上げが変わらない? 絶対にそんなことない!
ロングセラーのお菓子が多くて、若い人を取り込めていないからと気合を入れた新商品の広告なんだ。
場所だって、若者の目に留まるように吟味したんだ。
あの広告には絶対に意味があった。
「それよりも、うちの赤字の方が問題だよな? この赤字、どうするんだよ?」
「それは、営業部の予算内ですし、他の仕事でカバーを……」
課長が言い終わる直前で、バン! とデカい音をさせて社長の手が再び机を叩く。
「この赤字が無かったら、他でカバーする必要も無かったマイナスだろ!?」
「それは……」
「あ、あの、他の仕事頑張ります!」
机から身を乗り出して課長に詰め寄る社長に向かって、吉野が懸命に声を上げる。
えらい。
でも、下手に口を出すと……。
「は? 吉野はミスしなかったら他の仕事は頑張らなかったのか?」
「いえ、そういうことでは……」
完璧にパワハラだ。
でも、ミスも赤字も事実で……言い返しにくい。
ごめん吉野、今俺がフォローしても社長は治まらない。
耐えて……。頼むから大人しく頭下げて……。
「申し訳、ございません……」
「悪いとは思っているんだな? じゃあ、課長、桜田、吉野、次のボーナスは三〇万ずつ引くから」
「「「え?」」」
三人の声が重なった。
顔が引きつる。
だって……うちのボーナスは三〇万円あるかないか……つまり、ほぼボーナス無し?
「それは……」
「業績が悪かったらボーナスが無くなるのは当然だろ? 赤字にしたんだから」
そんな無茶苦茶な。
絶対に何かしらの労働基準法違反だ。
でも……ここで訴えても……訴えて万が一ボーナスがもらえたとしても……。
この社長に目を着けられて、一層ひどい扱いになるのは目に見えている。
「文句あんのか?」
「あ、いえ……」
「じゃあさっさと仕事戻れ。もうミスするなよ!」
怒鳴られながら三人でもう一度頭を下げて、社長室から自分たちの部署の部屋に戻る。
社長の怒鳴り声のせいでまだ鼓膜がしびれている気がする。
それに、全身がこわばっていて、頭では「吉野をフォローしないと」と解っているのに声をかけてやることができなかった。
「あ、あの……桜田さん、課長、すみません、俺が、俺のせいで、すみません! すみません!」
部屋に入った瞬間、吉野が堰を切ったように震える声で何度も何度も頭を下げた。
……しまった。後輩にこんな泣きそうな顔をさせるつもりじゃなかったのに。
「代替案を出したのは俺だから、俺が……ごめん」
「承認したのは課長の俺だし、あれ以上庇ってあげられなくてごめんな、吉野」
「俺も課長もボーナスカットは初めてじゃないし」
「減給よりはマシだからさ」
俺と課長が何と声をかけても、吉野はとうとう泣きだして「すみません」と繰り返していた。
部署の他のメンバーも、隣の島の制作部の面々も、泣きながら頭を下げる吉野に同情の視線を向ける。
みんな解っている。
吉野は確かにミスをしたけど、きちんとカバーした。
まだ新人の域を出ない吉野に、普段から仕事が集中しすぎていて、ミスが起きやすい状態だった。
吉野は悪くない。
でも……。
「俺が、ミスしたから……俺のせいです。俺がお二人のボーナス分、払います!」
「そんなことしなくていいから!」
「社長もあんなこと言いながら多分ボーナス普通にくれるよ」
実際に「ボーナス無し」と言われたのに、社長が忘れていたのかボーナスが出たことはある。
でも、宣言通りにボーナスが出なかったこともある。
どっちになるかは、今のところ解らない。
「でも……でも、俺のせいで……。もうミスしないように気を付けますし、ミスしても一人でなんとかするんで」
「吉野、それは違うって……気にしてないから。頼ってくれよ? な?」
「……はい」
吉野は弱々しく頷いた。
俺の言葉を理解しているとは思えなかった。
「仕事、戻ります……」
吉野は、真面目で心の優しい子なんだと思う。
これからも一緒に仕事をしたいと思う。
でも……
……あぁ、こいつもうだめかもな。
そう思ってしまった。
今年五〇歳になる色黒のスポーツマンっぽい見た目の社長が、不機嫌そうに手招きをする。
黙っていれば爽やかでパワフルなビジネスマンって感じなのに……不機嫌な顔をされると、体が大きいこともあって委縮してしまう。
でも、行かないわけにはいかない。
俺と吉野が課長の隣に速足で向かうと、社長は重厚な木製のデスクをバン! と大きな音をさせて叩いた。
「広告の掲出場所変更の件、営業部長から報告をきいたけどありえないミスだよなぁ!?」
「すみません!」
「申し訳ございません!」
怖ぇぇえ……。
いきなり怒鳴らないでくれよ。パワハラか?
