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宵闇の唄

その十四

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 迷宮ゲートのある特区は元々はビル街の一画だった。
 そのため、クリスタルメディア第2ビルの屋上からはその特区の様子が伺える。
 整然とした都市の一画に生まれた場違いな分厚い壁に隔てられた囲い地、雑多な色の混ざったその場所はさながら子供が適当におもちゃを投げ込んだおもちゃ箱のようだ。

「箱庭の中に更に箱庭があるってか」
「箱庭って?」
「あ、いや、その……最悪の性格の奴がこの中央都のことを箱庭に例えたんで」

 俺は某終天童子の事を言葉を濁して伝えた。
 お互いに隠し事をしないという約束だったが、さすがにはっきりと言えないこともある。
 伊藤さんは、それを俺の仕事上の守秘義務にあたることなのだろうと考えたのか、特に追求することもなく頷いた。

「でも、私もその感覚はわかります。外から見ると人が住む都市って、ああ、誰かが作ったものなんだなってはっきりとわかるんですよね。綺麗に整えられている不思議な場所だなって思ってしまいます」
「優香はずっと、その、未開拓地で過ごしていたんだよね」
「ええ、と言っても長く一箇所に留まったりはしないんで、故郷という感じの場所は無いんですけどね。長くて同じ土地に二年もいたでしょうか、短い時なんか数日で移動して、時々怖い思いもしたし、飢えたこともありましたけど、やっぱりあの頃のことを思い出すと楽しかったなと思うんです」
「そっか」
「自分達で考えて工夫して、失敗したり上手くいったり、あの頃はそれが楽しいとか考えている暇はなかったけど、後から思い出すととても素敵に思えて、これって思い出補正っていうんですよね」
「あーうん、でも俺もそういうことあるからなぁ」

 俺たちは屋上庭園を後にすると、非常階段を降りながら色々と話し、ビルを出てビル街を駅方面に向かってまたそのまま歩いた。
 ビル街と駅の間には狭いながらも住宅地があり、いくつかの学校がある。
 休日の夕暮れ、学校には人が少ないかと思えばそうでもなく、部活動か何かをやっているらしい子供たちの元気な声が聞こえていた。
 本当はバスを使うべき距離なのだが、なんだか一緒に歩きたくてそのまま歩いて来てしまった。
 伊藤さんが何も言わない所を見ると、もしかすると同じ気持ちだったのかもしれない。
 そうだといいなと思う。

 とは言え、子供たちのほうが気になってあまり甘い気分にならないのは誤算だった。
 大勢の子供がいる場所は例の犯人に狙われないかと不安になるのだ。
 早いところお上に伝えて、なんらかの対策をしてもらうべきだろう。
 学校の密集地帯を抜けると、閑散とした住宅街がある。
 時間的に買い物帰りの主婦が忙しく行き交っていそうだが、この辺の主婦は車を使って少し離れた駅前のスーパーに行くらしく、通行人自体は少なかった。
 住宅街の間には病院やちょっとしたオフィスビルがあり、その間に2階建ての塾がある。
 塾の駐輪場には十数台の自転車が駐めてあって空きスペースが多い、時間的に本格的な授業はこれからという所か?

「誰か!」

 そう思った時、その塾の入り口から十四、五才ぐらいに見える少年が飛び出て来た。

「どうした?」

 ぎょっとして駆け寄ると、その少年は一瞬俺を見て怯えたが、一緒に駆け寄った伊藤さんを見てほっとしたように座り込む。
 何気に失礼だが、まぁ仕方ない。

「変質者が教室に入って来て、いきなりみんなを襲い始めたんだ」
「っ! 優香、警察に連絡をしてくれ、俺は行ってくる!」
「あ、隆志さん!」

 伊藤さんがバッグから端末を出すのをちらりと見て、俺は塾の玄関に突入した。
 ただの変質者ならそれはそれでもいいし、例の犯人なら願ったりだ。
 どちらにしろ被害を抑えて、手っ取り早く捕まえる必要がある。
 1階には控室か事務室かがあって覗いてみたが、そこにいた人は全員倒れているようだった。

「2階か?」

 駆け上がる。
 途中で怒鳴り声と悲鳴が聞こえた。

「てめえなんなんだよ!」
「いやあ! やめてぇ!」

 声はおそらく塾に来ていた学生の物だろう。
 まだ無事であることにほっとすると共に、犯人らしい相手の声が聞こえないことに不気味さを感じる。
 教室の入り口は二箇所あり、中が伺える窓は無い。
 入り口はどちらもスライド式のドアのようだった。
 中の様子が伺えないのは辛いな。
 仕方ない、今は速さが大事だ。
 俺は勢いよく手前のドアを開けた。

 ドアの向こうは混乱の坩堝にあった。
 机や椅子が整然と並んでいただろう様子はもはや跡形も無く、色々な方向を向いた机と椅子が散乱している。
 反対側のドアの前に机や椅子が無造作に転がっていて、貴重な出口の片方が使えなくされていた。
 入ってすぐの所に転がっているのは大人の男だ。
 塾の講師か?
 教室の中ほどにも数人の男女が倒れている。
 その向こうで数台の机や椅子をバリケード代わりに少年少女が数人頑張っていた。
 そして、その手前、俺から数歩の距離にひょろっとした男が佇んでいた。
 引きずるような黒いコートは革製なのか妙につやつやしている。
 いや、これは革じゃない。

「おやおや、邪魔がはいっちゃったか。しまったな、一匹逃したのが失敗だった。こりゃあ急いで済ませないとな」

 振り向いた男のコートがひるがえり、同時にそれがするすると長く伸びた。
 やはり、これは流体繊維だ。
 話には聞いたことがあるが、実際に使われるとびっくりするな。
 俺はジャケットの下のホルダーからナイフを抜くと、襲い掛かってきたコートの裾を弾いた。
 キン! と甲高い音がする。
 繊維なのに金属じみた音がするということは、恐らく刃物のような形状に加工しているのか?

