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日常と非日常は交錯する

8 前奏曲は優しく静かに奏でられる

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「おはよう!」

 いつも通りの挨拶も少し弾んでいる。
 何かこう重荷を下ろした気分ってのはこういうことなんだな、としみじみ思った。

「おはようございます。妹さんもう帰っちゃったんでしたっけ?」
「おおお、気力を使い果たした四日間だったよ」
「お疲れ様です。でもいいじゃないですか、可愛い妹さんの為だったんでしょう? お兄さんらしく頑張るのは当たり前です」

 女性陣が気軽に話し掛けて来るようになったのはいいが、何かいつも駄目出しされている気がする。
 まぁでも女性の柔らかい口調だと、あんまり嫌な気分にならないのは不思議だな。

「木村、新プロジェクトのカウントダウン始まってるからな、よろしく頼むぞ」
「へいへい、ってかそっちこそよろしくな。そっち終わらないとこっちも進められんだろ」

 同僚の佐藤が浮ついていた気分に水を差す。
 新製品の開発は一に体力、二に気力である。
 才覚や能力なんぞはやりながら取得すればいいという感覚で、理解出来ないとかの泣き言は終わってから言えという、いっそ清々しいまでの体育会系だ。
 ほんと、こっちが忙しくなる前に妹の受験終わってくれてよかったよ。

「それで、どうだったんですか? 妹さん」
「へ?」

 頭が仕事モードに移行していたので、つい話に付いて行けなかった。なんとも素っ頓狂な返事をしてしまう。

「もう、受験ですよ。そのために上央してたんでしょう?」
「さあ? 発表はまだなんだろう?」
「それはそうですけど、自信有り気だったとか、落ち込んでたとか何かあるんじゃないんですか?」
「いや、うちの妹はそういうのあんまり表に出さないもんで」
「もう、駄目なお兄さんですね」

 な、なんだと! うちの妹の喜怒哀楽が薄いのは俺のせいとでも言いたいのか?
 違うぞ! 断じて違う、俺のせいじゃないんだからな。気が付いたらああなってたんだ!
 あれだ、能力主義のあの集落で、弱っちいってことで小さい頃虐められてたのが悪かったのかもしれん。
 う~ん、やっぱり少しは俺が悪いのかな。
 
 とりあえず雑談を切り上げて自分の机に座る。
 電算記録機械パソコンを起動させて共有プロジェクトBOXを開いた。
 駄目だ、俺の前の担当部分があんまり進んでねぇ。やれることがあんまりないな。
 退社の時に確認して出社してすぐだから当たり前だが。 

「この基板周りの耐熱カバーの素材は何だ?」
「アルミにホーロー加工で」
「おい、それは製品の本体仕様だろ? 内部回路の密閉パッキングはどうなってんの?」
「電源周りの熱に関しては放熱板で対応するみたいですよ、基板は防水を兼ねて嵌め込みで」
「省エネ仕様であんまり発熱は無いって話だけど、ディスプレイ部分の必要電力はわかってての話なのか? これの仕様はこっちで把握してないだろ? 空調積まなくて本当に大丈夫なのか?」

 なんか前段階担当、ちょっと揉めてるな。
 どうやら今回の新製品は我が社としてかなり力を入れて行くらしく、上から色々言われているっぽい部長の真剣さが怖い程だ。
 煮る、焼く、炊く、蒸す、といった調理を一見レンジのような見た目の装置1基のみでで行うってことだが、それだけなら他社製品にも似たのがある。
 今回の目玉は、リアルな画像を配した画面表示ディスプレイによる、視覚で確認出来る調理システムということだった。
 この表示システムが、ながれ率いる開発室の作り上げた物で、特許取得済みの革新的システムって肝いりなのだ。
 そのおかげで、ブランドとしての独自性を保てるのが強みだという訳でトップも期待しているらしい。
 期待するほうは気楽だよな。ほんとに。
 しかし、気楽と言えば、ごく気楽に付き合っちゃいるが、ながれってうちの会社にとっては金の卵っていうか、無くてはならない奴なんだよな、こういう商品が回って来るとつくづく思うけど。

 ながれと俺たちは、実を言うと、開発室と商品企画開発課という、似て異なる部署の所属だ。
 しかもながれは室長なんで、実はお偉いさんである。ちょっと違うが比較すれば課長と同等かそれ以上。
 博士号持ってるとはいえ、地位的にはちょっと若すぎるぐらいだが、そこは実力主義ってことなんだろうな。
 何しろ既に会社に貢献する特許をいくつか取得していて社長から表彰されたぐらいだ。
 特許を個人で所有することを主張したりしないのも会社にとっては有難い存在なんだろう。まあ金持ちだからどうでもいいだけなんだろうけど。
 あいつの言うには潤沢な設備と人材を提供して貰って好きな研究をやれて、しかもそれが即社会に商品として反映されるというのは、研究者にとって何ものにも代え難い環境なのだそうだ。
 生粋の研究者肌なんだろうな。ああいう所は好感が持てる。女癖が悪くなきゃいい奴なんだけどな。