……とは思うけど、ミスはミスだからある程度の叱責は仕方がない。
俺と吉野が深々と、クライアント相手の時よりも深く頭を下げた。
社長は当然それだけでは納得してくれない。
「間違えるじゃなくて忘れるってさ、お前の脳内後期高齢者か? 病気か? 介護認定うけてくるかぁ?」
「す、すみません」
社長が吉野を睨みつける。
ヤンキーかよ……。叱責の内容も、だんだんキツくなってくる。
でも、ここで下手に口を挟むと社長の機嫌がこじれて余計面倒なんだよな。
耐えてくれ、吉野……。
「対応もあり得ない」
「え?」
しばらく吉野に対してネチネチと文句をぶつけていた社長が、大きなため息を吐いて俺と課長を見る。
「忘れていて枠が取れなかったら『取れませんでした』で押し通せばいいのに。赤字になってまで別の枠とる意味あるか?」
「あ……しかし、あのメーカーとは、長いお付き合いで……」
「小銭しか落とさない、業界七位の菓子メーカーなんてハイハイ頷いて右から左に流せばいいんだよ」
……確かに、業界最大手ではない。
でも、うちみたいな規模の会社が最大手を担当できるはずもない。
「あぁいう小さなところは広告一回飛ばしたくらいでたいして売り上げ変わらないって。広告出稿が無くなるだけなんだから、広告費浮いてむしろラッキーだって」
おい。仮にも広告代理店の社長が言っていいことか?
売り上げが変わらない? 絶対にそんなことない!
ロングセラーのお菓子が多くて、若い人を取り込めていないからと気合を入れた新商品の広告なんだ。
場所だって、若者の目に留まるように吟味したんだ。
あの広告には絶対に意味があった。
「それよりも、うちの赤字の方が問題だよな? この赤字、どうするんだよ?」
「それは、営業部の予算内ですし、他の仕事でカバーを……」
課長が言い終わる直前で、バン! とデカい音をさせて社長の手が再び机を叩く。
「この赤字が無かったら、他でカバーする必要も無かったマイナスだろ!?」
「それは……」
「あ、あの、他の仕事頑張ります!」
机から身を乗り出して課長に詰め寄る社長に向かって、吉野が懸命に声を上げる。
えらい。
でも、下手に口を出すと……。
「は? 吉野はミスしなかったら他の仕事は頑張らなかったのか?」
「いえ、そういうことでは……」
完璧にパワハラだ。
でも、ミスも赤字も事実で……言い返しにくい。
ごめん吉野、今俺がフォローしても社長は治まらない。
耐えて……。頼むから大人しく頭下げて……。
「申し訳、ございません……」
「悪いとは思っているんだな? じゃあ、課長、桜田、吉野、次のボーナスは三〇万ずつ引くから」
「「「え?」」」
三人の声が重なった。
顔が引きつる。
だって……うちのボーナスは三〇万円あるかないか……つまり、ほぼボーナス無し?
「それは……」
「業績が悪かったらボーナスが無くなるのは当然だろ? 赤字にしたんだから」
そんな無茶苦茶な。
絶対に何かしらの労働基準法違反だ。
でも……ここで訴えても……訴えて万が一ボーナスがもらえたとしても……。
この社長に目を着けられて、一層ひどい扱いになるのは目に見えている。
「文句あんのか?」
「あ、いえ……」
「じゃあさっさと仕事戻れ。もうミスするなよ!」
怒鳴られながら三人でもう一度頭を下げて、社長室から自分たちの部署の部屋に戻る。
社長の怒鳴り声のせいでまだ鼓膜がしびれている気がする。
それに、全身がこわばっていて、頭では「吉野をフォローしないと」と解っているのに声をかけてやることができなかった。
「あ、あの……桜田さん、課長、すみません、俺が、俺のせいで、すみません! すみません!」
部屋に入った瞬間、吉野が堰を切ったように震える声で何度も何度も頭を下げた。
……しまった。後輩にこんな泣きそうな顔をさせるつもりじゃなかったのに。
「代替案を出したのは俺だから、俺が……ごめん」
「承認したのは課長の俺だし、あれ以上庇ってあげられなくてごめんな、吉野」
「俺も課長もボーナスカットは初めてじゃないし」
「減給よりはマシだからさ」
俺と課長が何と声をかけても、吉野はとうとう泣きだして「すみません」と繰り返していた。
部署の他のメンバーも、隣の島の制作部の面々も、泣きながら頭を下げる吉野に同情の視線を向ける。
みんな解っている。
吉野は確かにミスをしたけど、きちんとカバーした。
まだ新人の域を出ない吉野に、普段から仕事が集中しすぎていて、ミスが起きやすい状態だった。
吉野は悪くない。
でも……。
「俺が、ミスしたから……俺のせいです。俺がお二人のボーナス分、払います!」
「そんなことしなくていいから!」
「社長もあんなこと言いながら多分ボーナス普通にくれるよ」
実際に「ボーナス無し」と言われたのに、社長が忘れていたのかボーナスが出たことはある。
でも、宣言通りにボーナスが出なかったこともある。
どっちになるかは、今のところ解らない。
「でも……でも、俺のせいで……。もうミスしないように気を付けますし、ミスしても一人でなんとかするんで」
「吉野、それは違うって……気にしてないから。頼ってくれよ? な?」
「……はい」
吉野は弱々しく頷いた。
俺の言葉を理解しているとは思えなかった。
「仕事、戻ります……」
吉野は、真面目で心の優しい子なんだと思う。
これからも一緒に仕事をしたいと思う。
でも……
……あぁ、こいつもうだめかもな。
そう思ってしまった。
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