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昼と夜

その三

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「お腹が空いて、車の中にお金が見えて、駄目だって思ったんだけど、我慢出来なくって」

 泣き出した容疑者Aをなんとかなだめすかして事情を聞いてみると、どうやらそもそもの原因は、典型的な能力発現による異能者養育拒否だったようだ。
 そういうのを防止するために、政府の広報番組を日曜にガンガン流してるのに、どうやらこの家族には無駄だったらしい。
 ったく、税金を無駄に使いやがって。
 容疑者A、いや、この場合少年Aか。
 その話を要約すると、少年Aの異能の力がたびたび発現して、それを見た母親があまりにも怖がったんで、こいつは自分から家を出たらしい。
 んで、腹が減ったり喉が渇いたりしたんで、つい力を使ってしまった。と。

 行動力がありすぎるだろ、小学生。
 だが、年齢が若すぎることを除けば、破壊タイプの異能者が辿る転落人生の最多パターンだ。
 破壊タイプが犯罪に走ることが多いのは、周囲に理解を得るのが難しいからでもある。
 俺は大きく溜め息を吐いた。

「まあ空腹は辛いわな。んで、自販機と公園もお前?」

 容疑者から犯人に昇格した少年Aは、少しためらった後素直にうなずく。
 うんうん、自分から親を思いやって家を出たことといい、こいつスレて無いし、更生余裕じゃね?
 てかこのぐらいの年頃って、刑法適用出来んの?

「そっか、自販機はまあ、ジュースが飲みたかったんだろうけど、公園はなんでやっちゃったんだ?」

 少年Aは俺の言葉にしばし無言で、破壊されて地面に落ちていたキラキラするガラスのカケラをいじっていたが、ぽつりと言葉を零した。

「みんな帰るから」

 それだけ言うとまただんまりに戻る。

「そっか」

 とりあえずわかったような返事をした俺だったが、正直あんまりわからなかった。
 こんだけのヒントで理解しろってのが無理だろ。
 つまり、凄く家に帰りたかったってことなのかな? うん、そうなんじゃね? そういうことにしとこう。わからんし。
 どうせこれ以上はカウンセラーの仕事だ。

「おじさんも……」

 頭の中で事件の真相っぽい何かをこねくり回していたら、ふと何か聞き捨てならん言葉が耳に入った。
 俺はわざとらしい咳払いをしてみせると、目前の少年Aの頭をグシャグシャに撫でてやる。
 困惑した風だが、それに対しては嫌がる素振りを見せなかったのだが、俺が顔を寄せるとぎょっとしたように体を固くした。

「お兄さん、な? まだ二十代だから、お兄さん!」

 よく凶悪な、と言われる笑顔全開でニヤッと笑ってみせる。
 やや引き気味にはなりながらも、少年Aは怖がることもなく大きく頷いた。
 こりゃあなかなかの猛者だぞ。

「兄ちゃんも僕が怖くないの? こんな風に簡単に物を壊すし、さっき兄ちゃんにも……」

 律儀に言い直して、しかし途中でグッと言葉を止める。
 おいおい勘弁してくれよ。
 ガキが泣くのをこらえる図とか、ちょっと大人としては見たくないもんなんだぜ。

「坊主、ちょっと見とけ」

 俺はそう言って、そこに転がっていた根元からもがれた車のミラーを摘み上げる。

「坊主じゃないよ、僕、暁生あきおだよ」

 おお? さっきのお返しか? どうしてなかなか男の子だな。

「そうか、俺は隆志ってんだ、よろしくな」

 答えながらも、俺はミラーの根元の金属部分を親指と人差し指で摘んで、よく見えるように持ち上げて見せる。
 暁生は、そんな俺の行動によくわからないって顔をしながらも、言われた通りミラーを見た。
 俺がゆっくりと力を込めていくと、指の間の金属は徐々に歪み、やがてひびが入った。
 ひびは瞬く間に全体に及び、やがて鈍い軋みを上げて崩壊する。
 砕けた破片を逃さずに、更に力を込めると、それは更に崩壊を極め、やがては細かな金属の粉となった。
 暁生は、惚けたようにその一部始終を見届け、やがて見間違えようの無い恐怖をその面に浮かべる。
 恐らくは、さっき撫でられた頭のことでも考えているんじゃないかな?

「わかったか? 俺も異能者だ」
「……いのう?」

 おいおい、そこからか? マジ広報仕事しろ!
 てか、最近の学校って異能のこと教えないの?

「ほら、日曜の朝にさ、やってるだろ? ヒーロー物」
「あ、あのダサい番組」

 ……広報。

「そのダサいやつとかCMみたいなやつでさ、見たことないか? 異能者支援団体とかってさ」

 暁生の顔は、全然知らないと語っていた。
 ち、と軽く舌打ちして、俺は苦手な説明を始めることにする。
 おのれ広報、後で山のように改善要望送ってやるからな、覚悟しとけよ!