「ほう? そのナイフ、ご同業か?」
「へぇ、そういうお前さんは冒険者かな?」
「愚問だな」

 男はコートをまるで針で作ったすだれのように変形させると、それらを次々と打ち出して来た。
 さながら紐付の棒手裏剣といった所か。
 それらの先端が倒れている者達をかすめるのでヒヤヒヤする。
 とにかく場所を移さないと、どうにも戦いにくい。
 とは言え、俺がここを離れた途端、残っている子供たちが襲われる危険があって、この場を離れる訳にもいかなかった。
 俺は雨のように降り注ぐ流体繊維の針をいくらかはナイフで弾き、残りは左腕に受けて突進した。
 距離があるのはこっちに不利にしかならない。
 それならその距離を詰めるしかない。

「ちっ!」

 いきなり男は足元に倒れていた少年の体を蹴り上げると、その体をまるでサッカーのボールのように蹴り飛ばした。

「きゃああ!」
「うわあ!」

 子供たちから悲鳴じみた声が上がる。
 もしかしたら蹴られたのは友人なのかもしれない。
 一方俺はその蹴飛ばされた子供を避ける訳にはいかず受け止めた。
 結果として再び後ろへと下がらざるを得ない。

「くそが!」

 俺の恫喝じみた叫びを受けて、男はひゃっひゃという妙にかすれた笑い声を上げた。

「使えるものはなんでも使う、それが冒険者のやり方だろ?」

 受け止めた少年の体を確かめる。
 蹴られたのは胸だったのか、肋骨が数本折れていた。
 幸いにも肺や心臓に刺さってはいない感じだ。
 しかし、この痛みで目を覚まさないとなると、やっぱりこいつが昏倒事件の犯人か。
 俺は少年を抱えたままじりじりと前を向いたまま後ろに下がり、ドアを開けてその少年の体を外に出した。
 救急部隊が早々に到着してくれることを祈るしかない。

「てめえ何のつもりだ? 冒険者はこっちで騒ぎを起こしちゃならないきまりだろうが!」
「はっ!」

 男は俺の言葉を鼻で笑った。

「俺たち冒険者のルールはただ一つ、自分がやりたいようにやる、それだけだ、知らねえ奴が作ったルールなんかくだらねえな」
「てめぇ!」
「正義の味方ごっこか? 若い連中にはたまぁにいるんだよな。特に異能持ちには多い。自分が特別だと思い込む。自分だけは死なないとね。だけど現実は無情で、この世には正義なんてない。強い奴が生き残る、それだけがこの世のルールなんだよ」
「なるほど、シンプルだな。なら俺がお前より強ければいいんだ」
「へへっ、そうそう、いい感じにわかって来たじゃないか」

 ウウウーと唸るような音が響いて来た。
 どうやら警察と救急部隊が到着したらしい。

「そら、お前の大好きな力とやらが到着したようだが、どうする?」
「ちっ、うぜえな。まぁいいさ、さっさと逃げ切ればいいだけだからな」

 俺は会話の途中で踏み込んだ。
 増援を待つだろうと相手が予想しているその裏をかいて仕掛けたのだ。
 
「ちっ」

 奴は舌打ちしたが、やはりその余裕は崩れない。
 俺は左手を伸ばして男の腕を掴み、次の瞬間膝をついていた。
 全身から力が抜けるような、冷えて固まるような感覚がある。

「な……んだ?」
「お? 丈夫な奴だな、というか察しがいいのか。腕を掴んで即離したからな」

 こいつ、そうか、これが昏倒の原因か。

「まぁそんな顔をするな、お前の命も有効に使ってやるよ。この俺が生き延びるためにな」
「命を……使う?」

 男はニヤニヤと笑うと、コートを束ねて鋭い剣のような形に作り変える。

「いや、ここはやはりとどめを刺しておくべきだな。おっさんの命を貰ってもあんま使いでがないしな」
「誰がおっさんだ! てめぇのほうが俺よりおっさんだろうが!」
「おいおい元気だな。ほんと、油断ならねぇ野郎だぜ、死んどきな!」

 突き込まれた剣状の流体繊維をふらふらしながらも両手で受け止める。
 金属の剣と違い重さはあまりない。
 両手に血が滲んだが、それだけだった。

「隆志さん!」

 ぎょっとする。
 気づけば教室の入り口に伊藤さんが立っていた。

「来るな! そこの子供の救助を頼む、肋骨が折れているようだ」
「大丈夫です。救護隊員の方達が運んで行きました」
「おいおい、彼女連れとはまた余裕があるこったな。いや、違うか、デート中に巻き込まれたのか? そりゃあ災難だったな」

 男はゲラゲラ笑い出す。
 この野郎。
 しかし、どうする。俺は今、体から力が抜けて本来の戦い方が出来ない。
 奴に触れるとまた力が、いや、命? が吸われるらしい。
 なにより……。

「格好悪いとこ見せちゃったな」
「そんなことないです、格好いいですよ、いつだって」

 好きな女を背にして退けないよな。
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