 それで、なんでこの毛色の違う部署同士が親密かというと、うちと開発室とは使ってる部屋が同じなんだ。
 一応部署を分ける仕切りパテーションがあるんだが、お互いにあんまり気にせずに気楽に出入りしている。
 そういう環境なので、この二部署は非常に仲がいいのだ。

 俺がながれとがウマが合うということがわかったのも時々一緒にやる合同レクレーション(の名を借りた飲み会)のおかげでもあったし。
 それにこんな風にうちと開発室が同じ部屋を使っているのにはちゃんと理由がある。
 実験を行うクリーンルームへの入り口がこの部屋にしか無いからだ。
 しかもあっちの部署側にあるんだよな。
 利用するにはお互いの予定の摺り合わせが必要になって来るし、自然と親しくなっていくという訳だ。

 さて、それはともかく、今新製品用の回路図描いてるんだが、収納サイズがまだ不明とかで、全然先へ進めない。
 仕方無いので省エネ調整に使う水晶針機関をちまちま弄る。
 これの波動弄ってる時が一番気持ちが落ち着くよ。
 未練だろうけど、やっぱり玩具作りがやりたいなあ。就職に贅沢は言えないのはわかってるから、これは単なる愚痴だけどさ。

「木村くん」

 と、ごそごそ弄ってたのがサボってる風に見えたのか? 部長がやって来て呼んでいる。
 いや、サボってる訳じゃないですよ? 単にやることが無いだけで。

「はい、部長なんですか?」
「今何をやってるんだね?」
「あ、はい。ベースになる回路図を効率重視と省エネ重視で作ってみたんですが、何しろ仕様が固まってないようなのでここから先に進めない状態ですね」
「なるほど」

 言いながら部長が何やら書類入れを取り出した。
 手が空いてるなら別の仕事をってことかな? まあ暇を持て余しているよりはいいかもしれない。

「それならちょっと頼みがあるんだが、タケタは知っているだろう?」
「今回の共同開発の相手ですね」

 そう、実は今回の商品開発には協力会社が在った。
 というのも、うちの会社は主にキッチン周りの家電専門なんで、今回の商品に使用するようなディスプレイ表示システムを組む経験が無いのだ。
 なので、今回映像、音響系機器カラクリの老舗であるタケタに協力をお願いしてうちとタケタの二社での共同開発ということになっている。

「そこにこの仕様書を持って行って相手方と打ち合わせをして来てもらえないだろうか?」

 ん? どういうこと?
 打ち合わせはとっくに終わってるんじゃなかったかな?

「えっと、先月の開発会議の時に摺り合わせは終わったんじゃなかったんですか?」
「ああ、いや。電圧調整のために微調整中なんだが、回路周りの設計について専門家同士で話を詰めたいらしんだ。電話やメールでは埒があかないので直接話し合って来て欲しい」

 ははあ、なるほど、さっきから揉めてたのはその辺りが上手く話し合いが出来て無いってことか。

「わかりました。一度仕様書を確認していいですか?」
「ああ、頼むよ。これを書いたのは佐藤君なんで、問題無い部分まで打ち合わせてからで構わない。相手方への訪問時間は十五時だ」

 十五時って微妙な時間だよな。これは残業決定か? 直帰OKなのかな? 確認しておこう。

「長引いた場合は直接帰宅出来るんでしょうか?」
「あー、すまないが仕様書を持ち帰って欲しい。あまり遅くなるようだったら相手方も困るだろうし十八時を超えるようなら切り上げてくれて構わないから」

 直帰は不可。
 でも時間厳守で切り上げOKっと。了解。

「わかりました。それじゃあ早速掛かりますね」
「ああ、よろしく」

 早速何やらグループ協議を進めていた佐藤を捕まえて俺の関わってない部分の説明を受け、行くならついでにと相手方への確認事項を付け足され、期待の篭った目で送り出されたのだった。

 タケタはこの街でも有数の巨大な高層ビルの中の五フロアを借り切って本社事務所としている。
 元々関連企業が出資し合って建てたビルで、研究施設が充実しているらしい。
 なにしろ郊外の広い土地にその手の施設を作るには独自に強固な結界設備を作って維持しなきゃいかん訳で、その費用を考えると地代の高い中央の一角にビルを建てたほうが安く付くという考え方だ。
 結界維持の電力消費は永続でかなり高いし、多くの企業はこの方針でやっている。
 なので中央では高層ビルを見ると研究施設があると思うのが普通なのだ。
 また、宣伝を兼ねた玄関のオープンラウンジに最先端の機器を展示して、実際に体験出来るようにしていたりするんで、休日にはそれ目当てでこういう企業ビル巡りを楽しむ若者も多いって話だった。
 その結果、企業ビルの一階は、ほとんどの場合喫茶コーナーがあるオープンスペースになっているのだ。