「あー、ようするにだな。こういう、ちょっと風変わりな力を持ってる連中は、世間にそれなりにいるんだが、そういうのが単独で頑張って生活しても、まあ大体、差別とか生活面とかでごたごたした挙句にわりいことやらかすことが多い。だからそういう連中が普通に暮らせるように社会への順応を支援する政府の支援団体があるってことだ」

 俺のグダグダの説明を非常に熱心に聞いてくれていたらしい暁生だが、その顔に理解の色はついぞ浮かばなかった。
 ポカーンとして俺の顔を見てる。
 説明下手で悪かったな!
 気を取り直して俺は続けた。

「ええっとだな、つまりだ、……んー、俺が怖いか?」

 暁生は俺をまじまじと見る。

「うん、少し」

 そしてそう答えた。

「そうかそうか、正直でよろしい。んで、ちょっとおっかないかもしれんが、俺と握手出来るか?」

 差し出した俺の手を少し見つめて、暁生はおずおずとその手を取る。
 緊張して汗ばんでいるその小さな手を、そっと握り返した。
 暁生はびくりとしたが、それでも手を離すことは無い。
 偉いな、こいつ。

「わかるだろ? すげえ力を持っていたとしても、加減さえ覚えてしまえば何も考え無くても体がちゃんとそれにふさわしい力を込めるんだ。人間は案外上手く出来てるもんだぜ? ……で、だな。そういうのを考えずにやれるように訓練する場所がある」
「本当に? 僕、僕は、時々我慢出来なくて物を壊しちゃうことがあるんだ。お母さんは段々僕を見ると怖がるようになって……」

 握った俺の手を自分からもっと強く握って、暁生はうなだれた。

「おう、ちゃんと自然に力を制御出来るように訓練出来るぞ」

 暁生は、俺の言葉にやっと少しだけ緊張を解いて、うなずいた。

「よくわからないけど、とにかくお兄ちゃんみたいに出来るようになるんだね」
「おおよ、それだけわかれば十分だ」

 体から力を抜いて、ちょっとだけ笑った暁生だったが、ふいに顔を上げて、少し目をすがめた。

「誰?」

 暁生が目にしたのは、もちろん、ほとんど足音を立てずに近寄って来ていたうちの妹である。
 由美子は暁生の問い掛けを完全に無視すると、俺に向かって声を掛けた。

「担当部局に連絡済み。当直があんまりいないみたい」

 そう、今まで由美子は当局にことの顛末を連絡していたのである。
 役割分担ってことだな。

「呑気だな中央は」

 少し呆れてそう返した俺の手を、暁生が横から引っ張った。

「誰? 綺麗だけどなんか怖い」

 やっと灯の下に踏み込んだ由美子の顔を確認したのか、なかなかませたことを言いやがる。

「俺の可愛い妹だ。美人だろう、そうだろう」

 子供にもどうやら美人はわかるらしい。
 俺の言いようが自慢気になったのは勘弁してくれ。
 それにまあ、俺からすればどっちかというと綺麗というより可愛いって感じの顔立ちだと思うけどな。

「うそ、兄ちゃんと似て無いよ」

 お前、それはちょっと正直過ぎないか? 泣くよ、俺。
 だが、暁生の言葉に激しく反応したのは由美子のほうだった。
 ギロリと睨まれたその強い視線を受けて、暁生は身を震わせて硬直する。

「こらユミ、やめないか。大人げないぞ」
「甘えて、なんでも許されると思って平気で考えずにものを言う、だから子供は嫌い」

 どうも由美子は子供時代の経験のせいか、子供があまり好きじゃないらしい。
 仕方ないかもしれんけど、将来的なこともあるし、これはなんとかしてやりたいな。
 俺に出来ることなんかわずかだろうけどさ、やっぱり兄貴なんだし。
 それに、人を嫌うってのは、実は自分が一番苦しいんじゃないかって思うんだよな。
 それにしても、暁生は暁生で、なんかやたら大げさに震えてるし、もしかして母親のことを思い出したとかじゃなけりゃいいが。

 とりあえず俺は話題を逸らすことにした。
 決して正面から妹に意見出来ない弱腰野郎とかじゃないぞ。

「ユミ、さっきはありがとな。おかげで咄嗟に衝撃を相殺出来たし」
「兄さんはその場任せ過ぎるから、いつも苦労する」

 うん、どうやらお怒りの矛先は俺に向いたらしい。
 あんまりよくないが、よかった。
 人生は矛盾だらけだな。

「大体、事前におおよその見当がついていたのだから、先に当局と連携してジャマーを仕掛けておくべき。そういう準備が本来のサポーターの役目。なのに自分が一番に突っ込んで、あまつさえ確保した容疑者となあなあに語らって、事後連絡を私に任せるとか」

 うおお、マズい。
 なんというお説教モード突入!
 まさかこれ、担当官が到着するまで続くのか?

「そもそも子供の頃から兄さんの戦い方は一切変わってない。とにかく突っ込むだけ。コウ兄さんがいるならまだしも防御の薄い時も同じ。単に何も考えていないと表明しているようなもの」

 マズい、なんかこいつ自分の言葉で更に怒りを掻き立てるという似非トランス状態になっているぞ。
 助けを求めるように傍らを見ると、暁生は口を半開きにして、途切れなくまくしたてる由美子を眺めていた。
 そうか、子供には刺激が強過ぎたな。
 なんとなく申し訳なく感じた俺は、見ちゃいけませんと言うようにその目を手で覆ってやる。と、周囲の気圧というか、温度というか、正確に言うと気配だが、それが一気に寒々しく変化する。
 ごくりと生唾を呑んだ俺は、恐る恐る振り返った。

「聞いてる? 兄さん」

 やべ、俺の心拍数がなんか物凄いことになってるぞ。
 下手するとこのまま死ぬんじゃね?俺。

「お、おう聞いてるぞ」

 俺がやっと絞り出した声は、

「どうだか」

 冷え冷えとした一言に打ち落とされたのだった。
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