「お、あのオーディオセット、限定のみで発売したやつだよな。なんだっけ、バーチャルスペースの中で音楽と映像を楽しめるとかなんとか、いいなぁ」

 それ程音楽や映像に傾倒していない俺ですら、稼働する装置のモニタリング画面とか、点滅する装飾性の高いチェックランプとかを見ていると、そのままそれを楽しみたい気分になってしまう。
 休日のデートスポットとして人気があるのは当然なんだろうな。
 あー、俺も彼女と来てみたいもんだ。

「よかったらお土産付きの体験チケットをお持ちしませんか?」

 受付の上品な美人さんが手続きを済ませて照合待ちの俺にそう声を掛けてくれた。
 こ、これは、もしかして恋の始まり?

「えっ? いいんですか?」
「はい、ただいま春の新生活フェアを行っていますので特典付きの体験チケットを配っているんです。よろしければご友人やご家族をお連れになっていらしてください」
「あ、そうなんですか。ありがとうございます」

 ふ、どうやら単なる営業だったらしい。
 いやいや、ここで思い切って「貴女のような方と体験出来たら光栄です」とか言ってみたら案外いけるかもしれないぞ、俺。
 などと馬鹿な葛藤をしている間に照合が終わり、チェックカードを渡されてしまっていた。

「ではこちらをどうぞ。いってらっしゃいませ」

 チェックカードをクリップでポケットに装着すると、貰った体験チケット付きのちらしをブリーフケースに突っ込み、何事も無かったようにその場を離れた。
 いや、意気地が無いとかじゃない。俺は仕事中なのだ。女性を口説く訳にはいかん。
 公私の区別を付けない男は女性にウケないだろうからな。

 言い訳だか自己暗示だかわからない脳内思考でグルグルしながら、ほぼ無意識の動きで二基並んだ高速エレベーターの待ちボタンを押し、カゴが降りて来るのを待つ。
 午後の十五時ともなると中途半端な時間なのでエレベーターも普通の時よりは空いているらしく、一緒に待つのは台車を押した配送の人だけだった。

 とは言え、台車という物は邪魔な存在だ。こういう場所を取る物を持ってエレベーターに乗るのって気を使うだろうな。
 もしかするとわざわざ開いてる時間を狙って来ているのかもしれない。
 そんな風に思いながら乗り込んだエレベーターの入り口で、一瞬、どこか懐かしい気配を感じた。
 その感覚を掴もうとした瞬間には既に消えていたが、それはなんとなく俺の心に引っ掛かる。

 なぜなら、それは……。

「迷宮? ……な訳ないか?」

 有り得ないと思う俺の意識の片隅で、弟、浩二が告げた言葉が蘇る。
 それに以前にうちの会社の給湯室で起きた怪異現象。

 ――……人の意識がある限り、そこに怪異は生まれ続ける。

 ドキリと心の臓が鳴る。
 いつもいつも俺を誘い込む者達。
 あまりにもさまざまな怪異につきまとわれて、泣きながら取り縋る俺にジジイが告げる言葉。

 ――……それは鬼伏せの血の宿命よ。我らがご先祖はお役目を果たすためならばいかようなことも行った。なれば我ら……

 チン、と、余りにも軽快な音を立てエレベーターが停まる。
 見れば俺の目的の六階だった。
 俺は配送業者の人に会釈をするとエレベーターを降りる。
 配送の人はすかさずエレベーターの一旦停止ボタンを押すと荷物を下ろし始めた。
 なるほど、俺が降りるのを待ってたんだな、乗るのが被って悪かったなぁ。

 ふうっと息を吐くと意識を広げてみるが、特に何も異常は感じられなかった。
 気のせいならそれに越したことはない。
 時計を見ると約束の時間の五分前、丁度いい頃合いだ。
 何はともあれまずは仕事である。
 夢と少しズレているとはいえ、願った仕事に近い場所に俺はいるのだから頑張らないと罰が当たるぜ。

 ブリーフケースを抱え直し、慣れないネクタイを直しながら、ふとブリーフケースの中身、今さっき突っ込んだチラシに思い至った。
 気になるなら今度の休みに来てみるか。
 なんでも無くても楽しむことは出来るしな。

 そう決めると、やや気持ちと共に軽くなった足取りで、俺は新製品の仕様打ち合わせに向かったのだった。
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